Recipe5 魔物討伐と森の中のディナー(3)



 2日、3日、4日と任務は続いた。

 ソランの桁外れの大技もあって、魔物の討伐も祠の封印の張り替えも順調に進んだが、日を追うごとに騎士たちの疲労は増していった。

「《回復ヒール》!」

 疲労の度に王国魔導士が回復魔法をかけ、それでも間に合わない者は白翼馬といった騎獣を使って野営地に戻す。任務が追いこみに向かえば向かうほど、過酷さは増していった。

「はぁっ……、ソラン様は、大丈夫ですか?」

 さしものキースニーも、息が上がってきていた。魔法で体力を回復させることはできても、精神的な疲労はいかんともしがたい。

「一応な」

 魔力の残量は問題なかった。ソランは、力を封印された状態でも並の魔導士より魔力を有している。

 それに、魔棲森は質のいい魔素で満ちている。ソランは魔界へ行くにあたり、魔素を自分に相応しい魔力に素早く変換する術を身につけた。そのため、魔棲森では魔力の補充に事欠かない。

(問題は……)

 人間の精神を満たす、大事なものが欠けている。

(……――美味いご飯が食べたいーっっ!)

 調理班も頑張ってくれてはいるのだが、「食の都 カルブロッツ」で舌の肥えたソランには物足りない。カルブロッツの大衆食堂のご飯が食べたくて食べたくて仕方がなかった。

 口には出さないが、キースニーもダイスも多くの騎士たちも、肉汁溢れ油滴る料理に飢えているはずだ。

(まさか、ここまで食べられる魔物が少ないとは……!)

 第一魔棲森の魔物は、そのほとんどが魔素に変質しており、死と同時に霧散してしまった。

 形を保つことができるのは、高濃度の魔素にも耐え得る高位の魔物だけ。だが、イヴィルボアでさえ、肉片ひとつ残らなかった。

 これなら、魔界のほうがずっと現地調達が楽だった。魔界で生まれ育った純粋種の魔物は、魔素に変質しないのだ。

 回復魔法は、体力は回復させても、味蕾みらいは満たしてくれない。

「っ……、肉が食べたい……っ」

 近くでソランの呟きを聞いた騎士たちは、心の中で同意した。

 ――次の瞬間、ぞくり、と、ソランの首筋が粟立った。

 キースニーも近くで足を止める。

「ソラン様……、何か、いますか」

「そのようだな……」

 肌がピリピリとする。嫌なものが近づいてきていることを、精霊たちが教えてくれる。

ボア……鹿ディア……ベア……、いや……)

 深い森の奥から、何かが這ってくる音がする。重い何かを引き摺るような音。

 その一方で、獣の唸り声、落ち葉を踏む音もする。

 鋭い牙の隙間から薄色の煙を吐きながら、怖気の走る巨大な複合魔が姿を現した。


 ――「キマイラ」かッ!!


「《希光の鎧レイ・アーマー》!」

 ソランは後ろに避けざま、周囲の騎士たちに防護魔法を付与した。

『ゴオオォオォオオ――!』

 キマイラの咆哮が、波動と化して人間たちを襲った。甲冑を着けた騎士たちが紙のように吹き飛ばされ、木の幹に叩きつけられる。

「がはっ!!」

 防護魔法のおかげで外傷はつかなかったが、昏倒寸前くらいに頭がクラクラする。

 ソランも大木に打ちつけられ、目の前が一瞬色を失った。防護魔法がなかったら昏倒していたかもしれない。なんとか起き上がっても、頭がふらつく。桁外れの威力だ。

「この辺りの、ボスか。厄介なのが出てきたな……!」

 キマイラは、複数の動物を組み合わせた姿をしている。獅子の頭、山羊の体、蛇の尾、そして蝙蝠の翼――。多く混合されているほど、能力が高い。あまりお目にかかりたくない魔物だ。

「相手に不足なし、といったところでしょうか」

 飄々と言いながら、キースニーがふらつく足で立ち上がった。

「食い出がありそうだ」

 これはダイス。確かに、キマイラなら魔素化している可能性は低い。

 ふたりはともかく、他の騎士たちは、本能的に逃れたくなる気持ちと負けられないという気概の狭間で揺れているようだった。部下を鼓舞するキースニーの声が森に響いた。

「お前たち、勝って飯にするぞ! 黒竜騎士団と獲物の奪い合いだ!」

「白翼にいい部位を渡すな!」

 一斉に、ふたつの騎士団がキマイラに襲いかかった。

 国家間の戦いが少なくなって久しいとはいえ、常に魔物と相対している聖リュンヌ守護国の騎士団は強い。

 ソランが騎士団と接したのは、魔王討伐時の一時期だけ。それも、各自との接触はないに等しかった。

 けれど、これだけの騎士が育っていたのだ。

「……僕も頑張ることにするか」

 ソランの口元に小さく笑みが浮かんだ。

「――【我が声に応えよ。黒翼馬ノクターン】」

『クオ――!』

 ソランの影の下から、彼の身の丈を優に越える漆黒の黒翼馬が躍り出た。

 ソランは手の平を魔力で軽く切り、浮かんだ鮮血をノクターンの口元に差し出す。

「前報酬だ。騎士たちを援護しろ」

『仰せのままに。《マスター》』

 ソランと同じ石榴色の瞳が嬉し気に細められ、ノクターンがその血を舐める。

 次の瞬間、ノクターンの体躯がふた回り近くも大きくなり、瞳が金色こんじきに強く輝きはじめた。

『クオオォオオ――……ッ!』

「なんだ!?」

「ソラン様の従魔か! 助かる!」

 ノクターンがキマイラに横腹からのしかかり、暴れる身体を器用に押し倒した。キマイラはもがく。突然現れた黒翼馬に攻撃の狙いを変えざるを得ない。そのあいだに騎士たちがじわじわと剣を食いこませていった。

『グオォッ! ガァッ! ギャオォオオ――!!』

 徐々にキマイラが押されていく。

 時間が稼がれているあいだに、ソランは長い術式を構築する。

「【闇の精霊よ、荒ぶる魔に死の救いを……】」

 魔棲森に溢れるほどある闇の魔素が、薄色の霧が、ゆっくりとソランの元につどい、形を形成しはじめた。

 生み出されるものは、〝針〟だった。最初は木の枝ほどの大きさの針。それが、氷柱つららが大きくなっていくように、太さと鋭さを増していく。

「【しんしん。そしてしん。人の生み出せしものよ、闇を加護をもってしんの力を成し、死の衣を縫いてのものに絶対的なるしゅうをもたらせ――】」

 より大きく。けれど細く、鋭く。硬度を増すほど色も濃さを深めていく。

 やがてそれは、無数のおぞましく黒い針となった。

 〝死〟をまとわせるがごとく――

「全員、下がれ!」

 声に気づいて、ノクターンと騎士たちがキマイラから離れる。

『ガァ――』

 攻撃と束縛から逃れたキマイラが、逃走しようとしているのかそれともまだ戦おうとしているのか、巨体を起こして足を踏みしめる。

 その頭上から、無数の〝死の針〟が放たれた。


「――《死の闇針デス・ニードル》」


 キマイラは、細い細い針に、すべて・・・を貫かれた。命さえも。

 それは触れた瞬間に「魔」と呼ばれるものを絶命させる闇の魔法。苦しみを感じるもあったかわからないほどに、キマイラは動きを止め――倒れた。

「勝っ……た……?」

 傷だらけになりながらも、誰ひとり欠けることなくキマイラを倒した。

「やっ……――!」

 その喜びが、彼らに歓声を上げさせようとする。

 しかし誰かが、気づいた。

 とどめを刺したソランが、キマイラに対して黙祷していることに――。

 それを見た騎士たちは、倣うように剣を胸に当てて黙祷した。

 魔棲森の魔物は、例外なく人に害をなす。

 けれど、生き物である以上、その死は等しく尊ばれなければならない。

 〝魔王〟ですら、そうだった。

 人類の脅威。戦わざるを得ない相手。

 けれど、生と死はすべてに等しい。

 生まれたものには喜びを。死したものには労いを。

「……さて、ソラン様。グロテスクな見た目ですが、キマイラというのは食べられるんでしょうか?」

 キースニーが、期待のまなざしを浮かべながら訊ねてきた。

 見た目からしたら、美味そうには見えない。

 だが、世の中には「珍味」というものもある。

「……美味いそうだぞ」

 そのひと言で、今夜のメインディッシュは滞りなく決まった。








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