第7話
「――ぅん?」
涙目で叫んだハーティアに、マシロは疑問符を上げる。
二週間――会議の間だけ別室で待機しろ、と言われるだけで目を輝かすほどに執着されていた彼女だ。その間常に一般の発情期の<狼>に近い『蜜月』状態のグレイが、一日一回程度で終わらせているとは思えない。たった二週間とはいえ、身体が慣れるくらいには求められているのでは、と思ったのだが――
「……辛いの?」
コクコクコク、とハーティアは必死に蒼い顔で頷く。
「えっと……あの、本当に、言いたくなかったらいいんだけど――アンタの一番のストレスがソレなんだとしたら、気になるからちゃんと教えて。……いつも、どんな感じで進むわけ?」
赤狼は、研究者としての側面と、医者としての側面を強く持つ一族だ。マシロは茶化すわけでもなく真剣な顔で問診目的で尋ねる。
ハーティアは怒りと恐怖に涙をためながら、震える声で口を開いた。
「急にスイッチが入ったみたいに求められて――こっちのことなんかお構いなしに、ピーー(自主規制)してピーー(自主規制)して、ピーー(自主規制)したあと、すぐにピーー(自主規制)して……!」
「ぉ……ぉぉぅ……」
「ピーー(自主規制)でピーー(自主規制)したあと、ピーー(自主規制)するんです!」
「ぅ……うぅぅん……」
「グレイのピーー(自主規制)がピーー(自主規制)でピーー(自主規制)がピーー(自主規制)ってなっても、グレイは気遣うことなくピーー(自主規制)してきて……!」
「ぅわぁ……うん。それは辛い、辛いわね」
女子の下ネタはえぐいと言ったのは誰なのか。包み隠されないハーティアの怒りの主張に、マシロは心から同情の声を出し、そっとその傷ついた心に寄り添う。さすがにナツメもハーティアの言葉に同情したのか、優しく背中をさすっている。
「わ、私っ……グレイしか知らないから、これが普通なのかどうかもわかんなくてっ……う、ぅぅぅ」
「あぁ、泣かないで。泣かないで、大丈夫だから。――おかしいのは千年も生きてるくせにそんな自分本位な行為しか出来ないあのサイテー男の方だから。ハーティアは何も悪くないわ」
マシロもナツメと一緒に必死にマシロの背中をさする。うんうん、とナツメまで頷いているところを見るに、グレイの『自分本位な行為』という意見には彼女も同意しているらしい。
「ぐ、グレイがおかしいんですか……?」
「おかしい、っていうか――うーん、なんでだろ。最低でも千回以上発情期迎えてるはずなのに――」
白狼の群れには、グレイの血を引く子供が誕生していると聞いたことがある。また、グレイの番になりたいと迫る雌はこの千年、絶えることはなかった。毎年、繁殖期の相手としてあてがわれる白狼の雌は顕著だ。基本的に同一種族での交配を繰り返すのが常である<狼>において、グレイの番の座を射止める確率が高いとされるのは当然白狼の雌だ。毎年、実力主義の白狼らしく、それはそれは熾烈な雌の中での序列争いが起き、勝ち残った雌だけがグレイと繁殖期を過ごすチャンスを得る。そのたびに番にしてくれと熱烈に迫られるというのは、<狼>社会の中では常識だった。――ただでさえ優秀な個体がそろっている白狼の序列最上位の雌ともなれば、他の種族の<狼>が土下座してでもお相手願いたい相手ばかりなのに、グレイが毎度すげなく袖にするため、『誰とも番わない』というグレイの印象が強くなっていったのだから。
そんな風に熱烈に奪われ合っていたグレイが、まさか経験が乏しいとは思えない。
「白狼の雌たちは、夜のテクニックまでは求めてないとか?……ううん、リピートしたい、って毎年熱烈な争いが勃発するくらいだから、繁殖期の行為自体に不満があるわけじゃなさそうね……」
「ぅっ、ぐすっ……」
マシロは暫く冷静に状況を分析する。そうしてやっと一つの可能性に思い至った。
「……なるほど。繁殖期の雌、それもグレイに抱かれたくて抱かれたくて仕方ない、っていう特殊な女の子しか相手にしたことないんだわ、あの人」
「ぅ、ひっく……え……?」
ハーティアが疑問符を上げて顔を上げると、マシロは呆れたようにため息をつく。
「まず大前提なんだけど――繁殖期にしか<狼>は子供が産めないの。だから雄はその間積極的に雌を抱くし――当然雌も雄を受け入れる準備は普段より整ってるわ。発情するのは雄も雌も一緒だしね」
「え……」
てっきり雄だけが発情すると思い込んでいたハーティアはポカン、と口を開く。
「で、今までグレイの所に毎年送り込まれて来た雌たちは皆、グレイに心底惚れてるわけだから、グレイに抱かれて恍惚としちゃう勢いだと思うのよ、うん」
「えぇぇぇ……」
全く理解できない感覚に、ハーティアは半眼で呻いた。
「しかもグレイって、そういうのを繁殖行為、って割り切っちゃうくらいドライだった訳でしょ?女の子を大事にしようとか喜ばせようとか、考えたことないんじゃない?――そんなことしなくても、雌は勝手に準備万端だったんでしょうし」
「――――……」
「でも、人間って繁殖期とか無いし――何よりアンタ、別にグレイのことが異性として好きな訳じゃなかったんでしょ?」
「ぅ゛……」
「そりゃ、今までの経験豊富な特殊な雌相手に喜ばれたことされたって、アンタからしたらたまったもんじゃないわよね。……その辺を察するようなことが出来るほど女心がわかる男じゃないし」
「………ぅぅぅ……」
マシロは合点がいったと頷いたあと、ヤレヤレと嘆息して首を振った。
「今度、グレイに赤狼の群れで子供向けに開催されてる性教育の講座受けさせるから、勘弁してあげて」
「な、何ですかそれ……」
「赤狼は昔からそういうのがあるのよ」
学術的興味関心が強い赤狼は、思春期になり自分たちの身体の発育や生命の誕生について疑問を持つ個体が多い。結果、何が起きるかというと――興味関心からの性行為や、愛情の伴わない"事故"だ。昔から、"事故"が起きる割合はダントツで赤狼が多い。
それはあくまで「知らない事を解明したい」という赤狼特有の強い知識欲から来るものだ。下手に隠すよりも、詳らかに知識を過不足なく与えることで、興味だけで番ったり子供を作ったりという出来事は減っていくと考えた祖先たちは、子供たちに早いうちから知識を授けることを考えたのだ。
今では、ただの性知識だけではなく、番になるとはどういうことなのか、相手を愛し思い遣るとはどういうことなのか、などのテーマまで幅広く網羅する講座が男女別に開かれている。
おかげで、<狼>社会においてはハーティアと同世代と言っても過言ではないマシロでさえ、冷静に知識をもとに彼女の話を聞くことが出来るくらいだ。
「子供に混じってグレイが講座を受けてるのを想像するとウケるけど、自分に足りないことがあるのを自覚して学ぼうとするのに、外聞とか気にする人じゃないでしょ、あの男」
「ぅ……そ、それは、そう思う……」
出来ないことは出来ない、と素直に口にして、若輩者に教えを請うことに抵抗など感じない男だろう。そうしたグレイの性格は、ハーティアが素直に好ましいと思っている一面でもある。
「まぁ、心の底から同情するし、千年も生きてるくせに何やってんのってグレイに呆れもするけど――悪気があってやってる訳じゃないってことは保証してあげるわ」
「は、はい……いえ、それは、わかってるんですけど……」
ハーティアはモゴモゴと呻くように返事をする。溺愛されているのは分かっているのだ。ただ――その愛が少し、規格外に重いだけで。
「でも、お医者さん的な立場から言わせてもらうと、正直今のアンタの状態は良くないと思うわ」
マシロの言葉に、コク、とナツメも微かに頷く。
「ドクターストップよ、ドクターストップ。グレイにはあたしからも言ってあげるけど――」
「い、いえっ!そんな、大丈夫ですっ!話を聞いてくれただけで――」
「そうは言っても、ねぇ……そもそも、アンタがちゃんとグレイのことをただの家族じゃなくて、生涯を共にする伴侶として受け入れられる心の準備が出来るまで待ってもらわないと」
「え、あ、いや、そんな――」
「アンタがお人好しなのはよく分かってるつもりだけど――正直、後悔してるんじゃない?」
「え……?」
ハーティアがきょとん、と聞き返すと、マシロは憐れみの視線を投げて口を開いた。
「――グレイの番になったこと」
「――――……」
ハーティアは驚きに目を瞬き――
ふわり、と花が綻ぶように笑んでから、ふるり、と首を横に振る。
その瑠璃色の瞳に宿る光は強く、微塵も揺らいでいなかった――
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