第16話新しい世界

 クリスティーナの世界はそれまでとがらりと変わった。宮殿の一室で、アレクシスと机を並べ、一日ごとに代わる教師たちから、新しい知識を学んでいく。古語や外国語の習得、地理に宗教、各土地の特産品や、建国からの王の系譜や各国の王族の家系図を頭に詰め込んでいく。中でもクリスティーナが一番、興味を惹かれたのは歴史だった。知らない誰かの人生を覗きこみ、その人物に想いを馳せる。遥か昔に産まれた人達が、歴史を紡ぎ、今に続いている。小さな世界しか知らなかったクリスティーナの世界が一気に広がった。


 実はクリスティーナが初めに驚いたことは、授業の内容ではなく、アレクシスの態度だった。今までの砕けた口調や気取らない態度は鳴りをひそめ、代わりに姿勢をぴっしり伸ばした丁寧語を話す別人が現れたようだった。自称は『俺』から『わたし』に変わり、クリスティーナは『僕』と称したまま変わらなかったため、教師から咎められた。小さい頃なら構わないが、大人になるにつれ、貴族の子息は皆矯正されるそうだ。より男の子らしくを装うために、アレクシスが変えたことに気づいても、変わらず使い続けたクリスティーナは、内心肩をすくめた。




(なんだ。無理して使わなくても良かったんだわ)




 教師たちはクリスティーナを、アレクシスと分け隔てなく接してくれた。ただ、クリスティーナがアレクシスの名を教師の前で初めて呼び、気安く話し掛けた時は烈火の如く注意された。


 曰く、『将来の王太子を呼び捨てで呼ぶとは何事か、殿下とお呼びし、口調も改めなさい』と。クリスティーナは首をすくめて頷いた。


 教師が授業を終え、部屋を出た途端、アレクシスがだらりと姿勢を崩した。




「疲れた」




 クリスティーナはいつもの見慣れた態度にほっとした。アレクシスが知らない誰かになったようで、不安だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。




「教師の前だと、いつもあんな感じなの?」




 アレクシスが視線を寄越す。




「ああ。そのほうがいちいち注意されなくて済むし、猫被ってたほうが向こうも油断して、甘くみてくれるから」




 アレクシスが意外にも強かで、クリスティーナは目を丸くした。




「わざわざ怒られにいくなんて、馬鹿みたいだろ」




 クリスティーナはさっきの怒った教師の顔を思い出した。確かにあれを毎回、目にするのは御免被りたい。




(じゃあ、わたしもアレクシスを殿下って呼ばなきゃいけないんだ)




 距離ができるようで、クリスティーナは寂しく思った。そんなクリスティーナの内心を悟ってか、アレクシスが口を開く。




「わざわざ演技するのは、教師とか他の奴らの前だけだからな。『俺自身』を見てわかろうともしないのに、そんな奴らのために自分を変える必要ないだろ。だから、クリスもそうしろよ」




 クリスティーナはきょとんとした。




「どういうこと?」




「だから、お前も俺の前では、いつものクリスでいろよ。二人のときは名前で呼んでほしい」




 クリスティーナはぱっと顔を輝かせた。




「うん!」




 クリスティーナの喜ぶ顔を見て、アレクシスも満足気に微笑んだ。




「――そうだ、アレクシスって呼びづらいだろ。アレクって読べよ」




「いいの!?」




「俺とお前の仲なんだから、当たり前だろ」




「うん、ありがとう、アレクシス――、ううん、アレク」




 呼び方が変わっただけで、一段と仲良くなれた気がした。嬉しくて、クリスティーナは笑顔でアレクシスの名前を呼んだ。


 クリスティーナは、家族以外でアレクシスを愛称で呼ぶことを許された初めての存在となった。それがどれほど貴重で珍しいことなのか、クリスティーナは勿論、当の本人であるアレクシスさえも意識しないほど、この時の二人のやり取りは自然で気楽なものだった。


 そうしてクリスティーナとアレクシスは授業の合間や空いた時間には、いつもの二人に戻って、一緒に遊んで楽しむようになった。従者とは名ばかりのアレクシスの学業兼遊び仲間のクリスティーナの新しい人生が始まろうとしていた。

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