6話 ————射殺————
手元へと戻った独鈷杵を見つめる。鮮血に縁取られた純白の刃は、手を傷つける事なく瞬時に収まった。思いのまま手のひらで回転する独鈷杵は、まるで自分の新たな手足のようでも、慣れ親しんだ筆記用具とも似ている。手を汚す血と脂ばかりも、今は眺めていられる。
きっと殺し合いにも————いや、きっとまだまだ慣れてなどいない。
「また吐いちゃう?」
「吐かない————」
胃の位置を掴み取り、食道を焼く胃酸を唾液で流し込む。むしろ、この作業こそが慣れてしまった気さえする。足元に蔓延る内側を晒す胴体を蹴り転がし、背を上へと向ける。
「酷い匂いだ、これも慣れるといいけど」
「いつかは慣れるんじゃない。少なくとも、その物欲しそうな顔をする雑魚には無理だろうけどな。私に甘えたい?いいよーさぁーおいで。雑魚には仕方ないよな」
床一面に広がる血溜まりに独鈷杵を突き刺し、吸い尽くした所で少女の腹へと収まる。待ってましたとばかりに、教室の机に跨る少女が両手で出迎えてくれた。
「結構やったんじゃない?まぁ、結局逃げてばかりだから、雑魚探しはまだまだ終わらないだろうけどね」
「—————なんで、全員で襲いに来ない」
既に20体を自分は捕食している筈だ。
ならば、何処かで自分の所業を見つけた異形だっていてもおかしくない。意思の疎通が可能であるのだから、自分達ふたりなど数の力で押しつぶす事だって。
「言ったでしょう。誰も彼もがお前を喰おうと狙っている。彼らにとって、あなた以外は敵ではないけど味方でもない。競争と言っても差し支えはないかも。自分の取り分が減るぐらいなら少数で仕留めに来てもおかしくない。見つけた瞬間、襲いくるのは空腹だから」
「‥‥それで救われてる部分もあるのか」
この独鈷杵について知った者は皆殺しにしている。襲い掛かる者を返り討ちにしているだけだが、情報が出回る心配がないというのは、自分にとって救いかもしれない。強力な飛び道具たるこの槍ならば、単体の異形で有れば労せず仕留められる。だが、懸念もあった。
「────口から電撃を放とうとした奴。アレは」
「あ、気付いた?共喰いの末、獲得した権能だよ」
長く時間を掛けて獲得する筈の進化を、ただ他人を捕食しただけで会得出来るとは。相手方の遺伝子を奪い取り、自分の末端に加えている─────単為生殖よりも画期的で無機的だ。やはり、あれら異形は我ら人類の系譜とは、明らかに別の進化を歩んでいる。
「早々に皆殺しを始めるべきなのか‥‥」
「出来るの?あなたみたいな雑魚が」
「────やるやらないの選択肢はないんだろう。だったら、」
やはり、純白の独鈷杵は自分の意思を持っている。狙撃と呼ばれるであろう、遠距離からの無音の一撃が、自分のこめかみ寸前で弾かれる。残るのは、手首の淡い痺れだけ。重い投球をバットで受けた記憶を思い出す。
「何処だ?」
視界の彼方。中庭を挟んで本館の窓から狙い撃った異形が、腕を突き出していた。
指鉄でも撃つ格好ではあったが、これは紛れもない暗殺。何を撃ったのかも理解できない非常識な攻撃に対して、自分は────自分の背後を大きく薙ぎ払った。
「そうそう。慣れてきたじゃん」
戦闘訓練とは無縁な人生を送ってきた自分にとって、この状況は危険だと漠然と受け取っているのに、何処へ注視すべきかもわからない闇路そのものであった。
———————だが、指し示す船灯にも等しい存在がいる。
純白の独鈷杵は、視線を逸らすべきは背後であると選択した自分を尊重してくれた。
頭を抑えるようにしゃがんだ少女の頭上を、通り越し振るった刃は、確かな手応えと共に滴り落ちる血の感触を示した。間髪入れずに落とした返す刃は肩の骨と筋肉を断ち、骨格を両断————第一声も許さず21人目とする。
「飛べ————」
作戦変更とでも言いたげな狙撃が背中へと向けられる。死角からの一撃に特化した組の弱点は、正面からの戦闘は避ける点であった。それはそのまま弱者だと察しさせた為、弾丸が通るであろうコースを独鈷杵自身に任せ、自分はただ放つに収めた。
見えない弾丸を弾いたと甲高い音で示した独鈷杵は、本館窓ガラスを貫通。水風船でも破裂させたように血しぶきを上げた肉体を、その場で吸収し始める。
「なんで、そんな死にそうな顔してるの?もっと凛々しい顔でもすればいいのに」
「‥‥これから、また食べるんだろう。吐きそうなんだ」
転がる脂肪と筋肉の塊が、足元で固まり始めた。にかわ化してきたソレらは自分の足底と床を接着し、足を上げれば生々しい音を立てて跡を引く。
「ザーコ。仕方ないから骨で食べるやり方でいいよ。次は食べて貰うけどね」
許しを得た事で胸を撫でおろし、手元に戻した独鈷杵を再び突き刺して、吸い込むように捕食される。分解される肉片も、巡り巡って自分の身体に吸収されるとはいえ、死体そのものと調理された素材では天と地ほども違うのは明白であった。
次の休憩室を探すべく、少女に腕を組まれて教室のひとつを後にする。
当初、逃げ回っていたのが嘘のように自分達は捕食が可能になっていた。だが、それは爪と牙のみで突撃を繰り返す、野生動物に限っての話に、今後は成るのだ。
防いだとは言え、狙撃の痺れがいまだ腕に残留している。それを知ってか知らずか、自身の肉体で癒すようにしがみ付いている少女は、至って笑顔のままである。
「————やっぱり、何処かで」
唐突に顔を両手で挟まれた自分の唇は、少女の黙らせるような接吻で塞がれる。甘過ぎる唾液のくちどけに、それ以上の言葉を告げられず少女の腰を引き寄せる。
「自分で考えれば———?」
嬉しいのか、はたまた激怒しているのかも分からない悪性の笑みを浮かべる少女が、最後に唇一帯を舐め終えてから離れていく。こんな手管は、初めてで————。
「やっぱり、経験者なんだ‥‥」
「どうでも良くない?もしかして独占欲?勝手に悶々としてれば」
後ろ手を腰辺りで組む少女が一人で突き進むものだから、必死に追いかけた。
ここは三階であったが、自分達が引き籠っていた本館とは違う別館。体育館へは、この別館を真下に降り続けるのが近道であり、少女と共に、渡り廊下を走り切りようやく一息、と思った矢先の襲撃に出くわしていた。
「ひろーい学校だね」
邪気などない本音であろう言葉の響きに聞き惚れる。
「学校、行ってるのか?」
「どうだろう。忘れちゃった————ウソ、通ってないよ」
自身の愛らしい顔付きを完全に理解している。フードを被って振り返る姿の小動物感、そしてあどけない笑みの美しさの数々たるや、思わず喉を鳴らしてしまう。
「どうしたの?早く行こ♪」
階段を降りる小さな背中を追い越し、襲撃に備えるが少女は小さく鼻で笑うだけで、褒め言葉のひとつもくれなかった。少しだけ不服だと、心が本能のままに動いてしまい、振り返って顔を向けると—————望み通りに口づけを施される。
「誘ってるなら、もう少し技術を磨いて。さぁ、行こう行こう」
腕に戻った少女と共に二階へと降り立った所で、独鈷杵を取り出す。槍でもある骨だが、同時に自動的に迎撃と防御をも行う思考性型兵器でもあった。これを握っているだけで幾ばくか心が落ち着き、少しだけ強気に次の階段へと足を伸ばせる。
「でさ、目指してる体育館だけど、体育館ってそもそもどんな場所なの?」
「どうって、普通の————板張りの広い床が全面にある。あと、屋内スポーツ、バスケットボールとかのコートが設置されてて」
思いつく限りに、自分の記憶を手繰り寄せ続けたが、説明の度にすぐさま後悔する。なんて酷い説明だと。辿々しくて曖昧で、正確性を軽んじている。研究者然としている少女にとって聞くに耐えないだろうと、自分自身に言い聞かせるが─────。
「ん?どうしたの。もっと聞かせてくれたら、嬉しいな」
興味深そうにこう言うものだから、益々焦ってしまう。舌でも噛んで、この舌禍が止まるのを待ち望んでいるというのに、自分の口は回し車の如く一切の滞りがなかった。
話に熱中し過ぎた所為だ。いつも張り裂けんばかりに高鳴る心臓と肺に苦しめられていたというのに、この時間だけは自分の時間として楽しめていた。この黒い笑みに救われていた。
「はい、一階に着いちゃったよ」
「‥‥ありがとう」
「なんでお礼なんて言うの?私が、お前みたいな雑魚に何かくれてやった?まぁ、いいよ。これでお前は、また私に貸しが出来たって事だから。忘れないでね」
自分の不甲斐なさを的確に鋭く抉る声と、口にしまえば即座に甘味を感じさせる言葉の数々も徐々に慣れてきてしまった。当初は二重人格とも映っていたが、彼女の自我は並外れている。思考を分ける必要などない、彼女の欲望の方向性は一貫して整っていた。
「んー、やっぱり、さっきの音聞かれてた?」
少女に気付かれぬよう、安堵する自分は『さっきの音』の意味に思考を巡らせていた。
最も異形達が蠢いていた中庭、直通の廊下であったが、先程の攻防───具体的には、三階本館での窓が破壊された音が聞かれていたのだと理解する。
偶発的な破壊ではあったが、アレにより皆が皆階段を駆け上がっていると思うと、僅かに心が晴れる。
「これじゃ、体育館の数には期待出来ないや。まぁ、とりあえず行くしかないけど」
「数十人もいたら、俺だけじゃあ太刀打ちできない。やっぱり各個撃破の方が」
「もう十分殺し慣れたでしょう。いい加減、逃げ回るのは飽きたの。この私が———」
有無も言わさぬ態度で腕を極めるように引きずられる。やはり心の何処かで、体育館という物に期待を寄せているらしい少女は、この校舎では異様に浮いていた。
道行きたる廊下は土埃で汚れ、運動部の生徒らが体操着に運動スニーカーを放置している光景を見ると、よく直置き出来るなと感心してしまう。
「外に出られたら、どうすればいい」
「そういうのは解脱に至った時に考えれば。無駄な事で頭埋めるなんて無駄だから」
敢えて避けている訳ではないと理解した。少女の言う通り、外がどうなっているかなど、今の自分には知る由もない。その上、知った所で手も足も出せない。
今以上に危機的状況に陥る可能性があるとしても、それはあくまでも可能性でしかない。今なすべきは、自分の敵を殲滅するのみ。それ以外はどうでも良いと言えてしまう。
「────次に奴らを見つけたら、すぐに始末すべきか。それとも、」
「そうそう。そういう質問をして。和睦の可能性はないし、もしもの話も意味がない。あるがままを受け入れて、急所を探し出すべく主導権を握る。────そう、あなたの言う通りすぐさま始末して。情報を吐かせるかどうかは、初撃で死ぬかどうかで見極めて」
和平交渉など、あちら側は頭にも無いだろう。
自分はただの餌、逃げ出した子羊と差程も変わらない。言葉で惑わす頭を持つ者も現れかねない状況で、話の席に着く事ほど愚かな行為もあるまい。
「あ、踊り食いに興味があるなら、虫の息留まりにしても良いからね。女の子でも男の子でも、嬲り食べながら殺しても良いし。意外と、やってみたらクセになるかもよ?」
「‥‥遠慮しとく。アイツらの悲鳴と言い訳ほど、聞くに堪えない物は無かったから」
命乞いをした者は少数ではあったが、数えられる人数が悲痛な声を上げていた。この痛みは理不尽だ、この代償は割りに合わない。何故、こんなにも血を流し死にかけているのだと────絶対的な捕食者を気取った彼らの終わりは、どれもこれも無様ではあったが。
「君はどうだった。悲鳴、好きなのか?」
「あなたの情け無い声よりは、優先順位低いかも。うん、君がそう言うならこの話は終わり。て言うーか、まだ着かない訳?これ以上続くなら、おんぶして貰いたいんだけど」
恐らくは、本心では無いわがままを述べる少女が肩に頬を擦り付ける。この仕草がまるで猫のようで───可愛いらしくて仕方ない。よくよく見れば鋭い目尻など、猫そのものに。
「ねぇーまだー?」
「もうすぐ。後はあの角を曲がればいい」
素直に言えば、体育館は苦手であった。理由としては単純に運動部系が幅を効かせる、体育の授業が嫌いであったからだ。ルールに則って指導通りに試合に興じている『素人』が嫌いな彼らは、身内だけで通じるラフプレイを強制、拒否すれば私刑を加えた。
「学校なんて嫌いだ」
転び出た言葉を、何故だと言いたげに少女が問う。
「でも、学校に通ってたんでしょう。毎日真面目に。なんで?」
「───覚えてない。─────この学校はなんなんだ、どうして記憶が無い」
「聞いてどうするの?」
もう俺は何十人も殺して喰っている。
胸と喉を締め付ける痛みを、きっと罪悪感と呼ぶ。
あんな人間だとして、彼らは紛れもなく生きていた。事故でも病でも、ましてや寿命でもない死を自分は存分に送っている。反撃の為とは言え、有無も言わさず殺して喰った。
「アイツらが死ぬ瞬間、揃ってなんて言ってたか覚えてるか?」
「質問を質問で返すのはマナー違反。お前みたいな卑怯者が、どうして生きていられる。なんで私が死なないといけない。お前なんかが生きていられるのに。本当は視界にも入れたくなかった。かな?」
「そう覚えてる。たったのひとりも、俺には謝らなかった────アイツらがまともな人間じゃないってわかれば、もっと楽に殺して喰える。全うな理性がないなら尚更」
あれは人間ではない。ならば心健やかに奪える。あれは人間ではない上、最後の最後まで自分を見下して口汚く罵った。ならば迷う事なく、復讐を遂行出来る。
「言い訳が欲しいって事?」
「‥‥やっぱり、俺は雑魚だから」
時間的余裕などありはしない。けれど、踏み出す気力を失ってしまった。
お前は卑怯者だ。あれだけ殺しておいて被害者面なんて────その上、自分への言い訳に、殺していいかどうかの選別を始めるなんて。一体何様のつもりだ。いつから、お前みたいな弱者が人の犠牲を決められるようになった。お前ひとりが死ねば、誰もが救われる。
「ザーコ、いつから犠牲が悪だなんて世界に変わったの。この世界の現実はあなたが決める—————言っておいてあげる。たった数百人の犠牲だけで生きられる人間なんて、何処にもいない。どいつもこいつも、人を貪って生き永らえるしか能がない」
腕から離れられ、支えを失った自分はあっけなく膝から崩れる。
「褒めてあげるよ、あなたはようやく犠牲が必要だと理解した。人間の誰も彼もが、自分以外を常に犠牲し続けられる天才。20人喰ったからなに?これから100人殺すからどうかした?今回は、たまたま死ぬ人間が可視化されているだけ。まだ言い訳が欲しいならあげる—————あなたは、今まで何回殺された?」
少女の言葉が、視界を曇らせた。涙が零れている。
「自分を殺して、相手にも殺されて。あなたは全員に数万回は殺されている。ただの例え話とでも思ってる?違うよ、あなたは確かに殺された。今まで虐げてられてきた連中全員に。大半が自尊心を、プライドを守る為に。暇つぶしに殺した奴だっていた」
顔を突き出しながら、叫ぶように言い放った顔は歪んでなどいなかった。
秤と剣を持つ女神のように、悠然とこれは真実だと告げる。
「犠牲が悪だというなら、この校舎にいる全員が大罪人。ひとり一万回以上も、素知らぬ顔で必要だからって言って殺し回った最悪の殺人鬼共。これで言い訳になる?なる訳ないよね、だって犠牲は悪なんかじゃないんだから————本当の悪は、あなたを一億も千億も犠牲にしておいて、何にも至れず血に酩酊する事」
「————なら、俺も同じなのか」
「そうよ、あなたも自分を殺した。ここにいる連中全員分と合わせた回数自分を殺したから。手を汚したくないとか思った?よっぽどあなたの方が穢れ切ってる。殺していい理由なんか、在るに決まってる。—————ただ必要だから。そして、これは復讐」
差し出された手が輝いて見える、だけど、これは錯覚だと悟る。
この校舎にいる全員が大罪人だと言ったのが、当の少女だったから。
「まだ足りないなら教えてあげる。あなたは特別。人間を幾ら犠牲にしようと、誰もが納得して見て見ぬふりをする、本当の特別製。だって自分以外、誰も犠牲にしないで至ったから。もう一度言ってあげる、あなたは人を犠牲にするだけの価値がある」
まただ。こちらの心情など無視して、引き上げられる。
「俺は、特別なんかじゃ」
「殺せない言い訳なんて意味がないからやめて。あなたに自信なんかいらない、ただ必要だから喰え。死にたくないんでしょう?ただの自慰で殺す連中なんかよりも、よっぽど清らか。私と一緒に居たいって言ったんだから、私をも言い訳に使って————私を犠牲にして良いから」
少女の言葉の多くが、自分にとっては遠く離れた世界の話にも感じた。
なのに、この顔だけは、確かに自分に向けられているのだと理解した。おおよそ、決して計れないほど遠くの世界にいた筈の、この美し過ぎる少女が自分に会いに来ているのだから。そして、外を知っている彼女の言葉は、今までの誰よりも。
「‥‥契約、守らないとな」
「そこは私を信じるとか言って欲しかったな。これだから雑魚は」
「雑魚は生まれた時から臆病で、今まで碌な人間に会えなかったんだ。君を信じるのは、もう少し一緒に過ごしてからにしたい。————信じる為に、喰らい続けるよ」
初めてだったかもしれない。この少女の手を自分から握って歩き出したのは。
慎ましく、従ってくれる白い冷たい手が心地良い。細い骨と柔らかな筋肉に、自分の手の平を絡ませるのが気持ちいい。そして少しだけ爪を立てる少女の気概が、愛おしかった。
数分だけのやり取りを終え、ようやく体育館へと続く曲がり角を越えた瞬間————少女を背中に回して独鈷杵を放った。誰にも穢されない白の権限たる骨の刃は、着実に異形の腕を抉り続け、終いには胸を貫通し手元へと戻る。
崩れ落ちる頭へ、再度放った独鈷杵は眉間を両断し、その足りない脳幹を奪う。
「どうだ?少しはマシな雑魚に成れた?」
「必要最低限を全うしただけ。雑魚のまま」
手厳しい少女のつまらなそうな目も可愛らしい。零れる脳液と鮮血が、廊下の埃を洗い流す光景はなかなか見る事が無かった。自分達の顔を映し出す血の鏡を踏みつけ、ようやく体育館の扉へと手を当てる。背後の少女へ「手伝う気は?」と告げれば、「手伝って欲しいの?ザーコ」と腕組みをされ、拒否される。
想定通りの言葉を噛みしめながら開門した所、またも少女の身体を抱き締めて、後ろへと大きく後退する事象に相対する。軽いのに豊満な身体を、借りて来た猫のように大人しく預ける少女と共に壁際まで飛び退き、一辺倒の独鈷杵を放った。
あちら側も異常事態に、けたたましい声を上げるがすぐさま済んでしまう。
一際巨大な身体を持つ異形の頭を撃ち抜き、その巨体に相応しい轟音を上げさせ倒れ伏す。体育館内にいたのは、せいぜいが数えられる程度。10人程度であった。
「少ないねぇ」
もう興味はないと言いたげに口を歪ませる美少女が背を押し、さっさと始末しろと告げて来る。足は軽く、肩は誰かに引き上げられているようだ。未だかつてない高揚感と共に、頭を支配するのは確固たる自意識。無駄なノイズ一つない純白だった。
「まだ座ったままなんて—————」
舞台の上、パイプ椅子と机に囲まれた中央にいる。あの顔を忘れる筈がない。
指導だ指導だと言い張る姿は、理性なき野生動物にも劣っていた。自身の功績を最も尊び、大人としての腕力と教員としての権力で虚飾を作り上げる欲望塗れな醜い姿を晒し、聞くに堪えない絶叫と共に拳を振るわれた。指導だと言って硬式球の的に幾度となくされた。
「な、なんだ!?」
多くの異形に崇め奉られる中、自身の信者があっけなく打ち倒された光景を目の当たりにし————ようやくあの教師の素を見れた気がした。訳も分からず、お前のような奴には罰が必要だと私刑を下し、血反吐を吐かされた記憶が蘇る。
これは作り物なのかもしれない。造られた環境で、そうあれかしと唆された結果に過ぎないのかもしれない。だとしても、あれが耳を潰そうと躍起になって手を上げた時間を、あの痛みは紛れもなく自分の痛みだと断言できる。
「—————次だ」
ひとりを打ち倒し、もうひとりは振り下ろした一撃で腰から下を落とす。真っ二つに変わり果てた身体の胸へ刃を降ろし、つま先で蹴り上げて更に輪切りとする。
血を浴びる。臓物を踏み鳴らす。脂肪を振り払う。血痕で髪を抑え、獲物を探す。
わかりきっていた。あれらにも意識があるのだから、自身の身内が易々と殺害された事に何も感じない筈がないと。だが、憤りでも悼みでも後悔でも何でも構わない。
一人残らず始末するからだ。しかし、思っていたよりも、あれは人間的だった。
「こ、殺した?」
腰が引け、人間以上の膂力を持ち得る腕で這いずって逃げていく。自分達は圧倒的な戦力を保持している、あんなガキ一人すぐさまひっ捕らえて喰らってくれる————そう、自負していたに違いない。そう声高らかに轟かせていた事だろう。
「逃げるのか?」
背を見せて逃げる異形の目の前に、独鈷杵を落とし、工場機械のように引き寄せて身体をぶつ切りに変える。杜撰に切り落とされた肩を探して這いまわる姿は、なんと醜い物か。吐息ひとつで首を奪い、手中の刃を一振りして血を払う。
「オマエッ!!なんて罪深い真似をッ!!やはり、お前のような卑劣なガキはコロシテおくべきだったんだ!!皆さま、どうか確認下さい!!あのガキこそ、私の手に掛かって教育され殺されるべき悪童—————あのような卑怯者こそ、社会によって正されねばならない!!」
教師の背後で佇んでいた委員会の面々が、思い出したように拍手喝采。残り少ない異形達も揃って、同時に助けを乞うように両手を上げて万歳三唱。
「あーあ、あーいう事しちゃう時って、間違いなく負ける瞬間なんだよね。残り少ない配下を、自分を喜ばせる為に使い潰すんだからさ。もう現実なんてどうでもいいみたい」
興味深く蓄積深い言葉を紡いだ、背後にピッタリをくっ付く少女へ問いかける。
「よくいるのか?」
「末期状態の組織は、大体ああやってトップが教祖に。それ以下は信者に成っちゃう。で、そんな組織が倒れたら、信者は急に正気に戻って被害者ヅラ。戦後とかこんな感じかもね」
「酷いな。なら、まとめて始末した方が見栄えが良い」
明快な回答を弾き出した頭に従い、刃は万歳を繰り返す信者の一人の腕を切り落とした。手元へと戻る時間を見計らい、無手のまま接敵。そして手元へと戻る独鈷杵で砕くように斬り捨てる。と、同時に気付く。外の異形とは手応えが違ったと。
「————喰ったな」
手足を失い、肩から斬られたというのに、信者たる異形は頭から丸呑み可能性な巨大な口を開く。拭き上げる血と滴る唾液の醜さを消し飛ばすべく、首を切り落とす。
「いくら同胞を喰らい続けても、喉は柔らかいみたいだ。いい事を知ったよ」
異形は残り8人。舞台下で命令を受けた信者が、こちらへと殺到する素振りを見せる————予見した通りに、教師がそのように口を動かすものだから、今も慄いている者達は僅かに拒否反応を示した。それはそのまま、教師への反抗へと繋がる。
「どうした!?早く、殺せ!!」
言葉の端々で首を落とした。五体投地の如く、身体を投げ出して助けを求める背筋を切断する。自身の心臓を求めて躍動する正体不明の白い槍を、掴み取ろうと手を伸ばしたが、その瞬間には手が焼き爛れ、遂には溶けてしまう。焼く音も匂いもせずに証明する。
まるで血祭りだと心で思った。血祭りとは、人を血塗れにするのが目的ではない、あくまでも、その行為は前段階。自身を鼓舞する祭り・儀式である—————だから、こそ。これからが本番であるのだと自分は自分で言い聞かせた。
「明確な拒絶。相容れない概念からの攻勢ねぇ‥‥」
誰に伝えるでもなく、言い知れぬ不気味さを醸し出した少女をひとまず放置して残る者達を見上げた。舞台下から登り上がった異形が救済を求めて教師に、背後の教育委員会の人間達は舞台袖へと視線を走らせる。どれもこれも取るに足らない卑俗共だ。
「か、勝手に同じ位置に上るな!!降りろ!!俺が一番偉いんだ!!」
蹴り落とす教員だったが————背後の教育委員会に蹴落とされ、代わるように異形達が舞台へと駆け上がる。そのまま三々五々に散ろうと足を向けた、その時。
「「「俺ヲ、蹴りヤガッタナァ——————!!!」」」
体育館全域に響く寸前、少女と抱き締め合い、二人で瞼を強く閉じて耐え凌いだ。
確認するまでもなく、お互いの耳に手を当てる事で痛みに堪え続ける。肌さえ裂かんばかりの絶叫が済んだ時、瞼を薄く開け、舞台を見やれば鼓膜や眼球から血を吹き出す者達が呻いていた。致命傷だ、あれでは今まで通りの生活はもはや望めない。
「喰ってやるのが、救いだよ」
思考を読み取った少女が淡々と口にした。だから頷き、下がるように告げる。温かな人肌が離れた事により、一抹の不安感こそよぎるが自分は至って冷静でいられた。
「————喰うつもりか」
膨れ上がる肉体。膨張する骨と牙。背から突き出す角とも見て取れるそれは、断じて人間が内包していられる骨格ではなかった。前腕から生み出したのは、自身の筋肉さえ突き破って現れる骨のノコギリ。肉を切り落とし、削げ落とす解体に特化したその刃を、教師はまず舞台上へ一足で跳びあがり————無言で振り下ろした。
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