第218話婚約者
「ではアラン、まずは私と婚約致しましょうか……」
思いもよらぬニーナの言葉に、部屋にいる誰からも声が出ない。
婚約者とは……
結婚を約束した人である。
と、そんな常識文が頭の中に流れ、皆が皆ニーナを見て固まり動けなくなる。
もしかして……蒟蒻と聞き間違えたのでは? と当然皆が首を傾げる。
普段冷静なギデオンでさえ、自分の耳がおかしくなったのでは? と耳を穿る仕草を始めた。
急冷で固めた氷の様にガチガチに固まった皆のおかしな様子をみて、ニーナはウフフと可愛く笑う。
だが、その笑顔が何よりも怖い。
そう感じたのはアランだけでは無かった事だろう……
「アラン、聞こえなかったようなのでもう一度言いますわね……この私、ニーナ・ベンダーと婚約致しましょう」
夢では無かったその言葉に「えっ?」とどうにか答えたアランの間の抜けた声だけが部屋に響く。
そしてニーナ大好きファブリスからは、低い低い低音ボイスで「え"っ?」という、怒りに近いような声が漏れる。
グレイスとギデオン兄弟は、取り敢えずいつもの人受けする優しい笑顔を貼り付け、ニーナの次の言葉を待つ事にした。
だってニーナが突拍子もない事を言うのはいつものこと、ナレッジ大公家で心を鍛え上げられたこの兄弟は、ここでの生活で誰にも負けない鋼のハートを手に入れていた。
流石ハイスペック兄弟だ、ハートの強さも既に一流だ。
ニーナが認めるだけの事があるだろう。
そんな中、この部屋ではアランの側近、ベルナールだけがまだ時を止めていた。
アラン様とニーナ様が婚約……とは? と、一人気持ちが追いつかず、その言葉の意味を考えながら現実逃避しているようだ。
そんなベルナールに気が付くことなく、アランが自分をどうにか取り戻し、ニーナに疑問を投げかけた。
「えーと、ニーナ様? 婚約とは……その、ニーナ様とこの私が、婚約するのですか?」
ニーナが笑顔で頷くと、アランはまた間抜け声を出し「えっ?」と驚いた。
その姿にニーナがクスクスと笑い出す。
ナレッジ大公家で心技体の全てを鍛え上げられたアランであっても、見た目はかなり歳下、そして精神年齢ははちゃめちゃ歳上のニーナとの婚約は、烏白馬角。
絶対にあり得ない……聞き間違えとしか思えない事柄だったようだ。
そんな困惑気味のアランの姿がニーナの笑いのツボを押す。
目の前にリンゲルガ現れた時よりも今のニーナは楽しそうだ。
その笑いを見て可愛い! と思えるものは残念ながらこの部屋にはいなかった……
ニーナ様、何を企んでいるのですか? それがこの部屋の皆の同一意見だった。
「フフフッ、まあまあまあ、アランたら、何も私は貴方を取って食おうとしている訳では有りませんのよ。フフフ、貴方がそんなに驚くだなんて……私との婚約は貴方にとってそんなに嫌な事なのかしら?」
「めっ! めっそーもございません! 光栄極まりますです! はい! ただ、あの、私は驚いただけでして、決して、決してニーナ様が人間に見えないとかそういう訳では無くってですね!」
「まあまあ、フフフ、アランたらそんなに焦らなくても大丈夫ですよ。先ずはアラン落ち着きなさい……」
「は、はい……申し訳ありません!」
「それからファブリスも落ち着きなさい、殺気を抑えて頂戴。怒りがダダ漏れですわよ……貴方らしくもない……」
「はい……ニーナ様、申し訳ございません」
未だに呆けたままのベルナールは取り敢えず置いておき、ニーナはアラン、ファブリス、グレイス、ギデオンに笑顔を向ける。
アランとニーナの婚約。
それは皆がこれ程驚く事なのかと、ニーナは楽しくなる。
この話しを聞いた時、ニーナの愛弟子であるシェリル、ベランジェ、アルホンヌ、クラリッサはどんな顔をするだろうか。
それに家族はどうなるだろうか。
カルロは? うん、喜びそうだ。
皆の様子を想像し、ワクワクしたような、少し悪戯っ子みたいな表情を浮かべながら、ニーナは引き攣った笑顔を浮かべているアランに、何故婚約するのか……何故婚約が必要なのか……説明を始めた。
「アラン、私との婚約ですが、それは婚約解消前提の仮の婚約、仮婚ですわ」
「か、仮婚? ですか?」
「ええ、貴方が国へと戻れば必ず命を狙われます。ですが私という婚約者がいれば、そう簡単には命を取ることは出来ない……それは確かな事でしょう。この私はナレッジ大公家の娘であり、この幼さで有りながら、男爵位を国王自ら授けたくなった天才児のニーナ・ベンダーでもあるのです。その上ニーナ・ベンダーは、聖女としての力もあり、あの国を守れる程の魔法力も兼ね備えている逸材。今現在国が荒れているラベリティ王国の方々は、喉から手が出る程聖女を欲しているのでしょう? 目の前に私という人参がぶら下げられて欲しくならないはずがありません。必ず手に入れようとすることでしょう。ですがただの男爵でしかない私が勝手に貴女の国で暴れる訳には参りません。ですが貴方の婚約者という肩書が有れば、堂々と力を注げる、それは確かでしょう。そして追放された貴方が自分の国を守る為、優秀な聖女を連れて国へ戻った時、ある者にとっては貴方は邪魔者になり、私(婚約者)という存在がいる事でその者達から貴方を守ることが出来るでしょう。ですがアラン、貴方は疲弊した国民に大きく期待され、貴方の肩には国の期待が大きく乗りかかり、注がれます……」
「……ニーナ様……」
「ですが貴方は一人ではない。アランにはリチュオル国に頼もしい友人がおり、そして皆貴方の味方でもあります。その上この私が婚約者として貴方の一番の味方になる……貴方を狙うであろう愚か者たちに、この私が手加減無く制裁を加える……だって私は貴方を愛する婚約者ですからね……フフフ……何をしても文句は言われませんわ……」
「ニ、ニーナ様……」
「アラン、私達は貴方の味方ですよ。何も心配いりません、貴方を絶対に一人にはさせませんし、守って見せます。ですから安心して国に帰るのですよ……」
「ニーナ様……はい! 有難うございます!」
アランと初めて会ったあの時から、ニーナにはいずれこの時が来るであろうことが分かっていた。
アランはあの指輪に選ばれた、本当の王となる者であることは、ニーナにはとっくに分かっていたのだ。
ラベリティ王国にアランが戻れば、必ずまた命を狙われるであろう。
けれど聖女と婚約し、その聖女がリチュオル国の大公の娘であれば、そう簡単にアランに手出しは出来ないはず。
アランを守る。
アランの母代わりとして、そしてアランの師として、ニーナは今 ”婚約” という形で誰から見ても分かるようにアランを守る守護を与えたのだ。
そんなニーナの愛の深さをアランは知り、感動していた。
ラベリティ王国に戻る。
ニーナがいれば、アランは傷一つ付けられはしないだろう。
少しも怖くはない。
アランを殺そうとした人物がいる国へと戻る形になるが、ニーナが傍にいる事で、アランはそう思えていた。
「あー……ニーナ様、でしたらニーナ様より、シェリーとアラン様が婚約した方が宜しいのではないでしょうか……?」
「……はい? ベルナール……今貴方……なんとおっしゃったの……?」
現実に戻って来たベルナールがニーナに対し恐ろしいことを口にする。
溺愛する姉のシェリーとアランを、仮とはいえ婚約させる。
そんなあり得ない愚作な提案に、姉ラブっ子なニーナが反応しないはずがない。
部屋中に重く厚く痛くなるようなニーナの威圧が広がり始めたが、考え中のベルナールだけはそれに気づいていない。
ファブリス、アラン、グレイス、ギデオンは、一歩、二歩とニーナから離れ、その怒りからいつでも逃げられるように扉に向かい準備を始める。
ニーナの浮かべる笑顔がとっても怖い。
キンキンに冷え切っている。
大切な姉であるシェリー様を、危険だと分かっているラベリティ王国へとニーナ様が送るはずはないのだ。
うんうん、いい提案だ! と、自画自賛しているベルナールだけは、その危険にまったく気が付いてはいないようだった。
ファブリス、アラン、グレイス、ギデオン(&ギガ)は既に扉に手を掛けているというのに……
「だってシェリーの方がアラン様と年齢も近いですしー、誰からも好かれる様な女性らしい可愛げもシェリーの方がニーナ様よりありますからねー。ハハハッ、それに何て言ったってニーナ様ではアラン様と恋仲だとは全く見えないし無理がありますからねー、そう考えればやっぱりここはシェリーと婚約! 私はそれが良いと思います。皆さんもそう思いますよね?」
ベルナールが同意を求めるため笑顔で皆へと振り向けば、アラン達は部屋から出ていった所だった。
冷凍庫のように底冷えするこの部屋に残されたのは、ニーナとベルナールの二人のみ。
そこで初めてベルナールはニーナの笑顔を直視する。
「大切なお姉様に嘘の婚約をしろと……貴方はそうおっしゃるのね……」
そう言ったニーナの笑顔は今日これまでで一番恐ろしい笑顔だった……
この日、ベルナールはこのリチュオル国へ来て、忘れられない一番の思い出が出来た。
ニーナ様にシェリーの話はしてはいけない。
ベルナールが深くその事を学んだ記念日となったのだ。
その後ニーナに軽口をたたいたベルナールがどうなったのかは誰も知らない。
深夜までベルナールの悲鳴がナレッジ大公領に響き渡ったとか、いないとか……
それは神(ニーナ)のみぞ知る……出来事となったのだった。
☆☆☆
こんばんは、白猫なおです。(=^・^=)
アランとニーナ仮婚です。その内可愛らしい婚約者を演じるニーナをお披露目できると思います。アランに甘えるニーナを書きたい。そんな欲望が膨らむ白猫でした。
ベルナール……取りあえず生きています。はい。
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