Dessert ソランのレシピブック



「まったく……人騒がせなドラゴンめ」

 その日の夜。延々と黒竜ベールを𠮟りつけたソランは、入浴を終えると書斎に入った。

 ランプを机の上に置く。窓辺にぽかりと灯りがともった。

 ここは、書き物や調べ物をするときに使っている部屋だ。魔導協会から依頼された寄稿文を書いたり、自身の研究のための調べ物をしたりするときに使う。貴重な魔導書や資料も保管しているため、ソラン以外は立ち入ることができないようになっている。

 ソランは机に着くと、幾枚かの走り書きに目を通しはじめた。研究のためにしたためているメモの束だ。内容を確認しては、加筆したり、新しい紙に書き写して情報を移動させたりする。寝る前にこうして作業を進めるのが日課になっていた。

 ソランは机の引き出しから、1冊の冊子を取り出した。

 メモの束とは違い本の形状になっていて、一定の物事についてまとめられるようになっている。

 栞を挟みこんだページを開くと、そこには、料理のレシピや日記のようなものが書き記されていた。

「今日の夕食は……カルブロッツの定食屋で食べたジャガモの炒め物を再現してみたんだったな……」

 その冊子には、様々な事柄が書き記されていた。

 目にして面白かったもの、新しく発見された魔法の話題、今日のように美味しいと思った料理のレシピ……。

 この世界を構成している物事のうち、ソランが面白いと思ったものをまとめた――それは、『ソランのレシピブック』だった。

 ちらり、と机の端に目をる。

 そこには、ベールが持ち帰ってきた〝あるもの〟が、持て余されたように置かれていた。

 ソランによって魔導織まどうおりの布で包まれ、厳重に宝石箱に入れられたそれは、まさに宝石のような美しい石だった。

 赤と呼ぶには少しくすんだ色で、ソランの石榴色の瞳と似ている。大きさは手の平に収まるくらい。純度の高い宝石のように魔法の触媒に使うこともできる。

 だがこれは、魔法の触媒にするには〝巨大すぎる〟代物だった。

『エンシェント古竜ドラゴンの心臓の化石、だと……!?』

 わななくソランに、ベールは胸を張って見せた。

『そうよ! 千年以上経った極上物ぞ! 時の経過とともに蓄積した魔力は、この大陸のいかなる魔宝石にも勝るであろう。これだけのものがあれば、ヌシも納得であろう。我を住まわせることに異論はないな?』

 ソランは、頭を抱えたくなった。

 異論はないどころか、こんなものに見合う衣食住など、ソランは用意できない。

 これは、大陸中の魔導法を監督する魔導協会を買い取れるほどの代物だ。

 これを提供すると言ったなら、魔導協会のトップは明日にでもソランに協会の権利を明け渡すかもしれない。それだけの研究材料、それだけの価値のあるものだ。探しても探しても、見つかるものではない。ベールが古竜と同じドラゴン族だということを差し引いても、見つかったことは奇跡だ。

 売り飛ばせば、闇市場がこれを巡って戦乱を起こしかねない。かといって、研究素材として使うことなど考えられない。もし所持していることを他者に知られたら、ソランの元には暗殺者が山と送りこまれる。

 実に厄介なものを持ちこんでくれた、と言える。

(聖木杖と一緒に、僕の亜空間にしまいこんでおくしかないな……)

 こんなものの対価など用意できない、とソランが言うと、ベールはただ住まわせて、食事を提供してくれればいいと言った。

『どうしてそうまでして、ここに住みたがるんだ?』

 ソランは心の底から不思議になって、訊ねた。

 今回の物はともかく、標準的な宝石などを用意すれば、もっといい人間がパトロンになってくれるだろう。そのくらいの交渉をできる頭は持っている。そして、これだけ言葉の通じる魔性相手なら取り合ってもいい、という奇特な人間は一定数存在する。

 ベールは、きょとんとした。

 ソランが、自分の持ってきたものを高く評価し、それゆえに、自分の依頼が小さなものに見えていることを悟った。

 ゆえに、言った。

『ヌシにとっては当たり前のことかもしれんが、我のような魔性にとって、ヒト族の〝創造性〟とは得難いものなのだ。ヌシらは、固いものを柔らかいものへ変え、破滅的な味を極上の美味に生まれ変わらせる。世界のあり方を、自らの力で変えてゆくことができる。凝り固まった因習と力による格付けに囚われた我らには、できんことだ。その〝未知〟を味わうことができるのなら、そのくらいの対価、我はなんとも思わん』

 物に釣られたわけでは、決して、ない。

 けれどソランは、ベールの滞在を許可することにした。

 この手元にあるレシピブックは、ベールのような存在に必要だと思うから。



 ――魔王バースは、〝ズルイ〟と言った。



 ソランたちの世界ばかり、キラキラしたものを手にしていると。

 そんな風に、魔性が自分たちを羨んでいることを、最後の最期で知った。

 魔王が朽ちていく、その間際になって。ようやく。

 歴代の勇者パーティがそうしてきたように、魔王は倒すものなのだと信じて疑っていなかった。

 けれど、もしかしたら、和平の道があったのかもしれない。

 彼らが欲しいと願ったものを、世界ごとあげるわけにはいかなくとも、その知識を共有し、輝くものをともに創っていけたなら、争う以外の道があったのかもしれない。そう思ったときには、もう、遅かったけれど。

 これからおよそ300年後に、再び魔王は生まれるだろう。

 そのとき、戦う以外の道を示せるように、魔性が戦いだけを望む存在とは限らないこと、そして魔王へこの世界の輝くもの魅惑したためていく。

 それが本当に役に立つのかを知る術はないけれど、幸いにも生きて帰ってこられた自分は、そうしなければならないと思った。

 ソランが魔王へ渡したいと思っているものを、その前に少しでも同じ魔性の存在が受け取ってくれるのなら、小うるさい黒竜を住まわせるのも悪くないか。そう思った。

 毎日毎日、面倒なことが多い。

 生きていくことが既に、面倒くさいと思うときもある。

 けれど、本の1頁1頁を埋めるように生きていくことが、生きる者の義務だというのなら、そこには少しでも輝くものを書き残していきたい。

 それが誰かのためになったのなら、より、い。

「さて……そろそろ休むか」

 ソランはレシピブックを閉じ、片付けを始めた。

 ベールは疲れたのか、早々に眠ってしまった。こちらの頭の痛さなど気にも留めず。

 けれど、そんなことで心労を増やしていたら、きっとこの先がもたない。

 だから、面倒ごとにも……、慣れていくしかないのだろう。

 ひとまずは。

「……明日の朝食は何にしてやろうかな」

 閉じたレシピブックの表紙をひと撫でして、ソランは苦笑するように小さく笑った。



 END









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