第21話
何度目かの突進をさらりとかわし、指を鳴らして空間圧縮の戒をお見舞いする。
(ふむ。これを避けられるようになったか。さすがに百年も経てば、成長しているな。クロードの生まれ変わりというだけのことはある)
冷淡な瞳で戦闘を分析しながら、飛んできた不可視の刃の三連撃をひょいひょいひょいっと避けてみせた。
目の前のクロエが、嬉しそうにもう一段瞳を輝かせる。
「根っからの戦闘狂だな、お前は」
「食らえ――!」
こちらの呆れた呟きに付き合うことなく、再び猛攻が始まった。やれやれ、と心の中で呟きながら冷静に一つずつ対処していく。
(普通、渾身の攻撃が空振ったならば、悔しそうな顔をするものだろう……まったく)
クロエの場合、そのセオリーは通用しない。
彼は、自分が逆立ちしてもかなわない強敵を前にしたとき――愉悦に心を躍らせるのだ。
それは、彼がグレイ以外の<狼>を相手にするならば、誰も近づけさせぬほどの圧倒的強者であるが故だろう。彼を単純な戦闘能力で凌駕する個体は、グレイと出逢うまで一人もいなかった。
クロエは、一族の統治にはとことん興味がない。腕っぷしの強さがそのまま序列となる灰狼においては、ただ強くあれば勝手に群れは従う。だからクロエのようなものでもなんとか族長業をこなせているだけで、本人には灰狼を統治していくということ自体に興味はない。誰かの上に立つことに喜びを感じるわけではないのだ。自分より上の者に戦いを挑み、血沸き肉躍る戦闘に興じたい――ただ、それだけが、クロエの望みだった。
故に、彼は喜んだのだ。
上り詰めたと思っていた灰狼の頂点――ひどく孤独に思えたその位置に立って初めて出逢った、最強の白狼との出逢いに。
――――自分が、逆立ちしても敵わない個体が、この世にまだ、存在していることに。
(手を抜かれていることに気づいていないわけでもあるまいが……まぁ、全力を出しても敵わない、という状況が、百年ぶりで楽しいのだろう)
グレイは、クロエの攻撃を避けるのに一切転移を使っていない。全て、己の身体能力だけで避けている。それに気づけば、手加減をされていると思い至りそうなものだが、クロエの爛々と輝く瞳を見るに、そのことは彼の関心ごとにはならないようだ。
(まぁいい。転移を使わないのは、単なる私のエゴだからな)
そう、エゴだ。――一瞬で勝負をつけたくなかったが故の。
ハーティアが去った後、究極の選択を迫られた。どちらを選んでも苦しい未来しか待っていなかった。黒々とした感情が鬱々と渦巻き――発散の方法が、凶悪な破壊衝動しか、思い浮かばなかった。
だが、何もない森林を大規模破壊したところで、気分がすっとするとは思えなかった。今の感情のままに衝動を解放すれば、おそらくこのあたりの生態系に何かしらの影響を与えかねないほどの大規模自然破壊になるだろう。しかも、相手が森林では、何の手ごたえもない。
その点、クロエは八つ当たり先としてはちょうどよかった。
現存する個体としては、唯一と言っていいほどグレイとまともに戦うことのできる相手だ。本気を出せば彼を圧倒することもたやすいが、何の手ごたえもない自然を相手にするよりはヒリつく戦いを繰り広げられる。自分の中で「転移を禁じる」という縛りを設けて戦闘をすれば、時にヒヤリとすることもあった。
気が抜けない戦闘であれば、余計なことを考える暇は圧倒的に少なくなる。感情に任せた破壊衝動も、クロエ相手なら十分に発揮できる。
(こういう物騒な考えが、ハーティアの心を得られぬ要因の一つなのだろうがな……)
ハーティアは、グレイの統治者としての資質を褒めてくれたが、それは彼が敬愛する先代の白狼の族長と始祖狼の振る舞いに憧れ、こうなりたいと真似て手に入れた後天的なものだった。
グレイが白狼の族長になる前から神童と呼ばれていたその理由は、本来はその戦闘能力がずば抜けていたせいだ。序列がものを言う世界において、圧倒的な力は上に立つ者に求められる最低条件である。いかに統治力が優れていようとも、力のない長に<狼>たちは決して従わない。故に、始祖狼の命令というチートがあったにも関わらず<夜>は最後まで<狼>たちを真の意味で従わせることはかなわなかった。
族長試験の前、子ども扱いをされては全方向に牙をむいていた血気盛んな頃を想えば今はかなり落ち着いたと言えるが、やはり自分の本性は好戦的で野蛮な男なのだと自覚する。最後の最後、カッと頭に血が上ったときに何もかもを滅茶苦茶にしたくなる破壊衝動が湧き上がるのはその証拠だろう。
「穏やか」「平和主義」という言葉が服を着て歩いているかのような、今は亡きカズラという男を思い出し、砂を噛むような気持ちで顔を顰める。
どれほど外面を装おうと、やはり、愛する女が千年の間、何度も心を寄せたあの男のようにはなれないと、現実を突き付けられているようで――
「集中を切らすとは余裕だな!」
「っ……!」
クロエの叫びに意識を戦闘へと戻すと、不可視の刃が三本、同時に別方向から迫っていた。
一瞬、グレイの黄金の瞳が鋭く光り――
ゴキッ
指を鳴らし、不可視の刃が迫る何もない空間をスッと高速でひと撫でした。
踊るようなその動きに、一瞬クロエが目を見開き――
ズドドッ
「っ――ガ――……っ……」
クロエが、己の生み出した不可視の三本の刃に貫かれ、吐血しながらその場に頽れる。グレイが咄嗟に、攻撃が身に迫る直前の空間を、戒によってクロエの周囲と繋げた結果だった。
(――しまった。つい、加減を忘れたな)
別の場所につなげるという手もあったのだが、一瞬差し迫った命の危機に、つい本能で相手へと意趣返しをしてしまった。
「……グ……ゥゥゥ……」
「動くな。死ぬぞ」
獣のような唸り声をあげてなおも身体を起こそうとするクロエに一声かけて、ぐるりと周囲を見渡すと、ちょうどマシロとナツメが駆けてくるところだった。なぜかセオドアまで一緒にいるようだが、気に留めないでおく。
「セオドア!クロくんを止めて!」
「は、はいっ!――動くな!」
マシロの指示が飛ぶと同時に、力ある言葉が放たれ、おびただしい量の血を流しながらも立ち上がろうとしているクロエが不自然にビタリと止まる。
「もうっ!何やってんのよ、馬鹿!」
動きを止めたクロエが忌々しそうに視線だけでセオドアを睨むが、蒼い顔でマシロが一喝し、急いで傷口に手を触れて治癒をしていく。
「グレイもよ!?何やってんの!」
「……手合わせを、な。死ぬまでに必ず、という約束だった」
「何で今日なの!?しかも、勝手に二人で始めて!!せめてあたしを最初から立ち会わせなさいよ!もしここに来るのがあと少し遅かったらどうなってたか――」
「……ふむ。耳が痛いな」
コリコリ、と軽く耳を掻きながら、グレイが視線を外して呻く。
むしゃくしゃしていた。――それだけだった。マシロの到着を待つことすら出来ぬほどに。
ヴヴヴヴ……と羽虫のような音を立てて治癒がなされていくのを見て、どうやら命にかかわるような事態にはならなさそうだと判断してから、チラリとセオドアへと視線を向ける。その黄金の瞳からは、戦闘時特有の冷淡な光は消えており、グレイがいくらか冷静になったことを示していた。
(瀕死の重体とはいえ、殺気立ったクロエを一瞬で指一本動かせぬようにする戒の練度はさすがだな)
新族長の戒の実力を思わぬ形で見ることが出来た幸運に感謝しながら、その横顔を見つめる。
セオドアの年若い相貌は緊張に強張り、頬には一筋汗が伝っている。真剣な紫水晶の瞳はまっすぐで、彼の心根もおそらく同じであることを想起させた。
真摯で、一生懸命で、戒の練度も申し分ない。会議での振る舞いも、初めての場に緊張してはいたようだが、一族を背負っているという覚悟をもって、気後れすることなく意見を述べるべきところはきちんと述べていた。
一言でいえば――とても優秀で、好ましい男だ。きっと、一連の事件で混乱を喫した黒狼の群れは、これから彼の手によって、もう一度良い方向に導かれていくだろう。
(このような若者が族長となってよかった。よかった、の、だが――)
ふと、夕食時の彼の顔がよぎる。
ハーティアの凛とした視線に、うっすらと頬を紅潮させた表情。――それは、グレイの機嫌をこれ以上なく逆なでした。
五千歩譲って、ハーティアに微笑みかけられて顔を赤くするならわかる。花が綻ぶような、こちらの心の奥までふわりと解きほぐしてしまうような、誰が見ても可憐な美少女の微笑みを前に、絆されてしまう気持ちは五億歩譲って理解できる。
だが――あれは、駄目だ。
ハーティアの、意志の強さが見える瑠璃の瞳を見て――その凛とした厳しささえ湛えた表情を前に頬を染めるのは、許せない。
彼女の見かけの美しさに見惚れたわけではなく――彼女の、真の魅力に気付いて惚れたとでも言わんばかりのあれは、決して。
ごぉっ……!
「な――!!?」
急に真横から吹き荒れた殺気の塊に、思わずセオドアは背筋を震わせて振り返る。
「ぐ――グレイ!?」
(今ここで殺しておけば――こいつにティアを奪われる心配はない――)
すぅっ――と一瞬穏やかさが戻ったはずの黄金の瞳が一瞬で細められ、再び冷淡な光を宿す。
先ほど、部屋の中で思い描いた妄想が頭をよぎったせいで、つい、本気の殺気をぶつけてしまった。
彼女を奪われることだけは許せない。――絶対に、許せない。
たとえセオドアがどれほど優秀な族長だろうが、好ましい男だろうが、関係ない。
(私からティアを奪おうとするなら、何者であろうと、容赦はしない)
黒々とした感情が胸に渦巻き、ギリっと奥歯を噛みしめる。
改めてセオドアを見てみれば、突出して整っているというよりは穏やかで素朴な感じを受ける相貌も、族長会議で場の空気がヒリついたときにすぐに空気を読んで言葉で穏便に場を取りなそうとする性格も、どこかあの愛しい『月の子』の心を惹きつけてやまないカズラを思い起こさせるような気がしてきた。
――むしゃくしゃする。むしゃくしゃする。
「なっ……ななな何かしましたか!?僕、何かしましたか!!?」
絶対的な王者の本気の殺気に、チビりそうになるほど恐怖におののき、心当たりのないセオドアは目を白黒させて震えた声を出す。
恐怖でグレイに意識が逸れ――クロエを拘束していた戒の効力を、ついうっかり掻き消してしまった。
「あっ!コラ!」
「二戦目だ、グレイ――!」
マシロの引き留める声など聞かず、ドッと土煙を上げ、地を蹴って爛々とした瞳でクロエが飛び出していく。
「……ふむ。ちょうどいい。私ももうひと暴れしたかったところだ。――来い、クロエ。遊んでやろう」
「ちょっとぉ!!?」
マシロの悲痛な声など聴くはずもなく――
冷淡な笑みすら浮かべたグレイは、ゴキッと一つ指を鳴らし、二戦目を開始したのだった。
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