第34話

「……はぁ…」

「あら?アルフ、どうしたの?アンタがそんな大きなため息つくなんて珍しい」

 午前中の講座を終えて教室を出てきたアルフとすれ違い、午後からの女子の部の講座を担当する講師ミア・マクレイはひょいっと昏い顔をした青年の顔を覗き込んだ。

「……姉さん……」

「?どしたの。体調でも悪い?」

 姉弟で同じ分野へと進んだ二人は、ここ数年、こうして二人で男女それぞれの講座を担当している。職務に関してはこちらが引くほどに一生懸命な弟が、憂鬱そうなため息を吐くなど珍しいにもほどがある。彼の性格をよく知る身として、単純に心配になったのだ。

「いや……なんていうか……すごく、疲れた……」

「へ?なんで?」

「すごく神経使う特別受講生がいて……時々飛んでくる質問が、いっつも斜め上で……」

「??」

「一番聞き流されるだろうと思った後半の実技に関しての授業は、こっちが引くほど死ぬほど真剣に聞かれるし、まじめな顔でどぎつい質問されるし、何かビビるくらいめちゃくちゃメモ取ってたし……」

「いいことじゃない」

「いや……結局、何がしたかったのかよくわかんなくて――」

 抜き打ち査定にしては、あんなに真剣に生徒役をやる理由がわからない。特に後半の実技面において。――アンタこれまで何回の繁殖期終えてきたんだよ、とツッコミを入れたかった。さすがに入れられなかったが。

「なんか、最後には滅茶苦茶感謝された挙句、この講座はぜひ西と東の集落でもやるべきだ!とか言ってて――ハッ!もしかしてそれが目的――!?」

 西や東で、"事故"が多発したり性のトラブルが増加したりなどの、種族としての課題があるのかもしれない。グレイは、それの解決方法を探るため、生徒の立場で受講し、これを他の集落へと展開する価値があるかどうかの偵察に来ていたのかもしれない!――などと、憧れフィルターを捨てることが出来ぬ哀れな赤狼は真剣に考える。

「なんか、よくわかんないけど、大変だったみたいね」

「ぅぅぅ……すっごく緊張したよぅ……」

「お疲れ様。――私は今からの講座がもうすでに憂鬱だわ」

「へ?」

 小さく嘆息するミアに、きょとん、と目を瞬く。ミアは、手元にある本日の受講生名簿へと視線を落とし、重たい吐息を漏らした。

「族長の頼みだから仕方ないんだけど――うちにも、特別受講生がいて」

「?」

 ――ハーティア・ルナン。

 名簿には、何度目を通しても確かにその名前が書いてある。

(そりゃ、元『人間』っていう噂だし、すごく若いって聞いたし、まだ番になって二週間だか三週間だかってことは『蜜月』真っ盛りでしょうから、<狼>の生態に面喰ってて経験豊富なグレイについて行けなくて、任せきりじゃなくてあの完璧超人を満足させるためにも勉強したい!って思う気持ちはわかるんだけど――)

 ミアの予想は半分は正しい。――”ついて行けない”理由が、少々事実とは異なるだけで。

「実技パートで、経験豊富な相手の番を満足させる超絶テクとかをたくさん教えないと、講座の満足度が下がる気がして……」

「何それ!?」

 誤解が誤解を呼んでいく。

 今日、赤狼の群れの中で、最も胃を痛めたのは確実にこの姉弟たちだっただろう――



 講座を受け終えたハーティアは、涙目のまままっすぐにマシロの家へと駆け込んだ。

「まっ……まままマシロさんっ!!私、無理です!あんなこと、絶対できません!!!!」

「え!!?何が!?」

「グレイのピーー(自主規制)をピーー(自主規制)してピーー(自主規制)がピーー(自主規制)ってピーー(自主規制)とか!!!」

「はっっ!!?」

「ピーー(自主規制)がピーー(自主規制)するまでピーー(自主規制)するとか、そんなっ……そんな、そんなの、想像するだけでも、絶対無理!!!!そんなことするくらいなら、やっぱり一生『家族』のままでいるっ!!!!」

「ちょっ――待って待って、なんでそんな三段跳びで上級者テク教わってるわけ!?ちょっとお姉ちゃん!爆笑してる場合じゃないから!!!」

 しばらく、シュサの隣近所にまで聞こえそうなほどの大爆笑が響き渡り――

 結局マシロが、テキストを元に基本をしっかりと教える羽目になったのだった。

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