黒猫メイスと魔力なし英雄の弟子

青星

駆け出し魔法師の少年

第1話 全ての終わりと復讐の始まり




スバル。


どうか憶えていて。



世界はいつだって、あなたを愛しているんだよ。










ひとつの歴史が終わろうとしていた。



辺りに立ちこめるむせ返るような黒い煙。

鼻梁を掠める焦げた匂い、息が詰まるほどの熱気。


「っ、カタカゲ・・・やはり“計画”を実行したか・・・!」


紅く荘厳な太い柱を覆うのは、息を呑むほど美しい金の蔦模様。

広い廊下の左右に飾られている細かい絵付けの施された立派な白磁の壷。

格子の張られた壁から漏れる、淡く上品な白い月明かり。


一国の主にふさわしい、繊細な装飾で彩られた荘厳な居城。


刀の柄を握る僕の手がぬるりと滑る。

肩から流れる赤い血、切り裂かれた傷が焼けるように熱い。

荒い息遣いで身構えたまま巡らせた視線の先、僕の数歩前で僕を守るように立つ黒髪の青年。彼もまた深手を負っていた。


僕達の前に伸びる長い廊下。等間隔で灯された灯篭の明かりが照らし出したそれらは皆、今ではかつての美しさの面影すら失っていた。

施された金の装飾は焼け落ち、飛び散った赤黒い血が燃える炎に照らされ音もなく揺れる。

ここは最早・・・城ではなかった。


戦場、だった。



「スバル様!!」



ガキンッ


僕を庇い立つ青年、側近のシキの声が響く。

閃く刃が赤い光に反射し、鳴り響く金属音。

弾かれた兵の剣が柱に突き刺さり、同時に弾け飛ぶ赤い血が割れた白磁の壷を濡らす。

誰かが放った魔法の光が炸裂した。眩い閃光、朱塗りの天井から下がる金の装飾が熱風に煽られシャランと音を響かせる。


こちらに迫り来る無数の足音が磨き上げられた黒い木の床を駆け巡り、地響きにも似た振動が全身を奮わせた。

飛んできた矢を刃で弾き落とし、きつく結んだ黒髪を揺らしてシキが叫ぶ。


「もう此処は抑え切れません、早く奥へ!」

「駄目だ!」


身構える僕は眼前を睨んだまま怒鳴った。


僕は、この国の主。

僕が引いたら誰がこの国を護る?


こちらに向かい廊下を走り刀を振りかざす兵達。

赤い甲冑で武装した兵から向けられた刃を護身用の刀で弾き、僕は金の指輪が嵌る左手を目の前の者達に掲げる。


「テンマ!

 疾風を!!」


ゴウッ


叫ぶと同時に、呼び声に応え僕の左手から放たれた豪風が廊下にひしめく兵達を後ろへ吹き飛ばした。吹きすさぶ風に一瞬その勢いを弱める炎。

僕の視界を白い姿がよぎった。鳴る轟音を割くように、ひらりと僕の傍らを走り去る白い精霊―テンマ。


だがこの姿を見る者は、この場では僕しか居ないだろう。


口元に飛んだ血を拭い再び刀の柄を握る僕の頬を、テンマの美しく気高い翼が去り際に微かに撫でた。


まるで慰めるかのように。


その一瞬時が止まるかのような安らぎに、不意に視界に広がるまばゆく美しい景色に、僕は食いしばる歯に力を込めた。

目の前の地獄とは掛け離れた世界。精霊達が住まう悠久の世の片鱗。

その美しさと目の前に広がる現実の残酷さに、僕はこの現から目を逸らしたくなるのを堪える。だが目を逸らしても目の前の景色は変わるこはない。

これが僕の、現実。


「ああ・・・解っている」


尚も迫りくる兵達を見据えて、僕は腹の奥底から沸き起こる苦く熱い感情にただ歯を食い縛った。


解っている。

彼ら精霊は手出しができない。


この、人の世の戯言には。


「・・・シキ、来るぞ!」


まだ終わっていない。まだ、終わらない。

ゆらゆらと紅く揺れる目の前の悪夢を見据えながら、僕は口元の血を拭い再び刀を構える。傍には唯一僕と共に戦い、唯一僕を護ろうとしてくれている側近のシキ。

けれども彼以外に、僕を護ろうとする者はもう居ない。


それはこれが、この国の君主である僕に対しての・・・反逆だから。


それでも。


燃える炎が煽る熱さに眩暈を覚えそうな中、これが現実であることを確かめるように深く息を吸い込めば、焦げ臭い熱風と同時に血の匂いが鼻を満たした。

同時に踊りかかってくる兵に僕は刀を振り上げる。


「それでも私は君主として、此処から逃げるわけにはいかない・・・!」


「スバル様・・・ッ」


熱く吐く息と同時に叫び剣を振りかざす僕の傍らで、闘うシキ。

苦々しげなその横顔が闘う合間にちらりと視界に入る。

けれども彼も解っているはずだ。


僕が、逃げることなどできないことを。


僕が魔法で吹き飛ばした兵達を乗り越えて、更なる兵達が迫ってくる。

ずいぶんな数だ・・・それもそうだろう。

この国の兵達が皆、僕を狙って押し寄せてきているのだから。


君主である、僕を狙って。


そしてこの国の外、海の上には他国の軍も取り囲んでいる。

この国の守護精霊であるレイメイの力で辛うじてこの地に踏み込めては居ないが・・・彼等の目的は目に見えていた。


このヤマトノクニを、侵略すること。


燃え盛るこの城の外には、このヤマトノクニを我が物にしようとする者達が国外から海を渡り攻め入り取り囲んでいる。その者たちにこの城を奪われ、他国の侵略を許せばヤマトノクニは滅びるしかない。


だから僕は抗う。たった独りになったとしても。

この城を、この国を明け渡すわけにはいかない。

この地を踏み荒らされるわけにはいかない。

けれども僕は知っていた。ヤマトノクニの宰相であるカタカゲの手によって・・・いずれこうなることを。


これは最初から仕組まれていた“計画”だった。



「ッ」



鬨の声と共に飛び込んできた兵をシキが薙ぎ倒す。直後に襲い掛かってきた別の兵を僕が切り捨てるも、次々襲い掛かってくる兵達に僕等は追い詰められていた。

シキも僕も体中に傷を負っていた。遠く勢いを増した炎で酷く暑い。

流した血と熱さで眩暈がする中、死が明確に近づいている気配がした。

それでもここで止まるわけにはいかなかった。

ギンと次々に成る金属音が鼓膜を奮わせる音がやけに鮮明に響く。目に流れ落ちる汗を拭う間もなく僕とシキは剣を奮い続けた。


熱い。


「押せ!!

 スバル様に魔法を使わせるな!!」


襲い掛かる兵達の向こうで響く怒声。

聞き覚えのあるその声に僕とシキの間に戦慄が走る。


「・・・エンヨウ!!」


直後、シキの口から搾り出すように怒りの声が上がっていた。

彼はそのまま目の前の兵を立て続けに切り伏せ、目の前の兵の群れに叫ぶ。


「エンヨウ!!


 スバル様を裏切ったこと・・・俺が後悔させてやる!!」


怒りのままに湧き起こるシキの闘志。

普段冷静な彼が初めて見せた怒りに、僕は一瞬言葉を失った。

シキの見開かれたその両目は目の前の敵を凝視し、これだけボロボロになってもまだ残っている彼の覇気に怯んだ兵士達の足が止まる。

同時に僕の胸は締め付けられた。


シキが放つ怒気の燃え上がる炎にも似たそれは、悲痛な叫びのようで。



「出て来い卑怯者!!」



吼えるシキの怒声が炎の轟音をかき消し響き渡る中、肩で息をする僕等の前に、兵達を押しのけるようにして現れた・・・立派な鎧を纏った大男。

燃える炎が似合うその男は・・・兵を纏める者として誰よりも強く、頼れる者だった。

かつては。


「・・・シキ」


ヤマトノクニの将軍だった男。剣の腕に長けていたシキとはよく稽古を交わしていた。

それが今では・・・その軍は反乱軍であり、エンヨウは僕達を殺そうとしている。

男、エンヨウはただ静かにつぶやくと、手にしていた大きな剣を構えた。

同じく身構えているシキに向かって。

その様に、抑えきれないシキの怒りが湧き起こる。


「・・・斬る!!」

「待てシキ!」


咄嗟に叫んだ僕の声はもはやシキには届かなかった。飛び出したシキの斬撃がエンヨウを捉える。

速い。

が、エンヨウはその疾風のような一閃を確実に受け止めていた。



「ッ」



ザンッ



「シキ!!」



一瞬だった。

力はエンヨウの方が強い。


シキはそれを知っていた。


勢い良く振り払ったエンヨウの刃に切り裂かれたシキの身体は、斬られた勢いのまま鈍い音を立て柱に叩きつけられる。


「シキ・・・!!」


しかし僕は崩れ落ちるシキに近づけなかった。

目の前に、エンヨウが立ちはだかっていたから。




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