第32話

 アルフ・マクレイは、比較的年若い赤狼の生物学者だ。<狼>の生態を中心に研究を進めている学派に属しており、日夜先輩諸氏に教えを請いながら、いつか偉大な研究者になることを夢見ている希望溢れる青年だ。故に、学派の中の若輩者が担うことが慣習となっている、子供たちへの性教育講座の講師を務めることも、先輩諸氏も皆通ってきた道だと思えば、熱心に取り組もうとする職務に忠実な性格でもある。

 だが――

「グレイ!グレイだ!」

「どうしたの、グレイ!授業参観?」

「わかった!アルフがちゃんと仕事してるか、監視しに来たんでしょ!」

 ガヤガヤと騒がしい教室の中で、救世主を前に興奮してキラキラした目を向ける無垢な少年たちに囲まれている、千年を超える美しい<狼>を前にしたときは、意味が分からなさ過ぎて、さすがに職務を放棄して回れ右をしたくなった。

 思わず教室の外に出て、上司――この群れの最上位の序列に位置する少女に悲痛な声を上げる。

「マシロさん!!?特別受講生って、彼ですか!!?」

「そうよ」

「いやいやいや!!!意味わかんないです!!!なんで!!!?なんで、千年以上生きた伝説の<狼>が、子供向け講座に生徒側で出席してるんですか!?百歩譲って、特別『講師』の間違いでしょう!?」

「ごめんね、アルフ。その反応は至極当然なのはわかってるけど――でも、ごめん。彼は特別『受講生』なの。何も間違ってないの」

 気まずそうにそっとマシロは視線を外す。

 嘘を吐くのは憚られるが、素直に事情を話して救世主として崇められているグレイの威厳を不用意に下げるのも控えたい。

「僕、知ってますよ!?ここ数日、群れに滞在してる間、職務の合間を縫っては、いたるところで番とイチャイチャラブラブ人目も憚らず溺愛して過ごしてるって噂!」

「ハハハ……」

「あの様子だと、まだ『蜜月』ですよね!?家に引き籠って繁殖行為に勤しむわけでもなく外に出てイチャイチャするその精神構造がどんなものなのか、生物学的見地からの考察を図りたいくらいの気持ちではありますが――間違いなく、こんな講座を受けてる場合じゃないでしょう!こんなの受けてる時間あるなら、番とすることしてたい時期でしょう!!?」

「う……うん……いや、本人も、きっと、本能的なところでは、今もまさに家に籠ってすることしてたい時期なんだとは思うんだけどね……?」

 ひくっと引き攣った顔で苦しい返事を返す。

「とにかく、何も聞かずに、お願いするわ。……大丈夫よ、アルフ。いつも通り、本当にいつも通り仕事をしてくれればいいの」

「どの辺がいつも通りですか!!?無理ですよ!!?」

「グレイだと思うから変な気持ちになるのよ。あれは――そう。ちょっと図体のデカい、群れの子供だと思って――」

「無理ですからね!?」

 やいのやいのと揉めていると――

「どうした。開始時間は過ぎているようだが。――何かトラブルか?」

 廊下でもめていた二人の元へ、トラブルの元凶が様子をうかがいにやってきた。

 うっ……とアルフが言葉に詰まると、その隙にマシロはくるりと踵を返す。

「あっ、じゃあ、あたしはこれで。――頑張ってね、アルフ!」

「ちょっと、マシロさん!!?」

「ふむ。……では、アルフと言ったか。楽しみにしているぞ」

「い、いやあの……」

 ふわり、と同性であっても見惚れかねないほどの美青年に微笑まれ、一瞬アルフは言葉に詰まる。

(えぇいっ……もう、どうにでもなれ、だ!)

 ぎゅっと拳を握り締め、大きく深呼吸をした後、アルフは教室へと足を進めた。

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