Recipe2 お姫様抱っこと苺のタルト(2)


   ***


 翌日。穏やかな青空が広がる午前中。

(黒竜の奴、昨夜は戻ってこなかったな)

 ソランは、外出の準備を整えて、コテージ前の前庭ぜんていに立っていた。

 広い前庭は、短く刈り揃えられた緑の芝生と土の面とが、斑に入り交じっている。創作魔法の試作や試し撃ちをしているうちに、牛柄の庭になってしまったのだ。

(〝こいつ〟を喚ぶのは、久しぶりだな――)

 ソランは魔力で親指の「爪」を強化すると、人差し指の先端を小さく切った。

 プツッ……と、血の玉が浮かび上がり、指の側面を伝い、地面に落ちていく。落ちた先から地面に、魔方陣が皎々こうこうと赤い光で描かれていく。

 表界と異界が接続リンクした。異質なもの同士が繋がった証拠に、膨張した魔力が風となってソランのマントや髪を巻きあげる。

「『我が喚び声に応えよ――〝黒翼馬こくよくば ノクターン〟』」

 遠くから、馬のいななきが聞こえてきた。

 赤い光で描かれた魔方陣、その中央から、翼を持つ1頭の黒翼馬が姿を現した。

 その躰は夜の海のような深い黒、瞳はアクアマリンのごとく澄んだ水色だった。

 黒翼馬はその美しい瞳でソランを見つめると、嬉しそうに目を細めて口を開いた。

『お久しぶりで御座います。ソラン様』

「ああ」

『なかなかお喚びいただけないので、寂しゅう御座いました』

 そう言いながら、ノクターンがソランの首筋に擦り寄った。ソランはそのくびを優しくたたく。

「悪かったな。街へ行く機会もあまりなかったから」

『では、今日向かう先は「食の都」で?』

「あぁ。……どこかの黒竜がやたら食べるせいで、食料が減ってきたからな……」

『黒竜……?』

 不思議そうに首を傾けるノクターン。説明するのも面倒なので、それには取りあわないでおいた。

「頼めるか?」

 ソランの問いに、ノクターンは当然です、という顔になった。

『もちろんで御座います。従魔の契約を交わしたときから、わたくしはソラン様のもの。いかようにもお使いください』

「……では、そうさせてもらう」

 ソランが手を閃かせる。

 すると、どこからともなく鞍やあぶみなどの馬装が現れて、ノクターンを包みこんだ。

 鐙に足をかけて、ソランが音もなくノクターンの背に騎乗する。

「西の街門を目指してくれ」

『――かしこまりました』

 手綱を引くと、優美な黒馬こくばが、青い空に舞いあがった。



 森が徐々に、実際にはもの凄い速さで、後ろへと流れていく。ソランは黒髪を微風に撫でられながら、東にあるカルブロッツを目指した。

 カルブロッツは、聖リュンヌ守護国の三大都市に数えられている街だ。

 王都と海運都市の中間にあり、交易路の中心に座していることから、様々なものが手に入る。特に食材は、山の幸も海の幸も集まってくる。その豊富な食材を新鮮なうちに調理しようと料理人が集まり、街が大きくなっていった。多くの料理店でひしめくカルブロッツは、今では「食の都」として知られている。

 やがて、カルブロッツが見えてきた。

 南東に、料理店の多いキュイジーヌ・エリアが、北西に、冒険者ギルドが中心になって区画を広げた冒険者エリアがある。このふたつのエリアをぐるりと城壁が囲み、斜めにした雪だるまのような形になっていた。

 ソランは、適当なところで草地に下りるよう、ノクターンに言った。

「ここからはいい」

 心得たようにノクターンが長い首を垂れる。

『かしこまりました。影に潜んでおります』

 ノクターンの大きな体躯が、音もなくソランの影の中に入っていった。

 西の街門は開け放たれ、開門を待っていた人々が入場しはじめていた。

 街の住民ではない商人や、帯剣している冒険者、旅行者は列に並ぶ。ソランもそうだが、彼らは、街に入る前に身分証明書を提示することになる。

 幸い、列はさほど伸びていない。ソランは最後尾に並んだ。

「次!」

 門兵が、大きな声でソランを呼んだ。

 身分を証明するための身分証明書は、複数の種類がある。冒険者ギルドや商人ギルドが発行している各ギルド証、直前に立ち寄った街の庁舎で発行してもらった旅券証、国が発行した公的身分証などだ。

 ソランが持っている身分証明書は、これらのどれでもない。

「――これは……」

 証明書を目にした門兵が、たじろいだ。

 ソランが提示したものは、五角形のメダルに薔薇の文様。名門アーガスト侯爵家が発行した特殊身分証だった。

「……確認させていただいてもよろしいですか?」

 丁寧に問われて、ソランはうなずいた。

 侯爵家などの上級貴族が発行した特殊身分証は、特殊な魔法がかけられている。魔石の台座に置くと、任意の光を放つのだ。

 アーガスト侯爵家の場合は、赤い光だ。

 門兵が魔石の台座にメダルを置くと、刻まれた薔薇ごと美しい赤光を放った。

「確認いたしました。どうぞ、お通りください」

 ソランはメダルを胸元にしまうと、カルブロッツへ入場した。

 ソランは、孤児院で育った。赤ん坊の頃に孤児院の前に置いていかれたから、親が誰かもわからない。

 しかし、勇者パーティのメンバーが孤児というのは、少々体裁が悪い。

 その時、アーガスト侯爵が後見人にと名乗りをあげてくれたのだった。

 子供好きの気のいい人物で、ソランが役目を終えた今も変わらず後見人でいてくれる。

 アーガスト家の身分証がなければ、ソランは諸々の手続きを踏んで国に公的身分証を発行してもらうか、「胸のペンダント」を使う羽目になった。

 彼が後見人になったことで〝しがらみ〟も増えたが、これだけでも、侯爵には感謝している。

「さて……どこから回ろうかな……」

 せっかくだから、魔導の材料も見ていきたいが。

 ソランは、ひとまず食料の豊富な市場マルシェへ向かった。



「まいどありぃ!」

 ソランは購入した食材を、買った先から異空間にある魔導具箱マジックボックスへ入れていった。

 魔導具箱には、生き物以外のものなら、なんでも入れられる。時間が流れていないので、肉や魚の鮮度もバッチリだ。

 その代わりに高価なものなので、異空間に専用の領域を作ることのできる高位の魔導士か、大枚を持つ貴族や上位の冒険者くらいしか持っていない。金銭で購入する場合、領域は金額に比例する。ソランは自分で作成した。容量はほぼ無制限だ。

「さて、次は魔材か……。冒険者エリアの方が揃っていたな」

 すい、と足の向きを変える。

 キュイジーヌ・エリアと冒険者エリア。ソランは、ふたつのエリアの中間に位置する中央広場に戻り、そこから冒険者エリアに足を踏み入れた。

 昼時ということもあってか、冒険者の姿が多かった。帯剣している剣士や屈強な獣人族も多く、途端に周囲がむさ苦しくなる。

 この中において、ソランは無害な一般人に分類されている。

 そういう「隠蔽魔法」を使っているからだ。

 『偉人魔導士』の称号を持つソランは、一部の人間に顔が割れている。

 カルブロッツには、冒険者ギルドの支部のひとつ、カルブロッツ支部がある。支部のギルドマスターは、間違いなくソランの顔を知っている。ソランが近場に住んでいることを知ったら、何を頼んでくるかわからない。

 厄介事からのがれるため、カルブロッツに来るときは必ず隠蔽魔法を使う。

 おかげで、ソランを注視している者は全くいない。

 とはいえ、冒険者エリアにはあまり長居したくなかった。荒っぽい冒険者や変わり者が集まるせいで、諍いが起こりやすいのだ。

(さっさと買い物を済ませてしまおう)

 と、思っていたら……どこからか、いい匂いが漂ってきた。

 大通りのあちこちに屋台が出ている。そこのひとつが、景気のいい音を立てながら肉を焼いていた。

 ツツ……と近づいていくと、魔物肉の串焼きのようだ。

「グレートベアの串焼きか」

 「食の都」と呼ばれているカルブロッツだが、魔物肉は、キュイジーヌ・エリアでは一部の高級店しか扱っていない。けれど、冒険者エリアでは逆に、屋台でもよく見かける。ギルドによって大量に手に入るからだ。

 品質は比ぶべくもないが、チープな魔物肉もそれはそれでうまい。

 炭が起こす熱気と格闘していた店主が、ソランに気づいて、明るく声をかけてきた。

「1本どうだ、ボウズ! うまいぞ!」

(僕は23だ)

 相変わらず子供と間違われることに心の中でツッコミを入れながら、指で「3」を示す。

「3本くれ。あと、飲み物にクードの果実水を」

「あいよっ!」

 少し歩いたところに花壇があったので、腰をかけた。

「魔物肉は久しぶりだな」

 焼きたてでまだ熱く、いい匂いと肉汁をしたたらせている。

「はぐっ……」

 熱い肉から、独特の香りと、パンチの利いた肉汁が溢れてきた。

「もぐっ……面白い、香辛料……もぐ……だな。焼き加減もちょうどいいし、グレートベアの臭みがいい感じに旨味に変わっている。うん……もぐもぐ……」

 カルブロッツに来たら、屋台は鉄板の立ち寄りスポットだ。

 食事系からスイーツ系まで、甘いものからしょっぱいものまで、ないものなどない、というくらいたくさんの屋台が出ている。

 1日どころか1週間あっても食べきれない。カルブロッツが「食の都」と呼ばれる所以ゆえんのひとつだ。

 ソランは、早く立ち去りたかったことも忘れて串焼きにひたった。

 果実水に使われているクードの実は、甘酸っぱい果汁が特徴の赤い果実だ。これを砂糖と煮詰めて作った濃厚なシロップを冷たい水で割ったものが、クードの果実水。口の中をサッパリとさせることから串焼きの「おとも」の定番と言われる。

 果実水の入れ物は、白葉粘土のカップだ。これは、道端にある専用のゴミ箱に放る。白葉粘土のカップは、砕くといい肥料になる。

 串焼きを食べ終わる頃には、冒険者の数がいよいよ増えてきた。

 任務クエストから帰還したらしい一団もいる。

(そろそろ行くか)

 ソランは腰を上げかけ――不意に止まった。

(――なんだ? 今、微弱だが、魔素が乱れた気が……)

 常人はまず気づかないレベルでだが、確かに魔素が一瞬乱れた。

 しかし、周囲に変わった様子はない。

(ひとまず問題はないか?)

 そう思い、足の先を本来の目的地のほうへと向ける。

 ――すると、聞こえるはずのない声が、ソランを呼び止めてきた。

「ソラン様?」

「……アリッサ・ベル!?」

 昨日会ったばかりの赤薔薇騎士団のアリッサ・ベルが、きょとんとした目でソランを見つめていた。

 装備を着けているから、視察の最中なのかもしれない。

「カルブロッツに来ていらしたんですね」

 思わぬところで思わぬ相手と再会して、アリッサは嬉しそうだ。

「お買い物ですか? それとも、冒険者ギルドへ?」

「か、買い物で……」

「そうなんですか。そういえば、ソラン様は魔材の目利きでもあるとか。もしよろしければ、ご一緒させていただけませんか?」

「き、君は仕事があるだろう。視察中なんじゃないのか?」

「ちょうど終わったところなんです。……ご迷惑でしょうか?」

 赤薔薇騎士団の簡易装備を着けているとはいえ、慎ましくも〝お願い〟するアリッサは、可憐な乙女そのものだ。薔薇のごときかんばせにチラチラと視線を送っている男たちも多い。

 ソランの中で、警鐘が鳴りはじめた。

(……ま、まずい……!)

 こんなところで顔見知りと遭遇するなんて。

 しかも、よりによって、こんな目立つ人間・・・・・・・・と。

 ソランは今、自分に隠蔽魔法をかけている。ごく弱いものだ。

 カルブロッツは人が多いので、気配を隠すくらいなら、これで十分だった。

 しかし、アリッサのような「目立つ人間」が近くにいると、話が違ってくる。

 アリッサが注目されると、ソランも一緒に注目される。すると、弱い隠蔽魔法の効果がせてしまうのだ。

 すぐには、気づかれないかもしれない。

 けれど、ここは冒険者ギルドのお膝元だ。

 目敏いギルドは、ソランが近くに住んでいることを嗅ぎつけるかもしれない。

 高ランクの依頼に常時手を焼いているギルドは、不条理なくらい人手を欲している。

 見つかったら、終わりだ。こき使われるに決まっている。

「あ、アリッサ・ベル。悪いが今日は急いでいて――」

 ソランが断りをみなまで言う前に――遠くで悲鳴が上がった。

「!?」

 悲鳴を聞いて、アリッサが即座に戦闘態勢に入った。

「なんだ!?」

 悲鳴は遠くで連続して上がっている。

「申し訳ありません、ソラン様! 失礼します!」

 アリッサは、足に《強化》をかけると、バネのように民家の屋根に跳び上がって、騒ぎが起きている方へと跳んでいった。

 悲鳴とともに流れてくる風から、強い魔力を感じる。

「……これは……どこかで何かを起動させたな」

 冒険者ギルドには、珍しかったり古かったりする魔導具が集まりやすい。それを誤作動させて騒ぎになることが、年に何度かあるという。

「…………」

 アリッサが現場に向かった。ギルドでも対応が始まっているはずだから、時間をかければ騒ぎは収まるだろう。

 ギルドに嗅ぎつけられたくない今、騒ぎの中心に向かうのは愚かしい。

 しかし――。

「……さすがにこれを面倒くさがるようでは、『偉人』の称号を返上しなければいけないだろうな」

 ソランはひとつため息をつくと、影の下へと呼びかけた。

「ノクターン、先に行って対処しろ」

『かしこまりました』

「――来い、魔法杖ロッド

 そして、異空間から魔法杖を取り出すと、それに乗って、文字通り現場へ〝飛んで〟いった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る