Recipe3 貴族のパーティーと銀鹿のソテー(3)



(精霊たちは、こっちのほうだと言っていたな)

 一時期滞在していた場所だが、すべてを把握しているわけではない。ソランは、精霊たちに道を訊きながらカテリーナを探した。

 やがて、白亜の回廊の近くでその姿を見つけた。

 既に兄のアレクセイが駆けつけていて、妹を気遣っている。

 カテリーナは、泣いているようだった。

「ひっく……ひっく……」

「泣かないでくれ、カテリーナ」

「だって、お兄ちゃん・・・・・……、お母様のくれた、ドレスが……」

 ソランは近くの茂みに隠れながら様子を窺った。

(ドレス……?)

 目を凝らすと、カテリーナのドレスのスカートが、赤ワインのようなもので汚れていた。ちょっとかかった、という程度ではない。土団子でも投げつけたような有り様だ。

「誰かがワインをこぼしてしまったんだよ」

 兄の言葉に、カテリーナはキッと悔しそうな眼を上げた。

「違うわ! 誰かがわざとかけたのよ! 信じられない! 孤児院の男の子のほうが、もっとはっきりいやがらせするわ。大人のくせに……ヒキョウよ!」

「……そうだね」

 泣きじゃくるカテリーナの後頭部を、アレクセイが撫でる。ソランは近場の木に背を預けた。

(……わかっていたことだ)

〝元庶民〟であるアレクセイとカテリーナは、「アーガスト」の名は名乗れても社交の場では軽んじられる。侯爵夫妻の気づかないところで、何度も嫌がらせを受けてきたはずだ。それを告げ口する性格でもない。

 ふたりとも、承知の上でこの世界に踏み入った。けれど、覚悟していればなんでも耐えられるというものでもない。特に、女の子であるカテリーナにとっては、養母に新調してもらったドレスを汚されるなど相手を蹴り飛ばしても足りないくらい悔しいに違いない。

 けれど、この世界では、叶わない。

 物事に囚われがちな人間たちと渡りあうためには、違う〝強さ〟が要る。

「……リナ・・。涙を拭いて、戻ろう。お父様とお母様が心配なさる」

「…………」

「お前の悔しい気持ちはわかるよ。でも、だからこそ負けちゃいけないんだ」

 アレクセイの凛とした声が、葉の擦れる音が微かに流れる庭で響く。

「僕たちは、孤児院にいた頃とは比べ物にならないほど、裕福な暮らしをさせてもらっている。でもそれは、お父様やお母様、多くの使用人の人たちからいただいたものだ。僕たちには、お父様たちの期待に応える〝義務〟がある。負けずに、いつか勝つ、義務があるんだ。そのために、できることを増やしていこう。涙を拭いて。悔しくても、笑顔を浮かべられるようになろう」

 カテリーナの充血した瞳が、兄を見つめ返した。

 アレクセイの覚悟は、妹のカテリーナよりもずっと固い。

 銀鹿のように。たとえ「黄金」ではなくても、その身はのものに勝るとも劣らない輝きを秘めている。

 階級や固定観念に囚われず、正しくその真価を見抜く味方が増えれば――アレクセイもカテリーナも、名門アーガスト家に相応しい人間になるのかもしれない。――誰よりも。

「……はい。お兄様・・・

 カテリーナは涙を拭い、懸命に微笑んだ。

 ソランはふいっと背を向け、その場から立ち去っていった。

「さあ、戻ろう――……あれ?」

「どうかなさったの、お兄様?」

 アレクセイが妙なことに気づいて、足を止めた。

「ドレスが……綺麗になってる……?」

「えっ!?」

 驚いてカテリーナも振り返ると、赤黒く汚れていたドレスが、確かに綺麗になっていた。ビーズの隙間にさえ、赤ワインの入りこんでいた様子はない。

「ど、どうして? さっきまであんなに、汚れてたのに……」

 ハッとして、アレクセイは近くを見回した。

 誰もいないけれど、風に乗って、微かに何かの料理の香りがした。かぐわしい、肉のソテーのような……。

「……どこかの優しい魔法使いが、魔法をかけてくれたのかもしれないね」

「えっ? 魔法使い?」

 不思議そうに目を瞬く妹に、アレクセイは笑ってみせた。



「何処に行っても、この世は、面倒くさい」

 行儀悪く銀鹿のソテーを食べ歩きしながら、ソランはパーティー会場に引き返していた。

 別に望んで得たものではないけれど、『偉人』の異名を持つ自分は、両手が塞がっていたところで魔法を使うことに支障はない。

「だけど、料理は美味いし……好きなものもある」

 数日間の出来事だけれど。

「面倒な外に出るのも……悪くないときもある、か」








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