第41話

「へぇ!あの、自分以外の雄が一瞬でも近づいたら瞬殺しそうな雰囲気だったグレイが、そんなに穏やかに……!すごい、ハーティアさんって本当にすごいですね!何者ですか…!?」

「私もよくわかんないわ。でも、凄いのは確かよ」

 もぐもぐ、とセオドアが買ってきた串焼き肉を噴水の傍のベンチに腰掛けて頬張りながら会話する。

「ハーティアがうちの群れに二週間もいてくれたおかげで、経済も潤いそうだし」

「えっ、何か関係が!?」

「サイズ合わせのために、うちの群れに今日あの子が着る予定の花嫁衣裳が届いたの。なんか、伝統装束?とか言うやつらしくて。あたしも見たことないようなデザインだったわ。すごく素敵なの。……で、うちの服飾関係の仕事についてる<狼>たちに見せたら、テンション爆上がりしちゃって」

「えぇ……」

「こんな斬新な色遣いが!糸使いが!布の生地が不思議!見たことないシルエット!……って言って、なんか刺激受けたみたいで。目の色変わってたから、きっと来シーズンにはインスパイアされた服とか出てきて、最新トレンド!って言って流行すると思うわよ」

「へぇ……いいこと聞きました。黒狼の行商担当に早めに十分な量を仕入れるように言っておきますね」

 答えるセオドアは、真面目な顔で頷いている。初めての族長業で、わからないことが沢山あるだろうに、彼なりに良いと思うことには積極的に取り組もうとしている気概が見られた。

(根はきっと真面目なのよね、うん)

 先ほどチラリと見せた一面は、本当に他意はなかったようだ。あの後、一切腹黒そうな一面など見せることはなく、初めて出逢ったときに抱いた印象と変わらぬ、穏やかで柔和な好青年として、マシロと楽しそうに会話を進めていた。

「そういえば、考えてくれました?」

「ふぇ……?」

 串に残った最後の一切れに噛みついたときに問われ、間抜けな声を返す。

「愛称。――つけてほしい、ってお願いしたじゃないですか」

「あぁ――……うーん……」

 もぐもぐごくん、と飲み込んでからマシロは視線を宙に浮かせる。

「セオドア……セオドア……うーん……セッちゃん、だとさすがにアレだし……」

 ぶつぶつと独り言をつぶやいて考えている様子のマシロの横顔を、ワクワクが抑えきれない様子でセオドアが眺める。

(セオ……セオくん……?……うーん、ありきたり感があるわね。出来ればちょっと捻りたい……セオドア……セディ、とか?あ、これいい感じかも)

 思い至り、セオドアを振り返って提案してみようとして――

「マシロさん!セオドアさん!来てくれたんですね!」

 聞き覚えのある声が響き、思わず口を閉ざし、振り返る。

「「ゎ――!」」

 マシロとセオドアが、揃って小さな歓声を上げた。

 視線の先では、金銀の糸で織り重ねられた真紅と純白の花嫁衣装を纏ったハーティアが、嬉しそうな顔で小走りで駆け寄ってくるところだった。匠が腕を振るったのであろう見事な刺繡がいたるところに施され、キラキラ輝く宝石を上品にちりばめられた衣裳は、千年前のルナート領周辺の地域で祝言のたびに身につけられていた物から大きく変わっていない。

 化粧など施していなくても十分に目を見張るほどの美しさを持つハーティアだが、今日は朝から入念に化粧を施されたようで、二週間の徹底的な美容対策の成果も相まって、思わず二人の<狼>が息を飲むほどの美しさだった。

「すごい、すごいわハーティア!すんっごく綺麗!」

「ふわぁ……これはびっくりしました。確かに南で話題になるのもわかります。――すごく美しいです、ハーティアさん」

 ”整った顔の造形”フェチであるマシロは鼻息荒く、グレイの影を恐れるセオドアまでもそれを忘れて、手放しでハーティアの美しさを褒め称える。

「ぁ……へへ……あ、ありがとうございます……」

 ハーティアは嬉しそうに、擽ったそうに、ほんのりと頬を染めて顔をほころばせて礼を言った。

 女神と見紛うばかりのその美しさに、二人はぽーっと思わず見惚れ――

「ハッ……!!グレイ!グレイはどこですか!!!?」

 我に返ったのは、セオドアが先だった。きょろきょろとせわしなく周囲に目を走らせる。――おそらく、これ以上ない命の危険を察知したのだろう。顔が、可哀想になるくらいに真っ青だ。

「だ、大丈夫ですよ、セオドアさん……グレイは、こっちについてから、「寄るところがある」って言ってすぐにどっかに行っちゃったんです」

「えっ!?それ、大丈夫なの!?」

「はい。花婿は、装束に着替えるくらいで、花嫁ほど準備は大変じゃないんです。灰狼の群れじゃなくて、東の<月飼い>の集落に来るのは久しぶりって言っていたので、何か仕事してるのかもしれません」

「そんな、まさか、今日まで――って、グレイならやりかねないのが怖いわね……」

「じゃ、じゃぁ、今ここにはいない……?」

「はい。たぶん、帰ってきたらすぐに私のところに来ると思うので――ぁ、いや、あの、えっと、深い意味はないんですが」

 急に惚気たような発言をしてしまい、さっと頬を染めてあわあわと言い訳するハーティアに、マシロは呆れる。

「いいわよ、別に。事実でしょ。間違いなく、帰ってきた途端アンタの匂い辿ってソッコーでここに来るわよ。――こんな綺麗な花嫁に変な虫でもついたら大変!って思ってそうだし」

「ぅ……」

 マシロの言葉を否定できないのが複雑だ。ハーティアは気まずそうに視線をそらした。

「それより、主役がこんなところにいていいの?」

「はい。儀式の後の祝宴では、皆広場で入り混じっての大宴会になるので……お酒も入りますし、ゆっくりお話も出来ないことが多いので、”誓いの儀”が始まる前に、特別にお世話になった人や、ゆっくり会話したい人とは先に会話しておくのが慣例なんです」

「へぇ、そうなんだ」

「お世話になった人に花嫁衣裳を着た姿を見せるのは、『あなたのおかげで今日の私があります』『必ず幸せになるので、お礼に、私の一番美しい姿をいつまでも覚えておいてください』って伝える意味もあるんです。本来は、育ててくれた親や集落の特に親しかった人に、感謝を伝える時間なんですよ」

「そう――……なんだ――……」

 少しだけマシロの歯切れが悪くなる。――過去、グレイは、彼女の魂の生まれ変わりたちがこうして着飾っていたであろう祝言の様子を、一体どんな気持ちで見守っていたというのか。

(……いっそドMじゃないと耐えられないレベル……そりゃ、『蜜月』こじらせて狂気に満ちた愛情表現にもなるわ……)

 ほんのりと同情していると、ハーティアがきょろきょろ、と周囲を見回した。

「あの――シュサ、さん……は――」

「あぁ。昨日の夜、深酒してたみたいだから、今頃二日酔いで呻いてるのかも。あたし、朝早かったから昨夜は先に寝ちゃったし。あたしが止めないと、お姉ちゃん、いつまでも飲むから。今朝、家を出てくるときは、辛そうにうめきながらベッドの中で寝てたわ」

「「えっ!?」」

「ま、"誓いの儀"?とやらまでには起きてこっちに来ると思うから、安心して」

 驚いて聞き返した二人に心配するな、と手を振ると、ハーティアは納得したようだったが、セオドアは蒼い顔をしている。

「だ、大丈夫ですか!?グレイがどっか行っちゃってるってことは、もう赤狼も参加者はこっちに送られてるってことですよね!?間に合ってますかね!?」

「……あー。なんていうか……お姉ちゃん、起きさえすれば、あとの移動は、凄く速いの」

「へ?」

「すごく。ちょっと尋常じゃないくらいに、すごく」

「は……はぁ……?」

 ぽかん、とセオドアはわけがわからない、という表情をした。

 だが、シュサの詳細を隠している以上、まさか、馬鹿正直に言う訳にもいかない。――シュサが、白狼の戒を使うことが出来るなどとは、口が裂けても。

「あ、じゃあ、私はこの辺で失礼しますね。祝宴まで、どうぞ楽しんで行ってください」

 シュサの実態を隠していることはハーティアも承知している。話がこれ以上ややこしくなる前に、そそくさと二人の前から立ち去って行った。

「えっと……あの、これ、僕、空気を読んだ方がいいやつですか?」

「そうね。もう聞かない、って誓ったんでしょう?」

「ぅ……そうでしたね……」

 少し前の自分の言葉を悔やみながら、セオドアは仕方なく明らかに”訳アリ”な話題を避けた。

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