第42話

「それにしても、本当にハーティアさん、すごく綺麗でしたね……」

「へぇ、ああいうのがタイプ?あの子の顔がとても綺麗なのは、”整った顔の造形”フェチのあたしも認めるけど――でも、自殺願望があるわけじゃないなら、さすがにやめておいた方がいいと思うわよ。たぶん、世界で一番手を出しちゃいけない女の子だと思うから」

「まままままさか!!!!そそそそそんなことあるわけないです!!!!絶対、絶対に!!!」

 ぶんぶんぶん、と必死に首を横に振るセオドアは、よほどグレイが怖いのだろう。蒼い顔で全力否定だ。

「っていうか、すみません、うっかり流してしまったんですが――な、なんですか、その……ふぇ、フェチ……?」

「”整った顔の造形”フェチ、よ。男女問わず、整ってる顔が好きなの、あたし」

「は……はぁ……た、例えば……?」

「ハーティアでしょ?ナツメでしょ?お姉ちゃんも黙って猫被らせたらなかなか――あぁ、グレイは言わずもがなよね。最高に格好いいわ。永遠に眺めていられるもの」

「な……なるほど……ちなみに、僕の顔とかは?」

「全っっ然駄目。かすりもしない」

「酷い……」

 ズバッと言い切ったマシロに、しょぼん、と落ち込む。

「一回でいいから、白狼の群れに行ってみたいわ……!」

「あぁ……美形揃い、って言いますもんね。グレイも美形ですから、信憑性ありますよね」

 鼻息荒く夢を語るマシロは、いじいじと地面に”の”の字を書き始めかねないセオドアのことなど気に掛けるつもりは無いようだ。

「……でも、一つマシロさんのことをよく知れたと前向きにとらえます!」

「ふふん。――あ、黒狼にも格好いい人がいたら教えて頂戴ね。遊びに行くから」

 マシロはどこまでもぶれない。セオドアは苦笑した。

「そんな目的がなくても、気軽に遊びに来てくださいよ」

「そうは言ってもねぇ……」

 言いながら、ひくひく、と獣耳が揺れる。――不安なときの動きだ。

「……何か、問題が?」

「――アンタは、どう思ってるか知らないけど。……あたし、たいてい最初は、外見のせいで、あまり歓迎されないのよ」

 ぺたん、とマシロの耳が微かに伏せられる。表情は、先ほどと変わらないようだが――落ち込んでいるのかもしれない。

「外見?どうして?――どこからどう見ても、可愛い女の子、って感じでしょう?」

「アハハ、気を遣ってくれてありがと。――いいのよ。自分で一番わかってるから」

 言いながら、左手でふさふさした左耳を軽く引っ張る。

「この耳も――瞳の色だって。何度も、気味が悪いって言われたわ。あまりいい思い出、ないの」

 実験施設を追われるきっかけになったのも、この耳が原因だった。瞳についても、混血を意味するオッドアイだが、灰狼の血はほとんど発現せず、獣型にならなければ使えない上に、使えてもかまいたち程度の殺傷能力の刃しか生み出せない。

 だからマシロは昔から、初対面の相手には緊張して、うまく喋れないのだ。人見知りと言えば聞こえはいいが、相手が自分の異形を見てどんな感情を抱いているのかがわからず不安で、何を話していいかわからず緊張してしまう。

「気を遣って、何も聞かないでいてくれる人もいるけど。アンタもきっとそうよね。……でも、心の中じゃ何を考えてるか――」

「――すごく、可愛いなぁって」

「…………へ……?」

 遮るように告げられた言葉に、きょとん、とマシロが目を瞬く。

「さっき、言いませんでしたっけ?マシロさんの感情と一緒にひくひく動くから、すごく可愛らしいです。まぁ……確かに、どうして人型なのに耳だけ獣型?とは思いますけど、こんな若いのに族長に抜擢されるくらいの子なんだから、きっと申し子なのかな?そのせいなのかな?とか思ってました」

「――――……」

「だから、僕の中で、勝手に完結しちゃってて、根掘り葉掘り聞く関心ごとじゃなかったので、聞かなかっただけなんですが――変に傷つけてたならごめんなさい。……僕も申し子なので、あまり珍しいとも思わなくて」

「ぁ……そう……」

 まっすぐな瞳で言われた言葉に、嘘や気遣いの響きはない。

 ぽり、とマシロは頬を掻いて、軽く視線を外した。

「うん……そう。申し子、だから――こんな風に、人型になる能力が中途半端なの」

「やっぱり」

「――――――対外的には、そういうことに、なってる」

「――――」

 パチリ、と驚いたようにセオドアの紫水晶が瞬く。

 サァ――と二人の間を、木枯らしが一陣駆け抜けていった。

 赤茶色の長い髪が風に遊ぶのを軽く手で押さえ、マシロはうつむき、ぽつりと言葉をこぼす。

「いつか――アンタにも伝えてもいいって思えたら、言うわ」

「……はい。待ってますね」

 ふわり、と笑んだ瞳は、酷く穏やかで優しい。

 愛しささえ感じさせるその瞳に、心の奥が温まると同時に、どこか酷く擽ったくなり、ゴホン、とわざとらしく咳払いをする。

「目っ……瞳の方は、正直に教えてあげるわ!入ってるのは、灰狼の血よ」

「へぇ。じゃあ、黒狼の戒が使えるようになったら、事実上のコンプリートじゃないですか」

 くす、とセオドアが嬉しそうに笑うのを見て、マシロが呆れた顔をする。

「いや、そりゃそうだけど……どうやってよ。研究進めて遺伝子操作でもするつもり?でも、作為的に三つ以上の戒の力を付与するのは、技術的にも倫理的にも――」

「なんでそっちに行くんですか……普通、黒狼と番になる方向性で考えません?」

「あ、なるほど。……あははっ、確かに!」

 目からうろこの案を出されて、思わず笑ってしまう。――実験施設で人工的に生まれた自分には、どうにも自然に思いつかない発想だったようだ。

 笑顔になったマシロを見て、セオドアもにっこりと全力の笑顔を見せた。


「じゃあ、コンプリートまで、もう少し待っていてくださいね」


「――――ぅん……?」


 イイ顔で言われた言葉が引っかかり、セオドアを見上げる。

 セオドアは、にこにことした笑顔を変えないまま、小柄なマシロを見つめ返した。

「――――――――えっと――……?」

 ぱちぱち、と何度も左右で色の異なる瞳が瞬きを繰り返す。

 セオドアは笑顔のまま口を開いた。

「いくら黒狼の群れを探しても全然出逢えなくて、もう僕は一生独り身なのかなとか思ってたんですが――いやまさか、赤狼の群れにいたとは。しかも、こんなに可愛い。とてもラッキーです」

「――――っっっっ!!!???」

 ぼふんっ

 マシロの顔が、爆発したように一瞬で真っ赤に染まる。

「え――ちょ――なっ――――――なななななな――!!!?」

「待ってください、逃げないで。――別に、今すぐどうこうとか、思ってないですから」

 言われている意味を理解して全力で身を引こうとしたマシロの腕をつかんで引き留める。

「いつか、貴女が、その耳の秘密を教えてもいいと思うくらいに、僕に心を開いてくれたら――その時、ちゃんと、申し込みますから」

「っ……ちょ――ま、まま待って、待って、頭の整理が――」

「大丈夫、ゆっくりでいいですよ」

 マシロの頭の中がぐるぐると回る。

 <狼>の雄が、対象の雌を己の番であると認識するまで、初対面から数えて、平均で三回程度。――確かに、セオドアと顔を合わせるのは、千年樹のほとりで出逢った初日と、二日目と、今日。――三回目だ。

 言われてみれば、なんだか今日はやたらと絡まれると思っていた。仲良くなりたい、マシロのことをよく知りたいと、何度も言われていたことを思い出す。

(待って、でも、人工的に造られたあたしに――つ、番なんて、いるの……!?)

 自分の出自を想えば、運命の番など存在しないと思っていた。だからこそ、条件で最適と思ったグレイに何度も番にしてくれとアピールしていたのだ。自分から頼み込んで番にしてもらうことはあっても、雄から申し出られることがあるとは、正直、あまり現実味のあるものだと思っていなかったのだ。

「千年樹のほとりにいたころから、もしかしてと思っていたんですけど――今日、貴女を一目見た瞬間に、確信したんです」

「っ……」

「だから――早く、愛称をつけてください。毎度、族長会議のたびに”クロくん”なんて親しげに他の雄を呼んでるのを聞いたら、嫉妬してしまいます」

「そっ……そそそ、そんなこと言われてもっ……」

「いいでしょう?……ね?――――マシロ」

 びくんっ……!

 いつもよりぐっと低い声で名前を呼ばれて、背筋を何かが走りぬけた。今まで欠片も出していなかった雄の色香が含まれた声に、勝手に心臓が早足になっていく。

(待って待って待って待って、顔、全っっっっ然タイプじゃないんだけど――――!)

「~~~~~っ!」

 やはりこいつは、セスナの血縁だ。――当初の予定通り、腹黒、と呼んでやろうか。

 きっと、このむせかえるような”雄”の色香を纏った顔は、マシロ以外の誰の前でも見せないのだろう。

「ぉ?いたいた、マシロ。ちょっと二日酔い治して。自分だと頭が痛すぎて集中できな――」

「おっ、お姉ちゃんっっ!!!!お゛ね゛い゛ちゃん~~~~っっ!!!」

 タイミングよく飛んできた声に、セオドアの手を振り払って無我夢中で長身の美女の元へと駆け寄る。

「ぁ?どったの、マシロ」

「ぅぅぅぅぅぅ~~~~~!」

 シュサの身体を盾にするようにして後ろに隠れ、真っ赤な顔を押し付けて呻く。――もう、頭がパンクしそうなのだ。

「……あ。もしかして、貴女がマシロさんのお姉さんですか?初めまして、セオドア・ラウンジールと言います」

「そうだけど――……何、あんた。うちの子に何したの」

「嫌だなぁ。何もしてませんよ、オネエサン」

(今絶対頭の中で「お義姉さん」って変換して言ってた!!!!!)

 ぐるぐる回る頭の中でツッコミを入れる。

 やっと理解する。事件のことを暴くつもりでもないのにシュサのことについてわざわざ話題に出した理由を。

 ――あの時からすでに、マシロを番にしたいと本気で思っていたからに違いない。

「ラウンジール……”オネエサン”呼び……」

 口の中でぶつぶつ呟きながら、チラリ、とシュサは自分の後ろに隠れている茹で蛸のようなマシロを見やる。

「……ははぁん……なるほど?」

 びくぅっ

 不穏な響きを持った呟きに、マシロの肩が跳ね上がる。

「あたしの読みが正しければ――もしかして今、めちゃくちゃ面白いことになってる?」

「あはは。お義姉さんは鋭いですね。マシロさんに似てとても優秀だ」

「ちちちちち違う!!!!断じて!!!断っっじて!!!何も面白くない!!!!」

 マシロの渾身の叫びが、快晴の空に響き渡る。

 もうすぐ、「誓いの儀」が始まろうとしていた――


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