Recipe3 貴族のパーティーと銀鹿のソテー(2)


   ***


 夫妻が夕刻を過ぎても戻らないようなので、子供たちで先に食事をとることになった。

 いつもと違う顔ぶれであることが楽しいのか、カテリーナが嬉しそうにテーブルへ話題を饗する。

 メインディッシュも終わりかけの、部屋のランプの影も濃くなってきた頃。

 バタバタと、騒がしい足音がダイニングに近づいてきた。

「――ソラーン!!」

 観音開きの大きな扉を音を立てて開き、立派な身なりの偉丈夫がダイニングに飛びこんできた。

「ああ、本当にソランだ! 来てくれたんだね~!」

 口元に白い髭をわずかに蓄えた貴族の男が、感極まった様子で椅子に座ったままのソランに抱きついた。この館の主でもある、ロンハウド・フォン・アーガスト侯爵だ。ソランは面倒そうな顔でもくもくと食事を続けている。

 前にも似たような光景を目の当たりにしたことがあるので、アレクセイもカテリーナもそれほど驚いていないが、異様な光景であることは間違いなく、さすがに食事の手は止まってしまっていた。

「あなた。埃が入ります。食事の席ではお控えなさい」

 続いて、貴婦人が扇子で口元を隠しながら入室してきた。

 吊り目がちで気難しそうな印象を受けるが、口元にシワができてもなお美しく、凜然としている。エリゼ・フォン・アーガスト夫人だ。

「ああすまない! つい嬉しくてね」

 アーガスト侯爵が、パッと手を放し、ニコッと笑う。

「デザートには間に合ったようだ。私たちも加わらせてもらおう」



 夕食後、ソランは侯爵の仕事部屋に招かれた。

せわしなくてすまないね。好きなところにかけておくれ」

 夜も更けてきたというのに、侯爵は書類と向かいあっていた。羽ペンを持つ手を休ませることもできないらしく、口頭で席を促してくれる。

「お忙しいようですね」

「初夏祭があるからね。そのために呼びつけてすまなかった。会わせてほしいと言う者が多くて――」

 給仕のメイドがサーブ用のワゴンをひきながらやってきて、夜用の香茶と皿菓子を用意して去っていった。

「隠匿している魔導士に会ったところで、なんにもならないと思いますが」

「滅多にお目にかかれないと、逆に会ってみたくなるものなのだよ」

「僕は稀少生物か何かですか」

「あながち間違っていないと思うがね」

 アーガスト侯は、ソランに遠慮がない。

「侯爵にはお世話になっていますから、断りはしませんが、僕を特別視するのもほどほどになさった方がよろしいですよ。侯爵にはもう、ふたりもお子様がいらっしゃるのですから」

「アレクセイもカテリーナも、あのくらいのことで気分を害したりしないさ。ふたりとも、良い子だ」

 ロンハウドがソランを特別視する理由は、ソランにも、実のところ侯爵自身にも、わかっていない。

 あれは、初めて会ったときのことだ。

 勇者パーティを結成するという知らせを聞いて、大陸全土で多くの戦士が名乗りを上げた。その中から、ソランは数々の選考を得て最終候補者に残ったが、最終選考の際、出自が不明確であることが問題になった。

 ソランの実力を考えれば問題にするだけ愚かだったが、国の上層部は頭が固く、一部の魔導士からはやっかみもあったのだろう。

 どうしたものかと困っていたとき、王宮を訪れていたアーガスト侯爵が、後見人になろうかと声をかけてくれたのだ。

 アーガスト侯爵夫妻は、周囲から羨まれるほど仲睦まじい夫婦だったが、子宝には恵まれなかった。

 いつか然るべきところから養子を取ろう、と夫婦で相談をしていたところだった。

 その日、ロンハウドは、ソランを王宮内の庭園で見かけた。

 よく晴れた日だった。庭園は光に満ち、眩しいくらい。光のカーテンが厚くかかった庭園に、ひとりの子供が佇んでいる。

 背格好も顔もよく見えないのに、どこかで見たような気がする。

 ソランが振り返った瞬間、彼は思った。


 ――〝私たちの子がいる〟と。


 どうしてそんな風に思ったのか、今でもそんな風に思えるのか、わからない。ただ、自分の中に朧げに浮かんでいた自分の子供の姿とソランの姿が、いつまでも重なって消えなかった。

 そんなこと、あるわけがない。自分でもそう思ったから、彼は後見人の話だけを申し出た。

 けれど、今も変わらず後見人を務めているのは、ソランとの繋がりを失いたくないからに他ならない。

「せめてゆっくりしていくといい。急いで帰る用事もないのだろう?」

 ソランのカップを持つ手がピタリと止まったことに、ロンハウドは気づいた。

「それとも、何か用があったのかな?」

「いえ……」

 冷めてきた香茶に口をつけながら、ソランは言葉を濁す。

(気になってるのは、エージュのことだ。あの黒いぬいぐるみ・・・・・・・のことじゃない)

 喉につかえているものを流しこむように、ソランは香茶を飲み干した。


   ***


 初夏祭エティバルは、夏の訪れを祝う季節祭の一種だ。

 貴族の邸宅で催されたり、村や街で開催されたりする。内容も様々だ。ある海辺の街では海神に祈りを捧げ、ある村では旬の野菜を食べまくったりする。いずれも初夏に行われるのが特徴で、それらの総称が「初夏祭エティバル」だ。

 バカンスのシーズンになり、開放的になる夏。特に貴族は、金に飽かしてパーティーを催しはじめる。初夏祭はそれらの先陣を切る催しとなるため、有力な貴族が開催することが多い。アーガスト家は毎年、ほとんど義務のようにその役を担ってきた。

 アーガスト家の初夏祭は、3日間にわたって開かれる。初日と2日目は昼のガーデンパーティー、3日目は夜会で舞踏会。めまぐるしく準備が行われた。

 ソランは最初、初日だけ出るつもりだったが、夜会にしか来ない貴族の中にソランと面識を得たい者が多いらしく、全日程出ることになってしまった。

 そして、初日のガーデンパーティーが幕を開けた。

 邸宅の中にあるとは思えないほど広い庭に、白いテーブルクロスをピンッと張った丸テーブルが幾つも並べられている。瑞々しい芝生に、白い水玉模様が描かれているかのようだ。

 アフタヌーンドレスで着飾った貴族たち、煌めくクリスタルのワイングラス、贅を凝らした料理の数々……胸焼けするほど、鮮やかな世界だ。

(貴族がウヨウヨしてるな……)

 アーガスト家の敏腕メイドたちによって髪を軽くかき上げて固め、グレーのフォーマルに身を包まされた・・・ソランは、小粒のダイヤのようにふと人目を惹く麗人に様変わりしていた。

 そしてそのまま、何人かの貴族と引きあわされた。

 家名は聞き覚えなかったが、話のところどころに宰相や顔見知りの大臣たちの名前が出てきたから、王宮と関わりの深い貴族たちなのだろう。

(だからといって、隠匿した身と顔見知りになったって、どうしようもないだろうに)

 むしろ、彼らのほうが王宮に知り合いが多いはずだ。

 しかし、侯爵の顔は立てなければならないので、話は合わせておいた。

(あと、料理は楽しみだ)

 ひとしきり話をして解放されると、ソランは料理の並ぶテーブルへと向かった。

 このために来たと言っても過言ではない。食べられるだけ食べておくに限る。アーガスト家の料理はいずれも口に合う。

 大鶏おおにわとりの丸ごとロースト、ベニ海老の蒸し焼き琥珀ジュレ添え、夏香キノコのムース、透き通る夏野菜のスープ、デザートもワインもてんこ盛り。大陸中の美味がテーブルでひしめいている。

 こんな催しがあると知っていたら、「あの黒竜」は、是が非でもついてこようとしただろう。

〝ヌシばかりズルイぞ! 我にも食べさせろ! 連ーれーてーいーけー!〟

 地団駄を踏んで駄々をこねるベールの姿が脳裏に浮かび、笑ってしまう。

 そんな自分に気づいて、ソランはハッとした。

「今、ソラン様笑ってた? そんなにおいしいお料理があったの?」

 カテリーナの声が、ソランを現実に引き戻した。

「いや……」

 カテリーナとアレクセイが、ソランを見つけてやってきた。

「どう? ソラン様。お母様が見立ててくださったドレスなの!」

 カテリーナがターンすると、黄色いドレスの裾がふわりと舞い上がった。

 初夏らしい、明るいレモンイエロー色のドレスだった。フレアスカートには淡濃とりどりのビーズで花や蔓草が刺繍されていて、シンプルながら華やかだ。膨らみのある袖はシースルーの生地で、清涼感があり、ドレスと同じレモンイエロー色のリボンが袖口に結ばれている。さすがはオーガスト婦人。カテリーナの天真爛漫な雰囲気を引き立てる、見事なドレスだった。

「似合うんじゃないか」

 カテリーナは嬉しそうに微笑んだ。

「本当? ソラン様もお似合いよ!」

「ええ、グレーのフォーマルがよくお似合いです」

 そう言うアレクセイは、純白のフォーマル姿が小さな貴公子のように決まっている。実際、同年代の少女たちからは王子様のように見えるようで、両親に付き従って参加しているご令嬢たちから、チラチラと熱い視線を向けられていた。

「ご一緒したいところですが、これからお父様とお母様のところへ行かないといけなくて」

「ソラン様、あとで一緒にお菓子を食べましょうね!」

「ああ」

 アレクセイとカテリーナを見送ると、ソランは再び料理の並ぶテーブルへ向かった。

 そこでふと、あるものが目に留まった。

 庭の一画に大型のコンロが設営され、ひとりの料理人が待機している。

 目の前で調理してくれるのだろう。面白い趣向だ。

 近づいていき、ソランは目を見張った。

「こ、この肉は……!」

 ソテー用の肉が、何気なく用意されている。

 牛でも豚でも鶏でもない。これは鹿だ。それも、サシの入り方、赤身の瑞々しい色から見て――「銀鹿ぎんじか」だ。

 銀鹿は、ただの鹿ではない。魔獣ではないが、魔種に近く、精霊種と見る研究者もいる。2本の角が銀に見えることから、この名がつけられた。

 聖棲森に程近い、豊かな森にしか現れず、狩る人間を選定する。自分を狩るに相応しいと認めた一流の狩人にしかその命を許さない、と言われている。

 これとほぼ同じ特性を持ち、かつ最も貴重と言われる「黄金鹿おうごんじか」と呼ばれる種類もいるのだが、これは王族へ献上される。貴族の口にすら、入ることはない。

 銀鹿は、ランク的には黄金鹿に劣るが、味に大きな違いはないとも聞く。ともかく貴重な肉だ。

 しかし、その存在に気づいたのはソランだけだった。どこかに看板が出ているわけでもないから、誰もこれが銀鹿だと気づいていないのかもしれない。

 ソランは、コンロの前で待機している料理人に問いかけた。

「これは、銀鹿じゃないか?」

 手持ち無沙汰にしていた若い男の料理人は、嬉しそうに破顔した。

「ええ! 仰る通りです。侯爵が特別に用意されたものなんですよ」

「調理前の肉だけでは、誰も銀鹿だと気づかないだろう。それでいいのか?」

「はい。侯爵様は、その真価に気づいた方にだけ召しあがってほしいようです。銀鹿とまではわからなくても、本当にものを見る目が養われていれば、見ただけでいい肉だとわかるはず、とおっしゃっていました」

「……卿らしい趣向だ」

 貴族の世界は、華やかだが、どこを見ても華やかだから、より華やかなものに目が行く。

 その中にぽつんと佇む変哲のないものには、見向きもしない。それがどんなに、貴重なものでも。

「ですがあなた様は、真価がわかるようですね。ひと切れ、いかがですか?」

 にこやかに微笑みかけられ、ソランも唇を緩めた。

「――ひと切れと言わず、5切れもらおうか」

「かしこまりました」

 澄んだ風の中に、肉の焼けるいい香りが漂いはじめた。

「お待たせしました」

 やがて、かぐわしい香りを漂わせるひと皿がソランの前に差し出された。

 付け合わせの野菜のマリネを従わせながら、銀鹿のソテーが厳かに鎮座している。

「もぐ……っ、……!」

 まず、その肉の柔らかさに驚いた。

 肉厚なのに余計なスジがなく、柔らかい。それに、塩と胡椒という単純な味付けのはずなのに、各種のハーブをすりこんだような、清々しい香りがした。滲み出る脂は、いっそ甘い。

 他のどんな肉とも違う芳醇な旨み。独り占めしたくなる美味さだった。

「赤ワインが欲しいな……」

「えっ? いけませんよ、たとえ貴族の方でも、子供がお酒を飲んでは――」

「……僕は23だ」

 ええっ!と驚く料理人にそっぽを向いて、ソランは残りの肉を堪能しようとした。

 すると……。

「キャッ……!?」

 聞き覚えのある声が、小さく叫んだ気がして、ソランは振り返った。

 思った通り、カテリーナだった。侯爵夫妻やアレクセイと離れて行動していたのか、ひとりだ。

 ほとんど人混みのような場所で、震えている。誰も気に留めていないが、何かあったようだ。

「……?」

 どうしたのだろう、とソランが一歩踏み出す。

 それとほぼ同時に、カテリーナが人混みから駆け出した。

「カテリーナ……?」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る