第15話王妃ヘロイーズ

 王宮に着くと、内廷へと案内される回廊の途中で、反対側からやってくるアレクシスの姿が目にはいった。




「クリス!」




 見慣れない場所で緊張していたクリスティーナは友人の姿を見て、ほっと息を吐いた。


 アレクシスはそばまで来ると、白い布があてられているクリスティーナの頬を見て、首をひねった。




「どうしたんだ、それ」




「王宮から帰る途中で、はしゃいでたらこけちゃって」




 クリスティーナのついた嘘を、アレクシスはどうやら信じたようだった。眉をしかめて、苦笑する。




「馬鹿だな。だから送ってもらえば良かったのに」




「うん、そうだね」




 クリスティーナも小さく微笑んだ。


 アレクシスはクリスティーナの姿を意外そうに見つめる。




「帽子してないの、初めて見た。髪、長かったんだな」




 クリスティーナはとっさに後頭部に手をやった。




「へ、変かな?」




 クリスティーナの髪は今、耳より高い位置で一つにくくられている。本当は男の子らしく切ろうと思ったのだが、ペギーに泣いて止められた。曰く、『それだけは勘弁してください。それ以上は、亡き奥様に顔向けできません』と必死にすがるので、諦めた。


 それに、一昨日会った、レイノと言う男性の髪が長かったことも思い出し、クリスティーナはそのままの髪の長さでいることに決めた。しかし、改めてアレクシスに問われると、心臓が早鐘を打った。




(やっぱり、切ったほうが良かった? 女の子に見えたらどうしよう)




 アレクシスは微塵も疑いのない目を向けてきた。




「いいんじゃないか。よく似合ってる」




「良かった」




 アレクシスが裏表なく答えれば、クリスティーナは胸を撫で下ろした。


 アレクシスは友人の姿を改めて眺め回した。


 今まで帽子でほとんど隠れて見えなかった髪の色は、柔らかそうなハニーブラウンだ。光の加減によっては日に透けて、金髪に見えるかもしれない。艷やかに光っていて、触れたら柔らかそうだ。


 続いて目に視線をやった。帽子の影でよくわからなかった瞳の色は、陽の光の下では透き通るような水色だった。清らかな湧き水を湛える泉の色に似ている。それとも暖かな陽射しが降り注ぐ春の空の色だろうか。


 どちらの色もこの素直で優しい性格の友人に似合っていて、アレクシスは気に入った。


 クリスティーナもまた、アレクシスの格好に目をとめた。




「今日のアレクシスの格好、きちんとしているね」




 いつもの身軽な服装ではなく、高貴な令息然とした正装をしている。


 上着は光沢のある厚手の生地で、細かな織り柄が施されている。襟元と袖口は金モールで縁取りされ、胸元には王家の紋章である双頭の鷹が彫られたブローチが飾られていた。


 クリスティーナは見惚れてほうっと息を吐いた。




「本当に王子様だったんだね」




 アレクシスは頬をかいて、顔をしかめた。




「こんな格好、本当は窮屈で嫌なんだ。きらきら飾られるのも趣味じゃない。これでもけっこう抑えたほうなんだ」




 アレクシスは愚痴るが、アレクシスの輝くような髪色と瞳に映えて、クリスティーナはいつまでも眺めていたいと思った。




「そんなことより、母上に紹介するよ。こっちだ」




 今までの案内役を目で断ると、アレクシスは内廷へクリスティーナを連れて行く。


 颯爽と歩くアレクシスと違って、クリスティーナは緊張で体が強張り、思うように足が動かない。




(いきなり王妃様に会うなんて!! 心の準備ができてないわ!)




 クリスティーナの混乱をよそに、アレクシスが数多くある扉を通り過ぎ、とある一室へと入っていく。クリスティーナは、慌ててあとに続いた。




「母上、お邪魔します」




「おはよう、アレク」




「おはようございます、母上」




 王妃はソファに座って、ゆったりと寛いでおり、お茶を飲んでいた。ソファにはもうひとり、6年歳位の女の子がちょこんと座って、絵本を読んでいた。後ろにはメイドが控えている。




「今日は紹介したい者があって、ご挨拶に伺いました。――クリス・エメットです。わたしの従者です」




 王妃はティーカップを置くと、クリスティーナに目線をやった。王妃は高貴な人に相応しく、肌は抜けるように白く滑らかで、艷やかに光るブルネットは高く結い上げられていた。切れ長の翠の目が印象的だった。




「話は聞いていますよ。その子がお前の従者ね」




クリスティーナは視線を受けて、慌てて頭をさげた。




「初めまして。クリス・エメットと申します。以後、お見知りおきを」




 緊張して声が震える。王妃、ヘロイーズが眉をあげた。




「おやおや、アレクが自分で選んだというから、どんないたずら小僧かと思えば、こんな可愛らしい少年とは思わなかったわ」




 アレクシスが口元を尖らせた。




「何か文句がおありですか。俺の従者を自分で選んで何が悪いのです」




「口調が俺に戻っているわよ」




 ヘロイーズはぴしゃりとアレクシスをたしなめると、クリスティーナに向けてにっこり笑った。




「クリスとやら、不肖の息子ではあるけれど、これでもこの国の王子。よろしく頼みますね」




「は、はいっ!」




 まさか王妃から直々にお願いされるとは思わなかったクリスティーナは、慌てて頭をさげた。




「母上こそ、余計な口が多い」




 アレクシスがぼそりと呟く。




「それと、この子は娘のエレノーラ。まだ小さいから、直接関わることはないでしょうが、内宮にこれから来るなら見かけることもあるでしょう。――ほら、エレノーラ、アレクシスの初めての従者ですよ」




 エレノーラは王妃によく似た翠の目を可愛らしくぱちくりさせて、クリスティーナを見上げた。 




「エレノーラ様、初めまして。クリス・エメットと申します。以後お見知りおきを」




「はじめまして」




 たどたどしい言葉使いだったが、ヘロイーズは満足気に微笑んだ。一見、気高い雰囲気のせいで近寄りがたく見える王妃だったが、アレクシスを含め、我が子を見る目は優しい。


 クリスティーナは二日前の王とのやり取りを思い出していた。王といい、王妃といい、クリスティーナのようなちっぽけな存在にも気を留め、気遣う言葉をかけてくれる。


 そんな二人が大事に思うアレクシスを、クリスティーナはますます誠心誠意、友として、また従者として支え、大切にしようと心に誓った。


 その日、アレクシスの家族と対面を果たしたクリスティーナは晴れて、従者として認められたのだった。


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