第2話 愛しい我が妻



ここまでか。

目の前に立つエンヨウを見据え、僕は最後の魔力を振り絞った。

 


『レイメイ!!』



最後の頼みの綱だった。

倒れそうになるのを踏み留まりながら、僕は脳裏で親友の名を呼ぶ。

これまで何度も僕の窮地を救ってくれた・・・友の名を。


しかし。


『・・・すまない、スバル。

 この地を護る結界を張り続けるだけで、私にはもう・・・』


遠く返ってきた守護精霊・・・レイメイの言葉は、酷く弱々しく苦しげに脳裏に響いた。

必死でこの地に結界を張る、その様子が伝わってくる。


いつも僕を救ってくれた友は今、他国の侵略者達からこの地を護るだけで精一杯だった。


結界が破られれば、この地は瞬く間に踏み荒らされるだろう。

そしてレイメイは・・・この地を護るために存在する精霊。

自らの使命より、人を選べるはずがない。


例えそれが・・・友の窮地だとしても。



「・・・そうか」



刀を握る手が、震える。

胸の奥で僕を締め付け続けていた痛みが、一層鈍く鋭く響いた。

痛い。


痛くて、言葉にならない。


けれども僕は小さく微笑んでいた。

血の滲む唇で。



『今までありがとう、レイメイ。

 ・・・どうかこの地を護ってくれ』



ここまでだった。


ヤマトノクニは、滅びる。



『・・・すまない、スバル』


『いいんだ。

 この国を護ることは、僕の役目。

 そしてこの地を護ることが・・・君の役目だ』



目の前に立つエンヨウの向こう側。あちこちで燃える炎の熱に揺れ、柱の前に横たわったまま動かないシキの姿に目を移す。


彼の魔力はもう消えていた・・・彼の命の灯火と、同時に。

僕は唇を噛み締める。


友の死を嘆く暇は無かった。

臣下は皆、僕の敵となり、唯一僕と共に闘ってくれた者達はこれで皆死に絶えた。


沢山の者が、死んだ。


僕はゆっくりと刀の柄から手を離した。

カランと、乾いた音を立て床に落ちる僕の刀。


シキも失い、もはやレイメイの力なくしてはこの状況は打開できない。

僕はこの国一番の魔力量を持ち、この国一番の魔法の使い手と呼ばれていた。

けれども僕の力はこの国を守るには足りなかった。

そしてレイメイが動くことができない今・・・他の精霊の力では、この状況を変えることはできない。


僕はこの国を、護れなかった。



「・・・・・・」



もはや僕がすべきことは、ただひとつ。

この国の主として、この国を背負う者として、この国の誇りを傷つけず死ぬこと。

この国が与えられた痛み、苦しみ、絶望と怒り総てを僕が呑み込み死ぬこと。


この国が滅んでも、民は生き残るだろう。

カタカゲがそう“計画”していたことを、僕は知っていた。

僕は新しくこの地を支配する他国への生贄となる。

始めからそのために用意された、君主。


それでも僕はこの国の君主で。

この国を・・・民を、愛していた。


目を上げればエンヨウはただ黙って僕を見下ろしていた。

ぽたりぽたりと、赤い血が滴る大剣を片手に。かつてはその大剣を掲げて僕の前に跪いた。

「我が剣でスバル様をお護りします」と、命を懸けると誓ってくれた。

その大剣がゆっくりと僕に向けられる。

滴るその血がシキのものだと思うと、僕は吐き気がして顔を顰めた。


「・・・エンヨウ」


エンヨウと目が合う。

いつも僕を信頼と共に真っ直ぐに見据えてきた血気盛んなその赤い瞳はそのままに、けれどもその表情は何も映してはいなかった。

燃え盛る炎の音が轟々と遠くから聴こえ、一瞬の異様な静けさを際立たせる。


ふと、彼が僕に向かい一歩踏み出した。

僕の首を落とそうと振りかざされた大剣が僕の視界に映る。

同時に気づいた。


エンヨウの額からとめどなく流れ落ちる大粒の汗・・・それはこの暑さによるものだけではないのだと。


そして彼は僕の前に立ってから一度も、一言も、言葉を発さずにいたこと。

言葉を発することも、僕の名を呼ぶことも出来ずにいたこと。


ああ、彼はそういう男だと。

寂しさを覚え僕が微笑んだその時。



「・・・スバル様!


 サクラ様が!!」



「・・・!!」



炎の轟音を劈くように響いた女官の声に。

僕は、一気に意識を引き戻された。


気づけば反射的にエンヨウに翳していた左手。


「テンマ・・・!!」


ゴッ


咄嗟に僕が叫ぶと同時に噴出した疾風が、驚愕に目を見開いたエンヨウを吹き飛ばしていた。まさか此処で僕がまだ抗うとは思わなかっただろう。

けれども僕はエンヨウに構わずただ踵を返し走り出す。


この国の威厳と共に死ぬ。

君主として、主として。


そんな、幼い頃より固く心に決めていた“覚悟”が吹き飛んでいた。

この国を、己の命を、全てを手放しかけていた僕を一瞬で引き留める存在。



サクラ。



残る力を振り絞り走りながら鈍る頭を回転させる。

必死で記憶をたどり先ほど耳に飛び込んできた声を再び脳裏に響かせる。



―スバル様!

 サクラ様が!!



今響いた声はサクラの女官のヒエイのもの。

これまで聴いたことのない彼女の切迫した声。

必死でそれだけを伝えようとした、声。


まさか。



「・・・ッ追え!


 スバル様が逃げたぞ!!」



一瞬の間の後に僕を追いかけてくるエンヨウの声。

けれどもそれに構わず僕はひた走る。傷の痛みも、思うように動かない四肢も、どうでもよかった。


「サクラ・・・!!」


走っているからだけじゃない。僕の鼓動が早まる。

不安が、焦燥が、後悔が、喉までせり上がってきて息ができない。

心臓が苦しい。

戦っている最中すらこんな痛みは無かった。抉るようなこの、絶望。


サクラは逃がした。

この騒動が起きる前に、ずっとサクラと共に居た女官のサヨとヒエイと共に。


だからサクラが危険に晒されることなど



「・・・ッ」



ヤマトノクニは滅びる。


僕もまた、この国の君主として、この国と共に死ぬ。それは構わなかった。

覚悟していたから。

絶望も後悔も憎しみも怒りも総て呑み込んで、この国の君主として共に死ぬことを覚悟していた。


だけど。


サクラ。



君だけは。



もう僕には他に何も無かった。

共に生きた仲間達も、美しかったこの国も。かつての愛しい思い出も。

暖かく平和だった日々も。

護れなかった。


だから。


君だけは。



「サクラ・・・!!」



必ず護ると誓った、僕の妻。



遠く揺れるサクラの魔力の気配を、暗闇に灯る唯一の灯火のように捉える。

途端に僕は目を見開いた。

彼女の命の灯―それは酷く弱々しく見えた。


サクラが、殺される。


「・・・っ待って、くれ・・・!!」


縋るように走りながら叫んでいた。誰にともなく懇願する。

やめてくれと。

殺さないでくれと。

見開かれた僕の瞳が初めてじわりと滲む。何度絶望し失望しても流れなかった涙。


「っ、サク、ラ・・・!」


絶望が黒い闇のように僕を襲い覆いつくす。

間に合わない。解っていた。

この距離では、例え残る魔力を使って精霊を呼んでも間に合わないと。


君は死ぬ。



「・・・っあ゛ぁぁあああ!!」



何もかもを、覚悟していた。


君を失うこと以外は。


呑み込むはずの絶望が後悔が憎しみが怒りが、僕の中で逆流していく。

沸き起こるどす黒い闇となりざわりと僕の身体を震わせる。



サクラ・・・っ、サクラ!!



光も届かない暗闇の中。無我夢中で走る僕の脳裏に。


愛しい妻の、姿が映った。




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