第6話

 三人がやってきたのは、ナツメの――正確に言えば、東の<月飼い>の代表者用の――部屋としてあてがわれている部屋だった。

 部屋に入ると、ぐすぐすとまだ鼻を鳴らしているハーティアをマシロに任せ、ナツメは簡易キッチンへと向かう。心が落ち着くお茶でも入れてくれるのかもしれない。

「まぁ、座りなさいよ」

「ぅ……ごめ……ごめ、なさ……」

「いいから、ほら」

 ハンカチを差し出し、背中をさすってやる。涙をぬぐう可憐な美少女を見て、マシロは心の底から同情の念が堪えない。

(ほんと……なんでこの子ばっかりこんな不幸な目に遭うのよ……)

 生まれ故郷を焼き払われ、家族や友人などを軒並みすべて失った。完全に撒きこまれる形で、偶然に永遠の命を得てしまった。そして、恋愛の意味で愛していたわけではないが、恩人としてかけがえのないほど大切に思っていた相手の番になったら、想定の何十倍もの狂愛を注がれている。

「グレイに何かされた?――っていうか、何もされてないわけないか……」

「っ……」

 ビクッ……と震えるハーティアの肩を見て、再び同情する。

「まぁ……言いたくないことは言わなくていいんだけど。アンタの様子が、尋常じゃないから、気になるのよ」

「ま……マシロさん~~~~」

 ぼたぼたと涙を流すハーティアを見て、マシロは眉を下げる。哀れにもほどがある。

 しばらくすると、ナツメが温かい湯気の立つカップを三つ持ってきた。香り高いそれは、どうやらハーブティーのようだ。心を落ち着かせる作用があるものかもしれない。

「ホラ、これでも飲んで落ち着きなさいよ」

「あ、ありがとうございます……」

 ハーティアはカップを受け取る。鼻腔を擽る柔らかな香りにナツメの優しさを感じ、再び涙腺が緩んだ。

「あ~……なんていうか……いや、ほんと、言い辛いなら言わなくていいんだけど、もしかして――グレイに監禁でもされてたの?」

 ナツメは過去、そうされた経緯の末に心を壊したと聞いている。ナツメにも配慮しながら、そっと伺うと、ハーティアはうるっと瞳に大粒の涙を浮かべた。

「か、監禁、っていうかっ……」

「うん」

「い、一瞬も、離れてくれなくてっ……」

「……ぅん?」

「どこへいくにも、何をするにしても、ずっと、ずっと、誰がいてもいなくても、全然離してくれなくて――!」

「あぁ……なるほど」

 先ほど、ハーティアの瞳が期待に輝いた理由がわかり、マシロは渋面を作って頷く。

 あれは、二週間ぶりの”自由”に心を躍らせた結果だったのだろう。

「いつでもどこでも、キスするし、抱きしめるし、嫌だって言ってもやめてくれないしっ……!」

「あぁ……うん。想像つくわ……」

 尻尾があったらぶんぶん振り回しそうな勢いで、ハスハスとハーティアに執拗に纏わりついているグレイの図を思い浮かべ、苦笑する。

 赤狼は今回の件にほぼ関与していないため、彼が事件の後に群れを訪れることはなかったが、他の二つの群れには訪れていたのだろう。二週間前千年樹の泉から姿を消したときはそれすらどうでもいい、という様子だったが、さすがに我に返って長としての責任感が勝ったのか。ちゃんと事後処理のため、仕事をしていたらしい。

 しかし、そんな時でも当たり前のような顔で彼女を伴い、所かまわず密着しては愛を囁き、口づけを落としている姿が容易に想像できた。周囲が半眼になったり砂を吐きそうな顔をしていても、そもそも他者の気持ちの機微に疎い男である上に、千年越しの願いが叶ってハイになっているであろうグレイが気にするはずがない。第一、グレイに面と向かって物申せる<狼>など、現状ではクロエとマシロくらいである。

「も、もう耐えられなくてっ……心を無にするしかなくって……!」

「……本気で同情するわね……」

 二週間前、人前だからと言って拒否をしていた彼女を思い出す。本来彼女は、人並みの羞恥心と分別を持っている人間だったはずなのだ。それが、この二週間の行き過ぎた狂愛のせいで、その心を麻痺させるしかなくなったのだろう。

 そして今日、初めて与えられる”自由”に瞳を輝かせたら――そんな表情は久しぶりに見た、と言われて無理やり口づけされ、やはり離さない宣言をされて、再び心を閉ざしたのだ。……そりゃあ閉ざしたくもなる。

(久しぶりに見た、ってことは……結構前からこんな感じみたいね)

 カップに口をつけるハーティアの小さな頭を、ナツメがポンポンと撫でる。

「な、ナツメさ……っ……!」

 優しい姉のようなその手つきに、ボロボロっと涙腺が崩壊する。

「ナツメさんもっ……ナツメさんも、あんな感じだったんですか!?」

 ハーティアは食い気味にナツメに言い募る。

「あんな――あんな、無理矢理、嫌だって言っても痛いって言っても全部無視して、無茶苦茶に――」

「ちょ――ストップストップ。あんたね、ナツメはナツメ、あんたはあんたでしょ。ナツメがどうだったかは関係ないわ。――いいわよ、聞いてあげるから全部吐き出しなさいよ」

 マシロが慌ててフォローを入れる。言い募られてナツメが困った顔で視線を緩く外したからだ。――彼女にとっても、もしかしたら辛い記憶があるのかもしれない。……いや、別人のようになるまで監禁されていた事実に、辛くない記憶があるとも思えないが。

 あえてそのトラウマの蓋をこじ開けさせる必要はないだろう。どのみち、ナツメににじり寄ったところで、彼女が口を開くことはない。

「ぅ……ぅぅ……」

 ハーティアはずずっ……とハーブティーをすすって、ぽつりぽつりと語りだした。

「ぐ、グレイって、基本、『愛している』って言葉だけでなんでも許されると思ってて」

「……まぁ、そういう訳じゃないと思うけど、やってることだけ見るとそう捉えても仕方ない気がするわ」

「オオカミだったころの獣の本性が残ってるのかわからないけど、いつでもどこでもエッチなスイッチが入って求めてくるし!」

「全部の<狼>がそうだとは言わないけど――まぁ、クロくん以上だとすると、相当よね……」

「繁殖期でもないのに、いつでもどこでもいつまでもっ……!」

 言っていて次第に怒りが込み上げてきたのか、プルプルとハーティアが震えだす。

 キッと瑠璃色の瞳に強い光が宿った。

「だいたい、おかしいと思いませんか!?私、まだ十四歳ですよ!?キっ……キスだって、したことなかったのに!」

「あぁ……うん。そうよね」

「それがいきなり――ムードもへったくれもなく、獣みたいにっ……!」

「あー……想像できるし、同情も出来るけど……一応、<狼>の生態に一番詳しい赤狼の族長としてフォローしておくと、番になってしばらくは大体どんな<狼>もそんな感じよ。勿論個体差はあるけど。……あたしたちはそのハイになってる期間を『蜜月』って呼ぶわ」

 マシロは半眼で同情しながら人間であるハーティアに自分たちの生態について説明する。

 <狼>の雄が雌の首筋を噛んで番にすると、匂いが塗り替わる。それと同時に、番の相手にしかわからない誘惑物質のような特殊なフェロモンが雌の身体から出て、雄はしばらく発情期でなくても発情しやすくなり、番への執着を強める。自分以外の異性の個体を不必要に近づけることを忌避し、独占欲が異常なまでに強くなる。その期間の雄は、己の番のこと以外は考えられなくなるほど前後不覚になる個体が多く、仕事も放りだして家に籠って、朝から晩までまるで発情期のように致し続ける者も少なくない。その期間を『蜜月』と呼び、その期間が過ぎれば雄の過剰な執着も発情も落ち着くが、その期間に深めた愛着により、その後も生涯仲良く暮らす個体がほとんどなのだ。

「『蜜月』の期間は、本当に千差万別で……最短は三日っていう脅威の記録が残ってるけど、最長は――ちょっと、わかんないわ。……どっかの誰かが、ずっと記録更新し続けてるから」

 呆れた顔でマシロが黒髪の美女を見やると、ナツメはふわりといつもの笑顔を返すだけだった。

 記録を更新しているのはクロエらしい。ナツメと番になってから、かれこれ三十年程度は経っているはずだから、とんでもない記録なのだろう。

(もしかしたら、クロくんとナツメの記録すら、グレイとこの子が塗り替えちゃう可能性もあるわけだけど……)

 クロエたちの『蜜月』が三十年と知って絶望の顔を見せるハーティアには可哀想だろうと、心の中で呟くだけに留める。クロエの記録が異常値を叩き出しているのは、初代のナツメに先立たれてからの百年で彼がその執着を増したせいだと考えられている。その十倍の期間、執着を募らせていたグレイは、その反動で一体どれくらいの長さの『蜜月』を繰り広げるのか。

 何せ、番にする前ですら、ハーティアと共にいる期間はずっと、発情こそしないものの、まるで『蜜月』の<狼>並みに執着し彼女に身の危険を及ぼす可能性のあるものすべてを排除しようと全方位に敵意を向けていたくらいだ。番になってしまったらどうなるか、学術的興味は沸くものの、もしこれが自分の身に起きたことだったらと思うと背筋が寒い。

「でも、千年もあって、毎年発情期を乗り越えてるわけだし――そういう行為の経験だけは豊富でしょ。最初こそ痛かったかもしれないし、<狼>の基準でいきなり回数求められるのは辛いかもしれないけれど、もうちょっと慣れて体力さえつければ――」

「い、嫌です!!!あんな痛くて辛いこと、慣れるなんて思えません!!」

「――ぅん?」

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