第40話
翌日――グレイとハーティアと一緒に空間転移で東の<月飼い>の集落へとやってきたマシロは、準備があるという二人と別れ、一足先に祝宴会場となった広場を当てもなく歩く。抜けるように青い空は、雲一つなく、天気の心配はないようだ。
今までは月に一度の<月飼い>の血を捧げる祭りが開催されていたであろう広場は、祭壇を少し組み直して華やかな雰囲気へと様変わりしている。道行く人たちの表情を見るに、どうやら<月飼い>たちもお祝い事に浮足立つ気持ちは同じらしい。
(へぇ……面白い。色々な屋台が出てて、ごちそうもいっぱい。ふふっ……<狼>用と<月飼い>用に分かれてるのね。ナツメの発案かしら)
世話になった人々への結婚の報告の意味合いもあるという祝言の習わしに即して、グレイは<狼>たちも自由参加とした。とはいえ、制限なく参加可能としてしまえば、グレイの人望や立場を想えば、おそらくすべての<狼>たちが集結してしまう。あまり多すぎると東の集落がパンクしてしまうため、西と南の<狼>は参加人数の上限を決められていた。時間と場所が指定されていて、その時間にその場所にいればグレイが戒で転移させてくれるという。
それは、長距離移動になる<狼>たちを気遣って、と言えば聞こえはいいが――マシロは、それ以外の思惑があるのでは、と推察していた。
(グレイの戒以外で移動ってなると、皆、獣型になってここに集結することになるものね……)
その光景を目にしたハーティアは、きっとこれ以上なくテンションを上げて歓喜の声を漏らすことは想像に難くないが、そこで”お気に入り”の獣型でも見つけられたら困る、ということなのだろう。目を輝かすハーティアを前に、ギリギリと般若のような形相をしているグレイが思い浮かぶ。先日、千年樹のほとりで繰り広げられた下らないにもほどがある痴話げんかの様子を見るに、どうやら嫉妬深いグレイにとってはどうしても譲れないことらしい。
(ま、女のあたしには関係ないけど――そういえば、そろそろ、<狼>たちが到着するころかしら)
そんなことを思ってキョロ、とあたりを見回すと――
「マシロさん!」
朗らかな声が背後から響き、弾かれたように振り返ると、紫水晶の瞳を嬉しそうに緩めた見覚えのある黒狼の青年が手を振りながらこちらへと駆け寄ってくるところだった。
「……セオドア、あんたも来てたの?」
「勿論ですよ。一応族長ですし」
はは、と笑いながら後ろ頭を掻く。下がった目尻が、温和な彼の性格をよく表している。
一見、争いごとなど無縁で苦手そうに見えるセオドアを前に、マシロは軽く嘆息した。
(これで、グレイもクロくんも一目置くくらいの戒の使い手っていうんだから、ホント、人は見かけによらないわね……)
その力の一端は、マシロもしっかりと目にしていた。少なくとも、<朝>の力を番として分け与えられたシュサと同等かそれ以上の使い手であることは疑いがないだろう。
「他の赤狼は来ていないんですか?」
「さぁ……そろそろ来てるんじゃない?私はグレイと一緒に来ちゃったからわかんないけど」
「えぇ……そんな、薄情な。匂いを辿ればすぐにわかるのに」
スン、と鼻を鳴らして言われて、不自然に見えない程度に視線を逸らす。――彼には、マシロに嗅覚がないことを、まだ告げていない。
「あっ、そういえば、僕、マシロさんのお姉さんに逢ってみたいって思ってたんです。今日はいらっしゃるんですか?」
「え?――…な、なんで……?」
ドキリ、と心臓が不穏な音を立てる。
シュサが一連の事件の黒幕だったことは、闇に葬られた事実だ。いつかは打ち明ける必要があるとは思っているが、ある種、黒狼は今回の事件で一番混乱が生じている一族だ。その混乱の元凶が、セスナだけではなく、もう一人――なんなら、セスナを唆したという観点では余程罪深い――いると知れば、悪感情が一気に噴出する可能性がある。シュサが犯した罪を考えれば、それは自業自得なのかもしれないが、グレイはそれをよしとしなかった。
黒狼にも、罪はある。"器"だったセルンの扱いも、"器"の片割れだったセスナの扱いも。その後の成り代わりに気づかず、西の夜水晶を、群れの誰にも気づかれぬままに意のままに使われていたという事実もあった。それらの非から目をそらし、他者を糾弾することで己の在り方を顧みられなくなるようなことは、グレイは望まなかった。
そして、おそらく――この千年、己の意思に関係なく終わりのない地獄の底を歩かされる生涯を強制されてしまった不幸と、確かに愛していたはずの己の番をその手に掛けざるを得なかった境遇を想えば、すでに十分に罰を受けていると考えたのだろう。
故に、グレイもマシロも、しばらくはあの時あの場にいた者たちの中だけで内密にしておくことが良いと判断した。関心のないことには言われたことに従うのみのクロエが異を唱えるはずもなく、最もシュサから被害を直接被ったハーティアさえ、その底抜けにお人好しな性格で、境遇を哀れみ情けをかけ、秘密を守ることを約束した。
つまり――セオドアは、事情を何も、知らない。
(それなのに、なんでお姉ちゃんに逢いたい……って……!?)
サッと緊張が走る。どこかで何かを知り、報復などを考えているのだろうか。
「あ、あたし――お姉ちゃんがいること、あんたに言ったことあったっけ……?」
「あぁ、いえ、直接教えてもらったわけじゃないですけど――ポロっと一度、”お姉ちゃん”とこぼしていらっしゃったので」
「そ、そうだっけ――?」
意外に耳聡い男らしい。そういえば、自分でも空気を読むのに長けていると言っていた。普段から、周囲の話や顔色をよく窺っているということだろう。
ふと、セオドアはマシロの耳に目をやってから、「――あぁ」と何か納得したように声を上げる。
「別に、他意はないですよ。マシロさんのご家族、っていうことだったので、どんな方なのか気になっただけです。一緒に暮らしているみたいでしたし」
「ぇ、えっと――」
「前に言ったかもしれませんが――僕、昔から、空気を読むのに長けているんです。話を総合して考えると、事後整理についての会議で出てきた、唯一聞いたことのない人の名前と、マシロさんがこぼしたお姉さんのお名前が一致しているんじゃないかなとか思ったりしても、グレイや他の皆さんが僕にそれを説明しない以上は、自分から探ろうとか思わないので安心してください」
「――――!?」
にこっと笑って言われて、マシロがさっと顔色を変える。
くすくす、とセオドアは可笑しそうに笑った。
「マシロさんは、びっくりするくらい頭の回転が速いのに、隠し事は苦手なんですね。宝の持ち腐れ――なのかな?」
「なっ……!」
「だって――可愛らしい耳が、全部物語っちゃうから」
「――――!!」
面白そうに獣耳を指さされて、サッと思わず両手で耳を覆って隠す。その様子がさらに可笑しかったのか、クスクス、と再びセオドアは面白そうに笑った。
「こちらの問いかけに警戒しているときは、ひくひく動いて――驚いたときは、ぞわっと毛が逆立って。もしかして、落ち込んだり怖がったりしてるときはぺたん、って垂れたりするんですか?可愛いなぁ……見てみたいです」
「な――な――!」
嬉しそうに顔をほころばせて言われて、マシロは蒼い顔でセオドアを見る。手で隠した耳は、完全に逆立っていた。
「そんなに警戒しないでください。本当に、他意はないんです。もう少しマシロさんのことをよく知りたいなって思っただけなんです」
いつまでも警戒を解こうとしないマシロに、少し困った顔でセオドアが告げる。マシロはギロッと睨むように青年を見上げた。
「なんであたしのこと――!?」
「え。そんなにおかしいですか?……クロエさんは、近寄って行っても無視されるだけですし、グレイに関しては何かとんでもない勘違いされて殺されかねないですし。……まだ、族長になって日が浅い若輩者なので、色々教えてほしいって、単純に思っているだけですよ。マシロさん、優しいので」
(何コイツ――……)
じろじろと上から下までセオドアを見る。困った顔で眉を下げている表情は、人の好さがにじみ出ているが、一瞬顔をのぞかせた彼の一面がマシロに警戒心を抱かせる。
(おどおどしてるし、温和で柔和で、自分は全く害がないですよ――って顔しておいて、普段から周囲の観察に余念がなくて、何気なくこぼした一言から色々推察出来るくらいめちゃくちゃ頭も回る上に、その気になったら戒の腕前も相当なんでしょ……!?全然油断できない――!)
セオドアは、なおも困った顔でゴリゴリと後ろ頭を掻く。
「うーん……困りましたね。少しは僕のことも知ってもらった方がいいかなと思って言っただけだったんですけど――これは悪手だったかな。本当に、なんてことない世間話だったつもりなんですけど」
「っ……あんたが、セッちゃんの血縁ってこと、久しぶりに思い出したわ……」
腹黒が服を着て歩いているとすら思える皮肉屋の青年を思い出し、マシロが唸ると、セオドアは少し微妙な顔をした。あまり嬉しくはないらしい。
セオドアはコホン、と咳払いをして話を切り替える。
「そういえばマシロさん、クロエさんのことも愛称で呼んでましたね。すごく羨ましいなぁって思ってたんですよ。よかったら、僕も、何か愛称で呼んでください」
「……”腹黒”」
「それ、愛称じゃないですよね……」
半眼で哀しそうに呻く。
そのまま一つ嘆息すると、広場に展開する屋台へと視線を移した。
「せっかくのお祝いの日に、ピリピリさせちゃってすみません。お詫びに、なんでも好きなもの奢りますよ。何がいいですか?肉?南で流行ってるような甘いやつ?それとも、興味半分ですが『人間』が食べるような草とか食べてみます?」
「…………」
「もうお姉さんのことは聞きませんから。誓います。――僕は、マシロさんと仲良くしたいだけなんです」
「…………じゃあ……アンタが一番おいしそうって思ったの、買ってきて」
少しだけむすっとしながらマシロが告げると、ぱぁっとセオドアの顔が明るくなった。
「わかりました!」
まるで、太陽のような全力の笑顔に、不意を打たれてドキン、と心臓が鳴る。
(び――びっくりした……イケメンじゃなくても、全力の笑顔なら、ドキッとするもんなのね……)
自他ともに認める"整った顔の造形"フェチであるマシロからすれば、素朴なセオドアの顔面は、決して食指が動くような造形ではないはずなのだが――
踵を返した背中でさえ、嬉しさを全力で表しているような青年の様子に、一瞬なぜか飛び跳ねた心臓をゆっくりと落ち着かせたのだった。
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