第7話 精霊と魔法
突然アインスのローブの影から聞こえた「ニャオン」という鳴き声。
しかもすっごく可愛い声だ、僕の視線は彼のローブの懐に釘付け。
「・・・チッ」
その鳴き声を僕に聞かれた事が面倒なのか、アインスはぐっと眉間に皺を寄せると、その声の主を押し戻した懐からパッと手を抜いた。
仕方ないとばかりに口を開く。
「・・・“黒猫”という生き物だ。
今では希少な生き物だが、魔力が高い」
「クロネコ・・・?」
聞いた事のない生き物の名前だ。
しかも耳慣れない響き。
“クロネコ”という未知の生き物に僕の中で益々興味が膨らんで、じっとアインスの懐を見つめる。
そんな僕の視線を鬱陶しそうに手で払って、アインスは面倒臭そうにため息を吐いた。
「クソジジイに押し付けられた」
「え、クソジジイって・・・」
「協会長だ。
あいつクソジジイだろ」
「・・・・・・」
あっさりそう言ったアインスに、僕は絶句した。
だって誰もが尊敬する超一流魔法師である協会長を・・・“クソジジイ”って!!
・・・アインスが英雄じゃなきゃ、世の魔法師達の怒りを買ってもおかしくない。
ん?もしかしてアインス達が魔法師に追われてたのって・・・そういうのが理由?
なんて、いかにもありそうなことを思い浮かべ閉口した僕をいつの間にか黙って見ていたアインス。
「お前、さっき魔法で火を消しただろ」
「え?」
唐突なその言葉に目を丸くする僕を見るなり、アインスは真顔で自身の左腕をまくると僕の目の前にずいっと突きつけてきた。
僕は思わず顔を歪ませる。
・・・赤黒いこれは、火傷?
応急処置はしてあるのだろう。ローブの下から現れたそれは爛れや炎症は収まってはいるが、左腕に広がる赤黒い傷はそれなりに酷い火傷だった。
・・・逃げている時に、火傷を負ったのかな?
「これ、治せるか」
思わず傷を凝視していた僕は、急にアインスに言われてハッと目を上げる。
アインスはその真剣な目で真っ直ぐにこちらを見ていた。
「治せるか」
「え、と・・・」
追い討ちをかけるかのようないっそう低く真剣な声色に、知らずごくりと唾を飲み込む。
さっきからずっと、そうだ。アインスと一緒にいると・・・やけに緊張を強いられる。
彼の言動には、有無を言わさぬ雰囲気があるのだ。
「・・・治、せる」
治せない、と答える選択肢は無かった。
そのくらい威圧感のあるアインスの視線から目を逸らせず、僕ただ小さくうなずいたのだった。
「僕の名前はセン。
お願い水の精霊。・・・アインスの左腕の傷を治して」
何か水は無いかとアインスに聴くと彼はまた懐を探り、今度は水の入った瓶を取り出して僕に渡した。・・・何でも持ってるのかな、彼は。
一瞬疑問に想ったけど、とりあえず今は目の前の傷を治すことに集中だ。
僕は水を手にしたまま意識を集中し、水の精霊に話しかける。
あ!
さっき来てくれた子だ・・・!
目を伏せ意識を辿ると、さっきの町で火を消したときに力を貸してくれた水精霊が居る。
その姿に嬉しくて思わず頬が緩んだ。
「・・・水魔法を使うのか」
と、案の定そこでアインスが鋭い一言を入れてくる。うわあ流石、彼自身凄腕の魔法師なだけあって、的を得た突っ込みに僕は内心感嘆する。
でもそれを気取られないように意識を集中すると、そっと目を開けてアインスを見た。
彼は相変わらず真顔のままこっちを見てる。
「傷を治すのはたいてい地の魔法だけど・・・火魔法でやられた火傷の傷は、水魔法の方が癒えるのが早いんだ」
でもその事実を知らない魔法師は意外と多い。“知らない”理由は、ちゃんとあるけど。
そもそも水魔法で傷を癒すという発想がピンとこないのだろう。
あらかじめ決まっている魔法・・・呪文を唱えた魔法しか使わないからだ。
その呪文に、水魔法で怪我を癒すものは無い。
だから魔法師達は、怪我には己の生命力を高める地魔法を使う。生命力を司る大地の力を使うのだ。
でもそれは、精霊達のことが“見えない”から。
そもそもなんで火魔法の怪我に水魔法が有効かというと、大抵、火精霊と水精霊は仲が悪い。
それを魔法師達は「火と水は相性が悪い」って言ってるんだけど、実際はただ仲が悪いのだ。
まぁ、相性が悪いから仲が悪いっていうのもありそうだけど。
だからこそ、火魔法による怪我は水魔法で治す方がいい。
・・・水精霊の張り切り方が違うんだよね。
水精霊は普段シャイで大人しいんだけど、火精霊に対しては結構容赦ない。
結果、喧嘩っ早い火精霊は水精霊に喧嘩を売っては返り討ちに遭っている。そんな光景を僕はたびたび目にしてきた。
さっき喫茶店が火魔法で燃えた時の炎を水魔法で消した時も、来てくれた水精霊が火精霊に向かって“あっかんべー”をしてたのを僕は見た。
精霊の世界も賑やかだよね・・・。
とにかく火精霊と水精霊は仲が悪い。
アインスには精霊達のそんな話はできないから、簡単な説明だけをする。
そして僕は傍に来てくれた水精霊にこっそりと微笑んで、もう一度“お願い”をしようと口を開いた。
と、その前に。
水精霊を驚かせないようにそっと身を屈めて。
「・・・さっきは助けてくれてありがとう」
そう、囁くようにお礼を言う。
すると水精霊はそのサファイアのような瞳を丸くしてぱっと僕を見た。
そのまま少し固まって、だけど直ぐにさっと僕から目を逸らして。
あれ?驚かせちゃったかな。
そう想うけど、でも逃げ出す様子は無い。
じゃあ・・・このまま話しかけても、大丈夫かな?
「・・・ねぇ、お願いがあるんだ。
このアインスの腕の火傷を、治してくれないかな?」
ささやくように水精霊に伝えると、僕から目を逸らしていた水精霊はちらりとこちらを見て。
直ぐに嬉しそうに微笑んで、頷いてくれた。
そしてそのままアインスの腕にふわりと寄り添うと、火傷の上にそっと手を滑らせる。
すると淡く優しい水色の光にアインスの腕は包まれ・・・火傷の傷がみるみる癒えていくのが分かった。
「・・・・・・」
アインスはただ無言で、じっと腕の火傷が癒えていく様子を見つめている。
ちなみに、僕と水精霊とのやりとりはアインスには見えていない。
僕が水精霊に話しかけた声は聴こえてる筈だけど、彼は気に留めていなかった。
そもそも魔力があっても、実際に精霊が見えるという人はとても少ない。っていうかほぼ居ない。
これが水精霊と火精霊が仲が悪いという事実を“知らない”魔法師が多いという理由だった。
今まで会った人の中で精霊が見えたのは、協会長だけだったなぁ・・・。
そうこうしている間に傷はすっかり癒えて、アインスの腕は元の健康な肌を取り戻した。
うん、良かった良かった。
僕はほっと胸をなでおろす。
そして水精霊に小声で「ありがとう」と告げると、精霊もまた嬉しそうに笑って去っていった。
ああ凄く優しそうな子!
今度また逢えたら、名前つけさせてもらえないか訊いてみよう。仲良くなれたらいいなぁ。
「呪文、使わないのか」
「!!
う・・・うん」
また唐突に話しかけられて、想わずへらりと顔を緩め水精霊を見送っていた僕は現実へと引き戻された。
呪文。
僕は魔法を使う時、呪文は使わない。
いや、使ったことが無かった。使う気も無い。
魔法は、精霊の力を借りて使われるもの。
その精霊の力を借りるために、魔法師は呪文を唱えて魔法を発動させる。
けれども僕は小さいころから精霊の姿が見えていて、友達みたいなものだった。
だから魔法師学校の授業で呪文は習ったけど、実践で使ったことは無かったのだ。
使わなくても“お願い”をすれば、精霊達はちゃんと応えてくれるから。
それに・・・呪文を使うのは、好きじゃない。
っていうか嫌いだ。
大嫌い。
「魔石は」
「・・・!」
またも短く問われた一言に、僕は今度こそうっと言葉を詰まらせた。
なぜ使わない。
無言のうちに、アインスからそんな追求・・・いや疑問?が伝わってくる。
思わず冷や汗が流れそうになる。
魔石。
それもまた、魔法師には必須アイテム。
魔法を使うためには魔石が必要だというのも、魔法師にとっては常識だ。実際、魔石は魔力を高めてくれる。
より強い魔法を使いたいのなら、魔石の存在は必須だろう。
だから魔法師達は、自分に合った魔石を必死で探してはそれを杖やら指輪やらに加工して身に付ける。そして魔法の発動の際に使用するのだ。
だけど。
「・・・・・・売っちゃった」
バツが悪そうに、僕は口ごもりながらそう答えた。
アインスから逸らした視線も思わず宙を彷徨う。
「・・・・・・」
耳にしたアインスは真顔のまま。
ただじっと、僕を見ている。
・・・なんだか怒られそうなんだけど。
さっきから無言なこの空気。
彼からひしひしと感じる一層重苦しさを増したような空気に冷や汗が流れそうな心地になるけど、でも正直、怒られる理由は無い。はず。
そう思いながら意を決して小さく息を吸う。
「ええと・・・旅の途中で会った行商人がすんごくレアな薬草を持ってて…。
かなり高かったからお金が足りなかったんだけど、滅多に、それこそ滅多に見つからない薬草だったから、・・・魔石を売って、買っちゃった」
「・・・・・・」
てへ、とばかりに大したことじゃないと笑って見せたけど。
・・・わぁ、アインスの無言がかなり怖い!
ちょっと危機を感じて。
僕は笑顔を浮かべたまま頬を引き攣らせた。
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