8話 ————喰殺————

 お前の所為だ。卑怯者。

 一体何度繰り返された言葉であったか。どれもこれもが卑怯者、お前が悪い、お前の所為だと張り裂けそうに叫んでいたのを思い出す。その場にいなかったという言い訳など、聞く耳持たず、わかりやすく貶めようしているなと、毎度に思っていた。

「どうして、俺の所為だとわかる」

「お前の所為だからだ。皆んなに謝れ────」

 いつからか、自分以外の人間の言葉を理解しとうと努めなくなったのは。聞くだけ無駄だと気付いてしまったからだ、だって、確実に自分とは別に生きている生物と相互理解など不可能。既に決まった答えを合唱して繰り返す、その度に自分に代償を支払えと叫ぶ。

「‥‥本心でそう思ってるのか?」

「また言い訳をする気か。お前はいつまでもそうだな。すぐ人の所為にして、逃げる。卑怯者───お前みたいな卑怯者は、社会の為に矯正しないといけない。お前も自分が悪いって気付いてるだろう、皆んなの為でありお前の為だ。早く責任を取って素直に謝れよ」

 具体的な理由など言える訳がない。もしこの場で自分こそが犯人だと、誰かが名乗り出ても、同罪だからお前の所為でもあると叫ぶのは想像に難く無い。むしろ付け焼き刃にも劣る責め立てに、そっと嘆息したのを覚えている。

「────猿どもめ」

 あれだけ俺に憎しみを保持しているというのに、この口には敏感であった。待ってましたと言わんばかりに全員揃って雄叫びを上げ、罵り、足や拳が飛んでくる。肉体的な痛みも精神的な痛みも慣れた物。真っ当な心を持つ自分は、しっかりと成長しているのが誇らしい。

「刺せ─────」

 静かに聞こえた言葉に対して、耳を疑った。

 直後に腹が熱せられた様に痛むのを感じ、深々と突き刺さる柄を見つめた。恐らくはクラスメイトらしき者の手の中にあるそれを確認した数秒後、力任せに刃を捻じり、肉と内臓を抉り取る────血を一瞬で失い、震える膝から力が抜け、傷を庇いながら倒れた。

 正気を失っていた群衆が、瞬時に静まり返る。だが、これは合図であった。

 抑える手を踏み付けられ、傷をつま先で蹴り上げられる。傷を押し広げたつま先によって直接内臓を傷付けられ、代わる代わる腹を踏まれた。震える肩も頭をも足跡を残された時────猿達は、ようやく理解した。取り返しのつかない事をしたと正気に戻る。

「お、俺の所為じゃない!!だって、お前が刺せって!!」

「マジで刺すなんて思わなかったんだ!!どうすんだよ、逃げてんじゃねぇよ女!!」

 わざとらしい悲鳴を上げて逃げ去ろうとする女生徒の一団、つま先を最も血に染めた一人にそう叫び、手首を掴み上げる。視界の半分を失っていながらも、だからこそ五感が研ぎ澄まさせれ状況を悟る事が出来た。

「私達の所為じゃないでしょう!?あんた達が勝手にやったんじゃないッ!!」

「最初に刺せばって言ったのはお前だろうが!!何逃げようとしてんだよ、卑怯者ッ!!」

「私は、コイツみたいな卑怯者じゃないッ!!私達を巻き込まないで!!」

「さっきから私達って何!?アンタが命令したんでしょう!?私は悪くない!!」

 自分から溢れた血を踏み付け、怒り狂いながら言葉を交わし続ける彼ら。中心から離れた者達は我関せずと教室の隅で隠れ始めた、そんな双方の姿があまりにも醜くて醜くて────自分は救われたのだと気付かされた。あれらの中にだけは入りたくない。

 あれらと同じだと、絶対に数えられたくなかった。

「テメェ、今笑ったな」

 数十度目の蹴りを肌に受け、砕けていた骨が遂に内臓を突き破るのを感じた。

「お前の所為だろうが、なんとかしろよ!!お前の所為だッ!!」

「そうだ‥‥お前の所為なんだからよ!!」

「また私達を苦しめる気!?なんとかしてよ、なんとかして卑怯者!!」

 救いの言葉を発しながら繰り返される暴行に、自分は意識を手放す事とした。彼らに最後に送れる救済の道は、自分の死体を前に罪を贖う事のみだと知っていた。目を閉じ、減ってしまった血を止め、心臓を冷やす。たったこれだけで自分は死ねる。世界から逃げられる。

「‥‥燃やそう」

「馬鹿かよ、何処で燃やすんだ。外にだって持ち運べねぇぞ‥‥」

「最後の最後まで───卑怯者。どうしたら、こんな屑に成れるの」

 だけど、最後に彼らの言葉が気掛かりだった。

「結局どうするんだよ!?このまま放って置いたら、俺達しか疑われないだろうがよ!!」

「そ、そうだ。これを握らせておけば、自殺したって────」

 怯え震える手で、握り締めていた熱いナイフを持たされる。

 けれど握力を失った手では握るどころか、手の中に置く事すら叶わない。何度も溢れるナイフに発狂し、雄叫びを上げる。────こんな状況なのに、自分には不思議だった。

「誰も逃げるなよ。逃げたら、ソイツの所為にしてやる」

 この思考に答えたのは、刺せと命令を下した犯人の一人であった。

「俺には、将来があるんだ。こんな奴を殺したなんて難癖付けられたくない。おい、それ寄越せ────」

 奪い取ったナイフを手に、立ち上がった犯人の息が上がっていく。そしてゆっくりと、この身体を見つめた。それで察してしまった。彼がなんと言うか。彼らが取るべき選択が。

「お、俺達は三十人はいる。全員でバラバラに持ち出せば、」

「ひと一人分の身体よ!?バラバラにするなんて、私は絶対に無理だからね。アンタが全部やって。それに持ち出すなんて絶対にイヤ。腐った肉なんて持ち歩きたくない」

「なら、お前一人の所為にしてやる。俺達はやるしかないんだよ、全員でコイツを持ち出すしか」

「‥‥ああ、やるしかない」

 教室の隅で隠れていた生徒も、固唾を呑んで歩み寄ってくる。骨がいい、内臓は嫌だ、足は重そうだ、腕は不気味だから指を落としてくれ、骨盤は砕こう、腸は長いらしいから切り刻もう。殺人の罪悪感など、誰一人として感じていない。これから執り行われる儀式しか考えられていない。そして、誰かがポツリと呟いた。

「頭はどうする」

 小さな疑問は、全体を揺るがす濁流と変わる。

 誰もが頭だけは嫌だ。重そうだから、顔が嫌いだから、脳が溢れたら汚いからだと。毛髪は全て引き抜こう、いや、そんな事をしたら証拠が残る。袋に入れてまとめて燃やそう、髪は臭うって聞いた。髪はまだいいさ、だけど、顔って腐ったら、目玉が転げ落ちるぞ。

 口々に言い訳を行うなか、ナイフを持った犯人の一人が静かに告げた。

「────持ち歩く必要なんてない」

 鼻息荒く、血走った目で見つめられる。

「俺だってやりたくない。もう、この卑怯者の顔も見たくない。欠片だってな」

 誰もが気付いてしまった。本気か、正気なのか?と問う空気に応える様に、倒れている自分の髪を掴み上げてエラ辺りに切先を突き刺した。薄らと見えた顔は、笑顔であった。

「もうお前の顔を見ないで済む。最後の最後まで迷惑を掛けていったな‥‥三十人もいるんだ、顔だけでも無くせば。顔だけでもここで失くせば、誰なのかはわからない」

 頭蓋骨に沿って切先が運ばれる。血も脂肪も溢れるなか、頭皮を掴んで行われる行為の一部始終を全員が見据える。無言の中、肉を裂いているとは思えない軽い音が響いた。

「───食べよう」






「んー、結構食べちゃったね」

 部室の奥底、具体的には本棚の真後ろに隠されていた雑誌を手に呟いた少女に、頷いて答えた。戻るなりソファーへと座った少女が、両足を開いて早く収まれと告げてきた為、シャワーで香りで強くなった腹に顔を差し込んだ。腰に伸ばした両手で下着のワイヤーを軽く撫でるが、得に叱る事もなく淡々とつむじに頭を置いてページをめくっていた。

「なに、読んでるんだ?」

「ん?エッチな奴。男の子って、こういうの使って発散するんだよね。今度見せてよ、興味あるから────やっぱ、却下。私の写真集を用意してあげるから、それでやって。ヌードは、まだ無理だけどヘアヌード、も無理か。個人撮影してあげるから必ず見せて」

 冗談かと思いきや、時たま「うわぁ‥‥」と感嘆の声を上げる為、雑誌の内容に偽りは無いらしい。そして一つのページが気に入ったようで股を強く締めて興奮を知らせた。

「すごい、こんな格好出来るんだ。でもでも、私達だってすごい体勢してよね。────顔にお尻なんて。し、知らない、こんなポーズ人道的にあり得、うわうわ‥‥痛いよ、絶対この人すっごく痛いよ、なんで‥‥あ、これなら出来そうかも。映像とか、あるかな‥‥」

 断じて初心ではない筈の少女が、成人向け雑誌に一喜一憂している。

 自分という第三者がいるというのに、高い声を上げて感想を述べる姿には、少しだけ悪戯心が刺激された。

 試しにパーカー内に手を入れてYシャツを撫でる。何にも反応がない。

 更に進んで下着を摘む。尚も雑誌に夢中だった。悪戯心から嗜虐心へと移り変わった所で、シャツ越しにホックを外してみた。目論見は成功し、軽い金具の音を立てて外れた。

 数度の経験しか無かったとしても、この下着の形状は慣れたものである。

「し、知らなかった。こういうのが市販されてるなんて────あの女、私を閉じ込めて外界との接触を断たせてたなんて。でも、もう遅いし、もう知っちゃったもん。次会ったら、あの顔引き千切ってくれる────籠の鳥なんて、私には似合わないだろうがッ!」

 締め付けが外れた事で、背格好過剰積載な大質量の胸元が頭にのしかかる。

 そして、きっと気付いていない少女が強く頭を抱き締めて、「いいもん、いいもん」と連呼、動けないこちらを良いことに、抱き枕代わりにして顎を乗せ続ける。

「この雑誌を雑魚は見ちゃダメ。お前には刺激が強過ぎる、それに18歳じゃないし」

「君は18歳以上?」

「違うけど、私は良いの。お前はダメ、だって雑魚だから。私が良いって言うものだけ見て、あなたの趣味趣向は私が作り出すから。いや、あなたの性癖は私そのものにする!」

 何かを固く誓ったようで、息さえ出来ない程に抱き締められる。そろそろ限界だと悟り、軽く挟んでいる腿にタップするが、留まる所を知らない脚力に胴体を千切られそうになる。

「まさか、入れない性行があるなんて。外は技術的に遅れてるって思ってたけど、ああいう発想、イノベーションは外の方が数段上。これは認識を改める必要がある、いや、悔しいけど認めないと。だけど、ストッキング越しに踏み付けて擦るなんて。痛くないのかな?」

 意を決する。このまま少女に殺される訳にはいかない。

 再度Yシャツに手を忍ばせ、物思いに耽っている隙を突き、更にYシャツの中に入り込む。温かな肌とシャツの壁に包まれる背中を通り、外れている下着を完全に取り去った───。

「えっ!?キャッ!!」

 甲高い声を上げて自分の胸元を、俺の頭蓋骨で抑える。目の前が真っ赤になり、落とされる寸前でようやく解放され────両足を使って胸を突き飛ばされる。

「雑魚、雑魚ッ!!勝手に悪戯なんて────誰が触って良いなんて言った!?ぶっ殺すぞ、雑魚が!!どれだけ私の胸が好きな訳!?あれだけ触って、まだ足りない!?」

 叱りつける声を他所に、床へと解放された自分が取り戻せた呼吸に甘んじていると、飛び跳ねた少女がつま先で鳩尾に落ちて────柔らかな足先で酸素を奪われる。

「重いとか言ったらトドメ刺すから。言うわけないよね、あれだけ私を持ち上げて好き勝手したんだからさ。悪戯したいなら言えば許してやったのに、私を驚かせる?しかも、悲鳴まで─────悲鳴なんて上げてないから。隙を突くなんて生意気、誰が許した?」

「ゆ、許されてない」

「そうよね。私も下した覚えないし‥‥‥で、どうされたい?」

 狂った笑みも恐ろしいが、憤怒一色に染まった眼はそれに比類する。背骨が砕け散り兼ねない壮絶な恐怖を前に、圧倒的な意思ある山脈を前にしたように、身体が動かなくなる。

「へぇ、声も出ないんだ。なら、さっきの女優さんのポーズ、お前で試してあげようかな」

 足を掴む真似さえ許さないと言わんばかりに、胸に片足を乗せ顔を覗き込んでくる。

 満月の如く見開かれた眼球に刺し抜かれ、舌さえ操れなくなる。だが、掴んでいた雑誌片手にページを吟味し始めた少女の言葉に戦慄し、口の中だけで空気を溜め発した。

「君に構って欲しかった‥‥」

 ぴくりと、眉が動き胸の足が僅かに浮き上がる。

「ずっと雑誌で寂しかった。シャワー室で怒らせたんじゃないかって怖くて。悪かった勝手に触って、雑魚は一人じゃダメなんだ‥‥ずっと話し掛けて欲しい訳じゃないけど、」

「私に見て欲しかった。これで良い?」

 そうだと、頷いて返すと口元を雑誌で隠し、何かを思案、身体から降りてくれた。

 瞬時に正座を取り、上から見下ろす少女に対して謝る。思いつく限りの謝罪も、なにも写さない無の眼球で流されるが、それでもと食い下がって「話したかった」と本音を告げる。

「許し欲しい?」

「許して欲しい、それに話し掛ける許可も欲しい」

「雑魚のくせにわがまま。良いよ、その無様な必死さに免じて許してやってもいい」

 胸を撫で下ろし、恐々と立ち上がるとソファーに連れて行かれ、先程と同じような体勢を取らされた。果たして黒パーカーの少女はつむじに口付けを施し、雑誌を手に取る。

「あなたとの会話が出来なくなるぐらい、私が雑誌一つに脳の処理をかまける事はないから。話し掛けたかったら、勝手に話して。気が向いたら相手してやる。それと悪戯なら好きにして良いよ、私も気持ちいいし。というか自分で外したランジェリー、付け直して」

「付け直すって」

「早くやれよ、私を怒らせる気?」

 Yシャツの内側から零した下着、少女曰くランジェリーを押し付けられ、早くやれよと言いたげに再度抱き締められる。応えるべく手の中にある黒い蜘蛛の巣を握りしめ、再度温かな少女の身体に触れる。目的さえ忘れかねない吸い付く艶やかな肌に、カップを前にフックを背中へと渡して、少女のバスト下に這わせる。

 そのまま持ち上げ、支える様にフックと金具を噛み合わせる。

「まだ終わりじゃないから。早くボタン外して、カップの中に胸を収めて」

「‥‥怒ってるよな、悪かった」

「そう思うなら、そうなんじゃないの。遠慮なんかしないで、私が許したんだからやって」

 腕の中で空間を作り出し、頭と腕を通す許可を与えてくれる。雑誌なんて読める筈もないのに、無言で目を通したままで胸を突き出された。これ以上機嫌を損ねさせる訳にはいかないと、シャツのボタンを外し、抱き締めるようにストラップを肩から背中へと回し装着、収め終わっていない溢れる胸へも指を伸ばす。

 高鳴る心臓からもたらされる血の心地良さ、指を受け入れられる快感、自在に沈む胸が見た目にも美しくて、白い胸と黒い下着のコントラストに見惚れながら─────桃色の局部までも収め終える。そして開腹手術でも終える様にボタンを閉じた所で頭を腹へと戻す。

「はい、お疲れ様。無駄に触れて楽しかっただろう」

「‥‥出来る限り、触らないように頑張ったんだ」

「教えてあげる。手で温められる感覚って私は嫌いじゃないの。次があるなら、触るんじゃなくて支えるように温めて。褒めて上げても良いよ、あんまり痛くなったから」

 気丈に振る舞っているが、痛かったに違いない。腰に腕を回して身体全体で温める様に施すと、ようやく許してくれたらしく頭を胸で抱き締めてくれる。ほっと一息付けた。

「今度から悪戯する時は言うから」

「そうして。まぁ、雑魚の思考回路なんてすぐわかるけど、今は私の腿に夢中。違う?」

「‥‥正解」

「わっかりやすーい。ザーコ」

 言い終えた所で太腿を締められる。報酬とも映る白い足に、怯えながら手を伸ばすと鼻で笑う声がした。毛穴の一つとして見えない細やかな肌を、手の平で撫で上げ更に笑わせる。

 柔軟な筋肉を束ねて、細い骨を支える足の白さと沈む脂肪のとろみに指を這わす。

「痛くない?」

「全然、続けても良いよ」

 それは冗談ではなく、本心から言っている気がした。顔を見ずに「‥‥怒らない?」と質問の構えを取ると、眠る寸前の子供をあやす声で、少女が答えてくれた。

「ん、なぁに?」

「触られるの、嫌いじゃない?」

 瞬時に頭を差し出し叱る声を待つが、聴こえてきたのは「んーーー」という物。

「今まで人に撫でられるとか無かったから、ちょっと驚いたの。人肌って悪くないなって。うん、触られるの嫌いじゃないよ。むしろ気持ちいいぐらい。それに、あなたが触ってくれると嬉しいよ」

 余りにも卑怯だ。何故、こんなに優しく呟けるのかと。柔らかな声が耳に心地良くて、本心を覗かせない少女が、時折見せる心らしき物に自分は掴み取られている。

「あなたもそうだね。私に抱き締められるのが大好きでしょう。うん、それに私も落ち着く。あなたが私のお腹が好きなように、私はあなたの頭が好きなの。ふふん♪だけど、胸もお尻も足も手も、顔も全部が好きみたいだけど。それに下着も。欲しかったらあげるよ」

「‥‥少しだけ調子に乗ってもいい?」

「当ててあげる。私が欲しい、違う?」

「ずるいよ。なんで全部知ってるんだ。そんなに雑魚ってわかりやすい?」

 それ以上は答えず、雑誌に戻ってしまった。それ程までに雑誌が楽しいのだろうか、自分以上に雑誌が大事なようで、もとい少女が雑誌に奪われたようで妬ましかった。だから一言断ってソファーに埋まっている臀部に手を伸ばしたが、ニヤけるに留められた。

「良い顔、その悔しいって表情、だーい好き。切り刻んで持ち帰りたいぐらいに」

「────俺が欲しい?」

 ふと、顔を上げて聞いた瞬間、雑誌を投げた手で更に顎を指で持ち上げられる。

「知らなかった?お前は、もう誰かの物じゃない。お前の物でもない。もう私の物」

「嬉しいよ、本当に‥‥」

 記憶の奥底にある切り刻まれた喪失感とは違った。元々持っていなかったものが満たされた、足りないもの同士を結合させて真に完成した安定感を覚える。この感覚は、生まれて初めてだった気がした。奪われていた筈の体温を取り戻せた気がした。



「これ、似合う気がする」

「確かに、このニットワンピースは悪くないかも、むしろ可愛いかも。だけど、このモデルさん、かなり背が高いよ。服のデザインも、そういう人を相手にしてるからウエストの位置がすごい高い」

「そういう物かぁ」

「そういう物。でも、私に似合う物、よく理解してるね。悪くないよ」

 冷静に論ずる横顔は麗しかった。少し長く休憩をし過ぎた自分達だが、今も部室から足を踏み出せずにいる。唐突に立ち上がった少女が指差す通り、ソファーへと座った瞬間、膝に座られ抱きかかえろうと告げられた。言われるままに少女のソファー代わりとなると、腹の上で雑誌を開き悠然と時間を嗜んでいた。

「雑誌、面白い?」

「悪くないかも。スマホとかだと、結局自分の興味がある記事しか読まないし開かないから。こういう編集側が見せたいと提示される記事は、割と面白いかも。勿論、センスの良し悪しに関係はするけどさ。あなたはどう?私と見るなら、どういうのが好き?」

 試されている。そう察した自分は、向けられる眼球を鏡に自問自答を始める。

 ファッションに興味があるらしい少女は、ファッション誌片手に問いた。ならば、それに付随する答えを弾き出すべきかもしれない。しかし、見た通りの答えでは、あまりにも面白みに欠けると断ずるかもしれない。だからといって、それ以外にヒントがないのも事実。

「ねぇ、難しい質問しちゃった?」

 不思議そうに顔を傾けた少女の手を握り、静かに切り出す。

「沢山、カテゴリーを限定しないで読もう。ファッションも面白いし、映画とか料理とかも。俺は、学校の事以外にはあまり詳しくないから、色々と見たいし探したい────ただ、あんまり内容が先鋭化し過ぎてると眠くなっちゃうかも」

「そうかも。この辺り、生地の産地とか模様の発祥とか言われても私もよくわからないや。なんだろう、この‥‥とある映画で民族が身に付けていた衣装、白い布に青い刺繍が施されたデザインの出典とか。映画は詳しくないし、北欧は苦手なんだよね」

 指で示す項目には、確かにそのくだりが述べられているが、自分にもわからなかった。

 どうやら天体部の生徒達は、この部室を私室扱いしていたらしく本棚の裏にソファーの下、望遠鏡三脚ケースなどから、雑誌は勿論菓子に漫画。そして────。

「鍵束。複製してたなんて、知らなかった」

 テーブルの上で重なり合う鍵達を視線で捉える。自分の記憶が正しければ、教員らに手伝いの命令をされ、投げ付けられた鍵の形と瓜二つ。学校中の扉という扉を開錠出来るのではないとか、期待してしまう重量感だった。

「ふむふむ、学校でもバレないメイク術、こういうのが人気なんだ。でも、なんで皆んな耳に穴を開けたがるんだろう。そんなに隙を無くしたい?それとも顔を埋めたい?時代物とかのオーディションだと、耳開けは写真で落とされちゃうのに。それに私は髪長いしなぁ」

「イヤリング、興味あるのか?」

 鍵束を手に持ち、鈍い金属音を鳴らせてみる。

「無いわけじゃないけど、私の髪って黒くて長くて綺麗でしょう。耳を出す機会って髪を束ねたりする時ぐらいだから、耳を飾っても無意味かもだなって。どう、一緒にお風呂とか入る時、耳が輝いてたら嬉しい?」

「‥‥否定する訳じゃないけど、正直痛そうで不安になるって言うか‥‥」

「あー、やっぱりそう見られるよね。実際、ちょっと引っ掛けただけで千切れちゃう場合もあるらしいから。意外と耳って血管通ってるから、流れ出したら止まらないって聞くよね」

 血の気が引く事を言う。想像してしまった惨事を振り払い、雑誌を掴む手を握る。

「ん?悪戯したくなった?良いよ、好きなだけ触って。でも、痛くしたら叱るからね」

「鍵を見つけた」

「だから?」

「次の狩場に行こう。体育館は空振りに近かったんだ、生徒は────元々、立ち入り禁止だったから、あまり見かけないけど大人達はまだまだいる。職員室とか会議室とか、これは全部別館にあるから、他を探すにも向いてると思う」

 雑誌を閉じた少女が、握っている手を抱き寄せて口元に当てる。手の甲に接吻をされ、唇の柔らかさに鳥肌を立つ。吐息すら優しく肌を撫で、最後に軽く舌で舐められる。

「校内も大事かもしれない。だけど、そろそろ外にも行こうよ」

 来るとは思っていたし、あの光景も脳裏を過ぎる。

 屋上から見下ろした中庭は、最も多くの異形達が揃って見えた。校内も長く歩き回り、道中では三十人近くの生徒と教員、カメラに収めようと訪れた取材陣を殺して喰らってきた。確かに少女の言う通り、良いタイミングなのかもしれない。

「怖い?」

「少しだけ」

 屋内というのは四方を壁に囲まれている為、心理的に落ち着いて異形と立ち向かえた。背中を壁に囲まれているという事は、正面からの一撃にのみ注視すれば良い。しかし、自分と彼女の目的は、全員を喰らって生き残る事だった。四面楚歌すら生温い状況だ。

「まぁ、嫌だって言っても連れて行くけど。鍵も持って行こう、役に立つだろうし」

 とは言うが、膝から降りない少女は数冊目の雑誌に手を伸ばす。未だ髪から漂うお湯の香りを肺に溜め込み、ぬくもりを求めて腹と背中に腕を伸ばして引き寄せる。

 叱られるのは嫌だが、反応がないのも悔しかった。だからといって驚かせると怒らせてしまう。興味を引く話題を振るのが一番なのかもしれないが、女性向けバイクを特集する雑誌に目を輝かせる姿の、邪魔はしたくなかった。

「意外かも。これだけ好きにして良いって言ってるのに、やっぱりお腹ばっかり。胸とかお尻とか、太腿とかも触って良いのに。それに髪を楽しむ程度なのも驚きー」

「‥‥つまらない、かな」

「んーん。引っ張られたり痛くされるより、全然良いよ。臆病者な雑魚の良いところ、私を貪りたいのに傷付けるのを恐れてる。私が大切だけど、同じくらい非難されるのが怖い。だから撫でる、触れる程度で抑えてる────違う?」

「‥‥正解、だと思う。君に嫌われたくない」

 目を向けずに、的確に急所を抉る言葉が恐ろしくもあったが、心地良かった。

 裁かれているようで、胸が軽くなる気さえした。冷たい胸を温めるべく更に抱き締める。

「怖いんだ、初めてなんだ。嫌われたくないって」

「自分に自信がないんだね。なら、頑張って沢山経験しよう、練習しよう」

 雑誌をテーブルに投げ出し、膝の上に跨り自分のYシャツをたくし上げた。

 この姿勢は卑怯だった。逃げる事が出来ないのに、手ばかりは自由で晒し出された白い肌に触れる事が出来る。柔らかな腹から引き締まった腰へ、そして徐々に上へと移動させた時、下着越し、ワイヤー越しの胸部を温める。そんな光景を小さな声一つ上げないで見つめてくる。だが、何も言わず少女のトップに手を伸ばし、温める続けると僅かに声を発した。

「怒ってる?」

「さぁ?でも、あなたの温かい手、嫌いじゃないかもよ?」

 交代と言いたげに、こちらのYシャツのボタンを外し、腹を撫でる少女を抱き寄せる。小さな顎が華奢で愛らしくて、肩に手を置いて唇を奪う。甘い唾液を求めて舌を這わせるが。

「はい、私の物♪」

 舌を噛みながら告げる姿に胸が高鳴り、スカートに手を伸ばした。

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