第33話

「えー……ではまず、本題に入っていく前に大事なこと――誰かと"番になる"という行為そのものについて、勉強しましょう」

 こんなに緊張するのは、初めてこの教壇に立った時以来――いや、それ以上だ。

 年頃の子供らしく爛々と興味津々の目を向けてくる少年たちを見ながら――その一番奥、教室の後ろの方に、余裕の顔つきで、しかし真面目に自分の話を聞いている白銀の青年を視界に入れるたびに居心地の悪さを極める。

(仕事、仕事、仕事だ――)

 これはきっと、上司の誰かが取り計らった、抜き打ち査定とか、そういうやつだ。きちんとわかりやすく講座を行えているか、チェックされているんだ。あれは生徒ではなく、監査官。――よし。そう思えばとりあえず職務に集中できる。

 心の中で自己暗示をかけながら、アルフは子供たちへと語り掛ける。

「皆くらいの年齢なら、きっとどこかで、番になる相手を見つけたときの反応について聞いたことがあるでしょう」

「はい!出逢った瞬間、ビビビッってわかる、って聞いた!」

「惜しいです、ジャン。――出逢った瞬間にわかる、という事例は、実はかなり稀有です」

 前のめりな少年に応えながら、アルフは手元の資料を捲る。

「最新の調査データでも、「これが生涯の番だ」と認識した瞬間の平均は、初めての出逢いから約三回~四回くらいの邂逅、という結果が出ています。これは、初回調査から過去五百年くらい大きく変わっていません。初回の邂逅で相手を番と認識した事例は数パーセント。ボリュームゾーンは三回で、遅くても五回目の邂逅までには悟るのが通常のケースです。五回以上となると、こちらもかなり少ないケースとなってきます」

「へぇ……」

「僕自身も番った相手がいますが、思い返せば、二回目くらいで「きっとそうだろうな」と思っていて、三回目には「絶対そうだ」と確信を得た感じでした。――あぁ、そういえば、大先輩がいるじゃないですか。グレイ、貴方の場合はどうでしたか?」

「む……?」

 急に当てられ、グレイがパチリ、と黄金の瞳を瞬く。

「噂になっていますよ。とても仲睦まじい番がいるようで。彼女と出逢い、彼女が生涯の番だと認識するまでどれくらいでしたか?」

「ふむ……そうだな……何分、記憶が途方もなく遠いから、正確には覚えていないが――それでも、五回よりも少なかったはずだ」

「グレイもそうなの!?」

 憧れのヒーローの話に、少年たちが沸き立つ。

「あぁ。何せ、ティアと初めて出逢ったのは、白狼の寿命で換算すれば、私がお前たちくらいの年齢――より、少し若いくらいの時だったからな。少し状況が特殊だったこともあり、強烈な出逢いだったことは事実だが、これが生涯の番だ、と認識するようなものではなかった。変わったやつだ、くらいの認識だ。――二回目に逢いに行ったときには、何となく好ましく、一緒にいて居心地が良い相手だなと感じていたように思う。……それから、これが生涯の番にしたい女なのだと気づくまで、さほど時間はかからなかったな」

「へぇ~!そうなんだ……!」

(……え。なんですかそれ滅茶苦茶詳細聞きたいです……!)

 アルフは、素直に感心している子供たちを差し置いて、思わず生物学者としての自分が暴走しそうになるのをぐっとこらえる。

 グレイの話が事実ならば、今のハーティアはいったい何歳なのか。生涯誰とも番うことがないと言われていた伝説の白狼を射止めた少女との、強烈な出逢いとはどんなものだったのか。生物学者として、興味関心が尽きない。

(が、がまん、我慢だ……!これはきっと巧みに仕掛けられた罠だ!ここでグレイの発言に食いついてわき道にそれたりしたら、きっと今後の査定に響く……!)

 誤解をしているアルフは見当違いな予想をして、必死に己の欲求に打ち勝ち、授業の進行へと戻る。

「ご、ごほん。……えー。そういうわけなので、どんな女の子にも、最初から丁寧に接しないといけません、ということです。初対面で何も感じない相手だからと言って、これは生涯の番ではないと勝手に決めつけて意地悪をしてしまった後に、やはりこの子が番だ!と気付いても遅いです。雌も事情は分かっているでしょうから、最終的に番となること自体を断ることはないでしょうが、意地悪をされていた相手だったと思えば、君たちが申し出てすぐに番になることを了承してもらえないかもしれません。「しばらく他の雄との恋愛や繁殖行為を楽しんだ後にね」なんて最初の申し出を拒否されてしまったら辛いですよ。――番にしたい、と思っている相手が他の男に頬を染めていたり、その男との子供を産んだりしているのを見るのは、相手を八つ裂きにしたくなる思いです」

「……ふむ。まさに、だな。あれはとてもまともな精神では耐えられぬ」

 教室の後ろで、首がもげるほど深くグレイがうなずいているのはなぜだろうか。

「相手が許可してくれたら、雌の首筋に歯を立てます。愛しさ余って、血が出るほどに思い切り齧りついたりしてはいけませんよ。後で戒で治癒すればいいとか、そういう問題ではありません。雌は、雄よりも華奢な生き物です。まして、首は一歩間違えば簡単に致命傷になる場所。そこを雄に晒してくれるというのは、「あなたを信頼しています」という雌からのメッセージです。そこに凶悪に歯を立てるというのは、その信頼を裏切る行為なのですから。そっと、軽く歯を触れさせるだけでよいのです。――それだけで、雌は君たちの匂いを纏う、生涯で唯一の番へとなってくれるのですから」

「ふむ。大事なことだな。想いが募ると、ついうっかり、衝動に任せて強く噛みたくなる。お前たちも気を付けることだ」

「そうなんだ!わかった!」

(いや、そこまで衝動に任せたくなるケースはよっぽど稀――……まぁ、子供たちが納得しているならいいか)

 もはや予定調和と言われるくらいのその行為で、我を忘れるほどに噛みつきたくなる事例など、近年ではほとんど確認されないのだが、グレイなりの子供たちへの教育アシストだと思うことにする。

「そして、大事なことがもう一つ。――君たちが成体になるまで、雌の首筋に歯を立てても番にはなれません」

「え、そうなの!?」

「そうです。「これが番だ」とわかるようになる事例は、君たちくらいの年齢からでも確認されているのですが、成体になっていない雄が歯を立てても番にはなれません」

「アルフ!質問!」

 ハイッ!と元気よく最前列の少年が手を挙げる。アルフが指し示すと、少年は元気よく質問を口に出した。

「雌も成体になってないとだめなの?」

「おや、いい質問ですね。――番にするだけならば、雌の年齢は関係ありません。……ただ、子供は雌が成体になるまで出来ませんので、注意しましょうね」

「……む?」

 グレイの眉が怪訝そうにひそめられる。

「そうなのか?」

「え。……は、はい」

「繁殖期に繁殖行為をしても?」

「え、えぇ。……妊娠と出産は、雌の身体に大きな負担になる行為ですから。しっかりと身体が成熟するまで、どれだけ繁殖期に行為をしても、子供は出来ません」

「……ふむ」

 グレイは軽く首を傾げ、何事かを考え――

「アルフ、質問だ。――相手が元『人間』の時は、どうなる?」

「ぇえ!!?」

「<狼>であれば、成体かどうかの見分けはつくが――『人間』の場合、その区別を我々がつけるのは酷く難しい。すでに成体になっている個体を番にすれば問題がないのだろうが、それより前に番にしてしまった場合、『人間』の寿命が延びるだろう。そうなると、『人間』だった場合であれば十分成体になっていただろう年月を経ても、身体の成長は追いつかない。……先ほどのアルフの言葉が理由ならば、出産に耐えうる身体になるまで、ということは<狼>の寿命で換算すればよいのか?それとも、元となった人間の時間軸で考えても良いのか?というより、そもそも『人間』の成体はいつからなのだ?何かわかりやすい変化があるのか?」

「ちょ――ちょちょちょ、ちょっと待ってください。憶測では答えられない内容なので、今、資料を確認します」

 さすがにそんな質問が飛ぶとは思っていなかったため、慌てて手元の資料を捲る。

(直近で、人間と番ったケースは、灰狼のクロエ・ディールのみ……だけど、あのケースは、女が成体になるまでわざわざ待ってから番にしているから、グレイが言ったような心配はなかった。普通に毎年繁殖期のたびに子供も出来ている――)

「<月飼い>との混血を禁じて久しいが、マシロの尽力もあり、妖狼病の特効薬の開発も進んでいる。今後、人間と番う<狼>も出てくるだろう。事実、クロエも、私も、人間を番に選んだ。世界に一人しか存在しないと言われる番が人間である可能性は十分にある。未来の子供らのために、聞いておきたい」

「す――すみません、手元の資料には、それに関する記述がなく――」

「……ふむ」

「僕の知識でも、正確には答えられなくて――講座が終わったら、先輩にも聞いてみます!」

「よろしく頼む」

 あくまで生徒として出席している彼からの質問に答えられなかったアルフを責めることなく、優しく笑んで頼むグレイは、慈愛の塊のような瞳をしていた。

(やっぱり、すごい<狼>だ――優しくて、でも、<狼>種族の未来をきちんと考えていて、講座の内容も日々時代に合わせて進化していくべきだと伝えてくれる――!)

 グレイにとっては、単純に、愛しいハーティアとの間に子供がしばらく作れないかもしれないという事実にショックを受けたが故の質問に過ぎなかったのだが――

 救世主としての憧れフィルターがかかっている赤狼の青年に、そんなことはわかるはずもなかった。

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