第31話

 めったにないチャンスに、ハーティアの頭の中をたくさんの質問が駆け巡る。

 どれから質問しようか迷い――まずは、無難なところから問いかけた。

「えっと、じゃあ――好きな色は?」

「色?……そうだな。月光を溶かしたような黄金と、透き通る瑠璃色だな。これは千年前からずっと変わらない。――永遠に、時間を忘れて、いつまでも見ていられる色だ」

 愛しそうに瞳を緩めて意味深な色香を含む視線をよこされ、思わず体温が一、二度上昇する。会話を盗み聞いていたであろう周囲の<狼>たちも、砂を吐くほど甘い露骨な口説き文句に絶句したようだ。年頃の雌の中には、今まで決して見ることなど叶わなかった”雄”としてのグレイを目の当たりにして、声にならない悲鳴を上げて頬を赤らめている者もいた。

「……い……今、そういうのいいから……」

「何故?嘘偽りのない、正直な回答だ。――愛しい、愛しい、私が世界で一番好きな色だ」

「ぅ……ワ、ワカリマシタ……」

 息をするように外聞など気にせず口説いてくるのは、『蜜月』の<狼>特有なのか、グレイだけなのか。

「食べ物の好き嫌いはある?」

「特にない。嫌いもないが、好きもない。腐ってさえいなければ、最低限、動けるだけのエネルギーが得られればいい。――あぁ、お前の手料理は別だ。味付けに関わらず、どんなものでも格別だ」

「ぅ……ま、また今度ね」

 嬉しそうに答えたグレイに、ごにょごにょと返して、別の質問をする。

「趣味とかある?」

「趣味?」

「マイブーム、とか……」

「……ふむ。趣味……昔は、時間が出来ると、お前の集落へと赴いた」

「えっ!?来たことあるの!?」

「中には入らないが。――集落の裏手に、巨大な木があっただろう。よく、そこから『月の子』らの営みを見守っていた。彼らが健やかに幸せに穏やかに過ごしているのを見るのが、何よりの幸せだった。お前の魂が息づいているときは言うまでもなく――そうでない期間も、ずっと」

「ぁ――あの、御神木――…」

「御神木?」

「うん。村では、そうやって呼んでたの。――そっか。あそこに、グレイが、いたんだ」

 ふふっ……とハーティアは嬉しそうに顔をほころばせる。

「今は?」

「ふむ……今は、時間があるならお前と共にいたいと思うからな。他の何かをするという思考回路がない」

「ぅっ……ま、またそういう――」

「……あぁ。いつか告げたが、お前の寝顔を見るのは好きだな。一晩中飽きずに見ていられる。愛しい」

「それは出来ればやめてほしい……は、恥ずかしいから……」

「何故だ?お前は眠っているのだから意識はないだろう」

 きょとん、と見返してくるのは、本気で理解していない顔だ。相変わらずのデリカシーのなさにぐっと言葉に詰まっていると、ガタガタ、と周囲の客が席を立ち始める。

(あぁ――…聞いてられなくなったのかな……)

 胸焼けするような甘い言葉を当たり前ような顔をして囁くグレイにあてられたのか、砂を吐くような表情か、まるで自分まで羞恥に極まったような表情か、どちらかの様相を呈して客がそそくさと席を立っていく。きっと、明日には集落中に、グレイがいかに番を溺愛しているか、番の前では人が変わったように愛を囁くかが、人々の関心を一気に集めながら恐るべき速さで広まっているに違いない。

 少しだけ静かになった店の中で、ハーティアはこほん、と咳をして気持ちを切り替える。――もう、グレイと一緒にいて、彼の溺愛を衆目の前でさらされて恥ずかしい思いをするのはだいぶ慣れた。

「じゃぁ――グレイって、子供のころは、どういう子だったの?」

「……む?」

「なんだか、想像つかなくて――私と出逢う前のこと、聞いてみたいなって思ったの」

「ふむ……そうだな……」

 グレイは何かを思い出すように視線を宙へと巡らす。何せ、千年以上前のことだ。記憶が遠いのだろう。

「……本当に幼かったころは、大人も手を焼く面倒な子供だったと思うぞ」

「えぇ!!?嘘!!?」

「本当だ。小さなころから、神童と呼ばれるくらいに強力な戒の扱いに長けていて――性格的にも、決して穏やかとは言えなかったからな。白狼の大人たちでも敵わぬほどの圧倒的な力で物事を全て解決して回る、そんな手の付けられない子供だった」

「えぇぇぇ……い、意外過ぎる……」

 今の統治者として力ではなく対話でまずは解決を試みようと心を砕くグレイの性格から想像が出来なくて、ハーティアは疑いのまなざしを向ける。

 グレイは苦笑してから懐かしそうに口を開く。

「ただ、そんな生意気な子供だった私が、どんなに頑張っても敵わぬ相手がこの世に二人だけ存在していた。――当時の白狼の族長と、始祖狼だ」

「――――!」

「狭い世界の中で、大人たちを次々と負かしては、自分こそが最強だと思っていた子供は、次元の違う二人に無謀にも挑み、片手で圧倒されて、あっさりと頭を垂れた。先代の族長はともかく、始祖の力を目にしたときは特に参った。逆立ちしても、太陽が西からのぼりでもしない限り勝てぬ。そんな、異次元の存在だった」

「そうだったんだ……」

 そして、ふっ……と吐息で笑い、言葉を続ける。

「そんな風に私を圧倒したくせに――どちらも、驚くほど謙虚で、穏やかで、己の力を決して誇示せぬ人格者だった。そこで初めて悟ったのだ。今の自分についてくるような者は一人もいないと。……群れを統治していくのに必要なのは、力を見せつけることではないのだと」

「――…」

「それ以来だ。先代の族長が退位すれば、必ず自分がそのあとを継ぐのだと心に決めて、曲者揃いの白狼の仲間たちを統治出来るようにと、必死に彼らの真似をした。強烈に憧れ、彼らのようになりたいと心から願った。彼らが守ろうとした白狼を、<狼>という種族そのものを、彼らが命を落とした後も、その遺志を継いで守っていきたいと思った。……今も、それが叶っているかはわからぬが、<朝>と<夜>には、始祖のようだと揶揄されたことはあるな」

 ふ……と口の端に刻まれたのは、苦笑なのか、自嘲なのか。

「だから、言っただろう。私は、カズラとは――お前の父親の性格とは、根本的に異なる。特に、お前に関することとなれば、必死に取り繕ってきた長としての仮面など簡単に剥がれ落ちる。元々の、短絡的になんでも力で解決したがる凶暴な性格が顔を出す。癇癪を起して暴走しては――我に返り、お前に嫌われるのではないかと怯える、情けない男だ」

「そんな――……いや、う、うん、確かに、何かあると力で解決したがってるような側面はこの数日ですごくたくさん見たけれど――」

 ことあるごとに嫉妬の炎を燃やした相手を「殺したい」と言っていたことを思い出す。すでにこの世にいない血を分けた父でも、彼の古の盟友の生まれ変わりでも、同胞たる黒狼の新族長でも、関係ない。そういえば、<狼>もどきの襲撃に遭ってセスナに最初に連れ去られた夜も、ハーティアに危害を加えられたと悟った瞬間から、それまでの踊るような冷静な戦い方など見る影もないほど、大規模自然破壊も辞さぬ暴れっぷりだったことを思い出した。

「でも――それが、本当のグレイなんでしょう?」

「?」

「取り繕ったりしていない、素の、『グレイ・アークリース』なんでしょう?私は――私の前では、いつでも、取り繕ったりしないでほしいって思ってる。グレイは、すぐに本音を隠して、自分よりも他者を優先しようとするから……」

 そう。彼は、とても優しい、優しい、<狼>だから――

「……お前は私を甘やかしすぎだ」

 グレイは苦笑してから、優しくハーティアの頬を撫でる。

「だが、そういうお前だから、私はお前に惚れたのだろう。――愛している、ティア。世界で一番、誰よりも」

「ぅ――……こ、公共の場でそういう直接的な言葉はその……は、恥ずかしい……」

 いくら彼の溺愛に慣れたと言っても、さすがにこれ以上は恥ずかしい、という水準はある。

 パンケーキなど比にならぬほどの激甘な口説き文句に再び体温が上昇するのを感じながら、ハーティアはもごもごとごまかすように口の中で呟くと、目の前の最後の一切れを口の中へと放り込んだ。 

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