Recipe5 魔物討伐と森の中のディナー(4)
***
キマイラはソランの
調理場の一番大きな台の上に乗せられたキマイラが、まるで博物館の目玉の展示物のように遠征隊の者たちの目を奪っている。
ステンド・エイクは人波を掻き分けてその場に辿り着くと、熊の3倍はあるだろうキマイラを見て心の底から目を丸くした。
「本当にキマイラを捕ってくるとは……。これを調理するんですか?」
ソランは作業の用意を始めていた。エプロンを着け、薄手の手袋をはめている。
「魔素を除去してからな。ただ、さすがにキマイラは解体したことがないんでね。調理班から腕のいい者を呼んでもらえると助かる。本職のほうが上手くやるだろう」
「わかりました。呼びに行かせます」
ステンドが手を上げると、傍で聞いていた調理班のチーフが、サッとその場から離れていった。該当する者を呼んできてくれるようだ。
「魔素の除去には、私も立ち会わせていただいてよろしいでしょうか?」
ステンドがそわそわとした様子で訊ねてきた。
「構わないが……そう高度な技術でもないぞ?」
「今回――いえ、私はいつもそうなのですが、司令所に入り浸りでソラン殿の魔法を拝見する機会が少なかったので。少しでもその技術を拝見させていただきたいのです」
「……好きにするといい」
魔素の除去というものは、魔物の解体師くらいしか行わない。珍しいものではあるけれど、ソランからしたら生活魔法の一種だ。ただ、それでもいいというのなら、断る理由はなかった。
解体師の資格を持った料理人たちがもうすぐ来るという知らせを受けると、ソランは彼らが到着と同時に解体を始められるよう、魔素の除去を開始することにした。
ステンドだけでなく、キースニー、ダイス、それに白翼騎士団団長のジルトマン、後学のためにと調理班や王国魔導士団の団員も集まって、キマイラとソランの周囲を取り囲む。
「始めるぞ」
キマイラの体に向けて、ソランの小さな両の手がかざされた。
魔素除去の手順は、少ない。対象に含まれている魔素を〝とらえて〟〝引き出して〟〝剥がす〟。これだけだ。
ただし、技法は繊細で難しい。魔素をとらえて外へ誘導するため、魔素の感知と操作に長けている必要がある。
そうあいだをおかず、キマイラの体に薄い膜のようなものが現れはじめた。
ソランによって誘導されてきた魔素だ。含まれている量のせいか、どんどん色を増し、黒ずんでいく。
魔法より剣を使う者たちにとっては物珍しく、魔法を専門とする者たちにとっても驚くような光景だった。
「速い……!」
確実に魔素をとらえ、誘導しているからこその速さだった。
ざわめく周囲を見て、ダイスがキースニーに訊ねた。彼はあまり魔法が得意ではない。
「……凄いことなのか?」
「魔素を確実にとらえて引き出す、というのはそう簡単なことじゃないからな。まず、とらえることが難しいんだ。人によっては感知さえできない。それを当たり前のように捕まえて引っ張ってきている。魔性に対するソラン様の感度の高さがわかるよ」
解体師も魔素の除去は行うが、彼らは魔法の専門家ではない。「専門家」の、それも卓越した者がやるとこれほどの速さになる。
「魔素をとらえ、操作する力……。魔素への感度を高めるいい勉強になるかもしれない。遠征時の材料調達にも役立ちそうだし、団のカリキュラムに加えてみようかなぁ……」
という副団長の呟きを聞いて、ギクリとする王国魔導士団の団員たちが数名。
膜が、乾いて、パリパリと剥がれ落ちはじめた。
それは風に巻きあげられるほど軽く、黒い蝶の翅のように儚くどこかへと運ばれていった。
魔素は、魔物肉の旨みでもある。取り過ぎてもいけない。
その丁度良いところを見極めるほうが、ソランにとっては難しかった。
「……こんなものかな。解体を頼んでいいか?」
「かしこまりました。お任せください」
到着していた料理人たちが、大きな包丁を手に後を引き継ぐ。
解体が終わったら、すぐ調理を始めなければ。そろそろ日が暮れてきそうだった。
「…………もの凄く、いい匂いがする……!」
肉に飢えた騎士たちの目の前に、巨大なキマイラの丸焼きがある。
適度に火が入るよう、ある程度は部位を切り落とした。切り落とした肉は、ブラウンシチューやミートバーグにしてある。食べる側が腹を空かせているので、余るかは疑問だったが。
久々に食い出のある肉が出たからか、野営地は宴のように賑わっていた。
実際、キマイラを討伐した後からは封印の張り替えが順調に進み、明日か明後日のには帰還できる見込みが立った。任務が終わりにさしかかって、ステンドがワインも出してくれたので、今夜は森に囲まれながらのディナーだ。
「ふわぁあ……」
キマイラとの戦闘で疲れていたこともあり、ソランは調理が終わると、しばらく天幕の中で仮眠を取らせてもらっていた。
魔物肉の調理は、専門家でも難しい。味や具合を見ながら調理方法や加える香草などを変更しなければいけなかったので、ソランも手伝う他なかった。
天幕の外に出ると、冷たい夜空に星が瞬いていた。白い小花のようだ。地上は温かな灯に包まれ、
ソランはキマイラの丸焼きを削いでもらうと、具だくさんのスープとパンももらって、てきとうなところで食べはじめた。
「……うん、まあまあの味だな」
これほどの大物を調理したのは久しぶりだけれど、美味しくできた。これなら、フェイドたちも――。
ふっ、と顔を上げる。
目に映るのは、焚き木の灯りだけ。
「…………」
少し前までは、こういう料理をしたところには、必ずフェイドたちの姿があった。
『美味しいよ、ソラン!』
『ふぅん、まーまーね』
『ソラン殿は本当に料理がお上手ですね』
『オレはもっと肉が欲しいな! おい、もうないのか?』
『――ソーン以外は、少しは手伝え!』
調理能力がほとんどない仲間たちに支度を押しつけられ、ソランの料理の腕はどんどん上がっていった。
けれど、それを必要とする仲間たちは、もう、いない。それぞれの人生へと戻っていった。
(……あぁ、だからか)
こんなにも気にかかるのは。なかったことにできないのは。
〝――美味い! 我はこれほど美味いものは食ったことがないぞ!〟
久しぶりだったんだ。僕の料理を、美味いと言ったヤツは――。
「ソラン様、こちらにいらしたんですか。――どうかされましたか?」
キースニーとダイスが、ソランを見つけて声をかけてきた。
「……いや。もう少し探してみるか、と思ってな」
なんのことかわからず、ふたりの騎士は顔を見合わせた。
そして、どちらもなんのことかわからないのだろうということを理解すると、キースニーがさらりと言った。
「見つかるといいですね」
ソランは、ふっと笑った。
「それより、念願の魔物肉はどうだったんだ?」
「ものすっっっごく美味でした! あんなにも動物の肉と違うものなんですね!」
「一番違うのは、魔素の旨みだな。魔物肉でなければ味わえない」
「ダイスもがっついてましたよ。こいつとは長い付き合いですが、あれほど肉に食いついているのを見るのは初めてでした」
「人のこと言えないだろ。何皿も食っておいて」
「私の肉だからな」
私が狩ったんだから、と子供のような主張をするキースニーの手には赤ワインのグラスがある。見た目よりも酔っているのかもしれない。
「あっ、ソラン殿! 私もご一緒してよろしいですか?」
ステンド・エイクが、グラス片手に近寄ってきた。
「ぜひ、ソラン殿の魔法論をお聞きしたく……。あっ、よろしければ、リヴェールのスターウイスキーを召しあがりませんか?」
賄賂みたいに酒を勧めてくる。
すると、キースニーとダイスが目を丸くした。
「えっ、ソラン様にお酒はダメでしょう、ステンド副団長」
「成人前だろう?」
「えっ?」
面識のあるステンドはともかく、キースニーとダイスは、ソランの年齢までは把握していなかったらしい。
「……成人済みだ!!」
ソランのツッコミに、驚く声、笑い声が焚き木の灯りに混じり合って、白い花の咲く夜空へと溶けていった――。
***
リビングの窓越しに小春日和の陽光を感じながら、ソランは
優しい香りに口当たりのいい味。素朴で安心する。
「……ここで飲む香茶が一番うまいな」
かつて、白陽城で幾度となくお茶会に招かれたが、どれほど高級な茶葉もこの香茶のような安らぎは与えてくれなかった。むしろ高価であればあるほど、宝石で着飾った貴族の令嬢のように気後れを感じさせた。
平凡で、素朴なもののほうが、自分の性に合っている。
第一魔棲森での大規模任務から半月が経った。しばらくは、城と関わることもないだろう。
フェイドが辺境の視察から戻ってくるのを待とうかとも思ったが、長居すればするほど面倒ごとが増えそうだったので、さっさと城から退散してきたのだった。
ソランはちらりと、テーブルの上に置かれている手紙を見た。
既に開封して目を通してある。ガレットから紹介された「なんでも屋」からの回答だ。
やはり、黒竜ベールの足跡はわからないという。
あれだけ優秀な「なんでも屋」でさえ見つからないというのは、不可思議にも思えた。
残る可能性は、ベールの棲み処である北の深き山々だが、遠方だけに、「なんでも屋」に頼むとなったらかなりの額を要求されるだろう。
「仕方がない……自分で行くか」
思わずため息が出た。何故、こんな面倒ごとを自分で背負わなければならないのだろう。
けれど、気にしているのは自分なのだから、自分でやるしかない。
どんなに面倒でも、やるべきことは、やらなければ。
そんなことを思っていると、チリリン……、と、ソランの
ドアに取りつけられているカウベルの音ではない。誰かがこの聖棲森に足を踏み入れたという合図だ。
「珍しいな。客人か? また面倒ごとが来たんじゃないだろうな……」
遠視で〝客人〟の姿を確認したソランは、二重の意味で驚いた。
「ご無沙汰しております、ソラン様」
客人は、白翼騎士団のキースニー・フォン・ギオルバートと黒竜騎士団のダイス・ゾレ=グレイルだった。
ソランが城を出たのが半月前なので、それ以来ということになる。
ふたりとも旅装姿で、小さくはない荷物を持っていた。
「よくここがわかったな」
「
「近づく者に害意を感じたら精霊が道に迷わせるんだ。けれど、こんな辺鄙なところまで来るとは……。なんの用件だ?」
「あははは」
ソランの面倒そうな表情を見て、キースニーが明るく笑った。予想通り、ということらしい。
「警戒なさらないでください、休暇の旅の途中に寄ったんですよ」
「休暇?」
ええ、と、騎士服を着ていなくても煌びやかな白い騎士が答える。
「無事に遠征任務が終わったので、少しまとまった休みがいただけたんです。せっかくだから、久しぶりに狩りに行こうとダイスを誘って。それで……ですね」
嫌な予感が首筋を這う。
「……なんだ?」
「冒険者ギルドに頼んで、魔物の討伐に参加させてもらうことになったんです。第一魔棲森の魔物でもなければ、大抵は形が残りますから、倒したものはいくらか持ち帰らせてもらうつもりです。ソラン様さえよろしければ、それを調理していただけないでしょうか?」
思わぬ申し出のようでいて、キースニーらしい提案だとソランは思った。
「このあたりの冒険者ギルドといったら、カルブロッツだろう。あそこの支部に頼んだほうが、上手く調理してもらえるぞ。何せ『食の都』だ」
「そうおっしゃらないでください。ソラン様の料理がいいんです」
軽く、キースニーの隣でダイスが頷いた。
どうやら、このふたりは貴族でありながら、ソランと味の好みが近いらしい。
奇特だが、あの繊細さの欠片もない粗雑な料理のほうがいいと言うのなら、仕方がないだろう。
「……わかった。ただし、来る前には知らせをくれ。もしかしたらしばらく、留守にするかもしれないから」
「どちらかにお出かけですか?」
「まあ……君たちが来るまでは出ないつもりだが」
口にしにくい行先と判断して、それ以上は彼らも訊かなかった。
「わかりました。次に来るのは3日程あとになると思いますので、よろしくお願いいたします」
ふたりの騎士は約束を勝ち取ると、ホクホクとした様子で帰っていった。
「さて……僕も旅の支度をしておくか」
ベールが根城にしていたという深き山々は、大陸の北にある
山脈の
そこから先は、飛行魔法で行くことになる。
「有名人(?)だったようだから、精霊に訊けば、帰っているかどうかくらいはわかるだろう。山の精霊が好みそうな土産物を用意して……ああ、面倒くさい……」
ブツブツ言いながらも、旅支度を始めようと重い腰を上げた。
やるべきと決めたら、それが魔王退治であろうとドラゴン探しであろうと、してしまう。そういう律儀な性格ゆえに人から頼まれごとが多いのだという事実に、ソラン自身は気づいていない。
そのとき、ドアのカウベルが音を立てた。
「忘れ物か……?」
キースニーとダイスが引き返してきたのかと思い、なんとなしにドアを開けたら――。
「今、帰ったぞ――っ!!」
土まみれ、
「………、………、…………」
「まったく、ヌシが文句を言うから、大変な苦労をしたぞ! しかし、その分いいものが手に入った! これならヌシも、むしろ我にここにいてください!と懇願するに違いない! 見よ、この見事な〝魔――」
「
「今日の夕飯は抜きだ!!」
「なんぞ!?」
オロオロするエージュの前で、ソランと人騒がせな黒竜の言い合いはしばらく続いたという――。
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