第27話行き違い

 クリスティーナは溜め息を吐いた。あれからアレクシスとは元に戻っていない。先日はひとりで、町に降りたようだ。こんなことは今までなかった。




(休みの日だって、今まで一緒に過ごしていたのに)




 自分はもう必要ないのだろうか。クリスティーナの胸がつきんと痛んだ。


 先日のアレクシスの怒った顔を思い出す。何が悪かったのか、今でもわからないが、自分は従者失格の失態をおかしてしまったのだ。




(体に触れられることが、そんなに悪いことだと思わなかった)




 そこで、はたと思いつく。




(そうだ。謝りに行こう)




 自分が悪かったなら謝りにいけばいい。こんな単純なことを何故思いつかなかったのだろう。


 アレクシスとの絆を微塵も疑っていなかったし、混乱もしていたから、解決策を導き出すまで、時間がかかってしまったようだ。


 しかし今、その絆が崩れようとしている。矢も盾もたまらず、アレクシスの私室へ急いだ。


 内廷の三階の奥の私室にたどり着くと、繊細な彫刻が彫られた艶光りする扉を叩く。


 中から返事はなかった。聞こえなかったのかもしれない。


 もう一度、扉を叩いた。今度は自分の名を名乗る。




「アレク、――クリスです。中にいる?」




 やはり返事はない。もしかして、応えを返してくれないほど、怒らせてしまったのだろうか。話を聞いてくれない可能性も浮き出る。手に汗を握りながら、ドアノブをひねって、中に入った。


 部屋には誰もいなかった。すぐ出ていこうとしたが、アレクシスの気配をそこかしこに感じ取れる部屋を去るのが惜しくて、そのまま立ち止まった。


 ふと目線が机の上にとまる。本が何冊か置かれている。何の勉強だろうか。クリスティーナは知りたくて、近寄った。どうせなら一緒に勉強したい。


 しかし、本の題名を見て、固まった。クリスティーナでも知っている、友情のために命を賭ける少年たちの話だ。他には『信のおける友情の作り方』、『真の友情とは』といった本が並ぶ。


 ――クリスティーナという存在がいるというのに。視界が急に真っ暗になった気がした。


 これまでのことと目の前の書物が符合していく。


 クリスティーナを避けて、遠ざけたこと。調べ物があると言って、内容を隠したこと。


 本当のことを言えるわけがない。


 クリスティーナは本当の友人ではなかったのだから。今まで二人で築きあげたものは一体何であったと、アレクシスは思っているのだろうか。


 友情ではなかったというのだろうか。そんな本が必要なほど、クリスティーナという存在は希薄だったのだろうか――。


 確かにあった足元が砂のように崩れていく。


 クリスティーナではアレクシスを満足させるには足りなかったのだ。


 真の友情を築くには物足りない存在であることを目の前に突きつけられ、呆然となった。




(アレクにとって、わたしはもう必要のない存在なんだ……)




 だから、今度こそ真の友情を築くために、同じ年頃の騎士とあんなに楽しげだったのか。


 この次はあの中から、従者を選ぶのだろうか。


 自分は既に、従者失格の印を捺されてしまった。アレクシスを怒らせたあの時が、決定的なものとなったのだろう。


 呆然と立ち尽くしていると、後ろから声がかかった。




「クリス、いたのか」




 気配に気づかないほど、意識が遠くに行っていた。


 アレクシスが隣に立ち、クリスティーナは口を開いた。




「それ――」




 視線の先に気付き、アレクシスが慌てて、本を背に隠すように机の前に立つ。




「ああ――、これは何でもないんだ。気にするな」




 焦ったような口調に、自分の予想が当たっていたことの確証を得る。


 本当のことを言ってもらえない寂しさに、クリスティーナの胸は痛んだ。ここに至っても、まだ真実を話さないアレクシスに、クリスティーナは失望した。それはアレクシスに対してか、それとも真の友情を築けなかった自分自身にかは、わからなかった。




「そう――」




 顔を俯けた。こらえきれなかった涙が一筋頬を流れた。


 その瞬間をアレクシスは見逃さなかった。目を見開き、クリスティーナを見る。


 これ以上、ここにいたくなくて、クリスティーナは身を翻した。ドアノブに手をかけ、少し開いたが、それもほんの一瞬、何故か正反対の力がかかり、扉が閉まった。


 何が起こったかわからず、再び扉を開こうとすると、真後ろで声がした。




「なんで泣いてるんだ」




 気づけば、アレクシスの両腕が扉を押さえ、クリスティーナを取り囲んでいた。扉とアレクシスに挟まれ、身動きできない。


 クリスティーナは後ろ向きのまま、頬を拭った。




「泣いてない」




「泣いてるじゃないか。理由を言え」




「――言えない」




 クリスティーナは鼻をすすった。




「俺たちの間で、隠し事か」




 アレクシスが不服そうに呟くのを聞いて、クリスティーナは振り返った。




「隠し事をしているのは、アレクじゃないか」




 アレクシスが眉を寄せる。




「俺がいつ、隠し事をしたんだ?」




 机に広がる本を指差す。




「その本! 今、隠したじゃないか」




 声をあげれば、アレクシスは戸惑ったように口を開く。




「別に隠したわけじゃない。ちょっと見られたくなかっただけで――」




「それに! ずっとここ最近、変だった。どうして避けるの?」




「それは――」




「嫌いになったなら嫌いになったと言って。――ずっと、何も言われないのは、無視されてるようで悲しい」




 アレクシスの言葉を遮り、クリスティーナは言葉を紡いだ。




「例えアレクが、わたしとの間に何の友情を感じていなくても、わたしはずっと友達だと思っていた。アレクの言うことなら、ちゃんと聞くのに。それなのに、話をしたくないほど、嫌いになったの?」




 気付けば、止まっていた涙は再び溢れ出し、頬を伝っていた。


 啞然と聞いていたアレクシスが、慌てて口を開く。




「嫌いになるわけないだろ。なんでそんなこと思うんだ。それにちゃんと、友達だと思ってる。俺たち、ずっと友達だったじゃないか」




「でも、あの本――」




 言い募ると、アレクシスがばつの悪い顔をする。




「ちょっと知りたいことがあったんだ」




「知りたいこと?」




 涙で濡れた目で問いかけると、アレクシスが何かに耐えるように歯を食いしばった。




「ちょっとここ最近、あることで悩まされてることがあって、それで、あの本が解決の糸口になれば、って思ったんだ」




 クリスティーナは悲しげに眉を下げた。




「それって、やっぱり」




「違う! 違うからな。お前には関係なくて、俺が勝手に悩んでるだけで、お前は悪くない」




「そうなの?」




 自分は悪くないと言われ、気分が浮上した。




「ああ。だから心配するな。絶対嫌ったりしない。むしろ――」




 その後の言葉は続かなかったが、クリスティーナは気にしなかった。




「じゃあ、従者辞めなくていいの?」




 アレクシスが目を見開く。




「当たり前だ。辞められたら、俺が困る。――むしろ、ずっとそばにいてほしい」




 後半の言葉は尻すぼみになったが、クリスティーナは聞き逃さなかった。




「うん。アレクのずっとそばにいる」




 嬉しくなって、アレクシスに抱きついた。




「なっ――」




 アレクシスは驚き、その顔が真っ赤に染まる。




「そういえば、アレクの悩みって何なの?」




 すぐに離れて問いかければ、クリスティーナに背を回そうとしたアレクシスの手が手持ち無沙汰になり、しばらく空中を彷徨って下ろされる。


 はあ、と溜め息が耳に届く。




「もう、解決したよ」




「本当?」




 アレクシスの言葉に明るく返せば、アレクシスが笑った。




「ああ、本当だ」




(本当は解決なんてしてないけど、そう言えばクリスは心配するだろうし。それに、俺がうじうじ悩んだせいで、こいつを泣かせることになった。泣かせるくらいなら、悩むのはやめよう)




 今まで通り、接しよう。例えその感情に裏では振り回されることになっても、この大切な友人を手放しはできないのだから。


 抱きつかれた瞬間、その思いは確定した。


 まるで宝物を手にした気分になったのは、きっと気のせいではない。


 アレクシスの宝物が、喜びの声をあげて微笑むのを、アレクシスもまた嬉しげに視界にいれたのだった。


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