第15話
「グレイも、優しいじゃない」
「……?」
「お父さんは、村人を大事に思っていたけど――でも、やっぱり、村長は仕事だと思ってたと思うよ。でも、グレイは違うじゃない。……グレイは、<狼>さんたちを、血が繋がってなくても我が子同然だ、って言ってた」
「……ふむ」
「ただの責任感とか、仕事だから、っていうだけで、千年も務めを果たせないよ。グレイは、始祖狼さんから託されたからって言うけど、グレイ自身も、<狼>さんたちが大好きで、子供みたいに大事な存在だと思っているから、千年も<狼>の長を出来てたんじゃないの?」
「…………」
「血が繋がっているわけでもない<狼>さんたちを、子供だと言って、愛して、慈しんで、彼らが先立てば心を痛めて――愛情深さも、優しさも、お父さんよりもずっとずっとグレイの方があると思うけど」
ハーティアは苦笑して言葉を続ける。
「お父さんは、優しかったけど、厳しくできなかったっていう言い方も出来るもの。実力行使で強く出られないから、何度も何度も協議を重ねて、そのたび軋轢も生んで、全てが上手くいっていたわけじゃなかったと思う。でも、グレイはいつもは優しいのに、厳しいときは厳しいじゃない。でも、それはグレイの個人の感情じゃないって皆がわかるから、それによって離反が生まれない。――第一、千年もグレイに対しての謀反らしい謀反が起きてないっていうのは、それだけで統治者としては凄いことなんじゃないの?」
「……たまたまだ」
「私は確かに、武芸に秀でて戦場で大活躍する人よりも、集落を統治する力が優れている人の方が好きなんだと思う。――でも、その観点で言えば、お父さんなんかよりずっと、グレイの方が格好いいって思うよ」
「……?」
ぎゅっとグレイの眉間にしわが寄る。今一歩理解が出来なかったのだろう。
ハーティアはくすっと笑って、口を開いた。
「私、グレイが、<狼>種族の長として活躍してるのを見るのが好き。族長の皆と対等な立場だって言って会議をしたり、それぞれの種族の群れを回って、事件の事後処理をしたり――どこへ行くにも私を連れ回られたのはちょっと困ったけど」
「……ふむ。……片時も離れがたかったのだから仕方あるまい」
「さすがにあれは恥ずかしかったけど、でも、『蜜月』ってそういうものなんでしょ?……最初、事後処理なんかしたくないって言ってたのに、結局、ちゃんと西にも東にも行くんだもの。そういう、グレイの責任感が強いところ、好きだよ。……連れ回られたのは困ったけど」
「そう棘のある言い方をするな。『蜜月』の本能に理性で抗うのは酷く難しいのだ」
「ふふっ……」
顔を顰めながら鼻を押さえるのは、今もその本能に抗ってくれているからなのだろうか。――そういうところが優しいのだ、と言ったらこの男はどういう顔をするのだろう。
行く先々で抱き寄せられ口づけされ、心を無にしていたのは事実だが、グレイの仕事ぶりを間近で見ることが出来たのは貴重な出来事だった。<狼>たちの心に寄り添い、困っていることがあれば解決策を一緒に考えて授け、未曽有の出来事に混乱する現場を治めて再び求心力を強めていく統治力はさすがの一言だった。……出逢う<狼>全員が、ずっとグレイの傍らで腰に腕を回されたままのハーティアにもの言いたげな視線を注いでいたことはさておき。
「……では、あの男の何がいいのだ」
「え?」
「……顔か?」
「いやいやいや……」
真剣な顔で呻くグレイに、思わず半眼で返す。
顔の良し悪しを言うならば、それこそぶっちぎりでグレイの方が整っている。父は、誰が見ても口を揃えるほどに素朴で優し気な風貌をしていたが、お世辞にも格好いいとは言えない外見だった。<狼>を生んだという始祖狼が依怙贔屓をしたとしか思えぬほどに整ったグレイの容貌とは、比較することすら烏滸がましい。
「お父さんの好きなところはたくさん挙げられるけど、やっぱり、グレイと比べるなんて出来ないよ。――お父さんはお父さんだもん。グレイの方が、ずっとずっと格好いいよ。中身も外見も」
「だが、お前は私を愛さない」
「うぅぅん……そういわれても……結婚したい、とか言ってたのは、あくまで小さいころのことで、別に恋愛対象として好き、ってわけじゃなかったもの。当たり前だけど、お父さんにドキドキしたりしたこともないし……」
「ドキドキ?」
「うん。――グレイには、するよ。時々ね」
少し頬染めてはにかんで小声で告げると、グレイの黄金の瞳が驚きに瞬いた。長い睫毛が風を送る。
「ならば――何故、匂いが変わらない」
「いや、それは私もわかんないけど」
匂いがどうのと言われたところで、もともと人間のハーティアにはよくわからない。
「……ドキドキとやらと、好きという感情は別なのか?」
「さぁ……」
難しい顔で呟くグレイに、困った顔で返す。集落で暮らしていたころは恋愛とはほとんど無縁で、初恋すらまだだったハーティアに、そのあたりはよくわからない。
ぎゅっと眉根を寄せて真剣に考え事をしながら、グレイは腕を伸ばしてハーティアの腰を引き寄せる。
「わっ……!?」
「何もしない。――だが、限界だ。触れたい」
驚きに身体をこわばらせたハーティアに告げて、すぐ隣に引き寄せた身体を片手で抱きしめ、密着させる。匂いを直接嗅がないようになのか、顔は背けたままなのは、きっと理性の糸を切らさぬように必死で手繰り寄せているせいなのだろう。ごくり、と男らしい喉仏が上下して、熱っぽいため息が口から洩れたが、それ以上グレイが何かをしてくることはなかった。
「我々<狼>は、『蜜月』の間、雄が雌に異常に執着するように出来ている」
「う、うん……マシロさんに、聞いた……」
「本当は、ほんの一瞬たりとも――片時も離れたくないのだ。お前の存在を常に傍に感じていたい。匂いを嗅いで、この手で触れて――叶うことなら、四六時中身体を繋げて、二度と私以外の誰もこの目に映させたくないと思っている」
「え゛……」
いきなり狂愛の片鱗をのぞかせたグレイに、ひくり、と頬を引きつらせる。身体が強張ったのが伝わったのだろう。グレイは顔をそむけたままで嘆息して、ゆっくりと落ち着けるようにハーティアの頭を撫でた。
「だが、お前の愛を得られるまで――お前の匂いが変わるまで、身体をつなげることは我慢しよう。お前を泣かせたいわけではない」
「ぅ……」
「ただ、時折こうして抱き寄せ、匂いを嗅ぎ、身体に触れることは許せ。これすら制限されては、きっと、私は正気を失う。――――クロエがナツメにしたように、お前を壊してしまいかねない」
「っ……ぅ、うん……」
(監禁とか……されるのかな……)
ぞくり、と冷たいものが背筋を伝い降りる感覚に身を震わせ、小さく頷いた。相手に蛇蝎のごとく嫌われていても構わない、と言い切る三白眼の灰狼の狂気を思い出し、肝が冷える。
「……駄目だな。どうにも私は、お前を怖がらせてばかりだ」
「そ、そんなことは――」
「いい。お前の愛を得られていないのに、自分本位にお前を自分のものにした報いだ。――時間はある。ゆっくりと、やり直させてくれ」
言いながら、もう一度月光を溶かしたような黄金の髪を愛しそうに撫でる。
(……やり直して、くれるんだ)
愛を得ることを諦めず、決して投げ出したりせず、当たり前のように一緒に生きる未来を前提にしてくれていることが、ふわりと心を温かくする。ハーティアをもう二度と放せない、と彼は何度も口にしていたが、それがその場しのぎの言葉ではなく、真実心からの言葉であることがわかってほっと息を吐いた。
初めてグレイと出逢った日から、様々なことが目まぐるしかったが、それでも、彼と一緒に永遠を生きると決めたのは、自分の意思だ。その彼が、途中であきらめずにいてくれることが、何よりも安心する。
そんなことを彼に言ったら、「頼まれたとて離さない」と真顔で言われそうだ、と可笑しくなった。
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