希依夏の夏休み

とろにか

第1話 海の日記念に夏っぽいSS

「ね?うまく行かないでしょ?」


夏の暑さが嫌いだ。地上を包む湯気だった、水蒸気の空間が嫌いだ。でも、蝉の音が煩いこと。それだけは、わたしの耳鳴りを消すために一生懸命鳴いてくれていると思えるから好きだ。


希依夏っていう自分の名前。自分の名前に意味を持たせて、無理矢理夏を好きになっているけど、どうしても暑いのが苦手。でも、この時期だからこそのパワーを感じている。夏に依存するのって・・・じゃあ他の季節はどうなんだと聞かれても、この思考すら奪われそうな息苦しさを感じる今以外の季節に、特別な思いは何も無かった。


東京は38度。人間の体温よりも外気の方が高く暑い今日はまだ七月の海の日。夏は始まったばかり。八王子の辺鄙な場所を歩いて回る。田舎だからって、軽井沢のような避暑地だと思うには標高差がありすぎた。


成田山の方がまだ涼しい気がする。標高低いけど夏は風が通るらしいから。あ、でもあそこには正月の初日の出の時しか行ってないから、あの場所が夏にどれだけ暑くなるなんて体験してみないとわからない。


こうやって、勝手に何かあると期待してで動く湊兄。勘だったり、水の匂いを嗅いだりして自分を信じている。アテが外れても、がっかりすることはない。むしろ歩くスピードが少し上がるくらいには状況を楽しんでいる様子で。


「単純に、人が少ないから涼しいだろうと思ったんだけどな」


「・・・どうする?歩くの?」


「歩こうか」


道端でミミズが干からびている。蛇が出そうな田んぼみちを歩く。


わたしに拒否権は無いのだけれど、でも湊兄はわたしが止めなければどこまでも行く気がした。


「山に行きたいっては言ったけど、もしかして山の定義がズレてる?」


要は、自然が多ければ湊兄的にはどこでも構わないらしい。アスファルトよりも畦道の方が、熱の照り返しがしんどくないからわたしはどこでもいいのだけれど。


「海の日に山に行って、山の日に海に行くんだろ?」


「人がいない方がいいよね」


「それは同感」


大まかな目的地を設定すれば、勝手に連れてってくれる湊兄。なんて便利なナビくんなのだろう。


そんな彼を独り占めできるのは夏の間だけだ。そんなことはちゃんと知ってる。弁えている。


アスファルトの上じゃなくてこんな畦道でも、蜃気楼が立ち昇って遠くの景色が霞む。


「なんか、あそこに行きたくなった。あの山?」


「なんか、鳥居が見えるよ。森の中歩くけど、そっちのほうが涼しいよね?」


「よし、行くか」


こんな場所を歩いているのはわたしたちだけだ。炎天下にわざわざ外に出る人はいない。


麦わら帽子が、麦わら帽子が軽く飛ぼうとする。わたしは、帽子と自分の気持ちを抑えるのに必死だった。




ーーーーーー


秘密基地を探すみたいに、神社の敷地にお邪魔する。


きっと小学生だったなら、何も気にしないで遊んでいただろう境内は、蝉の煩さをそのままに静止していた。


高校生のわたしとしては、木々とその影のコントラストに目が奪われて、そこにあなたがいて。それだけで楽しいことだと思える。


「竹馬落ちてたんだけど、やる?」


「やるー。でも湊兄はやらなくていいの?」


「俺やったこと無いからさ。多分一歩も歩けずに希依夏のお世話になりそうだ」


「これ、大人用のやつだね。子供のじゃないんだ?」


「大人だって遊びたくなるんじゃないか?良く1人キャンプに行く親父なんかを見てるとそう思うぞ」


「わたしたちって、今子供?大人?」


「半分半分だな。ほら、砂落としてやったから乗ってみろよ」


プラスチックだけど、身長の2倍くらいあるんじゃないかという立派な竹馬だった。


わたしは身長が低いから、足を置く場所がわたしの腰くらいになっていて、どうにも登れそうにない。


「足めっちゃ上げるけど、パンツ見ないでね?」


「じゃあスカート履いてくるなよ」


「スカート可愛いでしょ?」


意識させるのも技術のうち。でも、湊兄はまじもだからほら。忠告を守ろうとしてわたしの前に立って気遣いをしてくれる。


そして、上から覗けば見えちゃう谷間も計算のうち。油断させといてバッチリ見せてあげる。全身武器になるわたしは夏の薄着期間を最大限に活かしてると思うよ。


「なぁ、わざとやってないか?」


「何の話かなぁ?」


バランス崩して湊兄に倒れるまでがデフォルト。怖いのを我慢して、ちゃんと怪我しないように竹馬を両手から手放して、抱きついてあげる。


「おまえ、熱が籠ってて熱いな」


「汗あんまりかかない体質でして」


湊兄の体はベトベトだった。でも、それすら心地よい。


好きな人に抱きしめてもらえる今が、一番幸せだから。





ーーーーーー


蝉の音に溶けた君の声


ゆらめく心に相対して


考えることのできないように


ぎゅっと体を抱きしめた。


「今だけはわたしのこと考えて


命が短いことに同情してくれていいから」


気づいてからタイムリミットを知る蜻蛉のように


体の熱さをそのままぶつけた。

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希依夏の夏休み とろにか @adgjmp2010

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