第13話

 ギッ……と奥歯を鳴らした後、グレイはぐっと瞳を閉じて、ゆっくりと息を深く吐く。必死に理性を手繰り寄せながら、嫉妬に感情を支配されないよう、一言一言かみしめるようにして問いかけた。

「お前が、言ったのだ。――相手を、知ることが、愛を育むことだと」

「う、うん……言った……けど……」

「ならば、聞かせろ。――あいつの、何が、そんなに、お前を惹きつける。っ……お前の愛を、独占するっ……!」

 ぐぐぐっと握られた拳が真っ白になるまで力が籠められた。ハーティアは困った顔でグレイを見返した。

 ――理解したい。グレイのことを、ちゃんと。

「えっと……無知でごめん。<狼>さんたちは、自分の親を恋愛対象にすることがあるの……?人間はそんなことないんだけど――」

「あるわけがない」

「な、なら、私も――わっ!?」

 誤解を解こうと言葉を重ねるより先に、バッとその腕を取られる。そのまま、衝動に任せて、ベッドへと身体ごと押し倒した。

「お前がっ……!お前が、何度、あの男を愛し、添い遂げ、子を成したかっ……知らぬからそんなことを言えるのだ――!」

「――――――へ――!?」

 のしかかられたことよりも、言葉の内容の方が衝撃的過ぎて、思わず目を白黒させて聞き返す。

「な――ななな何それ!!!?」

「昔からだ――昔から、お前は、何度生まれ変わっても、そのたびにあの男が傍にいる――!最初の、最愛を奪った憎い憎いあの男が、いつもお前の傍に――!」

「えぇぇ!!?」

 グレイの脳裏に、千年間の記憶がよみがえる。

 愛しい『月の子』の魂が誕生する度、その魂はいつも傍にあった。

 時には幼馴染として。時には学校の教師として。時には遠い親戚として。時には血の繋がった兄だった時もあった。

「恋仲になるかどうかはその時々だが、高確率でその結果になる……!必ずお前の傍にいて、お前の人生に強く影響を与える……!仮に血縁であったとしても、お前は必ず最初にあの男に惚れる――!」

「いやそんなこと――……あ、あったかもしれないけど……」

 即座に否定しようとして、つい数時間前に、幼いころに「お父さんと結婚したい」と言っていたという発言をしてしまったことを思い出してもごもごと口ごもる。

 カッとグレイの瞳に嫉妬の炎が宿った。

「何度繰り返しても、お前は必ずあの男に惚れるんだ――!私が欲しくて欲しくてたまらないお前の愛を、一心に身に受けるあいつが、憎くてたまらない……っ!」

「そ、そんな――!」

「何がいい――何が、そんなにも惹きつけるんだ、ティア!」

 ぐっと上から押さえつける手の力が強まり、痛みにハーティアの顔が微かに歪む。

「っ……どうしたら――どうしたら、お前は、私に惚れてくれる――……」

「――――……」

 慟哭にも聞こえる切羽詰まった声音に、ハーティアは思わず何も言えずに押し黙る。

 どうして血を分けた家族である父親にそんなにも――と思っていたが、千年の記憶がグレイを苛んでいるとわかれば、軽々しく「あり得ない」と一言で切って捨てても納得はされないだろう。

 きっと、ハーティアには想像もつかぬほど複雑に絡んだ黒々とした感情がその胸に渦巻いているはずだ。

(……『最初の、最愛』……)

 ふと、グレイが口を滑らせた言葉が脳裏をよぎり、チクリと胸を刺す。

(グレイにとって、一番愛しいのは、その人なのね――……)

 最愛、という言葉が刺す意味を考えれば、つまり、そういうことだろう。

 結局、彼が心から愛したのは千年前の女一人であり、ハーティアも、それ以外の生まれ変わりも、全てはその一人を投影するための存在でしかないのだ。

 この二週間、飽きるほどそばにいて気づいた。グレイは時折、ハーティアの向こうに、別の誰かを見ているような視線を向けることに。

 あふれる愛しさと、寂寥と、切なさのないまぜになった、哀愁漂うその視線は、グレイにとってその女が何よりも特別であることを容易に想像させた。

(……なんで……胸が、痛むのかな……)

 チクリ、と針を刺したような微かなものだったはずの痛みが、徐々に大きくなっているような錯覚に、ぐっと眉間にしわを寄せる。

 グレイが千年を生き続けてこられたのは、その女の影を追い続けたからだろう。愛を口にすることも出来ぬまま、その女の魂が息づいていることだけを心の支えに生きてきた。

 だから、その女の存在には感謝しなければならない。彼女がいなければ、こうしてハーティアがグレイと出逢うこともなかったし、グレイはどこかでその人生の歩みを止めてしまっていたかもしれない。

 そう思うのは事実なのに――なぜか、泣きたくなるくらい、胸が痛い。

 ぎゅっと唇を噛んで涙の気配を堪えると、ハッ……とグレイがその表情を見て息を飲むのが分かった。

「――――っ……すまない」

「え……?」

「冷静ではなかった。――何もしないと、言ったのに」

 苦しそうに呻くようにして漏らされた声に顔を上げれば、グレイはのしかかっていた体勢から身をひるがえすようにして起き上がり、背を向けていた。

「そんな顔をさせたいわけではないのだ」

「グレイ――」

「やはり、駄目だ。顔を合わせれば、堪えられぬ」

「ちょ――」

 こちらを見ることもなく早口で言い切る背中に、慌てて追いすがるように自分も立ち上がる。

「マシロの言う通り、しばし離れて暮らそう。今の私は、冷静でいられない」

「ちょっと待って――」

「さらばだ、ティア」

 そのまま、グレイは右手を軽く持ち上げ、ゴキンッと音がするのと――

「待って――!」

 必死の形相でハーティアが左手に縋りつくのは、同時だった。


 ふぉんっ……

 小さな音を立てて、二人の姿がその部屋から掻き消えた。

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