第25話
次の日の朝――食卓に、緊張が走った。
「……ナツメ。どういうつもりだ……?」
「――……」
クロエの問いかけに、人形のような美女はスン……とすました顔をしているだけで、何も言葉を発することなく当たり前のように自分の席へと座る。
ナツメが席に着く=給仕が終わる、だ。
だが、食卓に並べられた色とりどりの料理は、なぜか、クロエの前にだけ、何も置かれていない。
「……おい」
スンッ……
クロエの三白眼がナツメを見やるも、鉄壁の横顔でそれを跳ね返す。
ピシッ……と空気が凍りかけたとき、場の空気を読みまくる黒狼が、必死で口を開いた。
「そっ……そういえばクロエさん、昨日、ナツメさんにちゃんと謝りましたか…!?」
「……何……?」
「すごく心配していらっしゃったんですよ?だから、その――ナツメさん、お怒りなんじゃないかと……」
ぼそぼそと口の中で呟きながら、頬を掻いて視線を逸らす。
「……まさか、そのせいで飯抜きだとでも?」
「ぅっ……いや、わかんないですけど……それくらいしか思いつかないですし…」
昨夜の運動量で、朝食抜きは堪える。クロエは不機嫌そうにナツメを見やるが、ナツメはスンッ……と無表情を貫き通すばかりだ。
「ふむ。……良い気味だな、クロエ」
「貴様……!」
「あんな戦い方をしていれば、心配をかけるのも道理だろう。反省しろ、ということではないのか?」
「く……」
他の<狼>たちの前にずらりと並べられたナツメの手料理は、相変わらず旨そうな匂いを立ててクロエの腹の虫を刺激する。
(や、やっぱり、ナツメさん……すごく、怒ってたんだ…)
ハーティアはこっそりと胸の中で呟く。グレイと顔を合わせるのがなんだか気まずくて、朝食の準備を手伝いをさせてくれとキッチンに朝一で赴いたのだが、ナツメは珍しく不機嫌な様子で、用意された皿も料理もどう考えても一人分足りない。良かれと思ってクロエの分の皿を追加して盛り付けようとしたら、ナツメにそっと手で明確に制止されてしまったのだ。
「ま、仕方ないんじゃない?――食べましょ。あたし、おなかすいたわ。いただきま~す」
半眼で見やったあと、無慈悲にマシロが暢気な声を上げる。ドクターストップを何度も無視しようとしたクロエに、彼女としても言いたいことがあるらしい。
「そうだな。さすがはナツメの生まれ変わりだ。完全に弟扱いの罰だが、今のお前にはちょうどよいだろう。反省しておけ。……さぁ、皆、クロエのことは気にせず食事を始めよう」
「貴様……!もとはと言えば貴様が――!」
グルルルル、と恨めしそうにクロエが唸り声をあげる。グレイとナツメは素知らぬ顔で、セオドアは少し申し訳なさそうな顔をして、各々の皿へと手を付け始めた。
眉間にこれ以上ないしわを刻んで、ギリリと奥歯を噛みしめるクロエを見捨てられなかったのは――やはり、ハーティアだった。
「……あ、あの……」
「なんだ……!」
「クロエ。空腹の苛立ちをティアにぶつけるな。――殺すぞ」
ハーティアにイライラと噛みつきかねない様子で返事をしたクロエに、さらりと当たり前のように冷たい殺気をぶつけるグレイ。セオドアの席から、「ヒィ――!」と小さな悲鳴が聞こえたような気がした。
「な、ナツメさんがクロエさんのご飯を用意していないの、気づいたので……その、私、一応、一品だけ、用意したんですけど――持ってきますね!」
「何――?」
席を立つハーティアに掛けられた低い声は――グレイのものだった。再び、「ヒィ」という声がどこからか聞こえる。
一瞬席を立ったハーティアだが、すぐにキッチンから戻ってくる。手にした皿には、少し不格好なブロック肉の香草焼きが載っていた。
「ナツメさんも、私が用意する分には止めなかったので!きっと、昨日の様子だと、お腹空いてると思いますし…そ……その、私、料理あまり上手じゃないので、期待はしないでほしいんですけど……」
「…………なんだ、この匂いは」
「香草です。――ハッ……!ご、ごめんなさい!うちの集落では、香辛料や香草をよく使ってたので、つい……!<狼>さんの嗅覚じゃ、もしかして匂いがキツ――」
「クロエ。殺されたくなかったら口には気をつけろ」
申し訳なさそうに眉を下げたハーティアの後ろから、グレイのおどろおどろしい声が飛ぶ。セオドアは、もはや悲鳴を上げることも出来ないほどの胃痛に悩まされて先ほどから全く食が進んでいない。
「…………」
匂いが多少きつくは感じるものの、肉汁滴る旨そうなそれは、十分にクロエの腹の虫を刺激した。
したのだが――
「――――いらん」
「へ……?」
「ナツメは、俺に『飯抜き』をしたいんだろう。ならば、誰が作ったものであろうと、食わん」
「…………ぇっと……」
「第一、お前の手料理を食べたりしてみろ。後ろの白狼が、この後の会議でずっと不機嫌をまき散らす」
「えぇ!?」
バッと驚いて振り返ると、確かにグレイは酷く不機嫌な顔をしていた。
「また八つ当たりのために夜中にたたき起こされて、翌朝飯抜きにされるのはごめんだ。――終わったら呼びに来い」
ガタン、とクロエは席を立ち、そのまま部屋を出ていく。自室に戻るのだろう。さすがに、この旨そうな匂いが充満する部屋の中で空腹に耐えるのは辛いと思ったのかもしれない。
「ぐ、グレイ……あの……お、怒った……?」
「……それなりに、不機嫌にはなった」
「ご……ごめん……でも、クロエさん、本当にお腹空いてたみたいだったし……」
「責めてはおらん。お前のその優しさは美徳だ。私が愛しく思う一つだ。ただ――私は、千年、お前の手料理など、食ったことがない」
「えっっ!?」
「どうしてそれを、クロエが先に口にする権利を得るのか、と思えば――一瞬、あいつを八つ裂きにしたくなった。それだけだ」
(そ、それだけ……って……)
とてもではないが、『それなりに不機嫌』の程度が激しすぎる。
グレイの狂愛の片鱗を垣間見て、たらりと汗を流せば、なぜか向こうの席でセオドアが胃の当たりを抑えて蒼い顔をしていた。「こんな地雷、自分じゃ回避不能じゃないですか…?」とかなんとか聞こえた気がする。
ハーティアはコホン、とわざとらしく咳払いをして気持ちを切り替えてから、おずおずと口を開いた。
「た……食べたい、の……?」
「勿論」
「でも……その、私、本当に料理、上手じゃなくて……」
「構わん。ティアが作った、というだけで間違いなく世界一旨い」
「グレイ、いつもほとんど料理に手を付けないじゃない。だから、料理なんて――って思って――」
「たいして食わずとも生きていけるからな。だが、お前の料理となれば話は別だ。皿ごと平らげたい」
「ぅぅぅ……」
息をするようにどこまでも甘やかしてくるグレイに、恥ずかしそうに呻いてから、ハーティアはそっとクロエに差し出していた皿をグレイの前へ置いた。
「ほ、本当に、本当においしくなくても知らないからね!?」
「ふむ。感慨深いな。まさか、お前の手料理を食べられる日が来るとは、夢にも思わなかった」
しみじみと言うグレイに、ハーティアは目を泳がせた後、口を開く。
「……ほ、本当に……食べたこと、ないの?……今までの生まれ変わりの、誰の、手料理も……?」
「?……あぁ。ないな」
どうしてそれをそんなに気にするのか、鈍感なグレイに理由はわからなかったが、記憶をもう一度辿り直すも、どんなに考えてもそんな記憶はない。あったら、強烈に覚えているはずだから、やはり、一度もないのだろう。
「……そっか……」
ハーティアは、ほんのりと染まった頬を隠すようにそっとうつむいて、口の端を嬉しそうに緩ませた。
(……なんで、あたしたち、朝からこんなバカップルの、ゲロ吐きそうなほど甘ったるいイチャイチャ見せられながらご飯食べなきゃいけないわけ……?)
マシロが砂を吐く思いでつぶやいた心の声は、セオドアの胸中とまったく同じタイミングでシンクロしていたことを、二人は知る由もなかった。
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