Recipe2 お姫様抱っこと苺のタルト(1)



 タイを締めて朝の身支度を終えると、ソランは机の引き出しからひとつのケースを取り出した。

 濡羽色のベルベット生地でできた、美しい四面体のケースだ。手のひらに収まるくらいのサイズの。

 登録した魔導士の魔力を通さなければ開かない、厳重な造りになっている。防犯装置セキュリティーを施すほど厳重なものが収められているということだ。

 果たしてその中にあったものは……金細工のペンダントだった。

 金貨のようにも見える円形の聖金製のペンダントには、聖リュンヌ守護国を治めるエルエルム王家の紋章が彫りこまれている。

 ソランはそれを首からかけ、外から見えないようにベストの中に仕舞うと、自室を後にした。



おはようグースト、エージュ――」

「おお、起きたか! 先に食べているぞ、ソラン!」

 ダイニングから聞こえるはずのない〝他者の声〟が聞こえたので、ソランの片眉がピキリ、と吊り上がった。

 ソランが創作魔法で生み出した魔導の従者「影従エージュ」は、声を持たない。彼の声ではない。

 嫌々向けた視線の先。ダイニングテーブルで、黒いトカゲのような生き物が、おいしそうにフカフカのくるみパンを頬張っていた。

 ソランは眉間にシワを寄せ、エージュの引いてくれた椅子に腰かけて、言った。

「いつまでここに居座る気だ。黒いトカゲのぬいぐるみ」

「誰が黒いトカゲのぬいぐるみか! われは黒竜! 深き山々にて負けなしと謳われた、『黒竜ベール』ぞ!」

 自分に大敗したクセに、その翌日からこのコテージに居座っている。

 駄々をこねて食べさせてもらったソランの「てきとうスープ」で、すっかり人間の料理に魅了されてしまったらしいのだ。

「昨日も一昨日もその前も、3食用意してやった。もういいだろう。さっさと出ていってくれ」

 ソランにそう言われると、ベールは不満げに金の眼を据わらせた。

「冷たいではないか。我をたばかって何度も何度もここと山を往復させたこと、忘れたとは言わせんぞ」

 別に悪いとは思っていないものの、禍根になりうる行いだったことは、ソランも承知している。

「この数日のもてなしは、その詫びだ。もう十分だろう。出ていけ」

 これ以上ごねたら力尽くで追い出すぞ、と言わんばかりの口調だった。

 ベールは、小さな爪をまだほんのりと温かいパンに食いこませ、尚もほおばりながら、少し考える顔になった。

「……我がいると、お得ぞ? 少なくとも、我より格下の魔物は寄ってこん。我の存在に萎縮するからな」

「この森には結界を張ってあるから、魔物は近寄れない。万が一、結界を破ってきたとしても、『魔王』でもない限り僕だけで対処できる。用心棒は必要ない」

 ソランの言葉からは、本気でとっとと出ていってほしいという感情がうかがえた。

 自分が創った従者のエージュは、問題ない。だが、ベールは「他者」だ。契約を交わした契約魔獣でもない。そういう相手が傍にいることが、煩わしいのだ。

 ベールが小さく、息をいた。

「……『偉人魔導士』などと呼ばれながらも名声さえいとい、人前から姿を消した変わり者の魔導士……。噂は本当だったな」

 ソランは素知らぬ顔で、ベーコンエッグにナイフを通している。

「何故、そこまで他者を厭う? 貴様に勝てるものはおらん。強者は、他者を掌握するものではないのか?」

「簡単な話だ。僕は、〝面倒ごと〟が嫌いなんだ」

 慣れた口調で、ソランは言う。

「この世で1、2を争って面倒なことはなんだと思う。〝食事の用意〟と〝人間関係〟だ。食べなければ生きていけないから、食事の用意は仕方がない。だが、人と関わることは――可能なら、したくない。面倒ごとの温床だからな」

 こんなことを言ってはばからないため、かつてのパーティメンバーであるラジェンナからは「人間嫌い」と言われているが、ソランは、さほど人間が嫌いではない。尊敬に値する者や、手を取り合える相手がいることも、知っている。

 しかし、どうあっても面倒しか持ちこまない人間がいることも、知っている。他者と関われば関わるほど、そういった手合い・・・が増え、気がついたら周囲が面倒ごとばかりになっている。そういう経験を、数えられないくらいしてきたので、もうウンザリなのだ。

 強者は他者を掌握できるものかもしれないが、他者に群がられるものでもある。

 地位や、名声。

 そんなもののために魔王討伐に参加したわけではない。

「その年で、そこまで達観しなくてもよいと思うが……」

 ツン。

 ほっといてくれ、という言葉を、ソランはコーヒーで喉の奥に流し入れた。

「……家賃となる対価があれば、我を棲まわせる気になるか?」

 奥深い山に棲んでいた割には、ヒトの世界に詳しいドラゴンだ。

 家賃を払え、という話ではないのだが、力で押しきろうとしないところに好感を覚えたので、少し耳を貸す気になった。

「金や宝石は対価にならないぞ。ひとまず困っていないからな」

 勇者パーティへの魔王討伐の報奨金は、ひとり3億エミルにのぼる。

「なんであっても、ヌシを満足させる対価ならば考えるか?」

「そんなものが存在するのならね」

 ベールが持っているもので一番価値があるもの。現時点で、それは〝ベール自身〟と言えるだろう。

 ドラゴンは稀少な種族だ。鱗の1枚1枚に数百年分の魔力と魔素が染みこんでいる。

 血は、どんな秘薬エリクシールよりも万病に効き、臓物や皮膚は新たな魔法を生み出す最高の触媒となるだろう。

「あそこならば……まあ、あるだろう」

 ベールが、コウモリの羽のような2枚の翼を広げ、空中に浮かびあがった。小さくて可愛らしいので、どう見ても宙に浮かぶ黒いトカゲのぬいぐるみなのだが、朝の光を受けて輝く漆黒の鱗や体表は、魔鉱石のような複雑な光沢を帯び、彼が確かに稀な漆黒のドラゴンであることを思わせた。

「少ししたら戻る。食事の用意を忘れるなよ!」

 そう釘を刺すと、ベールは開け放していたリビングの大窓から、広大な聖棲森へと飛び立っていった。

「何を探しに行ったのか知らないが……まあ、いいか」

 ソランも朝食を終えた。ナフキンで口元を拭う。

 今日だけは、ベールに居られると困る〝理由〟がある。

「今日は〝客人〟が来る日、だからな」



 かつて、表界は一度滅びかけた。

 3代目の魔王カオスの時代。前表界歴230年頃のことだ。魔法という神秘の力はあるものの、魔種には敵わず、表界種は大敗した。

 生き残った者たちは、必死で生き延びようとした。ヒト族、亜人族の区別なく手を取りあい、隠れるようにして生き永らえた。

 純粋な魔種は、性質上表界に長く留まることができない。魔王が表界に留まったのも数年だったが、表界種にとっては長い苦難の期間だった。

 およそ100年後、魔界においてカオスが死去。魔王の力によって不安定になっていた魔界との境が復活し、表界は平穏を取り戻していった。

 しかし、さらに300年後、魔界で新たな魔王が誕生した。

 ようやく復興が叶おうとしていたのに、今再び攻めいられたら、今度こそ表界は滅びてしまう。

 嘆き、空を仰ぐ表界のものたちに、手を差し伸べた神がいた。

 それが、光神リュンヌだった。

 リュンヌは自らの使者として、光の託宣鳥たくせんちょうリュミエールを表界に向かわせた。

 リュミエールは、ヴェルト大陸のある国の、ひとりの敬虔深い王の前に姿を現した。勇者を託宣し、光の加護と光の聖剣を託した。この聖なる力と武器は、魔王に対して絶大な力を持っていた。4代目魔王に対し、表界は初めて勝利を収めたのである。

 その後、魔王は5代目、6代目と生まれたが、その度に託宣鳥リュミエールによって勇者が選ばれ、魔王を倒した。

 光神リュンヌの加護を享けるその国には自然と力が集まり、かの国はヴェルト大陸において唯一無二の強国となった。

 それがここ、聖リュンヌ守護国。託宣鳥リュミエールの声を聞くことのできるエルエルム王家により統治されている。

 ソランは、エルエルム王家より「ある特殊な役職」を与えられている。

 『特命とくめい魔導士』。別名を『王命おうめい魔導士』という。王命によってのみ動く、特殊な魔導士だ。

 主に、王宮では対処が難しい案件に王命を受けてあたる。隠棲を決めこんだソランとの繋がりをなんとかして保っておきたい王宮が捻り出した役職だった。

 王命がない限りは自由にしてよい、というラフさにも関わらず、月給が支払われている。

 それだけに、まるで放任というわけにもいかない。月に1度は王宮から使者が来る。

 今日が、その約束の日だった。



 昼が過ぎ時計の針が緑の刻(約14時)を指す頃、玄関口のカウベルが軽やかに鳴り響いた。

 お茶の用意をしていたエージュが、ソファーでくつろいでいるソランに視線を送ってきた。ソランが、魔導書片手に指をひらめかせる。すると、コテージの扉がひとりでに開いた。

 扉の前には、真紅色の甲冑を着けたひとりの女騎士が立っていた。

 女騎士は、左の鎖骨に拳を当てて、敬礼の形をとる。

「――赤薔薇騎士団所属、伝令役のアリッサ・ベルです。『特命魔導士』ソラン・ヴェル=アーガスト様。入室の許可をいただけますか」

 うら若い、美しい女騎士だった。甘いストロベリーブロンドを頭の高いところで結わえ、背中に流している。意思の強そうなまなざしで品もあり、男女問わず目を惹くほど、整った顔立ちをしていた。

 アリッサ・ベルと名乗ったその女騎士は、聖リュンヌ守護国が誇る騎士団のひとつ「赤薔薇騎士団」の騎士だ。女の騎士だけで構成されている赤薔薇騎士団は、文武両道の才媛が多く、美形揃いであることでも有名だが、その噂にたがわない、一輪のバラのような女騎士だった。

 物々しい口上を聞いて、ソランは一瞬ここが王宮になった気がした。

「見咎めるものも誰もいないというのに、よく毎回律儀に口上を述べるな」

 そう言われると、アリッサの相好がふっ、とやわらいだ。薄くピンクがかった唇が笑みの形をつくると、真面目で固められていたような騎士が少し親しみやすくなる。

「申し訳ありません。口上を述べる決まりですので」

「まあいい。入ってくれ。香茶こうちゃでいいか?」

「はい。そうそう、カルブロッツで焼き菓子クレットの詰め合わせを買ってきたんです。一緒にいかがですか?」

 ソランの目が、〝くわだて〟を褒める頭領ボスのように細められた。

「では、いい茶葉を用意しよう」

 伝令役がアリッサに決まってから、今日で4回目の訪問になる。そろそろ気心が知れてきて、仕事の話も甲冑を外し、お茶を交えながら、になりつつあった。

「カルブロッツは、『食の街』と呼ばれるだけありますね。王都の菓子店とも遜色ない焼き菓子がたくさんありました」

 「クレット」とは、焼き菓子の総称だ。バターと砂糖を多く含んでいて、オーブンで焼いたものが大体そう呼ばれる。だから、形状や特徴はさまざまだ。

 丸くて固いもの、楕円形でフカフカとしたもの、生地が層状になってサクサクとしているものもある。アリッサが持ってきた詰め合わせも、形や製法がいろいろな焼き菓子が集められていた。

 ソランが最初に手にとったものはサクサクとして香ばしく、バターの芳醇な香りと甘さが溶けあって、舌を至福にする。

「甘いものは門外漢だが……いい味だな」

「そうなのですか? ソラン様は料理がお得意だと聞いていましたので、お菓子にもお詳しいのかと思っていました」

「誰が言ったんだ、そんなこと」

「フェイド様です」

 にっこりと、アリッサが言う。

 久しく聞く友人の名に、クレットをつまむソランの手が一瞬、止まった。

「……フェイドは元気か?」

 勇者フェイドは、聖リュンヌ守護国の第一王女マリアンヌの婚約者となった。未来の王配殿下だ。

「はい。毎日、勉学に励んでいらっしゃいます。数日前には騎士団へおいでになり、ソラン様によろしく、とおっしゃっていました」

「……そうか」

『――ソラン、王宮を出ていくんだって?』

 フェイドは、勇者に選ばれるだけあって、純朴で素直な男だった。捻くれ者のソランの皮肉も、通じているのかいないのかわからないくらいいつも笑っていた、光のような青年。

『そうか。お前がそう言うのなら、引き留められないな……。でも、困ったことがあったらいつでも声をかけてくれよ。パーティは解散したけれど、俺たちは仲間なんだから』

 策謀渦巻く王宮で上手く立ち回れるのだろうか、と思っていたが、案外、王宮の人間のほうが彼に巻きこまれているのかもしれない。

「もしかして、甘いものはお嫌いでしたか?」

 アリッサが、心配しながら訊いてきた。

「いや。詳しくはないけれど、よく食べる。脳の疲労回復にもいいしな」

 コーヒーや香茶とも合うので、どちらかといえば、好きなほうだ。

「良かった! では、次のときも甘いものをお持ちしますね」

 どことなく品の良さを感じさせるアリッサは、それもそのはず、男爵家の令嬢だという。上に3人も姉がいるので、比較的、将来を自分で決めることができた。

 魔力で身体強化することに優れ、剣の道に心頭していた彼女は、当然のように騎士を志した。まっすぐな性根は、フェイドと通じるものがあるかもしれない。無垢な笑顔が好ましい娘だ。

「だが、いつまでもお茶というわけにもいかないな。報告を頼めるか」

 アリッサはカップを置くと、毅然とした表情に戻り、頷いた。

 持っていた荷の中から書簡を取り出し、差し出す。書簡には封蝋があり、聖リュンヌ守護国の紋章が浮かんでいた。ソランはそれをほどいて、中を確認した。

「宰相閣下からは、魔棲森ませいしんの魔物討伐遠征についてお伝えするよう、申し受けました」

 確かに、書簡の内容は、近々魔棲森において大規模な魔物討伐作戦が行われるかもしれない、というものだった。

「そのようだな。……魔界と表界の境が閉じてから、まだ1年しか経っていない。魔棲森の魔物の活発化は、著しいものがあるだろう」

 魔棲森とは、表界にありながら魔界と繋がりやすい森のことだ。瘴気が濃く、凶暴な魔物が育ちやすいため、冒険者でさえも足を踏み入れることができない。国によって常に結界が張られているが、魔物の数が一定を超えると、結界を無理に破ってでも森を出ようとする魔物ものが出てくる。

「はい。最近、王都の近くでも頻繁に魔物の姿が確認されるようになり、私たち騎士団も警備にあたっています」

「わかった。宰相閣下に返事を書いてくる。少し待っていてくれ」

「はい。わかりました」

 ソランは1階の奥にある書斎へ向かうと、宰相への手紙をしたたはじめた。

 現宰相のヴェネルラウトは、高齢ながら機敏で聡明、王国の頭脳とも讃えられる人物だ。ソランを遊ばせておくつもりのなかった筆頭だから、必ずソランを十全に使おうとする。遠征は、決定事項と思っていいだろう。

(こちらでも準備をしておいたほうが良さそうだな)

 したためた書簡に、こちらも封蝋をする。

 ソランが独自にデザインした、竜の翼をモチーフにした封蝋だ。

 アリッサの元へ持っていくと、彼女はそれを大事そうに受け取った。

「確かに、お預かりしました」

「すぐ王都へ戻るのか?」

「いえ、団長からのご命令で、数日はカルブロッツの視察を行う予定です」

「そうか。――今回もご苦労だったな」

「はい。ソラン様もご健勝で」

 アリッサは朗らかな笑顔でそう言うと、騎士が遠征でよく使う白翼馬はくよくばに乗って帰っていった。






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