Recipe1 黒竜の道場破りとてきとうスープ(2)



 しかし、黒竜はきっちり3日後に再訪した。

 前回と同じく、昼前の時間帯である。

『来てやったぞ! さあ、今日こそは勝負しろ!』

(忘れてなかったか……)

 この分だと、ドラゴンの気まぐれ、ということはなさそうだ。

 ドラゴンが強さに固執するという話は、聞いたことがない。彼らは元々強者だ。

 長命なドラゴンが、稀に退屈に飽きて強者に挑むという話は聞いたことがある。しかし、それも仲間内でのこと。彼らから見たら矮小な人間相手に息巻くドラゴンというのは、普通に考えても珍しい。

 だから、単なる気まぐれだと思ったのだが、この分だとそうでもなさそうだ。だとしたら、希望通りに戦えるまで何度でも来るのかもしれない。

(元勇者パーティ、称号持ちの魔導士……。腕に覚えのある同業者が名声欲しさに道場破りしにくることは予想していたが……。その前にドラゴンが来るとはな)

「メンドくさ……」

『ム? なんぞ言うたか?』

「いいや、なんでもない」

 機嫌を損ねたら、ここら一帯吹き飛ばされかねない。

 ソランは慎重に、告げた。

「しかし、タイミングが悪かったな。今日も『てきとうスープ』を作りはじめてしまったんだ」

『何っ!?』

 黒竜は目を剥いた。

「もっと早く来ると思っていたんだよ。昨日くらいにね。昨日来なかったから、もう来ないのだろうと思って、今日は今朝からスープに手をつけた。すまないな」

『ぐぬぬうぅぅ……なんというタイミングの悪さだ。途中の谷でワイバーンの群れと遊んでしまったのが悪かったか……。今日こそは、と思っておったのに……』

 はぁ……、と、ため息をついたのはソランの方だった。

「君は、ワイバーンの群れにも勝てるほど強いんだろう? 間違いなく、この大陸一の強さを誇るドラゴンだ。そんな強者が僕のようなヒト族ごときを目の敵にするなんて、余裕がないじゃないか。意味のないことは、止めたらどうだ?」

『意味がないだと? いな! いな! 魔王様を倒したヒト族の強さがどれほどのものであるのか、確かめずにはいられん! 特に我は、魔法が得意でな。魔王様を倒した魔法と、やりあってみたいのだ!」

(あぁー……だから僕のところに来たのか……)

 ラジェンナも凄腕の魔導士だが、名前はソランの方が知られている。

「僕はあまり、戦いたくないんだが……」

『ム? なんだなんだ。我の強さに恐れをなしたか?』

 黒竜の眼が、調子に乗った犬のようにドヤびかりする。

 ソランの瞳も、キランと光った。

「あぁ、そうだな~。元勇者パーティの魔導士と言っても、大きな魔法を使わなくなってから1年は経つし、黒竜様に勝てる気はしないな~。慈悲をもって見逃してくださるのなら、深き山々に棲む黒竜様は僕よりも強いと吹聴して回ってもいいんだが~……」

 ものすっごい棒読みであるにもかかわらず、黒竜は、ソランの言葉に上機嫌になった。

『ワッハッハッハッ! であろうであろう、無理もない! 我、深き山々では400年間負けなしであるからな!』

 ドラゴンの鼻面が高くなっている。

『しかし、ヒト族でありながら魔物のあいだにまで名声が聞こえてくるのだから、貴様もなかなかのものだ。何、命まで取ろうとは思っておらん。決着がつきさえすれば、我は満足なのだ』

 要約すると、「なんでもいいから戦え」。

『しかし、またしても日が悪かったのは確か。我は強者であるからな、余裕をもって出直してこよう』

 バサッ……と、黒い翼が宙に広がる。

『さらばだ!』 

 鼻唄でも歌い出しそうな機嫌で、黒竜は北の空へと帰っていった。

 それを見送りながら、ソランはぽつりと呟いた。

「……何日後に来ると言っておけば、また同じ目に遭うこともないんだがな」

 魔物は、アポイントを取らない。



 2日後。

「また、『てきとうスープ』を作りはじめてしまったんだ」

『何故だッ!? 今度は2日後にしたであろう!』

「また3日後に来ると思っていたんだ」

 さらに3日後。

『今度は3日だぞ! 文句あるまい!』

「昨日から煮込んでいる『てきとうスープ』が、まだ完成していないんだ」

 さらに5日後。

『今日こそは、勝負を……!』

「タイミングが悪かったな。今日も『てきとうスープ』を……」

『どんだけ作っとるのだっ!?』

 そんなことが、さらに1週間続いたあと……。

「今日も『てきとうスープ』を……」

 黒竜が――とうとう、キレた。

『ダーッ! もうええわい! 貴様、アレだな! 我のやる気を削いで、勝負をうやむやにしようとしとるだろう!』

 「てきとうスープ」が何か、正確には知らないが、定期的に作らなければ死ぬ代物ではないはずだ(ヒト族特有の食べ物だろう、という見当はついている)。それをこうも頻繁に、しかもタイミング悪く作るわけがない。途中から、ソランが自分を追い返すためにウソをいていたとしか思えなかった。

 すると、それまで大人しく、腰の低かったソランの雰囲気が――変わった。

 目は面倒そうに据わり、まとう雰囲気は雑になり、態度はぞんざいになった。

「――ようやく気づいたのか?」

 黒竜は、黒い爪をソランに向けて、怒りを堪えるようにわなわなと震えた。

『きっ、貴様……っ! 悪びれもなく……!』

「もっと早くに気づくか、面倒になって諦めてくれると思ったんだがな。その熱意には、敬意を払おう」

 貶されて褒められて。黒竜は怒っていいのかちょっと喜んでいいのか、わからない。

『――それほど我に倒されるのが怖いか! フンッ、魔王様と戦ったというからどれほどのものかと思っておったが、とんだ臆病者よ! このような腑抜けに倒されたとは……今代の魔王様は、大したことがなかったのかのぉ』

 ソランの目元が、ピクリと動いた。

『勝負がついたら命だけは見逃してやろうと思っておったが、気が変わった。このような腑抜けに魔の王が倒されたとあっては、我ら魔種にとってもいい恥よ! 亡き魔王様に代わって、ここで葬ってくれるわ!』

 黒竜が、怒りのままに牙を剥いた。

 全身からほとばしる殺気が、聖棲森を威圧しはじめる。

 精霊たちが気づき、ざわつきはじめた。その場を離れようとするもの、敵意をあらわにするものもいる。

 周辺の魔素が千々ちぢに乱れ、不穏な空気と殺気が、黒雲を呼ぶ。

 黒竜の瞳が、朝焼けのような赤銅色に染まる。戦意が、極限まで高まっていた。

「やれやれ……せっかちな奴だ」

 ひとつため息をつくと、ソランは左手を上げた。

 指先の空間が、ぐにゃりと捻れる。そこから、異空間に仕舞っている1本の魔法杖ロッドが引き出された。

 魔導士がよく使う、上部に能力制御用の水晶球が付いているものだ。

「敬意を払う、と、言っただろう」

 ロッドの中心部を握り、軽く振って、構える。

「ちゃんと相手はしてやろう」

『安心シタゾ……、ソこまデ腑抜けでハ、なカッタヨウダナ……』

 黒竜の声が、戦意の変化からか、低くおぞましい響きに変わっていた。並の人間では、その場に立っていられるかもわからない。

 しかし、ソランは顔色ひとつ変えていない。

 黒竜が、鋭い牙を剥き出しにして、わらった。

『灰トナルガイイ!』

 黒竜の胸が膨れ上がった。体内で急速に高密度の魔力が練られていく。それは黒い炎――破滅的な炎の噴出物となって、黒竜の口から吐き出された。



『――〝竜の息炎ドラゴン・ブレス〟!!』



 凄まじい音と黒炎の暴流が、ソランと背後のコテージを呑みこんだ。

 森も、爆風にあおられて、無数の木々がへし折れそうなほどしなった。

『……ヤりすぎたカ? 灰も残っているカ、怪しいナ……』

 そう言いながらも黒竜は、満足げに喉を鳴らしている。

 並の人間なら、灰も残らない。

 だが――。

『……?』

 もうもうと視界を覆っていた黒煙が晴れてくると、黒竜は目を凝らした。

 何かの影が、残っている。

『――何っ!?』

 否、影どころではなかった。黒煙が晴れるとそこには、変わらずロッドを構えているソランと、無傷のコテージがあった。

『バカなッ! 直撃だったではないか!?』

「あぁ、ちゃんと当たったぞ。だが、障壁で防いでしまえば、どうということはない」

 と、事もなげに言うが、黒竜は納得できない。

『我のドラゴン・ブレスが、ヒト族の魔法如きで完璧に防げるものか! なのに……傷ひとつ負っていない、だと……!?』

 ヒュッ――と、ソランが軽くロッドを振った。それだけで、辺りに立ちこめていた煙が風に押されて消えていく。無詠唱による誘導魔法だ。

「自分で言うのもなんだけれど、〝並〟の魔導士ではないのでね」

『……フ、フンッ。わかったぞ。貴様は、防御魔法が得意なのだな? だが、攻撃魔法はどうだ? 我も防御魔法は得意だ。我に向けて、全力で撃ってみるがいい!』

 爆風にあおられて出てきたか、ソランの胸元で、聖金製のペンダントが光を反射した。

「魔力を抑えるため国から封紋ふうもんを捺されているんでね、全力は出せないけれど、お目にかかるくらいのものはお見せしよう。……家を狙われたんで、僕も少し腹が立ってきた」

 ロッドを構え、口の中で詠唱をとなえる。威力を上げるためではない。「逆」だ。威力を下げるよう調整してほしいと、精霊に〝注文〟する。

「……この家は僕が建てたんでね。初めての家を、道場破りで壊されたのではたまらない……」

『何をブツブツ、……と……!?』

 言いかけて黒竜は、周辺の変化に気づいた。

 大気中に漂う魔素が、異様なスピードで集まってきている。

『なんだ……この速さは……?』

 聖棲森の精霊のすべてが、ソランに味方しようとしている。

『これは……この力が、ヒトのものだと……!?』

「言っただろう」

 ロッドを中心に、色づいた魔力が渦巻いていた。まるで虹のように。

 不規則な風が巻き起こり、ソランの黒い髪や魔導士のローブをバサバサと乱す。

 黒縁のメガネの向こうにあるソランの目は、どこか楽しげだった。



「――僕は、『偉人魔導士』なんでね」



 魔力の渦が、黒竜を森から排除しようと――押し出された。

 咄嗟に障壁を張ろうとしたが、間に合わない。

 ソランが聖棲森すべての精霊を味方につけてしまったので、黒竜は自身の魔力だけで障壁を築かなければならなかった。そのためには時間が必要だ。それがない以上、ソランの攻撃を防ぐことは到底、不可能だった。

『う……うぉおオォオオ――ッ!?』

 黒竜は、遙か遠くの空まで、吹っ飛ばされていった。








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