百合好き教師は傍観者

夢綺羅めるへん

百合好き教師は傍観者

 私の名は北条享子ほうじょうきょうこ、都内の女子高校で数学教師をしている。

 

 なぜ女子校なのか、答えはシンプル。私が極度の百合好きだからだ。

 

 教師と生徒の恋愛は御法度? いやいや、生徒に手を出したりはしないさ。


 私はあくまで傍観者。年頃の女の子同士が恥じらいと躊躇の中絡み合うのを見るのが、たまらなく好きなのだから……失礼、脱線してしまったね。


 さて。突然だが私は今、窮地に立たされている。私が学校の中で最も推しているカップルが、大喧嘩をしている現場を目撃してしまったのだ。

 

 彼女たちは幼馴染で、普段からよく喧嘩しては仲直りを繰り返している。この前なんて、どっちの家で遊ぶか決めかねて言い合いをしていた。


 そんな彼女たちを見るたびに私は「もうお前ら結婚しろよ……」と頭を抱えてしまうのだ。


 

 しかし、今回の喧嘩はいつものそれと比べて遥かに凄まじかった。二十分にも及ぶ言い合いののち、カバンを教室に置いたまま二人ともどこかへ行ってしまったのである。


 長い間彼女たちのことを見守ってきたがこんなことは初めてだ。二人の愛を疑うわけではないけれど、さすがに不安になる。

 

 そもそも、私は腐っても教職者なのだ。腐っても、ね。

 

 いいから黙って見届けろと囁く傍観者の私と、生徒たちの問題は解決するべきだと囁く教職者の私。長い葛藤の末、教職者の私に軍配が上がった。

 

 これは立場上当然やるべきことであって、決して彼女たちのすれ違いを見ていられない訳ではない。神に誓って断言しよう。

 

 それに……

 

 机の上に放置された小洒落たクッキーの包みと、題名だけ書かれた原稿用紙。この大事件を解決する鍵は既に、ほとんどここに揃っているのだから。


 *


ようちゃん、ちょっといいかな?」


「キョーコ先生……よくない」


「まあそう言わずにさ、ちょっとだけだから」


「えー……」

 

 ベンチに座っている彼女は__木梨陽きなしようは。茶髪の前下がりボブを揺らしながら、不満そうに唇を尖らせた。それ以上は特に何も言わなかったので同意とみなして私も隣に腰掛ける。

 

 ここは自販機がある休憩スペース。陽はよくここで暇を潰しているのでもしかしたら……と思って来てみたら、結果は大当たり。


「で、なんの用なの?」

 

 ご機嫌ナナメな陽の口調はちょっとキツめだけど、痛くも痒くもない。こういう取り繕わない、素直なところがたまらなく可愛いのだ。


「その……さっき見ちゃってね、四ツ谷よつやさんと喧嘩しているところ」


「……見てたんだ」


「たまたま廊下を歩いてて、ね。どうしてあんなに言い合いをしていたの? すごい剣幕だったじゃない」


「知らないよ、バカ玲奈れながいきなり怒り出してああなっただけ」


 陽は強い口調とは裏腹に眉を顰め、手をぎゅっと握り、不安と困惑が混ざったような顔をしている。


 ああ、やめて、そんな表情をしないで。そんな辛そうな顔をされたら私の心の方がもたないわ。でも、玲奈ちゃんのことを想って悩んでいるのね、健気な子……


「昔からそう。玲奈は……バカ玲奈は、たまに一人で勝手にイライラして突然爆発するの」


「そ、そうなのね……何か悩みでもあるのかしら?」


「ううん、悩んでるんじゃないと思う。根拠はないけど」


「そっか」


 陽と玲奈は家が隣同士で赤ちゃんの頃からの付き合いらしい。どこか通じ合うところがあるのだろう。


 はあ、尊い……。


 しかし、そんな二人の性格は面白いほどに正反対。陽が元気いっぱいおてんば娘なのに対して、玲奈は落ち着きのある真面目っ娘といった感じ。


 そして長年の私の観察によってわかったことだが、昔から面倒見のいい玲奈ちゃんに甘やかされて育った陽には、少しワガママな一面がある。日頃の喧嘩の原因もそれによるものが多い。


 だから、まずは陽に話を聞いてみるのがいいだろう。そう思ってここに来たのだけれど、反応を見るにその考えは間違っていたみたいだ。


「まだなんかある?」


「いや、もう大丈夫よ。付き合わせちゃってごめんなさいね」


 本当は、もっと喋って陽ちゃんを堪能したいところだけれどそれは御法度。私の傍観者としての信念に反する。


 百合好き条約第一条じょうやくだいいちじょう『百合の間に入るべからず』だ。


「荷物を取りに教室へ戻ったなら、そのまま四ツ谷さんを待っててあげなさいね」


「なんでよ? バカ玲奈のことなんか……」


「いいからいいから」


 少し頑固な玲奈ちゃんを説得するまで、待っていてもらわなければならない。


「じゃあね、陽ちゃん」


 少し時間がかかってしまったが、原因が陽ではないことがわかった。


 加えて、立ち上がる時にさりげなく拾った紙くず……ベンチの下に落ちていたこれの中身は、洋菓子店のレシート。


 あまりにも大きな収穫、これで全ての鍵が揃った。


 あとは向かうだけ。ちょっぴり意地っ張りだけど本当はとっても優しい、素敵な素敵な陽ちゃんのパートナーの元へ。


 *

 

 アテもないので適当に校舎を歩いていると、空き教室の隅に見慣れたおさげ髪を見つけた。


 だんだん茜色が混ざってきた空を背にして、彼女は出来上がっていた。


 膝を揃えて椅子に座り、両手を膝の上に乗せ、潤んだ瞳に浮かない表情。


 謝りたいけど、プライドが邪魔をして素直になれない……そんなところかな。


 これは、たまらん。でもずっとこのままというのも、それこそ彼女にとって辛抱ならないだろう。


「四ツ谷さん」


 玲奈の体が跳ねる。それからこっちに気がついて、頬を赤く染めた。


「北条先生……? お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ……」


「いやいや、一生見てたいくらい最高よ」


 やってしまった。あまりの愛くるしさについ本音が漏れてしまった。


「一生……?」


「一生見てたいくらいカワイイよね! 猫って!」


 誤魔化せた気は……しない。


 とにかく、首を傾げる玲奈の気を逸らすために急遽きゅうきょ話題を変えることにする。


「浮かない顔してたね?」


「はい、少し揉めてしまって」


「ふーん……陽ちゃんかな?」


「えっ⁉︎」


 玲奈はこれ以上ないほど露骨に反応した。正直、学校の誰もがそう推理しそうだけど。


 でもそういうウブな玲奈ちゃん、大好きです。


「まあ、見てたんだけどね。さっきのケンカ」


「ああ、あれを……」


 途端に玲奈の表情が暗くなる。やっぱり思うところがあるみたいだ。


「実は、先程の喧嘩の原因。わたくしなんですの」


「というと?」


「私、課題が思うように進まず焦っていて……話しかけてきた陽に強く当たってしまいました。陽が怒るのは当然ですし、私の方も引くに引けずあのように」


 我慢していたものが溢れるように、玲奈の身体が震える。


 百合好き条約第二条『YES百合NOタッチ』……だけど。小さな身体が壊れてしまいそうなほど力を込めて硬くなっている彼女の肩を、優しく撫でずにはいられなかった。


「大丈夫、大丈夫。今からでも謝ればいいじゃない」


「で、ですが……」


 こんなになってもまだいじっぱりな玲奈ちゃんは残っているようで、彼女は困り顔をした。


 それほどまでに陽ちゃんを意識しているのだろう。最高かよ。


 でも、今はそれが邪魔だ。


「四ツ谷さんは……バカだね」


「ええっ⁉︎ 私、成績は悪くないと自負しておりますが……」


「そういうことじゃなくてさ」


 肩を撫でていた右手を離して自分の腰に当てた。玲奈ちゃんの温もりが伝わってきて、ちょっと興奮する。


「謝れなくて辛い思いするくらいなら、勇気出して謝っちゃいなさいよ。理由がわからなかったらいきなり怒られた陽ちゃんだって辛いじゃない」 


「それは……」


 陽の名前を出され、玲奈のガードが緩くなる。


「それに、陽ちゃんも何か用事があったからわざわざ課題中の四ツ谷さんに声をかけたんじゃないかな? だからさ、今すぐ教室いこうよ」


 玲奈が顔を上げた。思い当たる節があったらしい。


「あ……そう、ですね。ええ! 私、今すぐ謝ってきますわ!」


「うん、それがいいよ」


 パッと表情が明るくなった玲奈は、その勢いのまま教室を飛び出した。


「北条先生、ありがとうございました!」


「はーい、元気でねー」


 彼女の背中に手を振って、ミッション完了。


 同時に、満足感が体を満たす。これで彼女たちの愛はより一層深まるだろう。雨降って地固まるとはこのことだ。


「とはいえ、ちょっと首を突っ込みすぎたかな」


 百合好き条約第三条『部外者は消えるべし』。


 本来傍観者である私は、彼女たちの愛の物語には不要。今後はできるだけ接触を避け、より傍観に徹しなければ。


 窓の外に広がる青と赤のコントラストを眺めながら、感慨深い気持ちで右手にまだ微かに残っている玲奈ちゃんの香りを味わった。


 *


「ねえ、クッキー美味しい?」


「ええ、とっても美味しいですわ」


 何日か前に、一度だけ欲しいと口にしたクッキー。


 ふと思ったことを口にしただけなのだけれど、陽は覚えてくれていたらしい。


 たまらなく、嬉しかった。


「えへへ、じゃあ残りはウチで食べようよ」


「構わないけれど……その、いいんですの?」


「さっき仲直りしたじゃんか! 気にしなくていいってば」


 先生に言われたとおり直ぐに謝りに行くと、何故か教室で待っていた陽は快く許してくれた。


 先生が声をかけてくれなかったら今頃どうなっていたか、陽はどんな想いをしていたか。想像するだけでゾッとする。


「陽にも北条先生にも、感謝ですわね」


「なんでキョーコ先生?」


「なんとなくですわ」


「変なの……それよりもさ!」


 陽が待ちきれないといった風に立ち上がった。


「早く帰ろ!」


「あ、ちょっと待ってくださる?」


 急いで机に広げたままの原稿用紙を片付ける。


 先頭の一枚に『なりたい職業』と、題名だけが書かれた紙の束。


 思うように書けず、ついイライラしてしまった作文の課題。今なら、きっと書けるだろう。


 何故なら……


「私、将来の夢ができましたわ」


「お、いきなりカミングアウト? 何になるの?」


「それは……秘密ですわ」


「いや、そこは言う流れでしょ⁉︎」


「時が来たら、教えてあげますわ」

 

 今日の一件で思ったのだ。


 みんなのことをよく見ていて、一人一人に適切なアドバイスができて、優しくて頼れる存在。


 そんな……北条先生のような先生になりたいと。


 でも、まだこの気持ちは胸にしまっておこう。


「さ、帰りますわよ」


「はーい!」


 今は大好きな人と過ごすこの時間が、何よりも大切だから。


(終)

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百合好き教師は傍観者 夢綺羅めるへん @Marchen_Dream

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