第621話 ラビコのアピールと無料冊子増刷分の行方様




「昨日の夜はお楽しみだったみたいで~」



 翌日、愛犬ベスの朝の散歩を終え宿ジゼリィ=アゼリィに帰ると、水着魔女ラビコが不機嫌そうな顔で出迎えてくれた。



「おたのしみ……?」


「社長にしか出来ないことだし~、しっかりと約束を守る姿勢は評価しますけど~」


 宿の入口横にある足湯のお湯を利用して愛犬の足を丁寧に布で拭いてお散歩完了。ラビコが俺の横にしゃがみ、愛犬ベスの頭をグリグリ撫でながら言う。



 ああ、昨日の夜のケルベロスとの深夜散歩のことか。


 お楽しみというか、犬は基本散歩大好きだし、飼い主が愛犬を愛でるのは当たり前だし……ってケルベロスって犬と表現していいのか? 確かにお尻には犬の尻尾が三本あるが……つかそもそも俺はアイツの飼い主じゃねぇぞ。


 まぁ……そのなんだ、なぜか分からないがケルベロスと散歩をしていると、不思議とあいつ、惜しげもなく大きなお胸様を生で見せてくれるという特典という名のお楽しみが……



「あ~! なんかエロいこと考えてる顔になってる~、やっぱり昨日力尽くでなんかしたんだ~!」


 おっと、俺の脳に焼き付けてある脳内アーカイブ閲覧に没頭しすぎたか。自覚はないが、俺ってすぐに顔に出るみたいなんだよな。


「バカ言え、この運動不足で貧弱な少年である俺に何が出来るっていうんだ。試しにラビコに無理矢理抱きついてみようか? 俺なんて瞬殺されんだろ」


 格的に神様クラスのケルベロス相手に腕力で無理矢理エロいことなんて出来るわけがねぇ。あいつとは一度戦っているから分かるだろ。


 ラビコだって魔法使いとはいえ、冒険者として十年以上モンスター相手に戦い生き抜いた実力者。日本で緩く生きていた俺なんかが腕力で勝てるわけがない。


「……いいよ、試しに抱きついてみてよ」


 俺が大げさに両手を広げ、変態さんが抱きついてやろうかポーズを取ると、ラビコが顔を赤らめ、ムスっとした上目遣いで見てくる。


 ん? あれ、なにこの反応。


 ふざけんなこの変態野郎~と、ビンタ覚悟だったんだけど。


 ああ、あれか、本当に抱きついたら顔面中央ボッコシ、パターンね。


「あ、ズッリィ! アタシもキングに思いっきり抱きつかれてぇ。つかよぉ、最近ラビ姉のキングに抱かれたいアピールすごくねぇ? まだ昼だぜ? いやまぁキングがその気になってくれンならアタシもいつだって応えるけどよぉ」


 よく分からん感じでラビコと見つめ合っていたら、猫耳フードのクロが何やら喚きダッシュで近付き俺の右腕に絡みついてくる。


 ラビコの抱かれたいアピール? なんだそれ。


 どうせいつもの、純情な俺をもてあそんでニヤニヤゲラゲラじゃねぇの。


「ま、待ってください! 順番なら私も参加します!」


 宿の受付のお仕事をしていたロゼリィも走って俺の左腕に……って順番って何。


「……マスターは昨日されていませんので、今日はすごいか、と……」


 おっふ、なんか後ろから俺のケツを豪快にすくい上げるようにつかんでくる女性がってバニー娘アプティじゃねぇか。


 そして登場と同時に俺のプライベートを無表情に暴露しないで。ここ、宿の前の昼間の街道だよ?


 確かに昨日は疲れてそのまま寝たから、俺一人によるソロカーニバルは行われていないけども。


 つかなんで知っているアプティ。いやまぁ見ていたから、なんだろうけど……って深夜アプティがどうやってか知らんが鍵のかかった俺の部屋に勝手に入ってきているって状況に慣れすぎか。

 

 普通に違法侵入だよなぁ……愛犬ベスもアプティが部屋に入ってきてもスルーだし。もはや防ぎようがないし、俺のプライベートは諦めるしかないのか。




「……」


 その後、宿の食堂のいつもの席でくつろいでいたら、チラチラとこちらを見てくる人が多数。


 なんだ? さっきの宿前の騒ぎでまた俺の世間体が急激下降でもしたのか? と思ったら、皆小さな冊子片手に興奮した様子の視線が集まっている。


 俺の右隣りに。


「なに~? ラビコさんの体に興味があるならさっき抱けば良かったじゃない~」


 周りの視線に誘導されるように俺も隣に座っている女性、なんでか知らんがいつも水着にロングコートとかいう不思議な格好でムスっとしているラビコを見る。


 サービス満点……! じゃなくて、食堂で誤解されるような発言はもうよして。


「さっきは変な真似して悪かったって。周囲の視線がお前に集まっているなって思って」


 ラビコの機嫌が悪いが、冗談とはいえ抱きついてやろうか、とか余計なこと言った俺のせいか。


 さっと見ると、冒険者始めました! 的な安めの武具を装備した若い男女がチラチラとラビコを見ている。


「あ~、あれでしょ~私が表紙の試作品の無料冒険者ガイドブックがソルートンの冒険者センターだけで貰えるってのと~今ソルートンに私がいる~って噂が広まったんでしょ~」


 ラビコもささーっと周囲を見渡し確認。


 そう、皆あの冊子、ラビコが表紙のお試しで作った冒険者ガイドブックを持っているのだ。


「にっひひ、ラビ姉って知名度と人気が絶大だからなぁ。ルナリアの勇者パーティーに憧れてソルートンから冒険始めようと来てみたら、その憧れの本人がいるかもってなったらとりあえず見に来ンだろ。ほいラビ姉、完熟バナナたっぷりパンケーキお待ちー」


 食堂中央にあるガラス張りされた魅せる厨房、ジゼリィ=アゼリィ自慢のシェフが手際よく注文の品を作り上げる様子が見えるカウンターから戻ってきた猫耳フードのクロが、甘い香り漂うパンケーキをラビコの前にドカンと置く。


「待ってました~これこれ~。ま、ラビコさんは寛容だから~写真は二枚までなら許してあげる~あっはは~」


 目の前に置かれた魅惑の完熟バナナたっぷりパンケーキに目を輝かせたラビコがグイっと俺に近付き、肩が当たる距離で好物のパンケーキを笑顔で食べ始める。


 なんで近寄る……まぁ機嫌が直ったようだからいいか。


 初心者のみんな、ラビコ様の許可が出たぞ。さぁ頑張って今持っている無料冊子のラビコよりエロい写真を撮っていってくれ。


 つか今写真撮られると、ラビコがビッタリ俺にくっついているもんだから、どうアングルに凝ろうが必ずさえないオレンジジャージ少年こと俺がフレームインしてくるというおまけ付きだけどな。


 まぁ冒険者になりたての人が、この異世界では超高価なカメラを持っているとは考えにくいが。



 しかし……なんかおかしいな。



「あれ? アニキ、冒険者センターに行かなかったんすか? さっき大量に入荷された無料の冒険者ガイドブックが配られたってのに。……あ、すんません、アニキはお隣にいらっしゃるラビコ様のエロい体を凝視して夜にその記憶で頑張るんでしたね。ああ、本はもうなくなりましたよ。それじゃ」


 何か違和感が……と思っていたら、世紀末覇者軍団のモヒカンが持ち帰り用のベーコンたっぷりサンドをもっしもし食いながら現れ、いつものごとく余計な一言を織り交ぜ、最後に絶望の言葉を残し食堂から去っていった。


 ちょ……何、なんでお前このタイミングで現れた?


「はぁ~? 見るだけで満足ってどういうこと~? さっさと手を出せばいいじゃないか~」


 くそ、せっかくラビコの機嫌が直ったってのに余計なことを……モヒカンー!


 そして違和感の正体はあれだ、みんな品切れになったはずの冊子を持っているってことだ。さっき大量に入荷? ちっ……朝の散歩途中に寄ったときは無かったってのに……!



 ──俺は走った。


 ──例えそれが一欠片の望みだろうと。


 ──成功者とは、諦めずに努力を続けた者である。



「あの、無料の冊子は……!」


「申し訳ありません、初心者向け無料冊子は先程すべて無くなりました。というか英雄であられるあなたは……初心者ではありませんよね? 増刷分は出来ましたら冒険者になりたての方を優先したいので……その……」



 ──それは正論だった。












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