第11話
ふと、洗居は視界の隅に違和感を覚えた。綿貫の監視画面に変化が生じていた。映っている綿貫の顔が連続的に変化している。ある程度の変化までは綿貫だと認識できる。違和感も覚えない程度の差はやがてなにかがおかしいという印象を経て明らかに綿貫ではないという域に達する。そのまま見ていると別の誰かに近づいていき洗居は次第に嫌悪感を抱き始める。わかることを拒否した脳よりも先に身体が反応し、背筋に悪寒が走る。画面の顔はみるみる洗居の顔に近づき、少し様子の違う洗居を経て見慣れた自分の顔に落ち着いた。
「ぎえぅぁ」
洗居は気ちがいじみた悲鳴を上げて椅子ごとあとずさりした。画面に映った洗居はこちらには気づいていないようで、画面上に視線を走らせながらときおり手を動かしたりしていた。
「おい、おまえは誰だ」
洗居は画面に映った自分に向かって声をかけた。返事はなかった。洗居が綿貫を監視していたように洗居も誰かに監視されている。これはその監視者の視点だと気付いた。ではここにいる自分はいったい誰だ、という疑問が湧いた。洗居は慌てて立ち上がった。立ち上がると視点が変化した。モニタは見下ろす高さになった。足が見えて床が見える。腰があって手もある。頭が回転して部屋の中を見回した。見慣れた部屋だと感じた。おれはいったい誰だ、この身体は誰のものだ、おれの身体だという気がしない、おれの意思で動いていない、おれはいったいどこにいるんだ、おれとはいったいなんだ、これは誰だ、おれは誰だ、自分が誰かわからないなんらかの意識が思った。
「うあ、へおふう」
身体はゆらりと動き、洗面所へと移動した。洗面所で鏡を覗き込む。網膜が光学的に像を受け取り、鏡に映った鏡像を取得した。網膜の受け取った情報は視神経から脳に送られ、脳はそれを受け取った。脳は像を処理してそれが鏡に映った人の姿であることを認識した。しかし、それが誰かという判断は放棄した。鏡に映っているのはだらしなく口を開けた人間で、それが男性なのか女性なのか、若いのか老いているのか、そういった判断はつかなかった。
「ほあ、ふえほえ」
身体が声を発したけれどそれが意味のある音なのかどうかはわからなかった。
「うひひひひひひひひひ」
突然けたたましく笑い声をあげ、ふらふらと部屋へ戻ってモニタの前に座った。画面には洗居が映っている。
「気の毒な洗居。見られているとは思いもよらないのだろう。橘を見ている綿貫を見ている自分、と思っているのだろう。残念ながら君もまた監視対象なのだよ洗居君。君は私に監視されているのだ」
私とは誰だったかな、と「私」は思ったがわからなかった。
「かくも豊饒な精神の大地よ。メビウスとクラインの近親相姦」
言いながら、「私」はかつて誰かがそんなことを言っていたのを聞いたことがあるような気がした。自分が発しているのが自分の言葉なのか誰かの受け売りなのかよくわからなかった。
「メビウスとクラインが近親相姦した結果、ウロボロス的輪廻のループが生まれるのだ。合わせ鏡の自己フェラチオが転がり落ちる意識を加速するのだ」
がはははと笑いながら「私」が画面をにらみつけた。画面には相変わらず乏しい表情でなにかを覗き込んでいる洗居が映っていた。
「安心しろ。この私がいつでも見ていてやる」
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