第30話

 南の集落にやってきて二日目――

(ど、どうしてこんなことに――……)

 ざわざわと騒がしい喧騒の気配を身近に感じながら、ハーティアは小さくうつむいた。

 ナツメの指示書に逢った通り――ハーティアは、グレイと、”デート”を決行することになったのだ。ハーティアは午前中に”エステ”という聞きなれぬサービスをする美容の店へ、グレイはシュサ相手に直近の様子を尋問していた。

 そして午後、空いた時間でデートを決行することになっていたことを思い出し、人間界の習慣には詳しいであろうシュサ相手に別れ際に尋ねる。

「そういえば以前、ティアにも尋ねた気がするが――シュサ、”でーと”とは何をすればよいのだ?」

「<狼>連中ってのはそんなことも知らないのかい?ったく……さすがは姿だけ人間に似せただけの本性は獣だねぇ。番とのイチャイチャは繁殖行為以外しないわけ?」

「む……」

 呆れたように言われ、グレイが渋い顔で黙り込む。

「お嬢ちゃんと逢うのは何時から何時までだっけ?」

 シュサはため息をつきながら、手近なメモ用紙を取り出し、さらさらとその場で何かを書き出す。

 少しして書き終えた後、グレイにずいっとそのメモを渡した。

「はい。初心者向けのデートプラン作ってあげたから。――お嬢ちゃんへの情けで、ちゃんと二つ用意してあげたから、好きな方決行しな」

「……二つ?」

 言われて目を落とし、ひくり、と頬が引き攣る。

 一つは、無難に待ち合わせ、カフェへと入ったあと、露店が並ぶ通りでショッピングや買い食いを楽しむ初々しいデートプラン。

 もう一つは――どう考えても昼向けとは思えぬほど爛れた展開へと持っていくデートプランだった。

「……こちらだけでいい」

 ぐしゃっと片方の爛れたプランを握りつぶしてゴミ箱へと放る。

「おや?『蜜月』の<狼>くんにはあっちの方がイイんじゃないの?」

「うるさい」

 ニヤニヤと完全に面白がる表情で笑いながらかけられた言葉に渋面を作り、さっさとその場を後にした。

 そうして、待ち合わせをして――まず、周囲の視線が煩わしかった。

 グレイが街角の目立つ場所に立っているだけで、衆目を集める。かわるがわる赤狼たちがやってきては声を掛けられるため、待ち合わせだと断りを入れる。中には、「呼んできてあげようか」と善意で言ってくれる者もいたが、丁重に断った。――赤狼の誰かだと思い込んでいるらしい相手に、見たこともないハーティアを連れてこさせるのは困難だろう。

 しばらくして、エステで施術を受け終えてつやつやした肌をしたハーティアが現れ、グレイの元へと駆け寄ってからは、視線どころかざわめきが一層煩わしくなった。

 ――が、グレイには関係ない。ハーティアが現れたその瞬間から、グレイの意識は余すことなくすべてハーティアに注がれる。周囲の煩わしい野次馬根性丸出しの視線も噂話も、全くもって気にならない。

 ハーティアが太陽の下で笑っている――それだけで、グレイはこれ以上ない幸せをかみしめることが出来るのだから。

(私は落ち着かなくて仕方ないんだけど――……)

 しかしハーティアはそういう訳にはいかない。グレイを見つけて駆け寄った瞬間から、ざわざわする周囲に驚いて、ハッとマシロの言葉を思い出した。

 興味本位の視線を無遠慮に投げられる居心地の悪さに、さっさとカフェに入ったのだが、先ほどから、店内の他の客からも店員からも、何なら窓際の席に案内されてしまったために通りすがりの道行く者たちまでもが、二人を興味深そうに眺めていく。

(グレイが気にしてないんだから、私も気にしないようにしないと……)

 何せ、ハーティアにとって、生まれて初めての異性とのデートだ。雑音に気を取られて楽しめないのはもったいない。

「ふむ。午前中は、何やらマシロが紹介していた店に行っていたのだろう?どうだった?」

「う、うん。なんか、色々なオイルでマッサージとかしてもらった……」

「ほう。言われてみれば確かに、血色がよくなっているようだな」

「うん。すごく気持ちよかった。自分でも気づかないうちに、疲れがたまってたみたいで、マッサージしてもらってる間うとうとしちゃった。浮腫みがなくなって、終わったら靴のサイズが変わったのかと思うくらい足がすっきりしてたよ」

「そんなに即効性のあるものなのか。ふむ。赤狼の群れは、いつ来ても興味深い。新しい商売や商品が次々に出てくる」

 運ばれてきたコーヒーを飲みながら、感慨深そうにグレイがうなずく。ハーティアの何倍も聴力の鋭い彼が、周囲の声に気づいていないはずもなかろうが、どうやら雑音など全く気にしていないようだ。

「これで東、西、南の全部の群れに来たけど、どの群れも全然特色が違うんだね。南が一番賑やかな感じがする」

「ふむ。私の感覚では、<狼>の数だけで言えば、十年前の事件以降だいぶ減ってしまったと思っていたが――確かに、経済の要でもある南は、他の集落よりも活気が溢れているかもしれんな。東と西は直線距離では離れすぎている。真ん中に族長と<月飼い>代表者以外不可侵の領域と定めた千年樹がある関係で、互いの交流はより難しい。その点でも、南は東と西の間を取り持つ群れだ。往来も激しい。……復興という観点で考えれば、十年前の惨劇からこの短期間でよくも、というスピードだ。十年で、新たな命もたくさん誕生した。商業も昔と遜色ないまでに発展した。……彼らの逞しさと、マシロの必死の取り組みあってこそだろうな。昔から、赤狼は逞しく優秀な<狼>が多い」

 ふわり、と柔らかく頬を緩ませるグレイは、子供を見守る親のような目をしていた。血が繋がっていなくても、<狼>種族は全て我が子のように大切に思っている、といつか彼が語っていたことを思い出す。

(本当に、優しくて、慈しみ深いんだな……)

 グレイのそうした側面は、出逢った頃からずっと、ハーティアが好ましいと思っていたところだ。優しい目をして往来の<狼>を見るグレイの横顔を、ハーティアもまた、優しい瞳で眺める。

 二人の間に、ゆったりとした、穏やかな空気が流れる。

 その空気に名前を付けるとすれば――「幸い」に他ならないのだろう。

 つかの間の沈黙すら心地よく感じるその空気を、若い店員の声が切り裂いた。

「お待たせしました。ご注文のパンケーキです」

「わ――!何これ――!」

 運ばれてきた皿に、ハーティアが感動の声を上げる。子供のように無邪気に喜ぶ姿に、ふっとグレイが可笑しそうに頬を緩めた。

「シュサが、食べたことがないだろうから食べさせてやれ、と言っていた。何故かはわからんが、昔から赤狼たちは、雌の方が優秀な個体が多い。長になるのも、たいていが雌だ。序列が雌の優位になるせいかは知らんが、食文化は雌が好むものが多いらしいぞ」

「ふわぁ……すごい……!初めて見る……!」

 文明の発展と言う観点で見れば、優秀な頭脳を持つ赤狼が最先端で発展するのは当然だ。東や西も、妖狼病が発症するまでは、<月飼い>たちは<狼>との交流があり、互いに刺激を受けながら独自の発展を遂げていった。

 しかし、ハーティアが生まれ育った北の集落だけは、グレイがその集落の統治に一切口を出さず、ただ見守るだけだったため、そこに住む人間たちだけで文明を発展させていくしかなかった。グレイの戒により結界が張られていたため、他の集落との交流もほとんどない。ごくまれに、<月飼い>の代表者として赴く村長が、儀式のたびに他の代表者から知恵や商品を仕入れてくるくらいだった。

 ゆえに、北の発展は他の集落に比べて最も緩やかだ。伝統が根強く残っている反面、真新しいものが生まれる頻度は圧倒的に少なかった。元々未知のものに対しての興味関心が強く新しい物をどんどんと生み出す発展スピードの早い赤狼の群れにあるものは、見るものすべてが彼女にとって新鮮だろう。

「お……おいしぃ……!」

「それはよかった。娯楽目的で肉以外の物を食すのは赤狼の雌くらいなものだ。私には何が良いのかよくわからんが、お前が気に入ったなら何よりだ」

 そもそもグレイは食事も睡眠もただの道楽、と言い切ってしまうような特殊な感覚で生きている。ハーティアの手料理、などという特殊事情でもない限り、食事は身体を動かすための最低限のエネルギーを摂取できればいいと思っている彼は、人間だったころの味覚と習慣を捨てきれずニコニコとおいしそうに食事を頬張るハーティアを見て穏やかに黄金の瞳を緩めた。

「南にいるうちに気に入ったものがあれば、遠慮なく言えばいい。服でも、装飾品でも、日用品でも。金の心配はするな。好きに買えばいい。買った品物は、戒で屋敷に転移させれば良いのだから、帰りの荷物の心配もいらん」

「あ、な、なるほど」

「そのうちお前にも、戒の使い方を教えねばならんな。――祝言が終わったら、ゆっくりと取り掛かることにしよう」

「う、うん」

 金の心配をするなと言われても難しいが、グレイの匂いを纏っているハーティアが、彼の番であることはわざわざ説明するまでもなく<狼>たちには筒抜けだろう。救世主として崇められているこの群れで、ハーティアが欲しいと言えば、どんな品物もサービスも格安で――場合によっては無料で――提供されることは何となく想像がついた。きっと、遠慮したところで、聞いてはもらえないだろうことも。

(ちゃんと吟味して、本当に欲しい物だけをお願いすることにしよう……)

 化粧品も服飾品も、女性優位の群れと言うだけあって、年頃のハーティアの興味を惹くものがあふれかえっている。ハーティアはしっかりと自制心を保つことを心に誓った。

「――そういえば」

「ぅん?」

「何か、私に聞きたいことはあるか?」

「ほぇ…?」

 唐突なグレイの話題に、甘いパンケーキを頬張りながら間抜けな声を上げてしまう。

 グレイは穏やかな瞳のままコーヒーをすすり、ふわりと柔らかく微笑った。

「お前が言ったのだろう。――”でーと”とやらは、相手をよく知るためのものだと」

「ぁ――……う、うん」

「思えば、私はお前を千年も見続けてきたが、お前は私と出逢ってからまだ数週間だ。私という存在について、圧倒的に情報量が少ないだろう。出逢ってから、こうして穏やかにゆっくりと会話するような時間を持つことはなかったしな。……せっかくの機会だ。何か、聞きたいことがあれば好きに聞けばいい。今更お前に隠すようなことは何もない。正直に全て答えると約束しよう」

 トクン……と胸が穏やかな音を立てる。

 今日のグレイは、いつにもまして穏やかな表情をしている。デート、という特殊な状況がそうさせているのかもしれない。

「え、えっと……い、いっぱいあるよ?本当に、なんでも答えてくれるの?」

「勿論」

「じゃ――じゃあ、えっとね――」

 久しぶりに年長者の余裕を見せるグレイに、ハーティアはドキドキしながら口を開いた。

 

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