Recipe3 貴族のパーティーと銀鹿のソテー(1)



「それでは、失礼いたします」

 部屋から退室し、扉を閉めるのと同時に、アリッサは肩に緊張が圧しかかっていたことを自覚した。

 今しがた出てきたのは、宰相ヴェネルラウトの執務室だ。宰相に、先日の「任務」の結果を伝えていたのだ。

 宰相ヴェネルラウトは、高齢ながら眼光鋭く聡明で、王からの信認も厚い。この国で上から数えたほうが早い身分の人物と相対していたのだから、緊張するのも無理はなかった。

 アリッサは部屋が持つ威圧感に押されるように、その場から立ち去っていった。

「はぁ、緊張した……」

 アリッサは赤薔薇騎士団の団員だが、騎士でありながら、男爵家の令嬢でもある。

 けれど、団長や副団長のように特別な役職に就いているわけではないから、普通なら宰相と対面して話す機会自体ない。

 アリッサが度々ヴェネルラウトに謁見することになる理由は、ひとえに彼女が、ソラン・ヴェル=アーガストの伝令役だからだ。

 ソラン・ヴェル=アーガストは、世界でも数えるほどしかいない「偉人」のひとり。「偉人」の称号は、魔王討伐を成し遂げた勇者パーティのメンバーに与えられる習わしになっている。例にもれずソランも、今代の勇者パーティの一員だった。

 隠棲を決めこもうとしていたソランに、ヴェネルラウトは「王命魔導士」の職を与えた。抜け目ない宰相は、大陸でも有数の魔導士であるソランの力を、むざむざ宝の持ち腐れにはしなかったのである。

 王命がない限りは自由に過ごして良い。代わりに、定期的に伝令役が様子を見に行く、ということになった。

 王宮勤めの騎士や魔導士から選抜された伝令役の候補者の中から、アリッサは選ばれた。ソランの命を受けて、精霊が〝最も相応しい者〟として選んだのだ。

 そのときのことを、アリッサはよく覚えている。

 精霊の宿った紙の鳥が、自分の手の平に舞い降りたときのことを――。

『名前は?』

『あ……アリッサ・ベルと申します!』

『……よろしく、アリッサ・ベル』

 ソランは、少年とも見紛うほど幼い容貌だが、自分よりもよほど大人びて、落ち着いていた。

(ソラン様は、今でもこの国にとって大事なお方。大切な役目を仰せつかったのだから、私も頑張らないと!)

 王宮の窓から空を見上げると、初夏に向かう清らかな日差しが、濃い青空に光のヴェールを被せている。

「初夏の旅行にぴったりの天気。……そういえば、ソラン様も今度、アーガスト領に行かれるとか……」

 面倒くさがりで聖棲森を出たがらないソランが、ほとんど旅行のような距離を移動するのは珍しい。

 大事な用があるのだろうけれど、「アーガスト領」という時点で、アリッサには理由がなんとなく察せられた。



 一方その頃、ソランは箱馬車に乗っていた。

 旅行の装いだった。いつも羽織っている黒い魔導士のローブと同じ色合いだけれど、横に畳んで置いてあるマントも、上下の旅装も上質なもので、貴族の装いと遜色ない。ソラン自身は気負いなく、暇潰しに魔導書を読んでいる。

 箱馬車は、馬2頭で牽かれ、どんどんと先に進んでいく。また、大きいだけでなく、内装も凝っていた。夜でも明るいように四隅には金の縁取りのランプが取りつけられ、座席はベッドにもなりそうだ。

 この箱馬車で、あと半日は移動しなければいけない。

 自分で飛んでいくこともできるだけに面倒なのだが、「相手」が相手なので、用意してくれたものを無碍にするわけにもいかない。

『――ソラン様』

 足下から、ノクターンの声がした。

 ソランと従魔契約を交わしている黒翼馬こくよくばのノクターンは、ソランの影を媒介にいつでも現れることができる。

 外に出なければ、そこにいることも周囲にはわからない。

『お捜しの黒竜ですが、わたくしが捜せる範囲では、見つかりませんでした』

「……そうか」

『しかし、巨大な魔素の吹き溜まりなども見当たりませんでしたから、何かに巻きこまれた可能性も低いと思われます。探索を続けますか?』

 ソランは目を閉じ、魔導書も閉じる。

 再び開いたとき、柘榴石ガーネット色の瞳は端然としていた。

「――いや。なら、森を出ていったんだろう。あとは、エージュの様子だけ時々見に行ってやってくれ」

 従順な従僕は、余計な口を利かなかった。

『かしこまりました』

 ノクターンの気配が消えると、ソランは魔導書を傍らに置き、車窓から外に目をやった。

 刻々と見慣れない景色に変わっていく。ここまで遠出をするのは、フェイドたちと旅をして以来だ。

(黒竜め、手間をかけさせて……。しかし、出ていけと言ったのは僕だ。木の枝に引っかかって動けなくなっているのなら目覚めも悪いが、そうでないのなら……もう構うこともないだろう)

 ベールが〝対価〟を探しに出ていってから、3週間が経過していた。

 知人と呼べるかも怪しい相手だが、突然いなくなったのと同じようなものだから、さすがにソランも気になってノクターンに捜させた。

 しかし、トラブルがあったわけではないのなら、諦めて山に帰ったのだろう。そう判断し、それ以上考えることを止めた。

(いつまでも気にしているわけにもいかない。いささか気疲れする〝仕事〟もあるしな)

 箱馬車は、ヴェルト大陸の中央を流れるレヴェ河を越して、東へ東へと走っていく。

 そうして最初に辿り着くのが、アーガスト侯爵が治める、アーガスト領である。


   ***


 広大なヴェルト大陸は、王家の直轄地や深き山々、北雪山脈を越えた先にある少数民族の集落を除き、複数の領地に分けられ、侯爵家ないしは伯爵家によって治められている。

 多くの貴族は、かつて魔王との戦争で功績をあげ、その土地と地位を得た。

 より広い統治範囲を持つ貴族ほど力が強く、名門あるいは名家と呼ばれる。

 アーガスト侯爵家は、聖リュンヌ守護国でも三指の指に入る規模の領地を持つ、名門中の名門だ。

 現在の当主は、ロンハウド・フォン・アーガスト。57歳とまだ若く、精力的に執務を行っている。

 適齢期にはご令嬢たちが競いあったほどの美丈夫のうえ、社交的で明るい。国の中枢においても、彼を悪く言う人間はいなかった。

 屋敷へ向かうまでの道の途中、ソランは左右に広がる青々とした畑や、そこで働く人々を目にした。

 侯爵の人柄を表すかのように、誰もがやる気に満ちて、笑顔だった。

 近くの街で軽く昼食を済ませ、ソランはアーガスト邸へ向かった。

「ようこそおいでくださいました。ソラン様」

 そう言って恭しく迎えてくれたのは、執事長のセバスチャンだった。

 ロンハウド卿が幼い頃から仕えているという最年長の執事で、屋敷のことをすべて把握している。

 かつてソランがこの屋敷に滞在したとき、よく面倒を見てくれた気心の知れた相手だ。

「お久しぶりです。また厄介になります。……ロンハウド卿は、お留守ですか?」

 今日到着するということは伝えてあったため、着くなり盛大に迎えられることを覚悟していたソランは、少々拍子抜けした。

「申し訳ありません。旦那様と奥様は、急遽『初夏祭エティバル』の打ち合わせが入りまして……。夜には戻るので、ソラン様をよくおもてなしするように、と仰せつかっております」

「そう大事おおごとにする必要はありません。とうにこちらと縁が切れていてもおかしくない身です」

「とんでもございません。ソラン様とゆかりのあることは、当家にとっても光栄なことでございますから。さ、お荷物をお持ちしましょう。お部屋へご案内します」

 どこを見渡しても立派なエントランスホールだった。広くて、豪華で、泥のついた靴でなど入れない。

 出自もはっきりしない孤児院出の自分がこんなところに足を踏み入れるなど、変な感覚になる。

 もっとも、今この屋敷には、〝同じ感覚を抱いている者たち〟が他にもいるだろうから、思うだけ野暮か、とソランは独り言ちた。



 家の紋章に赤薔薇を持つアーガスト家は、多くの庭園を構えている。

 植物園にも劣らない規模のローズガーデンや季節の花々の咲き乱れる庭園が、広い敷地内に幾つもある。

 庭園には、雨風を凌げるガゼボや、アフタヌーンティー用のガーデンセットが設けられている。そこでお茶をする日課があり、客人をもてなすための庭園もあった。

 ソランは荷物を部屋に置くと、賓客用の庭園に通された。

 初夏が盛りの鮮やかな花々が、色とりどりに咲き誇っている。

 ガーデンセットには、お茶の用意がされていた。正統派のケーキスタンドに、サンドイッチ、スコーン、タルトなどが綺麗に並べられ、香茶のいい香りが漂っている。

 香茶を淹れたあとは、給仕役が気を利かせて下がってくれたため、ソランは甘い花の香りとアフタヌーンティーを堪能することができた。

(僕などに気を回す必要なんて、ないんだがなあ……)

 周囲の評価とは裏腹に、ソランは自己評価が低い。

 幼い頃から精霊が見え、言葉と同じくらい気安く呪文を操ることができた。ありとあらゆる魔法が使いこなせたから、魔法の力だけは、自分でも認めている。

 実際、強すぎる魔力は身体に害を与えるとかいう建前で、国からは魔力封じを施されている。この「封じ」は、ソランが生命の危機に陥るか、国王か国王に認められた者が解除しない限り外されることはない。

 そのくらい念を入れるほどの力は認めているが、それ以外に自身に見るべき所はない、と、当人は思っている。

 お世辞にも社交的ではないし、極度の面倒くさがりだし、魔法以外に特技もない。

 魔王討伐後、まだ生きていることを実感したとき、『あれ? 他にすることあったっけ?』と思ったくらいだった。

 おかげで今でも、何をしたらいいのかわからない。

 こんな適当な人間に、お貴族様のフラワーガーデンでのアフタヌーンティーなど分不相応だ。

(けどまあ)

 ソランは、ケーキスタンドのスコーンに手を伸ばした。

 スコーンはまだほんのりと温かく、ナイフと手で簡単に割れた。屹立する断面に真白いクリームチーズと赤黒いラクベリーのジャムを塗る。はぐ、と噛んだ瞬間、クリームチーズのまろやかさとベリーの甘酸っぱさ、スコーンそのものの芳醇な焼き菓子の香りが咥内で混ざりあって、香茶が進む。

(食べ物に罪はないしな)

 時には、こういう「役得」もある。

 食べ物に関して、ソランはかなり、いや大分、現金だった。

「ソラン様~っ!」

 遠くから、鈴の音のような声が聞こえてきた。

「本当にソラン様だわ! 着いてたん……いらしてた、んですね!」

 庭園に子ウサギが紛れこんだかの如く、ひとりの少女が現れた。

 見かけだけをいうとソランよりふたつくらい下。10歳くらいだ。

 豊かなロングウェーブの金髪を持つ、本当に子ウサギのような愛らしい顔立ちの少女だった。

 レースをふんだんに使った小花模様のドレスを纏い、ロングウェーブの髪も白いレースのリボンで飾られている。

 白く健康的な肌、小麦を思わせる豊かな淡い金髪ブロンド。艶やかな睫毛に縁取られたぱっちりと大きな瞳は、青が勝ちがちの碧眼だ。

 彼女の快活な愛らしさの前では、庭園の花々も主役を譲る。誰もが目を奪われしまうほど可愛らしい、リトル・レディだった。

 ソランはガーデンチェアから立ち上がると、丁寧に礼をとった。

「お久しぶりです。カテリーナ・フォン・アーガスト嬢」

「ソラン様ったら、相変わらず堅苦しいんだから。ソラン様はお父様のお客人で、とっても偉い方なんだから、わたしなんかに頭を下げなくていいんですよ?」

「いいえ。自分とカテリーナ嬢では、身分が違いますから」

 カテリーナは、ぷくりと頬を膨らませた。

「違わないわ。だって、わたしも……ソラン様と同じ、元平民・・・だもの」

 カテリーナには兄がいる。仲睦まじい兄妹は、子供のいないアーガスト侯爵夫妻によって孤児院から引き取られた。

 そもそも兄妹が孤児院で暮らしていたのは、夫を亡くした実母が、経済上や健康上の理由から孤児院に預けざるを得なかったからだという。出自がはっきりしていることと、侯爵家に見あう素養の持ち主であることから、ふたりは侯爵家に迎えられた。

 貴族のような話し方にも振る舞いにも慣れていないからか、カテリーナは時々口調に詰まる。貴族として扱われることにも、まだ抵抗があるようだった。

「今後は、そう扱われることも増えるでしょう。〝偉ぶり慣れて〟おいたほうがいい」

「ふふっ!」

 しれっとした顔でそんなことを言ったのが面白かったのか、カテリーナが笑った。

「じゃあ、ソラン様も、もっと偉そうになさったら? 『偉人様』なんでしょう?」

「僕は、もう隠棲してるからいいんだ」

「もったいないわ! ソラン様がいるんなら、わたし社交界も楽しめそうなのに」

「冗談じゃない」

 社交界など、世界で2番目くらいに関わりたくない世界だ。

「お兄様はまだお勉強の最中なの。わたしもご一緒していい?」

 ソランはガーデンチェアに座り直すと、香茶のカップを取り、逆の手の人差し指で、ひらりと宙に軌道を描いた。

 すると、正面にある重たそうな青銅製のガーデンチェアがふわりと浮き、カテリーナが座りやすい位置で着地した。

 カテリーナの目が、キラキラと輝く。

「すごーい! ソラン様、しばらく滞在なさるんでしょう? わたしにも魔法を教えてください!」

「侯爵令嬢が魔法を使えたってどうしようも……」

「使えないよりはいいわ! パーティーで出し物ができるかもしれないでしょう?」

 こういう考え方になるところが、まだ侯爵令嬢らしくない。

 だが、いつかは失われてしまう無垢な心を、〝面倒〟のひと言で終わらせてしまうほど、ソランも鬼ではない。

「侯爵夫人の了承が得られたら、構いませんよ」

「うっ、ずるいわ! お母様が許してくださるわけないもの~!」

 裏表のないカテリーナとの会話が、ソランは嫌いではない。

 もっぱらカテリーナが話し、ソランが聞き役、という形だけれど、ふたりはしばらくお茶と話を楽しんだ。

「――カテリーナ、楽しそうだね」

 1鐘刻も経たない頃だろうか。もうひとりの侯爵子息が現れた。

「お兄様! お勉強、終わったの?」

「うん。――お久しぶりです、ソラン様」

 彼は、アレクセイ・フォン・アーガスト。アーガスト侯爵夫妻が引き取ったもうひとりの養子で、カテリーナの実兄だ。

 物腰柔らかで、カテリーナ同様見目麗しい顔立ちをしている。

 カテリーナより、ふたつくらい上。瞳の色は妹と比べて緑が勝ちがちだが、髪の色は同じ。整った顔立ちにも共通点が多く、血の繋がった兄妹であることがわかった。

 しかし、カテリーナがどこか貴族になじめないのと違い、彼は元から貴族だったと言われても信じてしまう、一種の品格があった。

 成長したらきっと、養父と同じようにご令嬢たちの心を奪うだろう。

「アレクセイも、元気そうで何よりだ」

「ありがとうございます」

 アレクセイは嬉しそうに微笑むと、いつの間にか勧めるように引かれていたガーデンチェアに座った。

 国から称号を与えられた魔導士(見た目は少年)と、名門貴族の兄妹。一見、華やかな集まりだが、3人とも「実は元平民」という藁の紐のような共通項で繋がっている。

「ソラン様は、いつまで滞在するご予定なの?」

初夏祭エティバルの翌日までだ。翌々日の朝には発つ」

「え~っ! そんなに早いの? もっといらっしゃればいいのに~」

「大丈夫だよ、リナ。きっとお父様が止めてくださるさ」

「そうか、そうよね!」

「現実しそうだからやめてくれ」

 出自が似ている。だから――というわけではないと思うけれど、この兄妹は妙にソランに懐いていた。ソランは、彼らがアーガスト家の養子になるより前に侯爵に後見人になってもらったから、「先達」としても頼りにされているのかもしれない。

 今回、ソランは「初夏祭エティバル」と呼ばれる、夏の訪れを祝う貴族のパーティーに招かれた。

 ソランと顔見知りになりたい貴族たちが、アーガスト侯爵に来賓として来てもらえないかと、ねだったのだ。

 アーガスト家と繋がっていることによって、今回のように貴族の催しにも引っ張り出されたりする。至極、面倒くさい。

「初夏祭の2日目は昼に行われるから、子供わたしたちも参加できるの。お母様が素敵なドレスを仕立ててくださったのよ。ソラン様、きっと見に来てね!」

「わかった、わかった」

「ソラン様は、リナに弱いですね」

「それは君もだろう」

「ふふ、そうかもしれませんね」

「なんのお話~?」

 夏を迎えようとしている新緑と花々に囲まれた庭で、この兄妹と飲むお茶は美味しい。

 ならまあ、いいか、と、ソランは無数の香りと楽しげな声に包まれながら思った。








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