第8話 赤く燃える景色

「おーまたセンチョーの大爆笑が始まったかー」


リヒトがグランツに散々笑われている事に頬を膨らませていると、帆を張り終えたシュバルツがワイスの手を引き歩いてくる。

終いには腹を抱えてひぃひぃ言い出しているグランツを見るなり、シュバルツはポンッとリヒトの肩に手を置き気の毒そうに首を横に振った。


「センチョーの大爆笑は気にしねーほうがいーぜ」


おれもさっき散々笑われたから。

シュバルツは遠い目で付け加える。


「センチョーって大した理由も無く笑うよな」

「・・・うん」


心底呆れてリヒトは深い溜息をついた。


―まったくグランツってば。

 ・・・でもさっき・・・ちょっと悲しそうな顔、してた。気になるな。

 グランツって普段あんな顔しないから。

 そういえばオレ、グランツの過去って・・・あんま知らないんだ。





ゴウンッ


大きな音をたて、巨大な原動機が稼働する。

それを合図に重い船体がゆっくりと浮かびあがった。


「お~」


甲板の手摺に掴まりながら、ワイスが物珍しそうに声を漏らす。

白銀の髪が下から巻き起こる風に吹き上げられることなどなんのその。一心に地上を見つめている。


「浮いてる。船、浮いてる。すごい」

「・・・ホントすげー・・・」


隣で同じ様に地上を見下ろすシュバルツも感嘆する。

そんな二人を見て、リヒトの顔に思わず笑みがこぼれた。


「リヒト。ボク達、どこ、行くの?」


ヒョイと振り向いて尋ねるワイス。彼女の白銀の髪が風に揺れてきらきらと輝く。

その綺麗さに微笑みつつ、リヒトは顎に手を当て小首を傾げる。


「確か次は・・・“トラーム”ってさっき言ってたなぁ」

「ふーん。トラームってさ、島だろ?わりと大きな。おれ行ったことねーや。

 どんな場所なんだ?」

「うんと・・・」


リヒトは風にはためく長いバンダナの裾を指で弄りながら、少し思い出す様に視線を泳がせた。


「一言で言えば“自由賊の拠点”ってとこかな。

 トラームってシュバルツが言うように島だし、常に自由賊達が居るから、島の周りをしっかり固められるのも理由でイルはなかなか攻めてこないの。

 だからね、世界中の自由賊が集まるんだよ~!」


それを聴いて、ワイスが澄んだ緑の瞳をまん丸にする。


「世界中?」

「そう!」


リヒトも微笑んで手を広げてみせた。


「で、自由賊の皆で情報交換するんだ!

 トラームに行くと、普段は滅多に会えない他の自由賊の友達とも会えるから、オレは好き」


―そうだ、トラームに着いたら真っ先にレミニスに会いに行こっと!


「へー、なんか楽しそうな場所だな!」


思わず綻ぶリヒトの嬉しそうな顔を見て、シュバルツも興味津々といった様子で笑った。


「早く行ってみてー!」

「あ、でも結構物騒だからね。

 自由賊って、みんながみんな穏やかってわけじゃないから。

 ワイスとか・・・大丈夫かな」

「ボク?」


ワイスが自分を指差し不思議そうに首をかしげる。


「うん。ワイス可愛いから、心配だよ」

「ヘーキだって!!」


手摺に寄りかかりリヒトに向かってひらひらと手を振ると、シュバルツが不敵な笑みを浮かべた。


「ワイスに手ぇ出そうってヤツは、おれがぶっ殺「シュバルツ!」


不意にワイスが大声を上げる。

それを聴いてシュバルツは一瞬驚いたように目を見張った。


「・・・あ。そうだったーッ!すまねーワイス!!」


急に慌てると、ワイスに向かってパンッと手を合わせ謝る。


「だけどな、とにかくアンタはおれが守っから!!」


そう必死で言うシュバルツを見て、ワイスもちょっとはにかむ様に微笑んだ。


「ん。ありがと、シュバルツ」

「??」


そんな二人のやりとりに、リヒトは首を傾げた。

どうやら二人の間に何か約束事とか取り決めのようなものでもあるようだ。


―よく分かんないけど・・・ま、いっか!ワイスはシュバルツが居れば大丈夫そうだね。

 トラームかぁ・・・ホント久しぶり。


トラームは自由賊の拠点。

イルとの闘いの為に世界各国に散らばっている自由賊達の言わば“故郷”だ。

自由賊になる者達は、本来の故郷をイルに潰されたり支配されてしまった者達も多い。

だから拠点であるトラームは、いつの間にか自由賊達全体の故郷のような場所になっていた。


「あ、せんちょー」

「!」


ワイスの声に顔を上げると、こちらに向かって歩いてくるグランツが見えた。

今まで原動機の調子でも見ていたのか、顔や服にすすが付いている。

リヒト達の所まで来ると、グランツは手のすすをパンパンと払いながら言った。


「トラームに着いたら、ちっと原動機の整備をしないとな。あと燃料も要る。

 海の上だけなら、燃料なんて必要ないんだがな」

「この船もやっぱ燃料なんて使うんだなー。

 燃料って“ムシェル”か?」

「おっ詳しいなシュバルツ」

「前に自由賊のヤツに会った事があってさ。そん時に聞いた」


シュバルツは飄々と答えると、眩しそうに空を見上げた。


―ムシェルって確か・・・イルが開発したものなんだよね。光り輝く人工燃料。

 なんか癪・・・イルの創ったものを使わないと・・・オレたちは結局何も出来ないみたい・・・。


そもそもこの船自体も、元はイルの軍船だった。

リヒトがエーデル・ロイバーに乗った時にはすでにこの船だったから、グランツ達がどうやってこの船を入手したのかは解らない。前にリヒトがグランツに尋ねた時、彼はただ笑って「イルからかっぱらってやったのさ」と言っていた。

自由賊の中には船を造る者も居て、通常はそうした造船者が造った船を使用している。けれども自由賊の船の中には、イルとの戦闘の後、その軍船をかっぱらって使っている船もある。

実際にイルが持つ物は、船も武器も皆性能が良かった。

イルの軍船を基にしているエーデル・ロイバーも高性能で、少人数でも動かせるしちょっとやそっとじゃ壊れはしない。


だけどイルのものを使っているというその事実がなんだか悔しくて。

エーデル・ロイバーには何度も助けられているけど、リヒトは悔しさに歯噛みせずには居られなかった。


―・・・イルが開発したムシェルだって使わないで、オレのセラスの力でなんとかならないかなって思うけど。流石に、こんなに大きな船を動かすほどの力はないんだよね。


「あーそうだ、シュバルツとワイスに訊きたい事がある」


急に真面目な声になって、グランツは言った。

その変化に、二人の顔にも僅かな緊張が生まれる。

グランツは暫く二人の顔を交互に見たあと、ゆっくりと口を開いた。


「お前さん達、イルに追われてたんだってな。

 理由は何だ?」


次の瞬間、シュバルツの顔から笑みが消え、ワイスは目を見開く。

その様子にグランツも思わず口を噤むが、小さく溜息を漏らすと言葉を続けた。


「・・・シュバルツ、ワイス。俺はこの船の船長として追われる理由を知る必要がある。

 追われる理由を知らなけりゃ、逃げることなんてできないだろうが」

「・・・!」


―そうか・・・うん、確かに追われている理由が分かれば・・・何か対策も取れる。


リヒトは納得したが、シュバルツは尚も険しい顔のまま口を閉ざしていた。

彼がチラリとワイスを見た時、彼女もまたシュバルツを見た。

そしてワイスはスッとグランツを見上げ、答えた。


「追われてる、ボク」


グランツが眉をひそめた。


「ワイスが追われてんのか?シュバルツは?」

「ボク、ひとり。イル、ボク、欲しい。

 ・・・ボク、“実験体”」

「何だって!?」


予想外の言葉に戸惑いを隠せないグランツとリヒト。


「ワイス!」


するとシュバルツがワイスを庇うように遮り、続けた。


「おれが説明する。イルがいきなりワイスのトコに来て、言いやがった。

 『実験体として捕獲する』ってな。

 おれ達も詳しい理由なんて分かんねーよ。アイツラの言う“実験体”っていう意味もサッパリ。

 ただ『捕獲する』なんて言われて黙ってるワケいかねーから、ワイスを連れて逃げたんだ」


―実験体・・・!?どういうこと・・・イルは一体何を・・・


皆が沈黙する。

そして頬の刺青に手を触れじっと考えこんでいたグランツは、再びシュバルツに尋ねた。


「にしても、だ。なんでワイスだけなんだ?

 その“実験体”なんてのが」

「・・・・・・」


シュバルツはまた戸惑いがちに視線を逸らし、暫く俯いた。

黙り込んでしまったシュバルツを見て、ワイスもまた視線を落とした。

そして沈んだ声でポツリと呟いた。


「・・・ボク、違ったから」

「ワイス!!」


シュバルツが突然大声を上げる。それはどこか悲しげに響いて。

途端にワイスは驚いてジュバルツを見た。

彼は悔しげに顔をしかめていた。そのまま苦々しげに唇を震わせる。


「ワイス・・・っ」

「・・・平気」

「・・・・・・」

「ボク、平気」

「・・・バカ!」


淡々とこたえるワイスに、突然シュバルツは怒鳴った。

思いがけない彼のその悲しげな顔にリヒトは驚いて目を丸くする。

シュバルツはバッとワイスの腕を掴むと、そのまま彼女を船室の向こうへ引っ張って行ってしまったのだった。


「・・・行っちゃった」


どうするの?という風にリヒトは困惑したままグランツを見上げる。

グランツは未だ難しい顔をしていたが、リヒトの視線に気が付くとふっとその表情を和らげた。


「・・・大体の理由は分かったさ。

 あの二人にも、言えない理由があるんだろ。なら仕方無い。無理に訊く気も無いしな。

 あれは・・・相当嫌な目に遭ったんだろう」

「うん・・・」


リヒトも顔を曇らせた。


―二人共・・・あんな悲しそうな顔、して。


「・・・リヒト」

「?」


グランツの方を見ると、彼は手摺に背を預け空を見上げていた。


「リヒトは気付いてたか?ワイスの髪の色」

「ワイスの・・・?」

「俺はあんな髪色は見たこと無いんだがな。

 ありゃあ・・・なんつーか・・・白でもない・・・」


言葉を捜すグランツに、リヒトはふと思い当たったように言った。


「・・・銀」


その言葉にグランツもポンと手を叩いた。


「そうだな、“銀”って表現が一番合ってるか。ワイスは・・・銀の髪を持ってんだ。

 綺麗だったが・・・恐らく突然変異か・・・。

 いずれにせよ、珍しいモノ好きなイルの連中が欲しがるワケだな。

 ただ一つ気になるのが・・・」


眉間に皺が刻まれる。


「・・・“実験体”」

「・・・・・・」


リヒトも困惑した表情を浮かべた。


「イルは何を企んでやがる・・・。

 生体実験を行う必要がある・・・“何か”」

「・・・あ」


“生体実験”と聴き、リヒトの脳裏にある言葉が浮かんだ。

紅い瞳を持つ、イルによって人工的に生み出された生命体。


「・・・シェルト」

「!」


グランツはハッとしてリヒトを見る。


「シェルト・・・人工生物・・・・・・イルはまさか」


その鋭い灰色の目が、ある答えを見つけた。


「人間の・・・シェルトを・・・!?」


しかしグランツは突然言葉を切ってリヒトを見つめた。異変に気づいたのだ。

いつの間にかリヒトの様子が変わっていた。

どこか遠いところを見ているような、ぼんやりと虚ろな彼女の目。


「・・・おい、リヒト・・・?」


まるで何かを思い返すかのように、呆然と宙を彷徨う抜け殻の瞳。

いくら呼んでも届かない、声。


ひやりと、グランツの背筋に悪寒が走った。


「・・・っリヒト!!」

「!?」


不意に響いた怒鳴り声にはっとリヒトは我に返った。

驚いてパッと振り返ると、グランツがどこか青い顔でリヒトを見つめていた。その手でリヒトの肩を掴みながら。

リヒトが目を合わせるなり、ほっとしたような表情を浮かべる。


「大丈夫か?ぼーっとしちまってたみたいだが・・・」

「あ・・・う、うん!大丈夫!」


心配そうにのぞき込むその様子に、慌ててリヒトはグランツを安心させようと笑顔を作った。

しかしその心臓は早鐘のように鳴っていた。


―オレ今、ぼーっとしてた・・・?

 ・・・びっくりした。それにあの、景色・・・。


じっとリヒトを見つめていたグランツが徐に口を開く。


「リヒト・・・お前」


そこまで言った時、船室のドアからトレネの明るい呼び声が響いた。


「みんなー!食事が出来たわよ!!」


トレネの言葉を耳にするなりグランツはその口を噤む。

同時にリヒトはトレネのいつもの優しい声に、やけに安心していた。


さっきまでの困惑がまだ残る中・・・ふと息を吐く。

なんだか急に現実に引き戻された気がした。

目の前に広がる青空、暖かな陽光。

グランツも同じように想ったのか、ゆっくりとリヒトの肩から手を離すと首をコキコキと鳴らす。そして彼女を見下ろし笑顔を見せた。


「もう夕飯か。どうりで腹が減ると思ったぜ!」

「・・・グランツはいっつも『腹減った』って言ってるじゃん」


その笑顔につられてリヒトが悪戯っぽく笑うと、グランツは「そうかもな」と肩を竦めた。


船室に入る時、グランツはリヒトに小さく声を掛けた。


「リヒト。お前さんは余計な事は何も考えんなよ。

 自分の事だけを、考えてろ」

「・・・うん」


―・・・正直、さっきのシュバルツ達の話は凄くびっくりした。

 ワイスが実験体としてイルに追われてて・・・イルが、まさかとは思うけど・・・“人間のシェルト”を創ろうとしてるかもなんて・・・。

 でも、分かんないことをとやかく考えててもどうにもなんないよね。


階段を降りながら、リヒトは先ほどの光景を思い出した。

一瞬意識が遠ざかった様な感覚がしたあの時。


目の前に広がったのは・・・燃える様な赤い景色だった。


―なんで急に・・・目の前、真っ赤に見えたんだろ。

 ・・・ううん、よくわからないけど・・・忘れたほうがいい気がする。

 オレはオレのことを、オレの“意志”だけを考えよう。


リヒトは手をキュッと握ると、前を見据えた。

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