第26話
二日目の会議は、半日で終わった。もとより、まだ事件の後の混乱が残っている箇所も多い。特に、黒狼の群れに至っては、族長選出がつい先日行われたばかりなのだ。この不安定な時期に、族長が長く群れを留守にするわけにもいかない。
最低限の決議事項を最速で終わらせ、解決すべき残課題を整理し、着手の優先順位と役割の振り分けを行えば、あとはすぐに族長たちを帰してやるべきだろう。これから先の進捗確認は、いちいち族長たちを招集せずとも、グレイが転移で各群れを回ってその目で確認していけばいい。頃合いを見て、必要であれば落ち着いたころに招集をかければよい。
ハーティアの手料理を無事食べることが出来たグレイが会議中に機嫌を損ねることもなく、セオドアが不必要に胃を痛めることもなく、会議は順調に進んだ。会議を阻害したもとといえば、せいぜいクロエの腹の虫の喧しさくらいだったろう。
族長たちが別室で会議に勤しんでいる間、ハーティアとナツメは、東の<月飼い>の部屋でまったりとティータイムを楽しむ。
「クロエさん、命に別状がなくてよかったです。マシロさんの治癒、本当にすごいんですね」
昨夜は遠目でもわかるくらいの、どう考えても致命傷としか思えない大怪我を負っていたように見えたが、今朝のクロエの様子はぴんぴんしていた。ほっとハーブティーを飲みながら告げられたハーティアの言葉に、こくり、とナツメが静かにうなずく。
どうにも姉属性の強いナツメは、つい頼りたくなってしまう不思議な魅力がある。ハーティアは、意を決して今朝から続くもやもやを打ち明けようと口を開いた。
「あの……ナツメさん。相談しても、いいですか……?」
「?」
翠の瞳が不思議そうな光を宿してハーティアを振り返る。
「その……えっと……<狼>の番になった、<月飼い>の先輩としてアドバイスが欲しいんですけど――」
ゆっくり、ゆっくりと。
ハーティアは、決して言葉が返ってくることのない人形のようなナツメに向かって、己の思いを吐露していった。
「……というわけで……グレイは、同一人物だ、っていうんですけど……私、自分の気持ちがわからなくて――」
話し終えるころには、カップの中身はいつの間にか空になっていた。ナツメは無言でお代わりを注いでくれる。
「グレイには、確かにドキドキするんです。優しいし、やっぱりすごく格好いいし、尊敬もしてます。……私のことをちゃんと見て愛しているって言われて、すごく嬉しかったんです。でも、グレイの言葉が素直に信じられなくて、本当かな?って思っている自分もいて、もやもやするんです。こんな中途半端な気持ちのままで、グレイに身も心も許す、なんて出来ない気がして――…」
ぎゅっと膝を抱えてうつむく。項垂れる黄金の小さな頭を、ナツメの柔らかな手がそっと優しく撫でてくれた。
「『蜜月』の状態だから、ハイになってるだけなんじゃないかなとか……『家族』じゃ嫌だ、っていうのは、結局、身体の関係が持ちたいだけなんじゃないかな、とか……色々、不安になって――」
言いながら、ほろり、と涙が零れ落ちそうになるのを必死にこらえる。
「ごめんなさい。こんなこと相談されても、困りますよね」
ぐいっと目元をぬぐって顔を上げると、ナツメはふるふる、と顔を横に振った。
そして、何かを考えるようにしながら部屋を見渡し、ふと、部屋に備え付けられた書類仕事が出来そうな簡易テーブルに目を止める。
そのまますっと迷うことなく立ち上がり、机へと向かったナツメは、備え付けられた引き出しを開けて何かを取り出した。
「ナツメさん……?」
ハーティアの位置からは、ナツメの背中しか見えず、その手元は見えない。屈むようにして机の上で何かをしているらしいナツメをじっと待っていると、しばらくしてナツメが何かの紙切れを持って戻ってきた。
「な、なんですか……?」
差し出されるままにその紙を受け取って目を落とし――
「――――!」
驚愕に目を見開き、バッとナツメを見やる。
いつも通りの、どこか虚ろに思える笑顔のまま、ナツメはそっと口元に人差し指を当てる。
『貴女の不安な気持ちはとても自然なこと。思い詰めないで――』
大人の女性らしさを感じさせる美しい筆跡でつづられたそれは、まぎれもなく、ナツメからの声にならぬ”返答”だった。
「ナツメさん――!」
息をするようにクロエの望む人形を演じてきたナツメにとって、クロエ以外の存在と言葉を交わす、ということは禁じられた行いだった。
筆談とはいえ、その禁に抵触しかねないそれをしてくれたのは、ひとえにナツメの温かな心故だろう。――二十歳になった途端、ある日訳も分からぬままに男の家に監禁されて、数か月にわたって心を壊すような狂気の沙汰を働かれても、長い時間がかかったとはいえ、最終的にその相手を愛し、慈しむような懐の深い女なのだ。真剣に悩むハーティアを放っておくことなど出来なかった。
ナツメは、そっと渡した紙の下部を指し示す。
「ぁ……」
紙の下段には、ナツメからのアドバイスが書かれていた。
「――――――え……?」
ハーティアはそれをしっかりと読み終えてから、ぽかん、とナツメを見返す。
美女は、いつも通り何も言葉を発することはなく、ふわり、と少し儚げに微笑むだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます