危険度上昇 前編

 保健室に行くと、今日は保健の先生がいてくれた。


 高等部保健室の高峰たかみね 薫子かおるこ先生は、Vのピンをつけている吸血鬼の先生だ。


 けれど優しい先生で、私や愛良の事を気遣ってくれていた。



 その高峰先生に脈を測って貰ったり、咬まれた場所を見てもらったりと診察してもらう。


「気持ち悪いとか、ふらついたりとかはある?」


「……いえ、症状としてはないです」


 答えながら気分は最悪ですけど、と思った。



 咬まれて血を吸われたことももちろん嫌ではあったけれど、女として襲われたことの方が嫌悪の感情が強い。


 多分そのせいで田神先生に触れられたとき拒絶反応を起こしてしまったんだ。



 血を吸われたのは、何というか……でっかい蚊に刺されたようなもんだと思う。


 色々と違うところはあるけれど、私の意志とは関係なしに勝手に吸われたんだから似たようなものだろう。


 多分、だから吸血行為で吸血鬼の人達が怖くなったなんてことにはなっていないんじゃないかな?



 でもそれを嘉輪や高峰先生に伝えると。



「え……いや、それはそれで微妙な気分になるんだけれど……」

「……でっかい蚊……。いえ、そう思ってることで無意識に怖さを軽減させているのかもしれないわね。……でも、でっかい蚊……」



 吸血鬼をでっかい蚊扱いしたことにちょっとショックを受けているみたいだった。



 ……ちょっと極端な表現過ぎたかな……?



 私の表現が相当受け入れ辛いのか、二人はしばらくぶつぶつ言っていた。


 なので、私は室内のベッドの方を見る。


 先に岸に襲われていたH生の女子生徒がそこで眠っていた。



 彼女の診断は貧血。


 血を多めに吸われてしまったんだろうとのことだ。



 それ以外にケガなどはしていないし命に係わるほどの量ではないから、しっかり休んでから病院に行って鉄剤を処方してもらえれば大丈夫だろうと高峰先生が説明してくれた。


 少なくとも彼女の助けにはなったんだと思うと、みんなに迷惑と心配をかけてしまったことへの罪悪感が少し軽くなった気がする。



 その彼女の首筋にはキスマークのようなあざが二つ並んであった。


 それは、私の首筋にも残っている。



 岸に咬まれた印だ。


 吸血鬼の唾液には治癒効果があるらしく、咬んだ後に咬み傷を舐めることで傷が塞がるんだそうだ。


 ただ、痕は残るのでキスマークのような小さい痣が出来るんだとか。



 正直、血を吸われたことよりもこっちの方が嫌だった。


 あんな嫌な奴にマーキングされたみたいで。


 キスマークみたいに見えるってのもまた嫌悪が増す。



 薬塗りたくってさっさと消そう。


 そう決意した。



 コンコン


 その時、保健室のドアが控えめにノックされる。



「どうぞ、入っていいわよ」


 高峰先生の言葉の後、横開きのドアが開けられ愛良と五人の婚約者候補、そして田神先生が入ってきた。


 女子生徒を運んだ後、他の皆も呼んでくると言って田神先生達三人は保健室を出て行っていたんだ。



 みんなが室内に入ってドアを閉めると、真っ先に愛良が私に飛びつく勢いで近付いてきた。


「お姉ちゃん、血を吸われたって聞いたけど……大丈夫なの?」


 少しつつけば泣いてしまいそうなほどの心配顔。


 愛良を泣かせたくない私は、笑顔で大丈夫だと言った。



「大丈夫よ。でっかい蚊に刺されたようなものだって」


「そう、なの?」


 私の表現が予想外だったのか、愛良は目をパチクリしながら聞き返してきた。


「そうそう。少ししか吸われなかったし、体調にも問題はないから」


「……そっか」


 まだ心配顔ではあったけれど、泣きそうなほどではなくなったから安心した。



 愛良の後ろの方で男性陣が「でっかい蚊……」と呟いて何やらとても複雑そうな顔をしていたけれど、まあ愛良を泣かせないことの方が重要なんだからいいよね。



「……それで? 今後のことを早急に話し合いたいとか言ってたけれど、どうするつもりなの?」


 いつの間にか私のでっかい蚊発言から立ち直っていた嘉輪が、みんなに――というか主に男性陣に向かって言う。


 見ると、少し怒っているのか彼らを睨んでいた。



 それにひるむことなく、田神先生が口を開く。


「ああ、聖良さんの守りについてしっかり決めておきたいと思ってね」


「今更? そういうのはもっと早くやるべきことだったんじゃないの?」


 怒りを滲ませながらも淡々と話す嘉輪に、田神先生も一瞬言葉に詰まる。



 でも、すぐに持ち直した。


「そうだな。それが原因で今回のことにつながってしまった」


「……田神先生はちゃんと理解してるみたいだけど、肝心の婚約者候補の五人はどうなの? 聖良はあくまでおまけみたいなものだからとか思ってるんじゃないの?」


「そんな! おまけだなんて!」

「聖良先輩も、守るべき人だと認識していますよ」


 嘉輪の言葉にすぐさま反応したのは浪岡くんと俊くんだった。



 でも、次に言葉を発した零士は真逆のことを口にする。



「そいつは俺にとったらおまけですらねぇよ。俺は初めから愛良しか守るつもりはねぇ」


 流石にここまでハッキリと言われると、逆に感心してしまう。



 嫌いだけど、愛良の相手としては不満しかないけれど、それでもまっすぐに愛良だけを見ているところだけは私も認めているつもりだ。


 だから、特に今の言葉で嫌な気持ちにはならない。


 ……ならないけれど……。



「あんた、今この状況でそれを言う?」


 空気読めてなさすぎじゃない?



 睨みつけると、逆に睨み返された。


 零士みたいに綺麗な顔の人が睨むと迫力があるけれど、そんなの怖くもないんだから!



「今からするのはお前を守るための話し合いなんだろ? だったら守る気がないってことをハッキリさせておくのが一番じゃねぇか」


「はぁあ?」


 私は思わず立ち上がって零士に近付く。



「私は空気読めって言ってるの! ハッキリさせたいならちゃんと話し合いが始まってからでもいいでしょ?」


 零士の胸に指を突き立てて、私はさらに続けた。


「大体、私だってあんたになんか守って貰いたくないわよ! 私があんたに守って貰いたいなんて思ってるとでも? 自意識過剰なんじゃない?」


 色々あって精神的にいっぱいいっぱいだったのと、零士が相変わらずムカつくやつだったのとで少し八つ当たりも入っていたけれど一気に言い放った。


 最後の言葉はあからさまに馬鹿にするように言ったから、火が付きやすい零士は怒り出す。



 指を突き立てていた私の腕を掴み、「はあぁ?」と凄んでくる。


「お前が何考えてるかなんて知るか! 話し合い自体が面倒だから先に言っておいただけだろうが」


「だからそれが空気読めてないっつってんの!」



「ちょっ、ちょっと待って!」


 ヒートアップしていく私と零士に、嘉輪が大きめの声で止めに入った。


 零士と二人、嘉輪の方を見る。



「聖良、その……腕大丈夫なの?」


 何だか戸惑っている様子にハテナマークを浮かべたけれど、そういえば零士とのケンカを嘉輪の前で見せたことはないからそのせいかな? と思った。



 それにしても、腕?

 腕って、零士に掴まれてる手首のことかな?



「……大丈夫なんかじゃないよ。こんな奴に掴まれてるとか最悪。離してくれない?」


「はっ! 俺だってお前なんか触りたくもねぇよ。人に指突き立ててるお前が悪いんだろ?」


 零士はそう言って、私の腕をポイっと投げるように離した。



 っかー! ホンットムカつくわ!



「……大丈夫、みたいね?」


 嘉輪が少し唖然とした様子で呟く。



 いや、大丈夫じゃないって言ったばかりなんだけど……?


 そう思いながら嘉輪以外の人にも視線を送ると、主に高峰先生と田神先生が本気で驚いた顔をしていた。


「……ん?」


「えっと、男性に触られても……大丈夫なのかな?」


 戸惑いつつも聞いてきたのは田神先生だった。



「あ」


 そうだった。

 私男の人と接触すると怖くなっちゃってたんだ。


 今、零士に手首掴まれても平気だったからみんな驚いてたんだね。



 私は掴まれていた手首を見ながら首を傾げる。


 でも、こういう恐怖症みたいなものとかってそんなすぐに治るものだっけ?



 その疑問はこの場の誰もが思ったようで……。


「ちょっと、試してみましょうか」


 高峰先生の言葉でちょっとした実験が始まる。



 この場にいる男性陣の協力のもと、腕を掴むという方法で様子を見てみたところ思っていたほど酷い症状じゃないことが分かった。



 田神先生ですら掴まれてすぐに拒絶反応を起こすというものじゃなくて、掴まれるとじわじわ恐怖が沸き上がってきて硬直し震えてしまう感じ。


 さっきすぐに拒絶してしまったのは直後だったってこともあるんだろうっていうのが高峰先生の見解だった。



 今は田神先生と石井君に対して体を強張らせてしまう感じで、他の護衛の人達は多少の怖さはあるけれど取り繕えないほどじゃなかった。



「……多分一時的なものね田神先生や石井君に対しても時間が経てば平気になってくると思うわ」


 高峰先生のその診断にホッとする。


 このまま男性恐怖症となったらどうしようってちょっと不安ではあったから。



 それに何より、勝手に血を吸って私を好きなようにしようとした岸にはただでさえ腹が立つっていうのに、あの男のせいで恐怖症になるなんてそれこそ腸が煮えくり返る。


 ニヤニヤとした不快な顔を思い出し、殴りつけてやりたいと思い出す。


 すると同時に、怖いほど真っ直ぐ求めてくる眼差しも思い出してゾクリとした。



 怖い――のに、あの目は私の中に真っ直ぐ入り込んでくる。


 拒絶したいのに、拒む隙も無く入り込んできて――だからこそ尚更怖いんだと思う。



 思い出した恐怖を振り払うように頭を振ると、高峰先生が細かい解説を始めた。


「おそらく聖良さんが恐怖を感じるのは、あなたが男として見ているかどうかってことなのかもしれないわ」


 田神先生は大人だから、どうしても男らしさは軽減できない。声も手も、全てが完全に男だからだそうだ。


 津島先輩に関しては多分見た目のせいで男と認識していないからだろう。


 でもそれをあえて言葉にする必要もないので、そこはスルーした。



「……石井君は同級生だし、見た目も男らしいからダメだったのかな?」


「多分そうじゃないかしら」


 私の言葉に相槌を打つように同意する高峰先生。

 私はそのまま確認するように言葉を続けた。


「あとは年下である俊くんと浪岡くんにはあまり男を感じていないから大丈夫だった、と……」


「ぅぐっ!」

「うわぁ……」


 呟くように確認した私の言葉に、話題の二人が何とも言えない声を上げる。


「え? 何? どうしたの?」



「……い、いや……。もしかしてそうかもとは思ってたんですけど……」

「ハッキリ言葉にされるとキツイですね……」


 何だか目を逸らし、遠い目をされてしまった。



 良く分からないけれど……大丈夫かな?



 そう心配した私だけれど、高峰先生に気にするなと言われて話を戻される。


「続けましょう。それで、零士くんが大丈夫な理由だけど……まあ、男として見てるかどうか以前の問題みたいね」


「……」



 まあ……言いたいことは分かる。


 私は、零士だけは男として見ることはない。絶対に。


 同時に、零士が私のことを絶対に女として見ることはないって分かっている。



 嫌いな零士のことなんか分かりたくなんてないけれど、でもだからこそ分かる。


 零士は、私を女として見ない。

 多分、他の女の子のことも。


 だって、こいつは愛良だけをずっと見ているから。


 嫌いな零士を大切な妹に近付けさせたくない私としては腹が立つけどね。



「とまあ、聖良さんの現状はこんなところかしら。多分間違ってはいないと思うわ」


 そう締めくくった高峰先生。


 私もおおむね間違ってはいないと思う。


 そうしてしばらく沈黙が落ちた。

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