第3話 サクラ





遠くで城が燃える音が聴こえる。


城の敷地から外れた森の入り口で、私は捕らえられていた。

両手は兵達に掴まれ、抵抗した時に殴られた傷があちこち鈍く痛む。


荒い息で私が睨んだ先に立っているのは・・・私の夫スバルの側近だった男、カタカゲ。


そのすぐ後ろには…私の侍女だったサヨが立っていた。

彼女はただじっと私を見据えたまま、微動だにしない。

微かにに青ざめたその顔色と、ぎゅっと引き結ばれたまま沈黙する薄い唇。

いつもはその唇で「サクラさま」と嬉しそうに笑い私を呼んでくれたその姿が、遠い昔の事のようだ。


私はスバルに城から逃がしてもらった、筈だった。

そしてそのことを知っていたのは、ずっと私の世話をしてくれた侍女のサヨとヒエイだけ。


「・・・っ」


今はここに居ないヒエイも無事ではないだろう。

異変に気づきスバル達の助けを呼ぶためヒエイが此処から離脱しようとした間際、彼女が兵に斬りつけられていたのを思い出し歯噛みする。



「・・・ヤマトノクニは、滅びなければならない」



黙ったままの私に向けて、カタカゲはゆっくりと口を開いた。

低いその声が空気を震わせる。


「もはやこの国は保てないのです、サクラ様」

「だから・・・こうするしかなかったと言うの?」


拘束されたままの私の静かな問いかけに、カタカゲはふっと笑った。

彼の長い黒髪が焦げ臭い風にさらりと揺れる。


その後ろに立つサヨ・・・そしてカタカゲの部下のハレとユウ。


ハレはいつも明るい表情を浮かべていたその顔を強張らせたまま視線を落とし、その隣ではユウが赤い口紅が塗られた口元に美しい笑みを浮かべこちらを眺めていた。

少し離れた場所から傍観しているのはカムト。この状況を愉しんでいるに違いない。

ここには居ない、スバルを護る役目を負っていたはずの将軍のエンヨウもその部下のクエンも、軍師のレイウも…カタカゲの妻のミナワも、皆スバルを裏切った。


いや、初めから・・・仕組まれていたことだったのだ。


全て。


「ええ、スバル様が君主になられる前から、もはやこの国の滅亡は見えていました。

 だからこそ他国に奪われる前に、より良い条件で他国にこの国を明け渡すしかなかった。

 ですからスバル様には生贄になっていただくのです。

 民を護るために」


カタカゲを中心とした、臣下達の裏切り。同時に攻めてきた他国の軍。

カタカゲはいつの間にか他国と手を結んでいた。

君主であるスバルを差し置いて。


でも。



「・・・スバルは全部、知っていたわ。

 あなたが始めからスバルを利用するつもりで君主の座に据えた事も」



ぴくりと、カタカゲの頬が動く。

その様子に口端で小さく笑いながら、私はカタカゲを見上げた。


射るような私の眼差しと目が合ったカタカゲの表情が止まる。


真っ白な月が彼の背後で煌々と私達を照らしていた。

全てを明らかにするかのように。

私はカタカゲを見据えたまま口を開く。



「気づいていて、解っていて、スバルは君主の座に着いたのよ。

 

 民を護るために」


「・・・・・・」



皮肉で返した私に、カタカゲは僅かに眉間に皺を寄せた。

不快。

そんな感情が彼の全身から伝わってくる。

カタカゲは眉間に皺を寄せたまま僅かに笑った。



「・・・この歴史は時の流れと共に埋もれる。

 誰も真実を知らぬまま。


 全ての罪を、我らが主スバル様に」



言いながらカタカゲは私に右手を翳した。

カタカゲの唇が酷く残酷に歪み、その口から微かに漏れ聞こえてくる言葉・・・呪文が風に流れて私の耳に届いてくる。

私は目を見開いた。


何・・・この言葉は。


ぞわりと全身に悪寒が走った。

ただ気配だけで伝わってくる・・・これは、陽の元では動かせない、魔法。

夜の闇に沈む魔法。

およそ感じたことのない“何か”の気配に戦慄する。


紡がれるその言葉の、おぞましさ。


聴いたことも無い呪文。

誰も使ったことの無い・・・いや、たやすく使うことなど許されない魔法。


私には・・・これを止めるほどの力は無い。



「貴女にもスバル様と共に埋もれていただきましょう。


 スバル様は歴史に名を遺す・・・この世で最も愚かな君主として」



聴いたことの無い呪文をその唇で紡ぎ終え、嗤うカタカゲの声が夜風に流れていく。

愕然としていた私はぐっと歯を食いしばって。けれども此処で折れるわけにはいかないと自身を叱咤する。

どんな恐怖が待っていようと、どんなに絶望しようとも、私は折れるわけにはいかない。

スバルのために。


私は真っ直ぐに、カタカゲを見た。



「カタカゲ、認めなさい。

 どんなに大義を掲げようとも。


 あなたはスバルを堕としたかった、ただそれだけだということを」


「・・・ッ!!」


「あなたはただスバルに嫉妬した。


 だからあなたは永遠に、スバルには敵わない」



カタカゲの表情が変わり、その右手が私に翳される。

全てを闇に沈めるために。


「・・・そうですね、貴女を殺せばようやくあのスバル様を堕とせる。

 スバル様は貴女を愛していますから」


ふっと残酷に笑うカタカゲに、その後ろで僅かな動揺が走った。


「カタカゲ様!

 なにもサクラさままで」

「今更何を言う、サヨ。

 お前も裏切り者だろう」


間髪入れず放たれたカタカゲの言葉に、サヨが再びぐっと押し黙る。

動揺を、躊躇いを、・・・後悔を、呑み込む気配。

再び呪文を紡ぎ出したカタカゲを見据えながら、私はゆっくりと口を開いた。

誓うように。


「・・・偽りの大儀に、スバルも私も負けはしない。

 何処に堕とされようと、私がスバルを助けに行くわ」


放たれる漆黒の闇を見据えたまま、私は微笑んだ。



「私は必ず、スバルを助けに行く」



ひとつひとつの言葉に力を込めて。

密やかに力強く、陽の魔法の力を込める。

覚悟と共に。


決意と共に。


私にはこのカタカゲの闇の魔法を防ぐ力は無い。

だけど。


スバル。



「・・・・・・」



私はそっと目を伏せた。

瞼の裏に映る愛しい貴方の姿。


陽の光を受けて透ける美しい銀色の髪。

翡翠のような澄んだ淡い翠の瞳。

伸ばされた白い手、頬に触れる優しい温度。


私が愛してやまないその命。



必ず貴方を。



「私はスバルの・・・妻ですから」



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