第14話 いざ本番へ・・・行く前に練習 ~戸口~④

「おう、勿論いいぞ」


「そうだね、じゃあ二年前の話をしようか。あの時はさ」


「お待たせしました。ブレンドを二杯」


 戸口が話始めたのと同時に店主がコーヒーを持ってきてくれた。予想より早く来たので驚きを交えつつ喜びもあったが、それに加えて戸口の話を聞きたかったという小さな不満もあった。


そんなことを考えながらコーヒーを飲んでみると、すごく美味しかった。缶コーヒーと比べてはいけないことは十分理解しているが、比較対象がそれしか存在しないので使わせていただくと、桁が違う。缶コーヒーは泥水なのかって思うほど違う。缶コーヒーの淀みを知覚させられるほどこのコーヒーは透き通っている。味がそのままダイレクトに伝わってくる。


それに店主は注文の際に味に棘がないといったがそれも理解できた。苦みと酸味がどちらも感じられるがそのどちらも主張が強いわけではない。二重らせん構造のように表裏一体、しっかり混ざっているのだ。これは飲みやすいというのもわかる。俺がここまで理解できたコーヒーなので詳しい人が飲めばさらに良さがわかるのかと想像するとそういった人たちに嫉妬する。


もうこれ以上は何も言えないのだが、とりあえず今後は缶コーヒーを飲む回数が急激に落ち込むだろうことは推測できた。今度また暇なときに来ようと思う。


「うーん。コーヒーっておいしいですなぁ」


「そうだな、って戸口はよくコーヒーは飲むの?」


「どーなんだろう。ほぼ飲まないね。コーヒー牛乳は好きだけど。普通のコーヒーは苦いから嫌なんだよね。苦みで舌が壊されちゃうよ」


「その例えは全くわからないけど。でも今飲んでるのはブラックだろ?」


「おおー!観察眼が優れてるねぇ。その通り、今飲んでるのはブラックなんだよ。なんかさ、缶コーヒーと違って本物を飲めばブラックでもいけるかなって思ったんだ」


「何その数十年前のウニに対してみたいな考え。さすがにコーヒーにはその考えは通用しないだろ」


「どうやらそのようだったね。苦いよ。舌が壊れた。てことで佐藤君をたっぷり投入ー」


そう言うと戸口は隣にあった砂糖が入ったポットから角砂糖を取り出しコーヒーに入れた。戸口のイントネーションのせいでどうしても人の名字の佐藤のほうが頭に浮かんできたが、普通の砂糖を入れたので安心する。砂糖を入れる動きが早く、あっという間のことだったので正確な個数は見えなかったが、軽く五、六個は入ったと思う。


そうして素晴らしく甘いコーヒーが一瞬で完成された。よく見ていると溶解度を超えてしまったためか砂糖の粒が若干浮いて目視ができる。 


「甘-い!超甘いよこれ!おいしいおいしい。どう?喜代村も飲んでみる?これを飲めばハッピーになれるよ?」


「うん、とても幸せそうな表情をしているところ悪いんだけど絶対に飲まないし飲みたくもない。普通の人がそんなの飲んだら軽く死ねる。もしそれを飲んでハッピーになれるんだとしたらお前が角砂糖だと思って入れてたやつはなんらかの薬だと思うぞ」


「はぁー。ホントに喜代村は残念な人だなぁ。まあいいや。僕一人で飲んじゃうから。喜代村は舌を壊せばいいさ」


「いやお前の舌が壊れきってるからそれを平気で飲めるんだと思うが」


「もういいからさ、早く本題に戻ろうよ!」


「えぇー。明らかにそちらが原因で話がそれたと思うのですが・・・」


「静かに!はいっ、では今から本題に戻ろうと思います」


いきなり、唐突に、全くこっちに気を遣ってくれないのだが何故か自然と話が変わる。こんなに急に変わってしまうのに、空気の変わりようについていけないということはない。それは一概に戸口の持つ雰囲気がそうさせるのだと思う。真実はわからないけれど。


「二年前のことについて話そうと思うんだ。二年前のあの時、喜代村は覚えてる?」


俺の記憶する限り俺が戸口と出会ったのは去年なので全く見当がつかない。もしかして高校時代に俺が忘れているだけで戸口とは何らかの繋がりがあるのだろうか。


「いや、全く覚えていないな。去年の入学した頃ならはっきりとまではいかなくとも覚えてはいるんだけど」


「えっ!?あーそっか。ごめん去年だったよ」


まさかの記憶違いのまま話を切り出したのか。いや戸口らしいので気にはしないが。


「そうそう、ちょうど入ったばっかの頃。その頃はまだ僕たちは仲良しじゃなかったんだよね。その時の僕のことをさ、喜代村はどれぐらい知っている?」


「確かその時からお前は注目の的だったよな。たくさんの女子に囲まれて・・・・」


羨ましかったわ。と続けようと思ったがその時の戸口の表情を知っていた俺は言うことができなかった。口では面白くなかったと言っていたが本当は何か理由があるのではないかと推測してしまってどうしても言えなかった。ここでこのことを話題に出すということは真実が多かれ少なかれ話されるということだ。むやみに変なことを言ってしまっては戸口の気持ちを損ねるかもしれない。


「・・・・たけど、なんかいつも表情は暗かったな」


「やっぱり。喜代村は人の表情ばっか見てるからなー。ばれてたのか。前に喜代村に同じようなこと聞かれたときは楽しくないから、とかおもしろくないからって答えたと思うんだ。まあそれもあったよ。でもね、本当はもっと違う理由があったんだ」


「違う理由、とは?」


そう聞いた瞬間、空気が更に固くなった。地中深くの、固い、固い土のように。けれどそこに根を張ろうとする植物のように戸口がゆっくりと、しかししっかりと言葉を紡ごうとしているのを感じ取ることができた。だから俺はいつもより真面目に、気を引き締めて戸口の話を聞く。


「ある人がいなくなっちゃったんだ。ちょうど高校最後の秋ぐらいだったかな。だから本当に二年前だね。いきなりいなくなったんだ」


誰かの死なのだろう。


ある人と言っていたがそれはたぶん戸口と関係性の深い人物とわかる。でなければあそこまで塞ぎ込まない気がする。それに、大学で多数の女子にもてはやされていたにも関わらず一貫して無関心を決め込んでいたことから亡くなった人が女性だとも推測できる。


母親なのか、姉妹なのか、友達なのか、彼女なのか。どれかはわからないが。尤も、この推測は俺の持っている探偵の持つ力より遥かに劣る推理力を使って考えているだけなのに何一つ合っていないと言うこともあり得るが。


「そ、そうなのか・・・」


「うん。それでさ、その人は、そこまで思い詰めているようには思えなかったんだ。少し脱線するけどさ、その人はね、高校に入ったばかりの頃は人気者ってほどじゃないけどいろんな人と交流があったんだ。勉強ができるとか、運動が得意とか、目立った取り柄があったわけじゃないけど、なんか話しやすいからよく話す。そういう人だった。そんな感じで特に周囲から孤立することなく生活していたんだよね。


けれど学年が上がって二年、三年となっていくごとに少しずつ交流していく人の輪が小さくなっていったんだよ。当時はみんな見飽きたからかな。とか狭く深い交流に変えたのかなって思っていたんだ。それに学年が変わって仲良かった人と交流が絶たれるってのはよくあることだしね。だから何とも思っていなかった。けれど今考えてみるともしかしたら、二年生になる頃には何か悩みを抱えていて、三年に上がる頃には一人では抱えきれないほど重くなっていたのかも。


そして、二年前の今ぐらいに、彼は突然いなくなったんだ」


「そ、そんなことがあったのか・・・全く知らなかった」


「話したことなかったからね。当たり前だよ。それでさ、僕は今でも思うことがあるんだ。もし、あの時僕が違う立場にいたらいなくなるという結果は変えられたのではないか。もし、あの時僕がもう少しあの人に近い存在だったらいなくなるという結果は変えられたのではないか。ってさ。ただの後悔なんだけどね」


「あ、あぁ。そうかも、な」


 戸口に対して何も言えなかった。本当ならそこで戸口を慰めるようなことを言うべきなのに何も言えなかった。


しょうもない、掃き捨てた塵のような言葉しか出せなかった自分を軽蔑した。戸口が、友人が必死に自分をさらけ出してくれたのにその話の衝撃に呆気にとられ、かけるべき言葉をかけられなかった自分を刹那憎く思った。


まるで、まるでもし戸口の言ったことが本当にできていたらその人は助かったのではないかと俺は思っていると戸口に受け取られてしまう言葉の詰まり方に苛立った。


「で、でも、それはやらなかったんじゃなくてできなかったんだろ?」


「まあね。けどもしかしたら可能だったんじゃないかなって思えちゃうよ」


 後悔の念に包まれた俺たちの間に静寂が広がる。後悔ってのは過去に起きたことにしか使うことのできない感情だ。今起きることにも、未来で起きることにも使うことはできない。過去に起きたことについての懺悔、反省、こういった時にだけ使うんだ。人間は過去に行くことができないから。過去に行って事象を改変する代わりに後悔を使う。同じことに対して何度も何度も使うんだ。


そうしているうちに後悔は広がっていく。最終的に過去へ戻れない自分の無力さまで後悔する。


今俺達の間に静寂が広がっているのは俺たちがそこまでたどり着いているからだ。静寂が広がっているのもわかっている。話し出さなければお互い進めないこともわかっている。けどそれよりも後悔を優先しているのだ。

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