第42話 約束の地へ②
数か月間、俺に親身になって必死に勉強を教えてくれた先生に感謝と別れを告げた後家に帰りその日はすぐに寝た。そして今日、俺は始発に乗って大学がある場所へと向かった。
自分の家の最寄り駅から鈍行で約三時間、詳しく言えば二時間と四十分ほど。まだ社会が本腰を入れて動き始めるより前に俺はその地へたどり着いた。しかし、そこへ着いたはいいが向こうの世界ではこの駅は一度も出てきていない為、俺はここら辺の土地勘が全くない。
とりあえず大学へ向かう為にはどうすればいいのかを駅の構内にある観光案内所に行き訪ねた。そうするとここからバスに乗って十分ほどすれば大学近くの停留所に着くという情報を得た。そこからは通りに沿って歩けば大学に着くらしい。
観光案内所の人に指示されたバスに乗り教えてもらった停留所で降りた。バスに乗っている間何故か不思議とずっと下を向いていたので下りた時に初めて外の景色を見ることになった。
バスから降りた瞬間俺は自分が車中で景色を見なかった理由がわかった気がした。これだ、この景色がもし、向こうの世界だけの景色で現実とはかけ離れていることを危惧したのだろう。だがそれは杞憂に終わった。俺の目の前には何度も、何回も見たあの光景が広がっていた。背の高い建物はなく一番大きいものでも四階建て。カッコつけたビル街や洒落た名前のブランドが並ぶ通り、想像できない料理名が激しく主張された料理店。
そのどれもが存在しない町。ここから少し移動すればデパートが存在してそこにはそう言った店があるがあまり客がいない。歩きながら向こうの街並みを思い出してしまうので自分がいるのが現実の世界か向こうの世界なのかわからなくなってくる。しかしそう感じることができるという事実が何よりも俺を感動させ興奮させるのだ。この光景を見るために俺はこの数か月死ぬ気で努力したのだと自然とわかる。
そんなことを考えているとあっという間に大学にたどり着いた。その大学はそっくりそのまま俺が通っていた大学で、入り口の中途半端に開けた感じさえ再現されている。流石にまだ学生証を貰ってはいないので入ることは躊躇われたがその外見を見ることができただけでも十分だった。
大学を見終わった後俺はあいつらとの思い出の地を時間の許す限り探すことにした。不思議沢と実験するために向かった公園、薪下の家の近くにあるファミレス、戸口と一緒に語り合った喫茶店。そのどれもが全て寸分違わず同じということは流石にあり得ず、公園が向こうの数倍の広さであったり、ファミレスが近くに三店舗存在してどれが正しいのかわからなかったりしたがほとんど同じであった。
特に戸口と共に行った喫茶店は本当に存在し、外観、内観のどちらもが向こうと酷似していた。あの時名前はよく見ていなかったが、現実だと喫茶さくまという店であった。中に入ってみるとほとんど同じであったが店主だけは少し違っていた。
向こうの店主は英国紳士と言う言葉がぴったしな白髪のおじいさんであったがこちらは柔和な感じのいかにもセカンドライフでずっとやりたかった喫茶店経営を実現した感の強い店主だった。おそらくこの店主が佐久間と言う名字なのだろう。むこうでは看板を見ていなかったので店主があのような感じでも気にならなかったがさくまという名前ならここにいる店主のほうがあっている気がする。
もし名前がおもいっきしカタカナの喫茶バーンリーや喫茶ノルンとかであったら向こうの店主のほうがふさわしいがさくまと言う英国要素が皆無の名前だ。これで中に入ってあの人がいたら皆驚いて注文どころじゃなくなる気がする。
とりあえず店に入って何も注文せずにいるのはおかしいので何か手ごろなものを注文する。
「すいません、注文したいんですけど」
「はいどうぞ」
「あのー、コーヒーを・・・っておすすめはブレンドでしたっけ」
「えっ、その通りですが。前にもこの店に来たことがおありですか?」
「あっ、あ、あのー。ないんですけど大体店主自慢の商品はブレンドコーヒーなのかなと勝手に思っていました。間違っていたらすいません」
ブレンドがおすすめだと教えてくれたのは向こうの世界の店主さんだったと発言をしてから思い出す。
「いやいや、その通りなので謝らなくていいですよ。では今からお作りしますので少々お待ちください」
注文を取ってくれた店主が向こうでコーヒーを作ってくれている間に俺はこの店を見まわす。カウンターの前の食器棚。並んでいる食器やティーカップの種類こそ異なれど一見した時の景色は向こうと全く同じだ。個人で経営している喫茶店は皆食器にもこだわっているため似たような店の作りになる。
そういった解釈もできるかもしれないが、それが事実だとしても俺は純粋に向こうの店とこの店が酷似しているというのは嬉しかった。この喫茶店、正式には向こうの世界での喫茶店は俺にとっての重要な場所の一つだったから、それがあるというだけでこの町が本当に俺の過ごしたあの街を映した姿なのだと教えてくれるようなのだ。
「お待たせ致しました、ブレンドコーヒーです」
店主さんがそう言った事で、ある意味郷愁のようなものに浸っていた俺は現実に引き戻される。いただいたコーヒーを飲んでみると味もなんだか同じように感じた。と言っても俺の舌はコーヒーの味の違いがわかるほど発達していない為、苦味の強弱で似ている似ていないと判別することしかできないが。
この点で判別する限りだと似ている気がする。はっきりと断言できない理由としては俺があの店での味を詳しく覚えていないからだ。あの時は戸口の話した内容が脳の大部分を占めていたためコーヒーの味を覚えていられるほど余裕はなかった。だからかすかな記憶を頼りに俺は似ている気がすると言うにとどまる。
三十分ほど過ごした後、俺は店を出て次の目的として薪下との思い出を巡ろうとした。必死に思い出して俺が生活していたアパートを探すがどれが正解なのかわからず挫折した。一軒家だと覚えているかもしれないがアパートやマンションだと自分の部屋は覚えていても建物全体はあまり気に留めないのが俺の性格らしい。
もしかしたら日本人の多くがそう言う生き物なのかもしれない。だからと言って一軒一軒中に入るなんてできるわけないし許されるはずもないので俺の住処を探すのは諦めた。
気持ちを切り替えて俺は次の思い出の地を探そうとしたが薪下と俺が二人だけで行動したのはあの時ぐらいしかなくその時もずっと俺の部屋だ。その部屋が見つからない今思い出の地を巡るのは不可能となった。
なんだか自分の存在の形跡を見せないのはいかにも薪下らしく、考えれば考えるほど笑えて来てしまった。まあ二人だけの思い出の地がないというだけで、それ以外の四人で行動していた場所は見つけることができたのであまり気にしない。
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