Recipe1 黒竜の道場破りとてきとうスープ(3)
それからおよそ、2鐘刻ほどあと。
リビングで
見に行くと、ぼろぼろの黒竜が、それでもコテージの前に戻ってきていた。
「……そんなにも〝最強〟になりたいのか?」
黒竜には覇気がなかった。圧倒的な力を前にして心が折れたように、しょぼくれている。
『否……力の差は歴然であった。魔王様が倒されたのも、無理はない……」
ソランは小さく息をつくと、階段を降りて、前庭に立った。
ふた回りくらい小さくなってしまったかのような黒竜の爪に、触れる。
「……傷を癒やせ。《
癒やしの光に包まれ、黒竜の傷が見る見るうちに癒えていく。
驚く黒竜を、ソランは見上げた。
「魔王の力でもなければ、表界のドラゴンが魔界へ渡ることは、まずない。だから僕のところへ来たんだな。魔王を倒した僕に勝てば、表界にあっても最強のドラゴンを名乗ることができるだろうから。けれど……君が思う以上に、魔王も魔界も、強い」
『ウム……それがよくわかった。我は、誰にも負けたことがないために、奢っていたのだ。この世で最も強いものなど、いるかもわからぬというのにな』
「…………」
ドラゴンのものとはいえ、ひとつの夢を奪ってしまった気がして、ソランはやや気まずくなった。
「……って、ん? 諦めたのに、何故また戻ってきたんだ。お詫びに財宝でもくれるというのか?」
魔王討伐の褒賞金が、遊んで暮らせるだけあるのだが。
『いや。どーしても納得がいかなかったゆえ、戻ってきた』
「何が納得いかないというんだ」
今し方、負けを認めたばかりだというのに。
黒竜は、泣くような咆吼とともに――叫んだ。
『――「てきとうスープ」だ! 面倒ごとは嫌いだのなんだのと下らん理由で、何度も何度も我を追い返しよって! これだけ時間をかけさせられたのだ、「てきとうスープ」とやらを食さねば、我は納得できん!!!!』
「……メンドくさ」
思わず呟いたら、ギロリ、と睨まれた。
『面倒な思いをしたのは、貴様だけではないわい! 食わせろ! 「てきとうスープ」を食わせろっ! でなければ貴様を食うぞーっ!』
黒竜は、デカい図体で駄々をこねはじめた。
面倒だが、少しでも食わなければ納得しそうにない。
ソランは今日一番のため息をつきながら、言った。
「わかった、わかった……」
偶然、夕べ作った「てきとうスープ」があった。
その時々、手元にある材料で〝てきとう〟に作っているものだから、決まった味などあってないようなものだが、所望の品であることに間違いはない。それを熱々に温めて、寸胴鍋ごと持ってきた。魔法で鍋にかかる重力を調整している。
「大した味じゃなくても、文句を言うなよ」
『ウム!』
黒竜は嬉しそうに頷くと、器用にも鍋からスープだけを浮かせて――呑みこんだ。
『――こっ、これは!』
カッ!と、黒竜の目が見開かれた。
野菜の持つ青臭さや魚や肉の持つ独特の臭みが、不思議な香りで打ち消され、まろやかな「何か」に変わっていた。
ドラゴンは、種類にもよるが概ね肉食。稀に自分の火炎で肉を焼くことはあるけれど、それ以上のことはしない。
野菜も肉も魚も丸呑み。いつも決まりきった味のオン・パレード。
黒竜も例外ではなかった。
そんな黒竜にとっては、どんなにてきとうに作られていたとしても、それは生まれて初めて食する、おいしい――『料理』だった。
『なんだこれは!? これが「てきとうスープ」なのか? 美味い! もっとくれ!』
「今、鍋いっぱい食べただろう。おかわりなどない。それでおしまいだ」
『何!? この程度では足りん! 足りんったら足りんったら足りんー!』
体格から言ったら確かに足りないかもしれないが、どんなにデカい体でどんなに駄々をこねられようと、ソランはもう取りあわない。
「君を満足させる義務は、僕にはもうないのでね。山へ帰れ」
不満そうな黒竜を残して、ソランはコテージに戻る。
これで平穏な日々が戻ってくると、胸を撫で下ろした。
そのはずが――。
翌朝。ソランは、いつものように身支度を整えて1階へ降りてきた。
「
しかし、階下におりるなり目が、ダイニングテーブルに釘付けになった。
「おっ、やっと起きてきたか! 先に食べているぞ!」
ぬいぐるみと見間違えそうなくらい小サイズになった「黒竜」が、焼きたてのパンをもっもっ、と食していた。
「この、パン、とかいう料理も美味いな! ヒト族はまったくけしからん! 美味いものをつくりすぎだ!」
ソランの対面に用意されたもう1セットの朝食を、ぱくぱくムシャムシャ――遠慮なく頬張っている。
「……エージュ。何故、この〝ぬいぐるみ〟を中に入れた……?」
ダイニングテーブルの脇でエージュが、申し訳なさそうに見えない汗を掻いている。
朝、エージュが外で家庭菜園の世話をしていると、黒いぬいぐるみ――もとい、小さくなった黒竜が声をかけてきた。
「我は、ソランの知り合いぞ! 中に入れよ!」
その言葉を信じたエージュが、中に入れてしまった、というわけだった。
朝食を用意したのも、言われるままに従った結果だろう。
(――エージュには、難しい判断をする能力はないからな。それにしても、小さくなることができたのか、この黒竜……)
肉体を変じさせる術は、簡単ではない。魔法が得意だと言い切っただけのことはある。
「ぬいぐるみとはなんだ! 我には『ベール』という列記とした名前がある!」
黒竜ベールは、憤慨したようにそう言った。口のまわりにパン屑が付いているし、ちっちゃいし、全く怖くない。
「なんでもいい。食べたら、帰ってくれよ」
「ム? 我はここに住むぞ」
言葉が頭に入ってこなくて、反応が遅れた。
「――ハっ!?」
ベールは、黒い爪に付いたセムの実のジャムをベロリと舐めた。
濃赤色のジャムの素となった果実は生で食べたことがあるけれど、これはそれよりずっと甘くておいしい。戦いしかしてこなかったベールにとっては、未知で、魅惑の味だ。
「こんなに美味いものがたらふくあると知って、山になぞ帰れるものか! 我はここに住み、美味いものをたらふく食うぞ! それでこそ、生きている甲斐があるというものだ!」
戦い至上主義の竜が、〝食〟に目覚めてしまった。
「…………」
いくらか自業自得とはいえ、ソランは二の句が継げなくなってしまった。
「……面倒のない、一人暮らしが……」
頭を抱えたくなるソランなどおかまいなしに。
「これからよろしく頼むぞ、ソラン・ヴェル=アーガスト!」
道場破りに来たはずの黒竜は、上機嫌でバターたっぷりのパンに齧りついた。
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