第334話 ジゼリィ=アゼリィ本店増築 6 童貞の歌と魅せる料理様
「るーるるる……るーるるる……」
やぁ、みんな。
傷ついた童貞の歌を知っているだろうか。
うん、知らない……よな。だって今俺が作ったやつだし。
人は悲しいことがあると、その想いを美しい旋律に乗せて歌う生き物らしいぞ。
「ま~ったく。泣くなら言わなきゃよかったのに~」
工事開始から一週間が経過したが、いまだに俺の傷ついた心は癒えていない。
たまにこうやって熱い涙が頬を伝う。
いつもの宿一階の食堂、右隣に座った水着にロングコートを羽織った魔女、ラビコが俺を見ながらニヤニヤ笑う。
ああ、俺はいつもの純日本産ジャージだ。オレンジの。あと背中にはラビコから貰った、かの有名なルナリアの勇者が使ったという、これまたオレンジのマントを付けている。
食堂にたむろしている、どこぞの破壊された荒野からやって来たような外観の男達、俺は世紀末覇者軍団と呼んでいる奴らが俺のことをオレンジの兄ちゃんと言うのは、着ている服のせい。
目立つしな、オレンジ色。
「はぁ……言ってしまったものはしゃーなし……か」
いつまでも落ち込んでいられないか。
工事はあれからバリバリ進んでいて、今日は食堂の半分を閉じて調理場の拡張工事が入る。
なので、今日は簡単なサンドイッチとか、サラダとかスープぐらいしかメニューは提供出来ない。
すまないが我慢してくれ。
俺は朝食を終え、工事が始まる調理場へ向かう。
「兄さーん。どうでしょう、準備は」
調理場内を忙しそうに走り回っていたこの宿の神の料理人、イケメンボイス兄さんに声をかける。
ああ、イケボ兄さんは本名ボーニング=ハーブさんと言う。イケボマニアは覚えておいて欲しい。
「ああ、大丈夫。いやぁ、調理場の拡張とかなんかすごいなぁ。しかも最新の大型魔晶冷蔵庫に焼き窯も出来るとか。なんだか夢のようだよ、ははは」
イケボ兄さんがいい笑顔。
調理場がよくないと、美味しい物は出来ない。
投資するならまずここ。
調理場を充実させてこそ、お客さんが満足出来る料理を提供出来るってもんだ。
アンリーナにも、とにかく調理場をいい物にして欲しいと頼んである。
「では本日はこの宿の要、調理場の拡張工事に入りますわ。大型の物が入りますので、通路確保のために食堂の客席を一部封鎖し、調理も簡単なものしか出来ない状態になりますが、何卒ご理解をお願いいたします」
午前八時半過ぎ、アンリーナが工事関係者にジゼリィ=アゼリィスタッフを集め、本日の工事の説明が始まる。
「それでは本日の工事が始まります。何かありましたら、すぐにこのアンリーナまでご遠慮無くどうぞ。それでは工事スタートですわ」
アンリーナの合図と共に、港の船から大型の魔晶冷蔵庫やらが次々と運び込まれてくる。
元々ジゼリィ=アゼリィの調理場はかなり広かったのだが、それをさらに拡張する。
コンロや焼き窯を増やし、さらなる料理効率を上げるのが目的。
調理場の通路も広くし、余裕をもった作業が出来るようにする。これは王都のカフェジゼリィ=アゼリィの調理場でも採用されている。
料理が出来上がるまでの過程をグループで共有出来るようにし、一人あたりの負担を減らしつつ、効率も上げるやり方。
工事で調理場もほとんど使えないので、食堂の一部に魔晶石コンロやらを置き、お客さんの目の前で調理するスタイルになる。
「はい、お肉焼き上がりー。熱々をどうぞ」
イケボ兄さんが長めのパンに焼きたてのお肉とサラダを挟め、出来たてサンドイッチを次々と完成させていく。ピリ辛ソースにちょっと酸味も効いているので、バクバク食えるんだ、これが。
食堂はいつもの半分以下しかなく、座れないことも多いので、持って帰れるメニューを出しているのだが……。
「うわー目の前で出来たてを受け取れるってすごーい」
「うん、作った人が見えるから、なんか安心して食べられるねー」
若い女性のお客さんが、イケボ兄さんから受け取った出来たて熱々サンドイッチを美味しそうに食べている。
お皿ではなく、持てるように油や水に強い紙に包んでのお渡し。そのまま、手に持ったまま食べられるぞ。
そしてこの出来たてを目の前で渡して貰えるシステムが、かなりの好評。
「ふむ……」
確かに、作った人が目の前にいて、出来上がったらすぐに渡して貰えるのは安心感があるよな。
あとはライブ感。こういうのは結構大事なのだ。
「アンリーナ。ちょっと仕様変更をお願い出来ないか」
俺は慌ててアンリーナに調理場工事の変更を伝える。
調理場の一部を客席のある食堂にせり出させ、簡単な調理をそこでも行えるように出来ないかアイデアを言う。
イメージとしては回転寿司のお店みたいな、せり出した部分の中に料理人がいる感じだろうか。
「なるほど……確かに目の前に料理人の顔が見えるというのは、その料理人の腕と素材に絶対の自信があります、というアピールになりますわね。まるで屋台のような親近感と、腕のいい料理人の作業を目の前で見れるという臨場感。目の前で火を操り、次々と美味しそうな料理を仕上げていく様は、まるで人間の食欲をも操る魔法使い」
アンリーナがうんうんと頷き、俺の案を理解してくれたようだ。
「かなりいいですわね、さすが師匠です。すぐに業者の者と相談し、設計図を書き上げます」
俺が一応こんなイメージなんだ、とさっき思いついた回転寿司のスタイルと、よく日本の大型百貨店の催事コーナーで、臨時で出来上がるお店のスタイルを絵に描いて渡した。
火を使うところは耐熱ガラスとかで壁を作り、お客さんに調理の場を見せつつ、安全も図る。
「なるほど、こういうものですか。屋台の発展、というイメージでしょうか。いいですわね……これ、うちのホテルでも採用したいぐらいですわ。見せる料理、いえ魅せる料理、でしょうか」
お、アンリーナもかなり乗り気になってくれたようだ。
よし、ここが俺のレースで稼いだお金の使い所だろ。
アンリーナ曰く、魅せる料理を提供出来るオシャレな食堂にしてやるぜ。
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