第9話 信じるもの
甲板に閃く白銀の髪と、漆黒の髪。
「シュバルツ・・・?」
「・・・・・・」
ワイスの腕を掴んだままずんずんと歩くシュバルツに向かい、彼女は不思議そうに声を掛ける。だけどシュバルツは無言のまま。
リヒトとグランツには声が届かない所まで来た時、彼はようやく足を止め掴んでいた手を離した。
そしてくるりとワイスの方を向くと、そのまま彼女を抱き締める。
「?」
突然抱きしめられ、訳が分からない様子のワイス。
彼の褐色の腕にはさらに強く力が込められた。
彼女を抱きしめたまま、苦々しげにシュバルツは言う。
「・・・せんちょーの言う通り、おれはワイスと何もかもが正反対だ。
けどな・・・ワイスの悲しみとか、そーゆーのは分かる。・・・分かりたいんだ。
ワイスといつも同じ想いで生きてぇって・・・」
囁くように告げながら、シュバルツはワイスの髪を愛おしそうに撫でた。
「なー・・・ワイス?他のヤツラはワイスを“心の朽ちた天使”って言った。
でもおれは・・・ワイスが誰よりも悲しむって知ってる」
「・・・!」
「ワイスが喜ぶのも、怒るのも、・・・優しいのも、知ってる」
空を映すワイスの瞳が見開かれる。
「頼む・・・頼むから強がらないでくれよ。
おれから見たワイスは、ホントの“天使”だったんだ。
だからさ、あいつらが言ったからって“心の朽ちた天使”になんて・・・ならねーでくれ。悲しいなら悲しいって、ちゃんと言ってほしい。
そのままの・・・ワイスで・・・」
懇願するようなシュバルツの言葉。そっと頭に触れ撫でる暖かな掌。
その仕草すべてから伝わってくる・・・自分を大事に思ってくれていること。
「・・・うん」
彼の言葉にぽつりと答えると、ワイスは静かに目を伏せた。微笑みながら。
そっと腕を伸ばして、ワイスもまたきゅっとシュバルツを抱き締める。
暖かなその温度に・・・ほっとしていた。
「嬉しい。ボク、嬉しい、凄く。
・・・シュバルツ・・・大好き」
「・・・っ、あぁ」
シュバルツはゆっくりと体を離した。どこかぎこちなく。
赤くなっている顔を悟られないようにとちょっと目を逸らして、そのまま風にさらさらと揺れるワイスの細い髪に触れる。漆黒の瞳が悲しげに曇った。
「こんなにキレーなのにな・・・。でもイルから逃げるには、これだと目立っちまう」
イルから逃げるには、その目的となっているこの髪が目立たないようにしないといけない。
何かいい方法はないかとうーんと考え込むシュバルツ。するとワイスがあっさりと言った。
「切る」
「ダメ!!」
間髪入れずシュバルツが反対した。
「こんなキレーなの切っちまったら勿体ねーだろ!だからダメだ。
・・・何かねーかな・・・あ!」
ふと何かを思い立って。
ぱっとシュバルツが目を輝かせる。
「いーこと思いついたぜ!隠しちまえばいーんだよ!」
そう言うと早速懐から真っ黒いバンダナを取り出した。
光沢のある黒地のシンプルなバンダナで、端に一つ、白抜きで小さく“D”の文字か入っている。
「リヒトみたいにさ、バンダナ巻けばいーんじゃん?
おら、ちょっと向こう向いてみ!ワイス」
「?」
急にイキイキとしだしたその声に押されて、ワイスはシュバルツに背を向けて立ってみる。
「ちょっと待ってな・・・えーっと・・・・・・こんな感じか・・・・・・おし、出来たぜ!」
彼が手を離した後には、ワイスの髪はスッポリと黒いバンダナの中に収められていた。
「たーだ前髪がなー・・・」
口元に手を当て苦々しげに唸る。その漆黒の瞳が見つめる先は、バンダナから流れるワイスの前髪。
長い前髪だけは流石に全部バンダナに収めることが出来ず、相変わらず彼女の目を覆うほどに長く垂れていた。
「平気。これくらい」
チョンと前髪を摘んでワイスが言った。
「あんまり、目立たない。多分」
「そっかー・・・まぁ言われて見れば、全体を隠せたから大分目立たなくなったな!
・・・それに、最近じゃ前髪に色つけるヤツも居るしなー」
「そうなの?」
ワイスが顔を上げる。その瞳には好奇心が有った。
気づいたシュバルツの顔に思わず笑みが零れる。
が、答える前にトレネの声が聴こえてきた。
「みんなー!食事が出来たわよ!!」
「お!メシだってさ、ワイス」
シュバルツは優しくワイスを見下ろすと、その手を取って食堂の方へゆっくりと歩き出す。
手を取り合い仲良く歩く二人の頭上を、金色の陽の光が暖かく照らしていた。
「髪に色つけるってのはなー、ちょっと向こう見ずなヤツラがやるんだ。
色つける時に使うクスリが有るんだけど、それがメチャクチャ悪いクスリでさ、髪全部に使ったら最後、アノ世行き。
だからつけるったって前髪だけなんだ・・・」
リヒトとグランツが食堂に入ると、トレネが中央の大きな長テーブルに次々と料理を運んでいるところだった。
まだシュバルツとワイス、そしてロイエは来ていない。
ガランとした食堂に、窓からカーテンを通して暖かな陽光が降り注いでいた。
「ト~レネ!手伝うよ!」
スキップしながら近づき勢いよくリヒトが言うと、トレネは振り向き嬉しそうに微笑んだ。
「助かるわリヒト」
「じゃあ俺も~」
「船長は何も手伝わなくていいから、大人しく座っていること。
それから・・・盗み食いは駄目よ!」
「・・・・・・」
途端にぴしゃりと言い放たれて、渋々上座の自分の席に座るグランツ。しかも常習犯である“盗み食い”まで先回りして止められてしまった。手も足も出ないとはまさにこのことだ。
そんな彼を苦笑しながら見送って、トレネと調理場へ向かいながらリヒトは何気なく訊いた。
「ね、ロイエは?」
直後。
鍋を持ち上げるトレネの米神が、ピクリと動いた。
―やばっ!
地雷を踏んでしまった。
そんな予感がして、リヒトの頬を冷や汗が伝う。
「・・・ロイエですって・・・?」
案の定、地を這うような低い声を震わせて。トレネは鍋を持ったままゆっくりと振り向いた。
「知らないわあんな奴!あの無神経!!冷徹男!!!」
皮肉屋、根性悪・・・とトレネが悪態をつく度に、鍋は無残にも凹んでいった。
リヒトは思わずボコボコの鍋からさっと目を逸らす。
いつにも増して・・・トレネが乱心している。
「っほんとにもう・・・最低よあいつ・・・」
でも最後にそう言ったトレネの瞳に宿る悲しみに、リヒトは気付かなかった。
鍋をボコボコにする手が止まったその隙に、急いで彼女の前から鍋を取り上げ救出する。
「ト・・・トレネ、落ち着いて!」
「・・・!そうね・・・八つ当たりなんてしちゃってごめんね、リヒト」
「ううん、オレは別に大丈夫!
それよりさ、この皿持ってっていい?」
「えぇ、お願い」
はっと我に返り直ぐに落ち着きを取り戻したトレネ。
彼女は少し申し訳なさそうに笑うと、リヒトも苦笑してみせた。
―トレネ・・・ロイエとホント喧嘩ばっかり。なんか見てて寂しいな・・・。
あーあ、二人仲良くなるなんて・・・無理なのかなぁ。
小さな溜息をつきつつ、トレネお手製のアップルパイの大皿を手に食堂へ向かう。
食堂にはいつの間にかシュバルツとワイスも来ていた。
「おっアップルパイか!」
リヒトがアップルパイの大皿を手に現れると、めざとく見つけたグランツが嬉しそうに声を上げる。
料理に釘付けになっていたシュバルツの目も輝く。
「すっげーうまそー!な、ワイス」
「うん!」
リヒトが上座の前に皿を置くと、グランツがひょいとアップルパイに手を伸ばした。
「グランツ!盗み食いはダメだってば!!」
リヒトがその手を咄嗟にぺチンと払いのける。
途端にシュバルツが大声で笑い出した。
「あっはは!センチョー立場無ぇ~!」
「・・・怒られた・・・しかも笑われた」
ケラケラ笑うシュバルツの声が食堂に響き渡る。
そんなシュバルツに、拗ねた様子でグランツはおもいっきり顔をしかめて見せた。
「・・・懲りないな、フライア」
不意に、戸口から聴こえた呆れたような低い声に皆が顔を向ける。
「ロイエ!ひでぇなお前さんまで・・・」
「・・・ヴィレ、私は何処に座ればいい」
「無視かコラ!!」
「好きなところでいいよー。椅子、増やしたから」
「リヒトまで・・・」
「皆、いい加減に船長からかうのやめなさい!」
流石に見かねてトレネが助け舟を出す。
「船長が可哀想よ」
「・・・それもなんだかなぁ・・・俺の立場って・・・」
遠い目でグランツは窓の外を眺めた。窓の外は白い雲と青空が広がりいい天気だ。
なんだか泣きそうな心地になりながら、グランツがズッとわずかに鼻を啜る。
すっかりグランツがしょげてしまい。リヒトがそろそろ彼をなだめようと口を開いたその瞬間、唐突にワイスがぽつりと呟く。
「お腹すいた」
「・・・・・・」
皆はしばし沈黙しワイスを見つめる。
そんな中ワイスはただきょとんとして、小首を傾げて皆を見つめた。その姿はさながら愛らしい小鳥のようだ。
・・・途端にシュバルツがばっと自身の口元を押さえて身悶えたのを、リヒトは見逃さなかった。
けれどもそれを目撃したのはリヒトだけで、騒ぎが収まったこのタイミングが助かったとばかりにトレネがテキパキと事を進める。
「ほらほら、船長もふざけてないの!
アンタ達ってば放っておくといつまでもふざけ合ってるんだから。リヒト、料理はこれで全部だから座っていてね」
「はーい!」
「え?せんちょーってふざけてたのか?」
「あー・・・一応な」
そして数分後にはようやく全員が席に着く。エーデル・ロイバーでは大抵いつもこんな感じだ。
グランツがふざけてロイエが呆れ、リヒトが笑ってトレネがテキパキとまとめてくれる。
それにこれからはシュバルツとワイスが加わって・・・なんだか楽しくなりそうと、リヒトは小さく笑ってテーブル越しにみんなを見渡した。
テーブルの上には焼きたてのアップルパイと黄色いトウモロコシパン。美味しそうな匂いのスペアリブ、ほかほかと湯気の立つカボチャスープ。
並べられた料理を前に、グランツはみんなの顔を見回す。
「そうだ、シュバルツ、ワイス。腹が減ってるとは思うが少し待ってくれ「船長が言っても説得力無しね」・・・トレネ・・・
と、とにかくだな、俺達自由賊にはそれなりのしきたりが有る。その一つが“食前の祈り”だ」
「祈りって、神サマかなんか信じてんの?」
「違う」
意外そうなシュバルツの言葉に、グランツはきっぱりと言い放つ。
「生憎と俺達自由賊は、神様は特に信じていない。
俺達が信じるのは・・・“自由”だけだ」
「・・・・・・」
その言葉を聴いてリヒトは思わず微笑んだ。
まだ自由賊になった当初、グランツに言われた言葉を思い出して・・・
『リヒト、これからはお前さんももう自由賊だ。
そこでお前さんに重っ大な事を教えておこう』
『じゅうだい?』
『ああ。それはな・・・リヒトが“自由に生きる”って事さ。
リヒトは自由だ。何があっても自分の“意志”を信じろ。
例えば自分の“意志”の代わりに神様に縋るなんて、もってのほかだぜ』
『?なんで?』
『大概は、自分の“意志”を信じられないから神様とやらに縋るのさ。自分の“意志”があって神様に助けを求めるのはアリだと思うけどな。
何もかもを他者に明け渡したりはするなよ?
リヒトには、自分の“意志”がある。まずそれを信じてやれ。
それが何よりも、リヒトの自由を生むんだ』
『・・・!
うん!オレ、信じる!』
―信じるよ、グランツ。
思い返して、そっと目を伏せる。リヒトには解っていた。
グランツの言葉が、そして自分自身の“意志”が。
これまで自分を生かしてきた事を。
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