13話 ————王権の失墜————

 両親に関して、この自分は思い出と呼ばれる情景を余り持ち合わせていなかった。

 漠然と、そうだ、この二人は両親であったな。程度の感想しか思い浮かばない。終わりまで続いた世界の循環の彼方に記憶が擦り切れた。もしくは、思い出を持てるだけの接触をして来なかったのかもしれない。ただし、救いという言葉を想像した時、真っ先に浮かぶ顔ではあった。

「いつまで黙ってる。ほら、言ってみろ。私達両親に、一体何を言いに来たんだ?」

「もう、あなたの顔なんて見たくなかったの。私達は無関係、あなたを子供だなんて思いたくないの。どうか、早く罪を償って。————全部を償った時、また親子に戻りましょう」

 辺りがどよめいたと、視界でも感じられた。

 親子の関係を解消したいとまで言った母親が、涙を湛えた目元で笑みを浮かべ親子と発したからだった。しかし、それに渋々頷いた父親によって話題が代わり、自分の注目を奪われたと焦った王妃が「本当はあなたを信じたいのよ」と続ける。

「いつまで見せられる訳?」

「さぁな」

 これこそが母親の鏡だと羨望の眼差しを受け、享楽に浸る王妃は舌なめずりをする。

 奪われた視線を更に取り返すべく、王は「お前は犯罪、しかも殺人を犯した悪人なんだ。受け入れられる場所なんてあると思うな」と毅然と制し、父親の本懐を遂げる。

 左右に揺り動かされる視線が、羨望から熱狂、狂乱へと移行する。あの教師など歯牙にもかけない、完成された布教に誰もが言葉を失う。囃し立てるように、遠巻きから拍手をしていた人間さえも取り込み終えた所で、隠し通せない満面の笑みを浮かべる。向けられるカメラの数、焚かれるフラッシュの量こそが、自分達の価値だと宣言する様に。一度も、上に立てなかった二人は更に続ける。

「しかし、オマエが、ワタシタチの息子であるのは否定できない。俺が働イテ稼いだ金で育った俺のコドモだ。父親として、お前に求める最後は————罪を贖い、責任を取って来世で」

「来世なんて無い。全部終わる」

 途中で言葉を遮られるのを、何よりも嫌っていたなと思い出した。

 こめかみに皺を作り、口角が上がった王は沈黙の後、したり顔で言葉を絞り出す。

「終わる?お前の人生は、今後も続くぞ。未成年者であるお前は、どれだけ自分が恵まれているか知らないんだ。死刑になんてならない、少年院での刑期だってすぐに済んでしまう。お前は、これからずっと自分の罪と向き合って生きて行かねばならない。素直な優しいお前に戻れば、」

「言わせて貰うよ、俺はお前に本当の自分なんか、見せた事もない。欠片だってな」

 二度目の遮りに、遂に激怒して。激情に駆られた王が水を内包するコップを手に取り、素材がガラスであろうが関係なく投げつける。飛来するコップの行先は、自分ではなくキョウカだった。寸前でキョウカを引き寄せ————血染めのガラス扉に激突する音を耳にした。

「見ましたか!?皆々様!!アイツは、遂に未成年の女の子の身体さえ犯しました!!この強姦魔ガッ!!お前みたいな卑劣な人間、俺の子供だなんてミトメナイ!!さぁ、そこの君!!早く、此方に逃げて来なさい、そんな奴の隣にいたら、また乱暴を振るわれるぞ!!」

 胸に埋まった一瞬を逃さず、狂った大人達が一心不乱にシャッターを切り続ける。

 外で行われている凄惨な狩りになど、一切気付かない者達が楽園を堪能し続ける。そして、皆一様にこう言った。————卑怯者と。力で屈服させるしか出来ないのか、自分よりも下の人間になら何をしてもいいのか、そうやって今まで自分本位に、言い訳をして逃げて来たんだろう。と。心を抉る言葉の数々が怒号となって、鼓膜を叩き続ける。そして、空気の震わせは外へも。

 自らを鼓舞する収まりが付かない絶叫に、外の異形達が視線を向けたと肌で感じる。

「このまま放っておいても、多分皆死ぬよ。わざわざあなたが手を下すまでもない」

「———いいや、下そう。別れの言葉だけじゃ足りない。足りなくなった」

 一歩踏み出すだけで嘲笑い、視線を合わせた途端に侮蔑の言葉を、そしてキョウカに憐れみと蔑みの意を伝える。それはまるで、キョウカは身分が低いと判決を下す様であった。自分には───自分は勿論、汚い口で囀る者達よりもキョウカが最も下賤であると叫ぶ光景が許せなかった。

「気にしてない、なんて言わないよ。本当なら、あんな雑魚供に姿を見せる事だって嫌だったんだ。でも、あなたの親であって教師達だから、こうして付き添ってあげたの。それを忘れないで」

 視線を向けた瞬間、全てを悟っていた少女が許可をくれた。

 右手を突き破って現れた純白の矛先。直後に広がる蒼炎に対しても、王と王妃は演技を終えなかった。自分達の状況を明確に理解している二人は、自分達は────今現在こそが人生の絶頂期にいると理解していた。囃し立てられ、腰を浮かした王が指を真っ直ぐに伸ばし鼻先へ向ける。

「そんな物を持って来ても、お前の罪は撤回されないッ!!やはり、お前は卑怯者だ、そんな玩具を持って来なけば会話一つ出来ないのか!?父と子として、男と男として言い渡してやる。お前は形ばかりに拘って、最も大事な物を育んで来れなかったッ!!さぁ、来い───人間にとって、一番大事な物がなんなのか。私が直接教えてやろう!!私の息子を捕まえろ!!跪かせろ!!」

 誰も彼もが自分に酔っていた。正義の尖兵、執行者、傍聴人が鼻息荒く生贄を求めて疾走する。

 机と椅子を蹴り飛ばし、足音と絶叫を上げながら殺到する人間の目には何も映っていない。ただ────自分という人間の正しさを盲目に信じ、自分が何を始めようとしているのかも知らない。

 ただただ、自分達の正義かいらくだけを求めて。

「遅かったね」

 喉笛に手が届く。襟を掴み上げ、声高らかに教員の一人が叫んだ時だった。

 波濤の如く迫る肉の波を、異形の牙が怒涛の勢いで食らい付く。手首に喰らい付かれ、残すは骨だけとなった教育の首に、元は生徒であった異形が牙を剥く。中肉中背の成人男性に対して、華奢な肩を持つ蟷螂が襲い掛かり、生徒達の中で人気のあった女教師には巨大な牙を生やす魔猪が突進し、遠くへと血の轍を作り上げる。

 ガラス扉とガラス窓を破壊した異形達による最期の晩餐を目の当たりにし、ようやく自分達が何をしようとしていたのか理解、逃亡を計る大人達が今まで貪ってきた子供に喰い殺される。────あの時とは真逆の情景に、言葉が転び出る。

「因果応報────最後の最後で巡り合わせに呑まれたな」

 切り落とされた腕を目の前で喰われ、小声で念仏にも聞こえる言い訳を始める大人。

 ブツクサ煩いと首を掻っ切り、頭から丸呑みを始める女子生徒。数人で嬲っている途中、いつの間にか死んでしまった異性の上で、誰が乳房を喰らうかの殺し合いを始め、魔羅を充血させる男子生徒達。とにかく食欲を満たしたいと、老人でも関係なく喰らい骨を噛み砕く巨漢の生徒。

 これを地獄絵図と言うか、極楽浄土と呼ぶかは定かではなかった。

 血の中にあろうと自己の欲望を見失わず、遂には共喰いを始める異形と、今の今まで人間達の中で自分の欲求を満たしていた大人達の違いなどあろうものか。美しき純心に目を奪われる。

「お別れ、言えなかったね」

「‥‥親子の縁なんて、この程度なのかもしれな────」

 残る異形達による、左右から届く鋭い刃からキョウカを守るべく強く抱き締め、自分の身体を殻とする。肌に突き刺さる刃から何かが体内に侵入する────だが、逆流する炎の血により、刃を持つ手が煌々と灯ってしまう。

 右手に槍を持ち、キョウカを抱き締めながら背後まで矛先を向ける。左目でキョウカの頭上の先、緑の肌を持つ異形を確認する。腕を失った異形が壁へと殴り飛ばされるのを。

「お、女だ。は、初めて喰える、よ、寄越せッ!!」

 燃え尽きた腕を抑え倒れる異形は無視し、キョウカに視線を向けながら唾液を溢す肥満体。それだけでは無かった。窓ガラスからこちらを確認していた数々の異形達が、最後に残る白い肌を持つキョウカを求めていた。邪魔者は居ない、邪魔をする様な人間はいないと思っていたが────血に酔い、虜と成っていた。

「空気読んで欲しいんだけど。だから、誰ともヤレないんだろうが」

 知り合いなのかと、胸板にしがみ付くキョウカに視線で尋ねると、

「口調で分かるの。ああいうのは、流石に勘弁してって感じ。まぁ、お前もあんな時があったけど。理解してる?」

「戻らないよう、善処するよ」

 左腕で抱き上げたキョウカの体重も借り、身の丈に匹敵する強靭な刃を振り回す。

 首、肩、胸、胴、股下、内腿。独鈷杵とは違い、導かれる感覚は無い。自分の意思で人間の急所を切り裂き、内臓を晒し、体内を炎で舐め取らせる。浴びる程の血も、蒼炎に巻かれれば瞬時に灰と化す。そして吹き抜ける風によって、身体には降り掛からない。

 そして、溜息一つを突いた時だった。

 背中に何かが突き刺さる。キョウカとは別方向からの刺突に目をやった。

「お、お前は俺の子供、俺の責任なんだ。だから責任を取ったんだ。これで俺は有名に‥‥」

 この身体を殺そうとは、なかなかどうして見所がある。初めて父親に興味を持ったかもしれない。目を剥き出し、痩けた頬を持つ頭蓋の向こうへと視線を走らせれば、柱からこちらを伺う王妃が待っていた。この状況で逃げ出し、対象を刺した。望みとはすぐに捨てる物ではないようだ。

「アンタは、ずっと俺を見下していた。自分よりも、自分の理想通りに成長した俺を嫌っていたな。つらかったよ、本当に。もっと上手く話せたんじゃないかって、話し合えば夕飯だって美味かった筈なんだ。部活の話に成績の言い訳。母親と父親、そして子供とで旅行に出掛けたりしてさ」

 青い炎に包まれ、腕が瞬時に灰となった王が悲痛な声を上げて、二歩三歩と下がっていく。

「将来、卒業後の話だってしたかったんだと思う。『言われた通り』は高校までで終わり、大学の学部は行きたい所に行かせて貰う。意見が合えば実家で、合わなければ一人暮らし。違う、一人暮らしに見せかけて彼女と同棲を始めるんだ。そして期を見てあなた達に紹介する」

 左目で王妃を見据えた瞬間、青い極光が柱を燃え上がらせる。

 自分の半身に火が付き、のたうち回って悲鳴を上げる姿へ、更に蒼炎を注ぐ。

「本当は高校の時から付き合っていた。たまたま街で見かけて意気投合したって説明するけど、お酒を挟んで大人として言い直すんだ。本当は一目惚れしたって、一方的に好きになった俺を見兼ねたキョウカがデートに連れ出してくれたって。そして何度か繰り返す内に、本気になって告白」

 空気と共に炎を吸った結果、肺が爛れた王妃は最後に手を伸ばして動きを止める。

 腕から肩にまで燃え広がる炎を消そうと、床の血を擦り付ける王に笑みを浮かべる。

「覚えてる?俺、私が女の子の時。確かバイオリンのコンテストで入賞した。初めて、あなたは頭を撫でてくれた。本当は毎日してくれていたのかもしれないけど、特別褒めて撫でてくれた────そして、仲の良い友達だってキョウカを紹介したんだったかな。本当は違うよ、キョウカは特別な子。自分の恋人だって。結局言えなかったね。遂には二人で逃げ出したんだ」

 肺にまで届いた炎が髪を焦がし、眼球にまで燃え移る。

「良い親の時もあった気がするけど、あれは違ったよな。俺を異性として見ていた。自分の配偶者も無視して、余りにも俺に構うものだから母親が怒り狂った。何も知らない俺は母のヒステリーに耐えられなくて、アンタからのアプローチを愛だと勘違いしていた。それでも嬉しかった」

 下半身は呆気なく燃え尽きてしまった。今も喰い続ける炎から逃れるべく、身体を引き摺る。

「やっぱり仲の良い親子には成れなかったんだ。風呂で散らされる、ずっと前から無理だった。それでも抗いたかった。周りみたいに仲良く、やり直したかった。だから言われるままに振る舞った─────もう終わりだ。やり直せない。次なんて無い。アンタ達との関係も、ここまでだ」

 槍を握る。矛先の炎が純度が増し、視界に入れるだけで目が焼ける劫火と成る。

「お前達の間に生まれて、生まれたって仮定されて最悪だった。お前達と同じく、嫌気が差したよ。他人の為に自分を切り売りするのは止めだ。いい加減、自分の為に生きようって思った所だ。キョウカと一緒に────俺、幸せに成るよ。だから、さようなら」

 床を突いた時だった。青い浄化の炎が両親を包み込む。悲鳴もなく灰となったのを皮切りに、死体を取り合っていた異形、命からがら逃げ出し、外へと飛び出す寸前の背すらも炎が取り巻く。

 火葬は瞬きの間で終わった。腕の中にいるキョウカは、何も言わずに抱き締めてくれる。

 感慨深くはなかった。何も感じず、ようやく終わったという虚無感だけが心を支配していた。

「‥‥親を見送るって、こういう気分なのか」

「知らないよ、そんなの。寂しい?」

「どうだろう、わからない。だけど────別れは言えた。だから、満足だよ」

 



 久しぶりに人肉以外を食べた気がした。

「はい、あーん」

 差し出されるカツの一切れを口に入れ、咀嚼をするが────味が薄かった。

「凄く美味しいよ。本当に美味しい。だけど、せめてソースか醤油を」

「はぁ?私が慣れない手料理を振る舞ってやったのに、味を上書きしたい?調子乗んなよ雑魚が。それとも何?また口移しでもすれば良い────そっか。そういう事。ちょっと待ってね♪」

 何かを察したらしく、小さい自分の口に合わせて箸で切ったカツを口に運び、再度「あーん」と告げてくる。絶対に断らないと確信を持った悪性の笑みを浮かべ、唇を突き出す姿を断れる筈がなかった。軽く唇を当ててから歯で衣を挟み、唾液に濡れたカツを呑み込む。

「ふん、どう?雑魚には勿体ない味でしょう?なんでもバレンタインには自分をデコレーションして、彼氏に差し出すらしいけど。そういうの嬉しいだろ、ざーこ。気が向いたらやってあげても」

「衛生的じゃないから推奨しない」

 まさか断られるとは思っていなかったらしく、心底驚く、キョトンとした静止を開始した。

 学食から誰もが消えた後、勝手に冷蔵庫やフライヤーを漁って食事を作り上げた彼女の腕は、決して慣れてないとは言えない代物だった。家庭料理の域を飛び出た腕前を持っているのは間違いないというのに、自信が無いらしいキョウカは「失敗したかも‥‥」と小声で嘆いていた。

「全然失敗なんかしてない。本当にお店で出しても、お金を払ってでも食べたくなる味だから。自信を持って」

「‥‥雑魚に言われても自信なんか持てないし。だって彼氏なら彼女の手料理を不味いなんて言う訳ないだろうが。‥‥本当に美味しい?私のご飯、失敗してない?不味くない?」

「何度でも言える。本当に美味しい。失敗なんかしてない、キョウカの味が大好きになった。また作ってくれたら嬉しいよ。今度は二人で買い物に行こう、メニューも二人で決めよう」

 半分納得してくれたらしく「‥‥ざーこざーこ」と力なくとも返事をくれる。つい先程、両親から教員、生徒達を燃やし尽くしたというのに悠々自適な時間を送っていた。申し訳ない、などとは欠片も思っていないが問題なく、トンカツが喉を通る自分が不思議だった。

「そう言えば、キョウカは何を食べてた?今まで俺ばかり食べてたけど」

「ん?別に何も。私は、あくまでも維持装置でしかないから、人間ぽいけど食料は必要ないの。暇潰しに食べた事は何度もあるから料理はできるんだけどね。‥‥全然上手くいかないけどさ」

 まるで自分と誰かを比べている様だった。あのキョウカに、ここまで言わせるとは。一体何処の誰が、どれほどの腕前なのだと疑問に浮かぶ。しかし、きっと無意味な疑問なのだと頭を振る。

 もう無くなる世界でなければ、一度は食してみたかったかもしれない。

 二人で食事を続け、白米と味噌汁、千切りのキャベツとトンカツへ邁進していると、

「もう、この学校であなたの邪魔をする人間達はいないみたい。足音も止んじゃったね」

 キョウカが発する。言われてみれば、と自分も耳をそば立て足音を靴底で探るが、全くの無人に学食が静まり返っていた。夏休みの学校とは、こういう物なのかもしれない。真夏の校舎で、二人の秘密の約束を結び、秘密の密会をしている気がしてくる。試しにキョウカに視線を向けると、

「今、何考えてた?」

 頬を僅かに朱に染めるキョウカが愛らしくて、思考内容がそのまま口を衝いた。

「キョウカと二人、秘密の約束をしてるみたいだ。クラスメイト達に、二人で会ってるって気付かれたら噂に成るかも」

「私と雑魚が?もし、そんな噂が立ったら釣り合いが取れないって、言われるんじゃない。ふふん♪私達の関係を知ってるのは私達だけ。男子に集られるあなたと、女子の質問攻めに遭う私。夏休み前に転校してきた天才美少女と、冴えない────ちょっと人気なあなたとの関係はきっと学校中に知れ渡るよ。‥‥外出は学校しか許されないお嬢様な私とのデートは学校だけだから」

「なら、迎えに行く」

 やっと言った。遅いんだよ雑魚。そう言われた気がした。

「格式高い家であるならある程、出迎えを受けたのに、それを足蹴にする訳にはいかない。お目付役を付されるかもしれないけど、俺達の間には誰も入り込めない。二人だけの時間を過ごせる」

「もし、私が二人っきりに成りたいって言ったら?」

「夜中、迎えに行くよ。一緒に花火を見に行こう」

「それがバレて、接近禁止命令とかされたら?」

「学祭準備を言い訳に二人で会おう。前夜祭と学祭はクラスメイトに紛れて、二人で回ろう。見つかりそうに成ったら、人がいない教室に隠れて後夜祭まで待機。それまで二人きりを楽しみたい」

「───校庭だと、流石に隠せないけど」

「噂が本当だったって明らかに成る。そこで見せ付けよう、俺達は付き合ってると」

 所詮は妄想、親も教師もクラスメイトも鏖殺した自分では、学祭など望める筈もない。

 ああ、だけど。本人は否定するだろうが悪戯好きで世間知らずで、外への興味が尽きないキョウカと偶々知り合い、偶然転校生してきた学校で関係を育み、自分から告白。そして───。

「ザーコ、顔が緩んでるけど。‥‥迎えに来てくれる?一人で教室に隠れていても」

「約束するよ。何処からでも、誰を殺して喰ってでも迎えに行くから。邪魔者は許さない」

 ほぼ同時に食事を終える。差し出した手に絡みつくキョウカと共に食堂を後にしようとした時だった。破壊されたガラス窓から、外の光景に違和感を覚えた。黒い太陽が広がっていると。

「時間だね。もう、この世界には心残りは無い?まぁ、あると言われても如何にもならないんだけど。後は秒針が時を刻む度に、世界は崩壊し始める。世界の淵、世界の継ぎ目がそろそろ見える頃」

「あの校庭か?」

「そうだよ。校舎内で最も早く崩壊、崩落が始まるのが『校庭』だった‥‥」

 吹き付ける風は何も変わらない。ざわめく木々も、緑の香りを発する草花も、自分の終わりが直ぐそこまで近付いているとは思うまい。明日の為、日光を浴びて栄養を作る。必ず来ると確信している夜の時間に合わせて、吐き出す二酸化炭素を溜め込んでいる。

 何も変わらない。切り取られた風景の中で異質なのは、世界の理を知る自分達のみ。

「やっぱり、俺達に居場所なんか無かったんだ。世界を救えない救世主に、」

「私利私欲の為に、世界維持の循環を放棄した反逆者。きっと、私達が身を捨てれば、もう少し続いたんだよ。ほんのちょっぴりね。だけど、終わりから目を背けるのと変わらない────結局、私達は卑怯者だったね。世界を救える力を自分の為に消費するんだから」

 ふわりと、食堂と中庭を繋ぐ階段から飛び降りた少女が、はにかみながら手を差し伸べてくれる。戻る気など無い。振り返るモノも無い。けれど、確かに自分達はこの世界の周りで生み出された。この世界が、もう少し公正ならば、後ろ髪引かれる手を握った───いや、そんな筈がない─────何の躊躇なく逃げ出せる卑怯者な反逆者。この名こそ相応しい。

「これも卒業って言うのか?」

「うんん。違うよ、転校って言うの。私達はまだまだ学び足りないんだから。この学校が合わなかっただけ。たったそれだけの話。やっと、自由に学んで遊べる様になるんだよ」

「そうか、そうなのか。ああ、行こう。最後に、この校舎に別れを告げよう」

 手を取ってしまった。外の世界の知識など持たなければ、自分は、最後まで救世主として生きられたのだ。キョウカの手を振り払い、あの合一神の化身として世界を続ける権能を振るっていた筈だ。しかし、外の世界を垣間見てしまった所為だ。

 こんな壊れ掛けの世界よりも、もっとずっと自分達に相応しい世界があると。

「うん、お別れ言わないとね。でも、ちょっと残念。少しだけ通いたかったかも」

「ああ、俺もキョウカとクラスメイトに成りたかった。だけど問題ないよ。新しい学校に通えばいい」

 手を取り合って緑道を踏み歩く。ローファーの底から煉瓦床を叩く音が鳴る。

 視線を逸らせば白い校舎が顔を見せ、光を反射する幾つもの窓ガラスが自分達を見下ろしている。たったこれだけの願望すら、自分は叶えられなかった。手を握れなかった。

「向こうに行ったら、まずは────何でもわがままを言ってくれ」

 僅かに驚愕の声を出したかと思えば、音が鳴る程に顔を歪め、牙を覗かせる悪性の笑みを湛えた。何度見ても底冷えする、顔を真一文字に切り裂く笑みには魔性の魅力があった。

「なんでも。へぇ、なんでもね。本当になんでも?」

「ああ、なんでも。なんでも叶えてみせる。本当になんでも」

「私の為に、星を捧げろって言えばするのかよ?」

「意外と謙虚だな。星だけでいいのか?」

 むぅ、と膨れるキョウカが続けて何を言うべきかと検討し始める。だが、一言発する度に、「これは違う」と口を噤み、じゃあと続けるが、「いやだけど」と再思案する。

 自分達は、もうこの学校の生徒ではない。校庭から退校すれば、戻る事は出来なくなる。

 この穏やかな時間も、二度と校舎では楽しめない。

「一緒に出掛けて、ご飯を食べてお風呂に入って貰う────は、ついさっきと同じじゃん。私に忠誠を誓って僕と成る、も、もうしたし。あれ、もう人生も捧げるって約束した。あれ、もう何も無くない?あれ、私全部持ってる?あ、決めた!!」

 腕に強く絡み付いたキョウカが、更に口を裂く。耳まで届きかねない笑みに手を添える。

「ん、触りたくなったの?」

「少しだけ。それで、決まったのか?」

「うん、決まった」

 中庭を踏み越え、校舎の一階廊下へと踏み込んだ時、自信満々にキョウカが腕を胸へと導いた。知らぬ筈がない、けれど上腕を丸ごと呑み込んでも尚余りある深過ぎる谷間から、視線を外せない。それに感付いてしまったキョウカが、舌舐めずりをして息を耳に吐いた。

「震えてるの?ざーこざーこ。やっぱし、お前は私には勝てない。私がいないと何も出来ない雑魚。雑魚のくせに主導権を握ろうとか、生意気なんだよ雑魚。そんな雑魚、性欲だけはある雑魚に、ひとつ命令を下して上げる。感謝して全うしろよ、破ったら殺すから」

 出会った頃と同じだった。

 何も知らない自分は狂った世界に怯え、ひとり震えていた。そして突然現れた、狂った世界よりも恐ろしいキョウカに震え、その美しさに慄いていた。混濁する世界の中、どうして思うままに狂えるのかと、流されず自我を保てていられるのかと吐き気を催した顔。

「め、命令じゃない。わがままを、」

「はぁ?終わりであれ、発展であれ黎明であれ、突き進むしかない世界の中では質問も答えも、何もかもも全ては移ろう。今まで正しいと知識も見解も普遍的とは言えない。なら、わがままも命令も変わらないの─────心して聞いてね。二度は言わないから」

 廊下の壁へと押し付けられ、長い足の膝を股に突き付けられる。

 甘い痛みを覚え、気の迷いでショック死する状況に怯えてしかない自分を弄び、更に息まで吹き掛けるキョウカが、真っ白な牙から舌を覗かせ呟いた。

「私の全てを受け入れて───どれだけ恐ろしくても、どれだけ悍ましくても。私の性癖から隠し事、思い付いた手遊びまで全部付き合って貰う。つまりは、私と、あれ、私と?」

「え、どうした‥‥」

 そこで言葉を止めて、またもや自分の世界へと戻ってしまう。

「おかしくない?これって、私を上げるって言ってるのと変わらなくない?むしろ、それそのものじゃない?ん?でも、これって命令だし。問題無いよね。ねぇ、これってさ」

「ああ、必ず守るよ。今後の生涯全部を使う、恐ろしいわがままだ」

「そうだよね!!そうそう、わかってんじゃん雑魚♪私に全てを捧げるんだから、すっごく怖いでしょう。絶対に逃がさないから、覚悟しろよ。うんうん、やっぱり私は支配の方が相応しいよね♪」

 悲嬉交々なキョウカからのわがままを、自分は独自に解読した。

 自分を上げる代わりに、お前を寄越せ。さもないと不機嫌になるからと。

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