7話 ————焼殺————

 教師と呼ばれる人種と心が通った試しなど、今までの自分にはなかった。

 否、有り得なかったというべきなのだ。教育者と呼ばれる聖職は、求める者に対してのみ施しを与える善行なのだから。仮に拒否したとしても、差し伸べられる手は救世の如く輝いて見えた事だろう。─────果たして、自分にはその手は汚れて見えていたのだった。

 自分の様な子供を騙してなんになる。一心の善心がなければ、話し掛けるはずが無いだろう。よく考えろ、お前を騙して何のメリットがある。お前はその手を振り払ったのだ、お前の様な卑怯者には、二度と受け取れない清く正しい正道だというのに。

「おい、お前何様だ?」

 手を取らなくて正解なのだと、自分は確信していた。

 手を取った者から、この教師の奴隷となる。そんな訳がない、自分達を教え導く言葉が尊いと理解し、ああ成りたいと成るべきなのだと理解しているだけだ。

 ————本当にそうなのか?

「お前だけだぞ、礼儀知らずの餓鬼は。お前だけだぞ、俺に逆らうクソ餓鬼が───」

 あれが尊い?あれが正しい?理解し難い。あれにだけは成りたく無い。

 力とは一種の美しさに写って見える。それが年若いのなら尚更なのだろう、誰もが屈服し、誰もが首を垂れる。誰も彼もが揃って従う姿は、それはそれは輝いて見えた事だ。

 誰もが否定し、自分は正しいのだと偽るから────正気な俺が羨ましいのだろう。

 言い当ててやる、お前達は心酔しているだけだ。あれを自分の主と受け入れている。

「聞いてるのか!?お前みたいな奴には、罰が必要だ。これは教育だッ!!」

 きっとこれも同じなのだ。自分も、教育という理想に沿わなければ、言い訳にしなければ何も出来ない。逆に言えば自分は教師で無ければ何も出来ない。無力なのだと知っている。

 骨を突き出した拳がこめかみに突き刺さる。ヒビが入る痛みと音が、耳の骨を叩く。

 鍵を固く締めた四角形の部屋の中、自分は椅子から投げ出される。言い訳でもしてみろ、自分が正しいとわかっているのなら、俺を論破してみろ─────恐ろしい。この様な馬鹿でも、教師という大役が務まってしまうとは。

「何も言えないだろう。お前は、自分が間違っているとわかっているからだッ!!」

 何を言っても無駄だ。もう、これが正気とは思えない。言葉を与えるに相応しいのは、言葉が通じ、言葉を理解するモノだけだ。言葉を操るだけなら、誰でも出来る。

 諦めよう。これが正気に戻る事はない。救いようの無い者はこの世には夥しくいる。

 須く、この様な者は淘汰されてきた。だが、これらが蔓延っているのなら、この世の在り方が変わったというだけだ。救う価値などあるのか。信じるに足る意味など見出せない。

「輪廻転生だな。前世でも、誰かに歯向かって来たんだろう、それも今日までだ。今度こそ教育してやる。俺に逆らいやがって、恥かかせやがって。卑怯者────いつも人の所為にして来た代価を払う時だ。起きろ、まだ始まったばかりだ。俺に謝れば、ここから出して」

「失せろ────」

 瞼が閉じた訳ではない。余りにも醜すぎて、目が焼かれた訳じゃない。目が潰されたのだ。眼球が崩れ、突き刺さった何かが頭蓋骨を貫通する。口元に滴るのは血ばかりではない。生暖かな無味のそれは眼球の中身。タンパク質としか形容できない体液の一つ。

「こ、これは罰なんだ!!」

 取り返しのつかない事をしてしまった。取り返しのつかないのだから、自分では責任を取り切れない。受け入れ難い現実を拒否しなければならない。蹴り上げられる内臓は、数十度目で破裂した。食道を駆け上がる消化液が口も舌も歯も溶かしていく。

「お、お前の所為なんだ!!そんな物吐いたって、お前が悪いって事は変わらないんだからな!!俺は、俺はただ教育をしただけなんだ!!勝手に転んで自分で目を潰しただけだろう!?さ、さっさと起きろ、自分が悪いって、謝れよ!!そうすれば出してやるからさ!!」

 あれだけ喉を踏む潰したのが、一体誰だか忘れてしまっている。もし、最後に光が感じられれば血走った醜い目が見えていた事だろう。その点には感謝しても良いかも────いや、この様な猿に感謝など出来ない。たまたま人の言葉を操れているが、その中身は獣そのものでしかない。奇声を上げて、他人を傷付けるただの獣物だ。

「卑怯者!!またそうやって俺を貶める気か!?皆んなが知ってるんだからな!!お前は、他人に迷惑しか掛けていないって!!皆んな言ってる、お前が全部悪いって!!て、停学、いや退学だッ!!教師に従わないで、勝手に怪我して勝手に倒れるなんて、卑怯者ッ!!」

 最後の時だった。真上から片耳が突き破られる。失った耳では言い訳の一つも聞こえない。残っている耳は平手打ちにより潰され熱が籠っている。僅かな振動ばかりは感じられるが、それも時間の問題で失われる。砕けた肩を引き上げられるが、倒れるしかない。

 聞く者が居なくなった部屋で、一人発狂する教育者の最後だと確信していたが────幾人もの教育者が、何事かと入り込んだ。そして、この惨状を目の当たりにした者達が。

「隠しましょう。大体、コイツが悪いって言えば納得するんですから」

「親にだって見放された餓鬼なんですよ、碌な人生送りませんって」

「そ、そうだよな。俺は悪の芽を摘み取った、やっぱり俺は正しい教育者なんだ」

 もういい。何もかも諦めよう。受け入れよう。きっと切り裂かれ、焼かれ、埋められる。

 もう俺を、一個の命とは誰も見ない。俺を使って救われたい者しかこの世にはいない。




「止めるべきか?」

「んー。いいんじゃない好きなだけ食べさせれば。後でまとめて最後に喰った方が楽でしょう。それに────何処まで進化するか気になるし。もしかしたらアレを捕食すればあなたも進化出来るかもよ」

「食べる気が失せたよ。あんな奴を喰って得た物なんて、碌な物じゃない」

 舞台上で繰り広げられる見世物は、マクベスの最後もかくや、と言った具合に一方的だった。だが見てくれが酷い。醜く肥大化した身体で逃げ惑う異形と委員会の人間を喰らうものだから、特殊な見識を持つ者しか楽しめない映像作品の毛色を覚えさせた。

 四本ある内の後腕で頭を掴み、ノコギリを持つ前腕で足を切り落とす。

 間髪入れず胴体にノコギリを突き刺して絶命。次いで肉を骨から削ぎ落として口へと運ぶ。その光景は生物的ではなく、機械を思わせる無駄のない作業だった。

 内臓も含め肉として解体し、切り刻んで挽肉に変えて飲み込む。血の滴る挽肉は、食欲をそそられる代物ではなかった。大半を食し、最後に教育委員会の一人へ目を付けた時、

「あは、見て見て。助けてーだって」

 と、指を差して楽しむ少女へと振り返った。喰い過ぎて身体が安定していない教育者は、座り込んだ状態から血を伴う咆哮を吐き出し、失われつつある言葉を発した。

「女、オンナッ!!俺に指を差すな!!こっちに来て、俺に仕えろ────ッ!!」

 自分の中の記憶が、脳内を瞬時に駆け巡る。お前は特別だと言って、自室の様に使っていた生徒相談室で行われた数々の暴行を。そして奉仕をしなければ振り下ろされた拳を。

「はぁ?アイツマジで言ってる訳?」

「‥‥ああやって、自分の子種を植え付けていた」

「キモッ─────」

 それだけ告げて背後に隠れた少女に対して、再度教師は寄れと言い放つ。だがフードを目深に被った少女は再度「キモ」と言ったが最後しゃがみ込み、心底、目も向けたくないと言った感じに押し黙ってしまう。返事をする必要など無いのだから、正しい選択だった。

「あれは───」

「一人で食べて。あんな精液臭い奴、私に触れさせないで」

「俺だって食べたくない」

 だとしても、アレは目障りだった。

 仮に放置して別の異形と共喰いさせても構わないのだが、この場から去る背を指差して「卑怯者」だ、「女を置いていけ」だ言われた日には、自分で自分を刺してしまい兼ねない。触れるのも憚れる汚物だが、汚物なだけに処分しなければならない。

「————動くな」

 白一色の尾を引き連れ、波濤の如く迫る独鈷杵に対して汚物は自身のノコギリを振り下ろす。正確性を欠いた大雑把な反撃かと映ったが、自身の質量を用いての防波堤にも及ぶ絶壁を造り上げる芸当であった。侮った自分に舌打ちをするが、蔑み続けたあちらよりはマシであったようだ。

 貫通せず片腕に突き刺さった独鈷杵は、その状態で肉を焼き焦がす。

 あまりの激痛に独鈷杵は中程を握られるが、その手も容赦なく焼き尽くし着実に汚物の肉を分解、自身の血肉と奪っていく。

「声すら醜いな」

 子供の駄々にも見えるが、その実可愛げなど微塵もない断末魔の絶叫の最中、汚物は舞台上で転げ回ってようやく独鈷杵を外すことが叶う。息も絶え絶えに起き上がった汚物が、ようやく自身の足で立ち上がり、その巨体の全貌を見せつけた。

 更に飛び降りた汚物によって、地震でも起きたのかと錯覚する。

 背後で跳ね上がった少女に腕を貸し、鎮まった所で地面に戻す。

「アレを喰うには時間が掛かりそうだね。太っちゃうかもよ」

「あんな物をそのまま喰う気は起きない。焼き尽くして炭にしてやる、マズイのと苦いなら後者の方がマシだ。料理する気にもならない————」

 手元に戻った独鈷杵を握り締め、迎え撃つつもりで一歩踏み出したが、地響きを起こし突進を繰り出す巨体へは道を譲る事とする。自身の腹にまで達する顎を開いての突進は、自分達二人を丸のみにしても補い切れない内包量が見て取れた。

「マタ逃ゲルノか、卑怯者ッ!!」

「だってさ。逃げたの?」

「そう言えば、ボールから逃げる奴は卑怯者って言ってたか。俺に対してだけ」

 腕に収まっていた少女を背後に降ろし追想する。バスケットボールを蹴ってぶつけられ、競技の一種だと言ってタックルも許容していたのを覚えている。そう思うと、毎時間逃げもせず参加していた自分は、なかなかに頑丈であったようだ。

「そう、学校ってやっぱりろくでもないね」

「ああいう奴にとっては極楽なんだろう」

「‥‥なるほどね。あの女が気に入る訳じゃん」

 背中で独り言を続ける少女は放置し、改めて汚物と対峙する。

 背丈は自分の二倍はあろうかと目算出来る。だが、見上げるほど巨大である所為だ、質量は三倍はあると言われても違和感はないかもしれない。巨大な生物から感じられる恐怖心は、ここ数度の捕食によって麻痺している。驚くほど楽に見据えられた。

「傷が消えてる————けど、皮で埋めただけ。中身までは再生できないか」

「ベラベラ言い訳しないと何も出来ないのか!?やっぱりオマエは卑怯者だ!!お前のような姑息な真似しか出来ない生徒は、俺の生徒じゃない———喰わせろッ!!」

 辺りのパイプ椅子を跳ね上げて、迫る巨体を受け止める事など不可能。

 しかし、あれがどれだけ人智から逸脱していようが、骨と肉に頼り切っている。六道をどれだけ巡ったとしても、自分の身体を持つという欲からは離れられない。

「言い訳なんてしていない。確実に仕留める為だ————」

 飽きもせず、と歪んだ牙ばかりの顔でほくそ笑む汚物は独鈷杵の一撃を易々と弾いた。

 異常に成長させた刃だらけ腕は、内から突き出す骨に耐えきれず血を吹き出し続け、なおも成長し続ける。鮫の牙にも似た姿だが、実態は自分で自分の細胞を喰っているのだと確信した。

「俺が仕留めようと放置しようと、どちらにしろくたばってた」

 弾かれた白骨による、死角からの膝を貫く一撃に身体が停止する。足一つ失った汚物はそれでもなお這いずって捕食を試みるが、速度は先ほどの半分にも満たない。

「迫力だけはあるかもねー」

 手元に戻っていた独鈷杵を握り締め、迫る開かれた顎の中心へと突き立てる。洪水にも匹敵する鮮血こそ吐き出されるが、なおも汚物は四手を振るい上げ自身の内へと迎え入れようと画策—————予見通りの行動、記憶通りの反応に刃から手を離す。

「あれ、どうしたの?」

 腰を落とし、頭上を通り過ぎる腕を見送った瞬間、同じくしゃがんでいた黒のパーカーを抱き上げて舞台まで走り去る。そして想像通りに、汚物は叫ぶ。

「逃ゲテバカリカ!?この卑怯者!!」

「あの中年、あれしか言えないの?一つ覚えって感じ」

 破壊された椅子や机を足場に、舞台へと跳ね上がった自分は少女と共に汚物を見降ろした。想定通り、この位置ならば首を狙える。いつも上から見降ろさて不快だったのを思い出した。そして内側で自身を焼く刃にもがき苦しみ、這いずってくる姿には胸をすく思いを覚えた。

「嬲るのは趣味じゃないんじゃなかったの?」

「因果応報。結果的に、あれが勝手に苦しんでるだけだよ。それに、あれが面白いのか?」

 言われてみれば、と視線を向けた少女は、数秒もかけてゆっくり見据え————首を振った。

「全然。確かに、あんな物の死にざまなんて見たくもない。わざわざ近づいて首を落とすなんて面倒、考えたくもないや。あれが死んだらシャワーでも浴びないとね」

 僅かにスカートをたくし上げながら、靴底を汚した血を舞台上に転がる服の切れ端で拭う姿もさることながら—————何気なく発した言葉の意味を吟味しようとした途端、汚物が掻き消すように叫ぶ。

「偽善者がッ!!また我々を嘲笑うのか、約束を違え、裏切るのか!?」

「————裏切り?」

 汚物の体内から独鈷杵を引き戻し、切り裂いた袋のように変貌させる。

 あれだけ饒舌だった口は、痙攣でもしたように開閉を繰り返し、自重を支えきれなくなった汚物がうつ伏せに倒れ込む。

「俺と対等だと思っていたのか?人の世界に染まり切り、己が役割すら放棄した背徳者が。お前達は裏切られたのではない、当初の使命を果たしただけだ。大人しく炎の中で浄化を進めていればよかったものを—————穢れた俗物が」

 頭上より光り輝かせた純白の独鈷杵を解き放つ。

 あれだけ巨大に見えていた汚物であろうと、本来の片鱗を取り戻してしまえば、その身を軽々と超える神の聖具となる。着弾した瞬間、刃に渦巻く爆炎が体育館全域を燃やし尽くし顔を照らし出す。けれども、あれはこの身を焼く為に作り出された物ではない。

 あれら魔族の頭蓋を砕き、屠るもの————。

「煙のひと撫ですら許しがたい」

 喰らい続けたアレらの血がざわつく。同様に相反する化身の血も滾る。

 体育館を包んでいた爆炎を、その刃に移したと同時に再度床板へと突き刺し炎の柱を作り上げる。煽られ、干渉された空気の中で雷光が発生し、未だ残る汚物の肉片を粉々に破壊していく。あれだけ美しかった姿も下界に降りれば、ただの自然現象と零落される。

「酷い姿だ。もう、救う価値もないのかな」

「なら良いんじゃない。あなたの最初の目的はなんだっけ?」

 役目を終えた独鈷杵を手元へと戻し、内に宿した力を喰らう。

「生き残る事‥‥」

「正解。最初の目的とはだいぶ離れたけど、結果オーライって考えよう。少しずつだけど取り戻して来たみたいじゃん————本体の御業を」

 少女の声で現実へと引き戻された気がした。目の前に広がっていたのは、不思議な光景だった。焼け焦げ、ただの炭となった身体が空気と散らされるが、体育館の壁やカーテン、床板のどれも焼けてなどいない。転がる椅子と机も同様に。

「御業?」

「そうそう、御業。まぁ、それについては自覚しててもいなくてもどうでもいいよ。あなたの内に、確実にそれがあるってわかったから。やっぱし私って天才かも。気になった相手が特別な雑魚なんて。特別に————私に夢中になって良いから」

 手を握り、跪かされた身体がパーカーの内に招かれる。温かくて柔らかな内臓の鼓動が聞こえる少女の身体を引き寄せ、目を閉じる。花でも身に纏っているのかと連想させる甘い香りに包まれ、口を開く事さえ忘れる。

「でさ、あれはどうする?」

 優しく頬を撫でられた顔が、自然と目蓋を開く。

 示された方向にあるそれは————一体なんであったか。記憶の奥底をすくい上げ、朦朧とする中で答えを見つける。

「確か————教師だった、筈」

「そう。学校の先生。あの炭の山食べたい?」

 慣れ親しんだYシャツに頬を擦りつけ、要らないと答える。だが、

「研究対象は多ければ多い程良いの。サンプルとしてでもいいから、喰えよ」


 

「じゃりじゃりする‥‥」

「仕方ないよね。だって自分で選んだんだからさ。はい、バンザーイ」

 泡塗れの小さな手で、横腹と脇の下、胴体全体を擦られる姿は少しだけかっこ悪かった。自分の僅かな羞恥心など気付いていないであろう、白い肌を惜しみなく見せつける少女は楽し気に世話をしてくれる。

「ん?どうかした、くすぐったい?」

 青い血管が浮き上がる白い胸元が眩しく、淡い桃色の局部が時折身体に当たるのが気掛かりだった。ついばむような接触だというのに、つるりとした感触と形が、はっきりと克明に身体へと刻まれる。こんな内心に気付かない少女が、不安気に聞く顔が愛らしくて。

「‥‥気持ちいいよ。続けてくれる?」

 任せて、と手で洗浄を再開してくれる少女が抱きしめるように背へと手を伸ばした。押し付けられる身体からは薄い体毛を感じながらも、なだらかな下腹部は傷ひとつとしてない。

 魔が差してしまい、お湯と泡に包まれた身体の心地よさに、手を伸ばしてしまう。

「あれ?あなたも洗ってくれるの?それとも————」

 ただの善意の訳がないと察していた。伸ばした手の行先である少女の腰と臀部は、引き締まっていながらも、指をいつまでも内へと引き込み、吸い付くような脂肪に覆われている。

 思うままに形を歪ませられる肢体に無自覚で、悪性の極限にある笑みを浮かべる少女と共に入り込んだ場所は、体育館に合わせて併設されたシャワー室だった。浴びた血と炭だらけの口を洗おうと脱衣し、シャワー室に入った時には、既に少女が準備を整えていた。

「‥‥どうやって入った。一ヶ所からしか入れないのに」

「ん?もしかして誤魔化すの下手?あれだけ無防備に脱いでたのに————わざと見逃したんだろうが。まさかお前から誘うとは思ってなかったから驚いたよ。意外と積極的?」

 手に残る泡を顔に吹きつけて、満足気に微笑む少女が背で洗い流してくれた。振り向こうとするが、全身を抱きしめられている所為で顔以外見れない。むしろ、顔を向かい合わせる以外許さないと告げているようでもある。

「器用だな‥‥」

 背後にあるシャワーヘッドを握って、そのまま二人で浴びせるなんて。一目も向けないで行われた作業には驚かされた。後悔した───つまらない事言うな、と叱られると瞬時に身構えるが、当の少女は先ほどよりも嬉しそうに、強く抱きしめてくる。

「あは、気付いてくれた?実はこれ、お気に入りなんだ。この目を使ってあなたを見つけ出して、私の物にしたんだよ。審美眼とか似つかわしくない物持ってるんだね」

 ふと口に出したが、機嫌が二段回で良くなった少女が猫の様に身体を擦り付けてくる。

 余りにも手慣れた行為に、身体が強張って麻痺してしまう。お互い、素肌で狭いシャワー室の中で抱き合う現状は、非現実的な現状の中でも異常事態であった。

 握っている臀部の温かみと、指圧に沿って弛む肌の柔軟さの虜となる。

「どうして、こんなに良くしてくれる‥‥」

「決めたの。あなたから目を離さないって。はい、ちょっとしゃがんでね」

 肩を抑えられた事で大人しく跪くと、更に一歩踏み出した少女の下腹部が、目の前に突き出される。そして何の確認もせずに片腕で頭を抱かれ、もう片方の腕で湯を流された。

「どう、気持ちいい?」

 鼻歌交じりに世話を施してくれる少女の腰を引き寄せ、腹に頷いて答える。

 頭上から嘲笑う声が振り注ぐ上、シャワー室全体に声が反響するものだから、顔を覗かれて耳元で囁かれている気分になってくる。数分後、流し終わったと頬を撫でられるが、少女へ縋り付く様に腰を抱き締めた。艶やかな身体から滴る音が耳に良かった。

「もう終わったよ。寂しくなっちゃった?」

「‥‥また、世話してくれる」

「雑魚のくせして私におねだり?私が欲しいなら────泣かなかったご褒美に約束してあげるよ。はい、立って立って。あの服はもう着れないから、適当に見繕っておいたから」

 手を引かれながら、シャワー囲いの外へと移動。足の付け根の臀部が優雅に震え、背中と腕だけでは隠し切れない質量を誇る胸が揺れる背を追う。また魔が差してしまった。

「もう湯冷めしたの?」

 白い背を後ろから抱き締め、耳たぶを唇の中に含む。血の通った耳を慰撫し、胸を潰す様に腕で抱き締めた。水の滴る肌の奥底、仄かに赤く染まった少女の身体を自分の物としたくなり、熱せられた血に、身体を操られた自分は本能的に少女の身体に充てがった。




 再度シャワーを浴び、タオルを身体に巻きつけながら脱衣所へと戻る。少女の言う通り、あのシャツは血を吸い過ぎて二度と袖に腕を通したくはなかった。

 タオル一枚で動き回る少女が、自身の着替えを持って洗面台の前へと移動する。

「ちょっと待ってね。今、着替えを。嘘────サイズが。あり得ないあり得ない。そう、これはランクが上がった、レベルアップしたって事。いや、そもそも勘違いの可能性が、」

「ここか?動かないで」

 蜘蛛の巣を模した下着のホックとストラップを繋げ、少女の手伝いを終える。

 余りにも衝撃的だったようだ。こちらの事など無視して、鏡を前にカップ内を整え、綺麗に胸の肉を収めていく。そして腕を上げて脇の下を見せつける様に、鏡で確認する。

「‥‥体重計、いや、私はしっかりとカロリー計算を」

「聞いた話によると、女性は興奮すると────」

「バストが膨れるって話あるよね!!だから、これは雑魚の所為!!あれだけ揉んで吸ったお前の責任!!だから責任取って!!私はスレンダーで豊満で美人だって言って!!」

「あ、あなたはこの世の物とも思えないぐらい美しくて魅力的で————何を犠牲にしても価値のある絶世の美少女。だ、誰もが恋焦がれる圧倒的な‥‥美声をも誇る‥‥」

 振り返って、これ以上の言葉を求める少女の顔を見詰められなくなっていく。まるで公開処刑だ。褒め称えれば称えるほど、自分が目の前の少女をどう思っているか、知らせる事となるのだから。

「あ、あと‥‥もう、いい?」

 納得した少女は、ようやく下の肌着を掴み上げた。目の前での着替えという光景も、この自分には初めての経験である。そして、その相手が絶世と言っても過言ではない少女。

 ただ────今も履いている下着が、あまりにも薄くて。隠すべき物しか隠せていない。

「こういう事するの、初めてじゃないんみたいだ‥‥」

「ん?経験はあるみたいだけど、私はあなたが初めてだよ。しっかり、あなたに突き破られたんだからさ。誘われる事はあっても、結構身持ちは硬い方だから、初体験同士だったね」

 にべもなく、まるで他人事の様に返答をし、未だにカップを整える姿は自分の認知外だった。ようやく諦めが付いたようで、こちらへと向き直った漆黒の瞳に鳥肌が立つ。

「そ、それで着替えは」

「はーい、ちょっと待ってねー」

 軽やかに脱衣所の端、籠の一つから衣服を持ち帰った少女がそれを突き出した。

 第一印象は割と普通。白いYシャツに拘りでもあるらしく、黒のパーカー内側に着ていた物を男性用に仕立て直した物にも見えた。そしてアウターとして白と黒────かろうじて制服らしきそれは、今まで纏っていた物よりも惹かれるデザインを持っていた。

「これは、何処から‥‥」

「秘密────♪」

 手渡された服一式を持ってベンチに座ると、自分もと言って隣に座ってストッキングに足を通し始める。すらりとした長い足を器用に操る姿から目を離せず、茫然としていると、

「男の子って、皆んな足が好きだね」

「そんな綺麗な足なら‥‥どうして、ああいう洗い方をしたんだ‥‥」

「ん?喜ぶかと思って。実際、嬉しかっただろう、あれだけ私に夢中になったんだから」

 顔を歪ませて笑む少女が、着崩した姿で肩に顔を置く。これほど、この少女に惹かれる理由がわかった気がした。清々しいまでに自分の欲望に忠実で、自分とは正反対────きっと羨ましかった。人間の淀みの中だとしても、己が在り方を見失わない彼女が欲しかった。

「‥‥嬉しいけど、俺にはちょっと早かったかも。次は、」

「刺激的過ぎた。ちょっと責め過ぎたかも、うん。次はゆっくりしようね」

 何処から来たのかもわからない少女。不気味なほど美しく、恐ろしいほど輝いて見える。腕に絡み付く姿は蛇にも映る、だが、その内側は誇り高い獅子の様でもあった。

「名前、聞きたい‥‥」

「聞いてどうするの?」

 明るく明確な拒絶をした少女に、それ以上聞く気にはならなかった。

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