第9話 譲れない願い



「弟子には出来ない」



目の前のアインスからはっきりと言い放たれた言葉が、僕には時間が止まったかのように、一瞬理解できなかった。

予想外の衝撃を、受けて。


・・・彼の弟子には、なれない?


一瞬、あんなにうるさかったはずの車輪の音が遠ざかる。


僕の“目的”。

ずっと、アインスを追いかけてきた。

この偉大な魔法師アインスの弟子になる。

ずっとずっと、それだけを目指して生きてきた。


なのに。


「・・・・・・」


周りの音が何処か遠くにあるような、時間が止まった世界で。

アインスはただじっと僕を見据えていた。


これも冗談?

・・・いや、違う。



彼のこの真っ直ぐな眼は、冗談なんて言ってない。



その目の青さだけが。揺ぎなさだけが、呆然としたままの僕の目にやけに鮮明に映る。


「・・・じゃあ、なんで・・・・・・アインスは“杭”を抜けるの?」


彼の目を見ていられなくて。

僕は小さく顔をしかめると、そのままその目を逸らす。ぎゅっと拳を握り締めながら。

混乱していた。


だって、あの有名な“魔法師”であるアインスが“魔力がない”なんて!解らないことだらけだ。

でも確かに・・・。


「・・・っ」


そう、僕は気づいていた。



アインスから魔力の気配が無いことに。



・・・それは彼が、魔法師が度々自分の気配を消すために行う“魔力隠蔽”で、自分の魔力の気配を意図的に隠しているからだと思っていたけど。


魔力が高い者は、他の者の魔力を小さな炎のように感じ取れる。姿が見えない状況でも。

だから、相手の魔力の灯火を頼りに相手の居場所を探ることもできる。

“魔力隠蔽”でわざと魔力の灯火を見えなくして隠されない限り。


そして僕は、これまでずっと・・・アインスの魔力の灯火を辿ることができなかった。


思わず唇を噛み締める。

同時にますます握り締めた拳。


“アインスに魔力が無い”


そんなはずはないという証拠を、僕は必死で探していた。


確かにさっきの追跡の魔法を解除する時も、彼は魔法ではなく魔法薬を使っていた。

魔法薬は、魔力が殆ど無い人が魔法の代わりに使う物。魔法師が使うなんてよっぽどの時だ。

魔法が使えないくらい消耗している時か・・・なんらかの理由で、強制的に魔法が使えない状態の時か。


「っだったらなんで、魔力が無いのにあんな“杭”なんてものを・・・!」

「・・・さぁな。

 だからこそ、魔法師協会は俺を稀少扱いするんだろ」


まだ疑いを滲ませアインスを睨む僕を、彼はただ悠々と見やって口元に笑みを浮かべる。


「疑うのなら試してみるか?」


と、アインスは背もたれに寄りかかったまま、皮肉めいたそぶりで僕に右手を差し出した。

さっき僕が挨拶の為に差し出しても、握り返されなかった右手を思い出す。


「・・・・・・」


確かめるしか、ない。


だって本当に・・・あのアインスが魔法を使えないなんて、信じられないもの。


これまでもずっと聴いて育った“リバイバー”の二つ名を持つ“魔法師アインス”の話。

本部でも彼の活躍は聴いていたし、これまでの旅の間でもその名を知らない人は居なかった。


それだけ世界的に有名な魔法師が・・・魔力が無いなんて、ありえない。


彼から差し出された右手を、僕は恐る恐る手を伸ばし握り返した。

確かめたい。でも、確かめたくない。

戸惑いの中で・・・ぐっと意識を集中する。


手を握り合えば、互いの魔力は共鳴する。


これも魔法師の中では共通の常識であり、手法だった。

魔法に詳しい者であれば、それだけで相手の魔力の量・・・力量が測れる。

魔力の共鳴を利用すれば、魔力の灯火を辿るより確実に相手の力を知ることができるのだ。


「・・・!」


知ることができる、のだが。


握り返したアインスの手は、僕の手より当然大きく逞しかった。普段剣でも握っているのか皮ばった硬い右手。

しかも親指や人差し指、薬指にはそれぞれごつごつとした指輪が嵌められている。

きっとこれも何かの魔法アイテムだろう。



そして・・・彼とは、一切魔力の共鳴が起きなかった。



不自然なくらいに。



「・・・っ本当、に・・・?」



彼は本当に・・・魔力が、無かった。



全くといっていいほど、無かったのだ。



これで分かっただろうと言わんばかりにアインスは直ぐに僕の手を離す。

ちらり、アインスの青い瞳がこちらを見て僅かに細められる。

彼はそのまま自身の右手に視線を落とした。

一切の魔力も無い、手に。


「これまでたくさんの力ある魔法師が、魔法で“杭”を抜こうとした。

 だが“杭”は魔法では抜けない。

 当然、力技でも無理だ。

 “杭”に触れることすらできない。


 だからこの世界で、俺以外は誰も“杭”を抜けない」


揺るぐことの無いはっきりとした口調で、でもどこか楽しそうに呟いて・・・アインスは愕然としている僕に目を移した。

離された自分の右手を見つめたまま、絶望と混乱で未だ衝撃に固まっている僕に。


「そこでだ、セン」


「!!」


突然名前を呼ばれて、僕はハッとアインスを見る。

いつの間にかアインスは真剣な目で僕を見ていた。



「お前、俺の護衛になれ」










「護衛になれ」



言われた言葉が、一瞬何のことか僕には良く分からなかった。けど目の前のアインスは真剣で。

思わず固まったままの僕に、アインスは溜息混じりに言葉を続ける。


「さっきも言ったが、俺は命を狙われている。

 俺を追っていた魔法師の奴等もその一味だ」


淡々と話しながら、アインスは迷惑そうに顔を顰めた。


「“杭”を抜いて名が知られるようになってから、金目当ての馬鹿共に狙われることは多かったが・・・最近やけに、魔法師の馬鹿共に狙われる。

 金目当ての馬鹿共はこっちも応戦できるが、魔法師の馬鹿共は厄介だ。あらゆる魔法を使ってきやがるからな。

 だから魔法が使えるお前に護衛を頼みたい」

「・・・馬鹿共・・・」


さっきから思ってたけど・・・アインスは口が悪すぎる。

連発される“馬鹿共”に、僕は呆然としていた思考をぎこちなく取り戻しながら眩暈がしそうな眉間を思わず抑えた。


「セン。

 お前は魔力が強い」

「!!」


言われた言葉に目を見開いた。

バッとアインスを見やれば、彼は変わらず僕を見つめたまま僅かに目を細めた。


なんで、分かったんだろう。

・・・魔力の共鳴も起きなかったのに。


思わずいぶかしげな顔をした僕の疑問は予想済みだと言わんばかりに、アインスは僅かに笑みを浮かべた。


「呪文も使わずに、あれだけの魔法を使える。

 俺の腕の火傷を治した時の傷の癒える早さ、使う魔法の的確さ。

 まだ駆け出しだと言っていたが、お前の魔法は信用できそうだ」

「・・・っ」


理路整然とした、その答えに。

思わず顔が熱くなるのを感じた。


だって、まさか・・・あのアインスに、褒められるなんて。


彼が魔法師じゃなかったとしても。

彼が僕にとっての“憧れ”であることに変わりはない。


そう、今気づかされた。


それに彼は、僕がまだ駆け出しだと言ったのに・・・そんな僕に、護衛の依頼をしてくれた。

本当は頼み込んで頼み込んで何が何でも彼の弟子になるつもりで居たから、この展開には驚いたけど。


アインスは不思議な男だった。


“お前の魔法は信用できそうだ”


ただ一言、そう言われただけなのに。

なぜだかその言葉に応えたくなる。



見出されたかのような、気持ちになる。



「直ぐに答えを出せとは言わねぇ。

 セン、考えておけ」



ぐっと、僕は拳を握り締めた。


考えておけ?



考えるって、何を?



「・・・・・・」


僕は拳を握り締めたまま口を噤む。

目の前に居る、一人の男の存在を感じながら。


恐ろしく口が悪く、挨拶に差し出した手にも返さない。悪態はつくわ僕を突き飛ばすは、挙句は魔法は使えずしかも命を狙われている。

そして放たれた突然の“提案”。


まるで命令のような、提案。


予想をことごとく裏切る傍若無人なこの男に・・・なぜか僕は、瞬く間に魅了されていたのかもしれない。

そう、少なくとも・・・弟子でなくて護衛でもいいかもしれないと、思ってしまうくらいに。



「・・・なるよ。


 アインス、僕は貴方を護る」



ただ彼に、着いて行きたかった。

彼の行き先も目的も未だ僕には分からなかったけど。


ただ、彼の傍で彼の旅路を見てみたいと、思ったんだ。


変わらずずっと僕を見つめ続けていたその青い瞳を、ぐっと見つめ返す。

ゆるぎなく僕を射抜くその眼差しが・・・僕の答えを聴いた一瞬、僅かに笑った気がした。


それが何を意味する“笑み”だったのか、その時の僕には未だ分からなかったけど。


「・・・即決、だな。

 後悔すんじゃねぇぞ」

「しないよ。

 もう決めた。


 だけど!」


ずいっと、そこで僕は身を乗り出す。

同時にアインスが一瞬その目を見張った。



「僕は貴方の護衛じゃない。


 “弟子”だ!!」



そう、これだけは。

絶対に譲れない。





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