第92話エピローグ

 馬車が王宮の裏手を、ごとごとと音を立てて、進んでいく。舗装されていない道だから、多少揺れるのは仕方ない。


 愛馬のアイナに乗って何度も駆けた場所を、馬車に乗って行くのは初めてだ。




「ねえ、どこに向かっているの?」




「ついてのお楽しみだ」




 向かいに座ったアレクシスがいたずらっぽい光を瞳にまとわせて微笑む。


 アルバートとヘロイーズとの接見を終え、このままクリスティーナの家までまっすぐ帰ると思いきや、アレクシスが『連れていきたい場所がある』と言って、王宮の裏手にクリスティーナを連れてきたのだ。


 穏やかに流れる景色を横目に、クリスティーナはほっと息を吐いた。




「それにしても、陛下と王妃様が認めてくださって良かった」




 緊張でがちがちに固まっていた心が、見慣れた景色のおかげか、今になってときほぐれていく気がした。




「心配するなと言っただろ。前もって、言質はとっておいてあったんだ。今更、文句を言われる筋合いはない」




 強気な発言から、アレクシスが裏で動いていたことが伺える。




「ありがとう」




 クリスティーナは肩の力を抜いて、にっこり笑った。




「何だか、もうやることは全てやりきったみたいな顔してるが、本番はこれからだぞ」




「え?」




 クリスティーナがきょとんとすると、アレクシスが呆れたような眼差しを向けてくる。




「これから、婚約の発表に、舞踏会開くだろ。法王へ挨拶しに行って、それからドレスの準備、各国へ招待状送ったり、結婚式の準備は山のようにあるからな」




 今の言葉だけで目が回りそうだ。




「そうか、大変なんだね……。あ、それから王太子妃教育もあるんだよね? 全部やれるかな」




 不安そうに呟けば、アレクシスが眉をあげる。




「何言ってるんだ。クリスには王太子妃教育なんて必要ないだろ」




「え?」




「今まで一体、俺と一緒に何学んだと思ってる。帝王学だぞ」




「ええ!? そうなの?」




 驚きに目を見開くクリスティーナである。




「そこらへんの王女なんかより、よっぽどおまえのほうが王族の知識を身に付けてるからな」




「知らなかった……」




 今までの学んた授業の内容をひとり振り返るクリスティーナの向かえでは、アレクシスもまた思案を巡らし始めた。




(忙しいと言っても結婚式への準備なんて、たかがしれてる。――それより! 俺にはまだ一番の問題が残っている)




 結婚が決まったからと言って、すぐに結婚できるわけではない。


 貴族の婚約期間はある程度時間を要する。幼い頃から前もって婚約が決まっている王族ならば、一年でも短すぎるくらいだ。




(クリスの正体が明かされた今、従者として、もうそばにおいておけない。その間、離れていなければならないなんて、辛すぎる!)




 アレクシスはひとり、顔を覆う。




(半年は譲歩するとして、どうやって父上と母上を説得するかだ)




 長い足を組んで、顎を手にのせる。




(まあ、これは俺が頑張るしかないな。幸い、父上も俺の性格はわかっているようだしな。俺が一度決めたら、意思を曲げないこと――。それに母上だって、散々俺に発破をかけてきたんだ。絶対頷かせてみせる!)




 決意を固めているうちに、どうやら目的地に着いたようだ。


 馬車ががたりと音を立てて、止まる。


 アレクシスは先に降り立って、クリスティーナをエスコートする。


 クリスティーナは馬車から降りて、広がった光景に声をあげた。




「わあ」




 一面、花畑だった。今が旬の花々が一斉に咲き誇り、桃色、黄色、紫、白、橙色と、溢れんばかりに視界が花の色で満たされる。




「すごい! こんなところ良く見つけたね」




「二日前に見付けたんだ。いつもはこんな遠くまで来ないからな」




 クリスティーナのいない寂しさを紛らわそうと、普段足を伸ばさない遠くまでマルクを全速力で走らせて見つけた場所だった。




(俺も大概だな)




 でも、そんな寂しさも愛おしさからくるものだとわかっているから、受け止められる。


 柔らかな風が吹いて、花たちがそよそよと軽やかに揺れている。


 まるで二人を優しく歓待しているようだった。


 花畑の真ん中でクリスティーナが感激していると、アレクシスがクリスティーナの足元に跪いた。




「アレク?」




 アレクシスが懐から何かを取り出す。


 きらりと光るそれは指輪だった。




「あのときはちゃんと用意できなかったから、改めて求婚させてくれ」




 アレクシスが胸に手をあて、クリスティーナを見上げる。




「クリスティーナ・ジリアン・エメット――俺の生涯の友であり、唯一俺に愛を教えてくれた者。おまえを生涯かけて、幸せにすると誓う。おまえを愛している。この愛を受け止めてくれるか。――この俺と結婚してくれ」




「アレク――……」




 クリスティーナは潤む瞳をこらえ、ゆっくりと手を差し出した。




「はい。喜んで」




 アレクシスがクリスティーナの手を優しくとり、細い指先に指輪をそっとはめていく。愛の証が指におさまると、アレクシスが瞼を閉じ手の甲に唇を寄せる。


 クリスティーナはもう片方の手で、震える口をおさえた。




「わたしもあなたを愛しています、アレク――」




 アレクシスがそれに答えるように見上げて、微笑んだ。


 ふと、横にあった白い花を手折ると立ち上がった。


 クリスティーナの耳元にそっと差し込む。




「綺麗だ――」




 アレクシスがクリスティーナを引き寄せた。


 燃えるような情熱を宿した瞳と泉のごとく愛で溢れた瞳の視線が混じり合った。


 お互いの瞳に吸い込まれるように、ふたりの顔が近付いていく。


 クリスティーナは瞳を閉じた。


 暖かなぬくもりが唇に伝わった。


 それは幼い頃読んだ物語の最後を締めくくる王子さまからの口付けと寸分違わぬもので――とても甘く幸せに満ちた口付けそのものだった――。










後書き

これでこのストーリーは完結です。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


話はここで終わりですが、ふたりの物語はこれからも続いていきます。


幸い、アルバートもヘロイーズもまだ若いので、ふたりから色んなことを学び、そしてまた、たくさんの人に出合い、立派に成長していくことでしょう。




本編では書ききれませんでしたが、エメット家の現状を知ったアルバートによって、デクスターは爵位剥奪され、かわりに長兄のバイロンが子爵を賜ります。当主でなくなったデクスターはこれからエメット家では肩身の狭い思いをするでしょうが、自業自得ですね。




あとひとつだけ番外編を書いて終わりたいと思います。


ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。


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