第16話
「さぁ、夜も遅い。お前は眠るだろう?」
「う、うん。……グレイは、寝ないの?」
「毎晩眠るという習慣がないからな」
グレイは苦笑して、ベッドから立ち上がり、ハーティアを寝かせる。ここで眠っていけ、ということだろう。
窓を見ると、眩い月光が差し込んでいる。いつの間にか、気づかぬうちに夜が更け、深夜になっていたようだ。
グレイと同じ体となったハーティアは、眠ることも食べることも通常の<狼>や人間よりも必要なくなったが、どうしても十四年間毎日繰り返してきた習慣をいきなり変えることは難しい。
……最近は、朝も夜もなく身体を求められて激しく体力を消耗させられていたので、気絶するように意識を失ってばかりで、あまりゆっくりと眠った記憶がないのが恐ろしいが。
「そういえば、私が眠っている間、グレイは何してるの……?」
「ん?……お前の寝顔を見ている」
「え゛……!!?」
さすがにその返答には驚いて、思わずグレイを二度見するが、寝顔を見られる恥ずかしさなどという女心に配慮が出来るはずもない彼は、ふ、と嬉しそうに顔をほころばせた。
「いつまで見ていても飽きない。――この世のものとは思えぬ幸せだ」
一晩など一瞬だ、とでも言いたげなその表情は、心からの幸せを表していた。知らぬ間に寝顔を見られていた羞恥に、思わずシーツをぎゅっと握って顔を半分覆い隠す。
グレイは、シーツから覗いた黄金を優しく撫でながら愛しそうに口を開く。
「寝顔を見ていれば、お前が起きたときにすぐに気づける。寝起き特有のお前の甘い声音は、何度聞いても愛しい。毎朝、必ず聞きたい」
「っ……」
ふ、と吐息に笑みが混じったその言葉に、ふいに先ほど、北の<月飼い>の部屋にグレイが訪ねてきたときのことを思い出してぎゅっと胸が痛む。
『嘘を吐くな。――お前の寝起き特有の声は、昔からずっと、忘れることが出来ず耳に残っている』
ハーティアの向こうに、誰か別の影を見ているときの、彼の瞳を思い出した。
「……ぁの……グレイ……」
「ん?……どうした」
「…………あの、その……」
シーツの中から目だけを出して、そっとグレイを見上げる。
互いを理解するべきだ、と言ったのは自分だ。ならば、この正体不明の胸の痛みについても、理解せねばならないだろう。
だが、どのように切り出していいかがわからない。言葉に迷ってもごもごと口ごもっているハーティアを見て、グレイは軽く首を傾げた。
「……ふむ。眠れぬのか?」
「え?……えっと……う、うん……」
いつまでも瞳を閉じようとしないことを怪訝に思われるだろうと、思わずうなずいてしまうと、ふっとグレイが苦笑を漏らした。
「仕方のないやつだ。――私にこんなことをさせるのは、世界広しと言えど、お前だけだぞ、ティア」
「ぇ――?」
言葉の意味が分からず、瞬きをすると――部屋から青年の姿が掻き消え、優しい黄金の瞳を湛えた巨大な<狼>が姿を現した。
「ゎ――――!」
驚きと共にシーツを跳ね上げ、思わずハーティアの口から歓喜の声が漏れる。瑠璃の瞳がキラキラと嬉しそうに輝いたのを見て、黄金の瞳が緩く眇められた。苦笑したのだろう。
そのまま、いつかのように、美しい毛並みを惜しげもなく触れるようにぺたん、とハーティアを包むようにして添い寝する。
「すごい、グレイ――!すごいすごい!」
何の遠慮もなくその毛並みに顔をうずめてぎゅっと巨大な体躯を抱きしめるハーティアは、心から嬉しそうだ。この二週間で、間違いなく一番イイ顔をしている。
「ぇへへへへ……」
締まりのない声でもふもふと何度も毛並みを堪能するのは、千年前から変わらない。くすぐったさに嘆息しながら、グレイはふわりと尻尾でハーティアの顔を撫でる。キャッキャと嬉しそうな声が上がり、グレイの心もわかりやすく緩むのがわかった。
千年前、ティア・ルナートの部屋に夜に訪れるたび、こうして獣型になったものだった。夜に訪れるのは、何かグレイの心が参るような出来事があり、癒しを求めるせいだった。ティアとの時間を過ごして心が軽くなった後、礼代わりに、いつも彼女が喜ぶこの姿で、彼女の気が済むまでずっと撫でられてやった。
ベッドに添い寝しても愛玩動物のように扱われ、全く男として意識してもらえないところまで、ハーティアの反応はそっくりだ。
(まぁ、さすがにこの姿なら、添い寝したところで、無理矢理襲ってしまう心配もない)
この体躯で彼女を組み敷こうとすれば、間違いなくその身体を押しつぶす。自然治癒の効力があるため、圧し潰したところで圧死することはないだろうが、痛みはあるのだ。いくら『蜜月』の本能で前後不覚になろうと、さすがに相手に想像を絶する苦痛を与えてまで己の欲望を優先することはない。
「全く……相変わらず、度し難い……」
「え?」
「怖くはないのか?この姿が」
ふわり、と顔を撫でる尻尾に頬を緩ませているハーティアが、きょとん、とグレイを振り返る。
「人型ならともかく――獣型の我らは、わかりやすく人間を害する外見をしているだろう。鋭い牙も、爪も、巨大な体躯も」
「そ、それは……そう、だけど――」
「お前は昔からそうだ。よりにもよって、瀕死の重体になって狂暴化している獣型の私に、恐れず手を伸ばす神経は、何度考えてもわからぬ。肝が据わっている、というだけでは説明がつかぬだろう」
「――――――」
ふっ……と苦笑しながら、懐かしそうに目を眇めたグレイの言葉に、ぴたり、とグレイを撫でまわしていたハーティアの手が止まる。
「……ティア?どうした」
急に黙り込んだハーティアを不思議に思い、その顔を覗き込む。
「ティア……?」
ぎゅっ……と眉根を寄せたその顔は――どこか、泣き出しそうな、顔。
困惑したグレイは、身体を起こしてハーティアの顔をしっかりと覗き込もうとして――
「グレイ……あの、あのね。私、わかったかも」
「何……?」
ぽすっ……と毛並みに顔をうずめるようにして身体を預けたハーティアの寂しそうな声に、グレイは戸惑った声を返す。
「私――私、きっと、このままじゃ――グレイのこと、永遠に『好き』って思えない――」
「――――――!?」
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